語られる真意へ向き合う心④
□□□□□□□
「あ? 先輩どこ行った?」
昼休みの終わりを告げる予鈴と共に、楓はいつの間にか流香がいなくなっていることに気付いた。
「ねーちゃん? んぐ……く、苦しい。あ、秋月、離せごらぁ!」
騒動の果てに楓によってまたもやプロレス技をかけられていた颯太は、呻きながらも辺りを見渡す。でもいくら見渡しても姉の姿は見当たらなかった。いくら流香が小さくても、たかが教室内で彼女を見失うわけがないのに。
「あら、流香からメッセきてた」
こちらも騒動のあと、何故か篤の胸ぐらを掴んでいた沙希が、ふと、自分のスマホが点灯しているのに気付き、内容を確認しながらみんなに告げる。
「ええっと『ちょっと急用があるから五時限目、うまく先生に言っておいて』? だって。めっずらしぃ~、流香が授業をさぼるなんて」
目を丸くしている沙希に、篤も驚嘆の声を発しながら言う。
「流香らしくないな~。それに、普段ならメッセージじゃなくて直接伝言してくんのにな」
智花も柚子も目を見張っていた。沙希と篤に比べたら長い付き合いではないが、それなりに自分たちも流香の性格は十分に把握しているつもりだからだ。真面目な流香が自分たちに一言も告げず、ましてや授業をさぼろうとするなんて信じられない。そういう顔を、二人はしていた。
「急用ってな~に? さぼらないといけない程のことかな~?」
柚子が聞く。それを智花が汗を垂らしながら、言葉を繋いだ。
「さぁ? 流香に聞かないと分からないけど……。とりあえず秋月楓、何してんの? 弟も」
一同、一年生コンビを見る。そこには慌てた様子の二人が闇雲に教室中を漁っている姿が四人の目に映った。
「先輩!? せんぱ~い! どこだよ!? おい弟、んなとこに先輩がいるわけねーだろ! 殺すぞ!」
しらみ潰しに机や椅子の下を調べていた楓が、教室に設置されているゴミ箱の中を覗き込んでいる颯太に向かって激しく非難する。それを、颯太が怒鳴り返した。
「るっせ! おめーだって、んな下ばっかり見てんじゃねーよ! ねーちゃんはそこまで小っさくねー!」
もっともな言い分に聞こえる。だが、微妙にずれている颯太の突っ込みに、負けじと楓も更に声を張り上げた。
「バァーッカ! 先輩はこの前、机の下に潜ってたっつーの! 団子みたくなってたんだっつーの! 知らねーくせに、いちゃもんつけてんじゃねーよボケ!」
それを聞いた颯太も、更に声を荒げる。
「はぁ~? おめーこそバカか! それこそばっと見りゃ分かるだろー!? 目ん玉狂ってんじゃねーの!? そんぐらいの判別も出来ないんですか~? ってんだ、ドアホッ!」
「んだとごらぁ! ゴミ箱漁ってるボケに言われたかねーよ! そっちこそ、先輩がんな場所に入ってるわけねーだろぉが! 大体、自分の姉がそこに入ってて欲しいのかっつーんだ! 大した弟だなぁ、こんのシスコン野郎!」
「言いやがったな! くぉんのクソ野郎!」
「へっ、いちいち噛み付くんじゃねー! こんの万年補欠部員野郎!」
「だからレギュラー候補って言ってんだろー!? くぉんのセクハラ野郎!」
流香を捜しているかと思いきや、次第に全く関係ない方向へと口喧嘩を始めた一年生コンビ。そんな二人に、二年生カルテットは汗を垂らしながらずっと彼らを見守っていた。でも、このまま終わりそうにはないので、ようやく止めに入る。
「あんたたち、そこまでにしときな! 何そんなに慌ててるのよ?」
篤が出向こうとしたところを沙希が遮り、楓と颯太の口喧嘩に横やりを入れた。篤だと颯太は静まるかもしれないが、楓には逆効果である。そう沙希は最早、理解済みだったからだ。
「んなもん決まってるだろ! 流香先輩が!」
「んなこと決まってんじゃん! ねーちゃんがぁ!」
同時に声を揃えて叫ぶ楓と颯太。最後の部分だけ息がぴったりな二人は、どことなく顔色も悪かった。体調が悪いというわけではない。どこか焦りを帯びている二人の表情に、沙希たちもようやく、今の状況を思い出した。
「そうだった……忘れてた!」
沙希は楓たちにつられるように顔を真っ青にし、頬を両手で抑える。次第に、ガタガタと体も震え出した。
「……っ! 私としたことが、うっかりしてた」
