戸惑う心に忍びよる影⑨
「先輩、泣くなよ」
そっ、と秋月が空いている自分のもう一つの手で私の涙をすくう。そして、「何で泣いてるの?」と聞いてきた。だから私は答える。
「……秋月……遠くに、行かないで……」
それが精一杯だった。今の私の、精一杯の返しだった。行って欲しくない。秋月に、私のそばから離れて欲しくない。紛れもなく、私の真実の願い。そして、心の底から思っている気持ちだった。
「行かないよ」
ぽそっと、秋月の口から漏れた言葉。その言葉を聞き、私は涙で霞んだ視界の中、秋月の顔をようやく。優しい顔をしている秋月を、ようやく見ることが出来た。
「言ったじゃん。俺、先輩のそばにいたいって」
優しい声と共に、優しい手つきで私の涙を拭ってくれる秋月。
「先輩を置いて、どこにも行かねーよ。行けるかよ。大好きな先輩を置いて、さ」
秋月から発せられた『行かない』という単語に、私は安堵した。
「良かった」
少し瞼を腫らしながら、笑みを溢す私。秋月が遠くに行かないと言ってくれて、本当に良かったと思った。このまま、私のそばにいてくれると安心した。
そんな私に秋月はゆっくりと近付いて来て、私の腫れた瞼にキスを落とす。睫毛についた涙を、自分の唇ですくってくれたんです。そしてそのまま、こめかみにも唇を押し付けてくる秋月。かと思ったら今度は額、更に頬。次々と秋月は、私の顔にキスを落としていった。最後に軽く、口にもキスをしてくる。
当然、私の顔はもう真っ赤です。恥ずかしくて、視線を秋月に向けていられず地面を見る。
そんな私へ、秋月はゆっくりと言葉を紡いでいった。
「先輩ありがとう。危なかった。俺、戻っちまうところだった」
何故か秋月にお礼を言われて、私はその意味が分からなかった。けど、とりあえず元の秋月に戻ったようでホッとする。私の知っている秋月に戻ったみたいで本当に良かった。
――ニヤッ
え、何か聞きなれた音が聞こえてきたような……?
嫌な予感がよぎってきたけれど、私はその音が聞こえた方向へ顔を向ける。そこには、今までで最大級の不敵な笑みを浮かべる秋月がいた。
「せんぱ~い。そんなに俺に離れて欲しくないんだぁー?」
な。な、な……な、何を……。べ、別にそんなこと……。
バッと秋月から手を離し、焦っている私。そんな誤魔化そうとしている私へ、更に追い討ちをかけるように秋月は言ってきた。
「つーことは? 流香先輩、ちっとは俺のこと好きになってくれたってわけだ? 脈ありってやつ?」
…………………。
チ――――――ン。
固まりました私。
ぎゃああぁぁぁあぁ――――――っっ! バ、バレた! ずっと隠そうと思っていたのに。よりにもよって私の気持ち! この、まだ戸惑っている気持ちを本人に!
「違う――――――っっ!!」
バタバタと両腕を振り回しながら、精一杯叫んで否定した私。でもそんなのお構いなし。秋月は、みるみる顔を輝かせてくる。そしていきなり、腕を空に向かって突き上げた。
「よっしゃああぁぁ――――っっっ!」
私とは対照的な叫び方をする秋月。ガッツポーズをしています。まるで難関な牙城を攻略したかのように喜んでいます。
ってぇ! いやあぁ――――――っっっ! その難関な牙城って、私じゃない!
「ち、違う。違うの秋月」
だってまだ私、あっくんのことも……。こんな中途半端な状態で、秋月に知られるわけにはいかない。必死に私は弁解をしようとした。そこへ。
「先輩っ!」
ガッと私は秋月に両肩を掴まれる。
へ? な……何、何?
焦っている私は、ただわたわたとしているだけで、何も抵抗できないまま秋月に。
チュ――――――――――ッッ。
キスをされました。思いっきり唇を吸われました。って、吸われたって何!? 本当に……本当に……。いやあぁ~~~~~~っっ!
「せんぱ~い。こうやって先輩の中からあの野郎を完全に追い出してやるかんな! はいっ、もう一回」
唇を離したと思ったら、満面な笑顔で秋月が私の中から『あっくん追い出し宣言』をしてきました。私があっくんのこと、まだ好きなのをどうとも思っていないみたい。むしろ意気揚々と追い出すことに目覚めたみたいです。
今までの自分の行いはあながち的外れでない求愛行動。だったら全速前進。好きなだけ好きなことをして、私との仲を育もう。例え私がまだあっくんに想いを寄せていても、こんなにおいしい状況にある自分にとっては全く障害にならない。逆にこのままいけるなら、もう時間の問題だな先輩! とでも言いたげです。
って、何それ!? あれだけ私、悩んでたのに。ムチャクチャです!