智花も額に手をやり、沙希とはまた違う苦い表情で舌打ちをする。同じく柚子も智花の呟きに答えるかのように、爪を噛みながら渋面な顔をしていた。
「流香……」
楓と颯太を抜かし、その場にいた二年生である四人は忘れていたのだ。流香が今、狙われていることを。それもそのはず。野球ボール以来、沙希たちは流香が危険な目に遭った場面へ遭遇していない。
篤も同様。ブロック塀が流香に向かって落ちて来たとき以来、彼女の危険な瞬間を目撃していなかった。
大胆な手口から、巧妙な手口に切り替わったためだ。野球ボールやブロック塀から、剃刀。そして、バタフライナイフへと。
不覚にも意識が薄れていた四人。沙希たちと篤はそれぞれ、野球ボールとブロック塀止まりだった。でも、楓と颯太は違う。彼らはバタフライナイフまで知っている。だから先輩である四人よりもいち早く、事態の緊急性に気付いた。流香がいなくなってしまった、その危険を。それがお互いの、明確な意識への差だった。
「とりあえず、どこにいるか電話するぞ?」
即座にズボンのポケットからスマホを取り出した篤。焦りはあるが、冷静にならなければならないことを彼は理解する。先に気付いたものの、取り乱してしまった楓と颯太を見たからこそ、落ち着かなければならない。ことは一刻を争うのだから。一人きりになった流香に、また危険が及ぶ前に。
篤は一覧より流香を探し出したのち、彼女へ電話をかけた。
PPP……PPP……PPP……PPP……PPP……
「つながんないな」
耳にスマホをあてたまま篤は眉を眉間に寄せ、珍しく厳しい表情をしだした。一度切り、またかけなおしてみるが一向につながる気配がない。何度も何度も繰り返してみたものの、出る様子のない流香。虚しいまでに鳴るコール音が、六人を一気に緊張感へと追いやった。
「おい、切れ! 俺がかける!」
いてもたってもいられなかった楓は強引に篤へ電話をかけるのを辞めさせると、自身のスマホを取り出し、流香へ自分もかけてみた。
だが、事態はより深刻さを増す。篤のときとは違い、楓の耳と目に飛び込んできたものは通常のではなかったからだ。
《通話することができませんでした》
「な、何でだよ……」
これは一体どういうわけなのか。どこへ行ったかも知れない、流香への唯一の連絡手段が断たれていた。確かについさっきまでは繋がっていたはずなのに。愕然とするしかない楓。
「なぁ、どうだった?」
反応が無くなった楓に声をかける篤。でも、その言葉は彼には届いていない様子だった。徐々にスマホを耳元にあててた手を下げ、目を大きく見開き、顔を青ざめている。
スマホが繋がらなくなったのは、どういう意味なのか?
本当に、ただ電波が繋がらない場所へ流香が移動したのか?
それとも、流香以外の誰かが故意に電源を落としたのか?
途端に楓は目つきを変えた。それまで見開いていた大きな瞳を、まるで、ナイフのように鋭くさせながら。
「どこに行くんだよ!?」
尋常ではないほど俊敏に教室を飛び出して行こうとする楓へ、颯太が思わず声を張り上げる。そして、急いで出て行く寸前の楓を捕らえることが出来た。颯太が現在いる場所は、ゴミ箱付近。教室の出入り口付近に設置されているため、その場にいる誰よりも早く彼を止められたのだ。再び聞き返す颯太。
「お前、ねーちゃんの居場所知らねーだろーが! どこに行くつもりなんだよ!?」
長く息を吐きながら、楓はそれに答える。
「決まってんだろ。学校中捜すんだよ」
言い終わると楓は颯太を横目で見た。途端に、背筋が凍るのを颯太は彼を間近で見て感じる。
「な、何て顔してんだよ」
颯太が思わずそう口にしてしまったのは無理もないことだった。前回見た時は、顔の大部分が手で覆われていたため、よく見えていなかったからだ。それでも、直感的にはヤバイと感じていたが、しかし、まさかここまでとは思いもしなかった。
颯太の目の前には笑っている楓がいる。だけど、その表情が通常の人がする笑みではないことを、颯太はすぐさま分かった。
目が。楓の、ナイフのように細められた目が。異様な眼光をちらつかせているのだ。
瞳孔が開き、瞳の奥は深淵の闇が広がっているような錯覚さえ覚える。流香も一度は見たぶちギレた楓。
そして、この楓こそが彼の本性。
その冷たくも壮絶な笑みを、今度は弟の颯太が間近で見た。胸が激しく動き出す。脈打つ血管は、一気に全身を駆け巡った。止めどなく流れ始めた汗に、颯太はこの、自分が楓に対する反応にある言葉を当てはめる。ごく自然な反応だ。
それは――恐怖。
「いい加減に手ぇ、離せよ。弟ぉ」
颯太に捕まれたままであった楓が、極限にまで落とされた声音で言う。その声で我に戻った颯太は、この楓に対して、自分がどう接すればいいのか分からなかった。姉自身も、困惑を覚えたぶちギレの楓。そんな彼に、何て返せばいいのか分からない。
いや。それでもふと、颯太はあることに気付いた。秋月がこんな状態になったのは、そもそも流香がいなくなったからだ。
「あ、秋月。とりあえず落ち着けよ」
何とか振り絞った声で、颯太は元の楓に戻ってもらおうと試みる。この状態での彼と話すのは、凄く恐ろしいという正直な気持ちもあったが、それよりも、颯太には確認したいことがあったからだ。彼は流香に関して確実な手がかりがあるのを思い出していた。
今こそ、聞いてみるか? 哲平のことを。
そのためにも、キレている楓を何とか留めさせなくてはならない。哲平が楓の友人であるからこそ、冷静な状態で話を聞きたいからだ。
「お前に一つ、聞きたいことがあるんだよ」
「るせー。とっとと離さねーと殺す」
一瞬、楓を掴んでいる手を離しそうになった颯太。ただ聞いただけなのに、無情にも楓から脅しの言葉が返ってきてしまった。
「うぅっ」
早くもくじけそうになる颯太だったが、姉のことを考えると、そんなことは言ってられない。口を固く引き締め、意を決すると、颯太は楓に向かって再度要請した。
「んなテンパるなって秋月。俺の話を聞けよ! ねーちゃんがいなくなったワケ、心あたりあんだよ!」
颯太が言い終わるか終わらないかの刹那。彼は楓に首元を腕で押さえ付けられたまま一瞬で壁へと追いやられた。
「おい、どーゆーことだよ。言え」
「お前ら、ちょっと待て!」
二人の様子に、慌てた篤が急いで止めに入ろうとする。喧嘩を始めるとでも思ったのだろうか? 沙希たちも同様、こちら側の話を聞いていなかったため、一斉に視線向けてきた。
颯太は息が絶え絶えだ。なんせ、楓に首を押さえ付けられているから当然である。でもひるまない。楓がこんな状態になってるのは、自分の姉が一因している。それは十分といっていいほど理解した。だから言う。やはり楓に言わないとだめだ。流香には止められているけど、逆に楓は知らなければならないと颯太は思う。
「お前のダチ、森脇ってアイツ、何なんだよ?」
「あ?」
颯太から思いもかけない名前が出てきて、流石の楓も少し正気に戻る。近くまで寄ってきた篤も颯太の言葉でこれから先、彼が何を言おうとしているのか察した。そして、それを止めなかった。
「何でそこで、哲平の名前が出てくんだよ」
片眉を少しだけ上げる楓。そして、颯太の首を締め上げていた腕もゆるめた。彼が話やすいようにだ。でも、発せられたその言葉の意味を呑み込めていない様子でもある。流香の予想通りに、少々混乱も起き始めたらしい。
しかし颯太はそんな楓には構わず、自分が彼に言いたいこと、聞きたいことを告げる。流香から聞いた話を全部。
――キーンコーンカーンコーン
五時限目の本鈴とともに、楓は駆け出した。今度は誰も彼を止めなかった。颯太から話を聞かされた楓が、何かに気付いた表情をしたからだ。そんな楓に、伝えた本人である颯太も後を追う。
「颯太!?」
驚いた篤は颯太を呼び止めた。楓のみならず、颯太までもが五時限目をサボるつもりのようだ。事態が事態であるから至極当然の行動のように思えるが、でも、まさか天敵である楓と行動を共にしようとするなんて、驚かないわけにはいかない。
颯太の中で、何か楓に対して思うところでもあるのだろうか?
完全に出遅れた二年生の四人。そんな四人に対して、颯太は振り向きながら言う。
「俺らがねーちゃん捜して来るから、あっくんたちは待っててくれよ! 沙希ちゃんも、大丈夫だから!」
智花と柚子に支えられながら、顔をすっかり青くさせている沙希に気付いた颯太はそう告げる。そしてそのまま、四人を置いて楓を追いかけるように走り去っていった。
ギャグとシリアスが織り交ざって大変忙しいですね。
私も書いてて忙しかったです。
次回、ようやく哲平と相まみえます。