「ちょっ、調子にのらないで――――――っ!」
再びキスしようとしてくる秋月を私は全力で阻止しようとした。ジタバタと両腕を振り、秋月の胸を叩く。顔は秋月から背け、キスされないようにもする。だってあり得ません! あれだけぐるぐると頭を巡らせた、秋月とあっくんへの気持ちをそんな簡単に解決されたら、私の十二年間の片思いは一体どうなるの!? って感じです。
「せんぱ~い、観念しろよ。逃がさねーって言ったろ?」
再びニヤッと不敵に笑ってきた秋月は簡単に私の腕を掴む。そして、ボソッとまだ顔を背けてる私に耳打ちをしてきた。
「ちゃんと俺、『奪ってやる』って言ったぜ? もうちょいだから、ね?」
「へっ!? もうちょいって……」
その言葉を聞き、迂濶にも私は秋月を見てしまった。
チュ――――――――――ッッ。
隙あり、と秋月は再度私にキスをしてきました。また唇を吸われました。
ぎゃああぁぁぁあぁ――――――っっ! こ、こんな道端で!
もし誰か通りかかったらと焦りまくる私にお構いなしの秋月。心臓が物凄い勢いで波打っている。このまま飛び出してきそうな程。
――ボトッ
キスをしている私たちのすぐ近くで何かが落ちる音が聞こえた。
――ドッキ―――――ン
そしてその落ちた音と、音をさせた人物に、私は本当に心臓が飛び出てくるかと思った。
「な……な、な……な……何してんだてんめー秋月――――っ! ねーちゃんから離れろぉおおぉぉぉお――――っっっ!」
私と秋月が視線を向けると、そこにはカバンを落とし、顔面を蒼白にさせている颯太がいる。
いやあぁ――――――っ! そ、颯太っ! 颯太に見られた! 弟に見られたぁ~~っ!
ボッと頭から湯気が出そうな程私は顔を真っ赤にさせ、硬直する。
そんな私と比べ、シレッと秋月が颯太に向かって言った。
「何だよ弟。邪魔すんなっつーの。俺今、先輩を口説いて――」
「んな口説き方あるかぁ――――――っ! ぶっ潰す! マジでてんめーぶっ潰すぅ――っっ!」
ドドドッと、これまでになく憤慨している颯太が秋月に向かって走り出す。そして、物凄い勢いで蹴りを繰り出した。それをひょいっ、と軽くかわす秋月。
「っとに空気読めねー弟だな。しょーがねーだろ! 流香先輩のことが好きなんだからっ! チューぐらいさせろっ!」
「させるかぁ――! 今日という今日は、決着を着けてやる! おらぁあっ! 覚悟しやがれっっ!」
今度は拳を秋月へ叩き込もうとする颯太。これも秋月は簡単に避ける。そして、ついでみたいに颯太へと毒を吐いた。
「へっ、ショボッ」
「うっせ――――――っ!」
バタバタと世話しなく攻防を繰り広げている秋月と颯太。そんな二人のそばで恥ずかしさのあまり、すっかりしゃがみ込んで顔を隠す私。
弟の颯太に……というよりも、ついに第三者へ、私と秋月がキス済みであることが知られてしまったからです。もうこれ以上、誰かに知られるのは無理です! 私の心臓が持ちませんっ!
結局、秋月と颯太の攻防を私が止めることはなかった。恥ずかしくて顔をあげられなかったというのもあるけどそれよりも、秋月に攻撃していた颯太の体力が無くなったため、呆気なく終わったからです。何度も蹴りと拳を秋月に向けて放った颯太。だけれども、簡単に避けられ翻弄されていた。
「避けるな秋月――! 殴らせろ――――――っ!」
ますます憤慨する颯太。秋月の避け方に腹が立ったからだと思う。結構早い動きをしていた颯太なのに、秋月は無駄なく最小限の動きでケラケラと笑ってかわしていたから当然……かも。
「ぶはっ、どこ狙ってんだよ」
「んの野郎――――っっ!」
バカにされたと思い、更に大振りな動きをしてしまった颯太。おかげであっという間にスタミナ切れ。完璧に秋月に遊ばれました。
「ぷぷっ、だせっ」
必死に笑いを堪えながら、秋月は私の手を引っ張る。
「へ?」
ようやく顔を上げた私。そして、哀れな弟の姿に仰天した。
「そ、颯太ぁ!? どうしたの!?」
「せんぱ~い、弟、もちっと鍛え直した方がいいんじゃね? よっしゃ、邪魔者はへばってるし、今のうち」
ウキウキと上機嫌になっている秋月はそのまま私の手を繋いでくる。ぜぇぜぇ、と膝を地面につく颯太を放置したままで。物凄くグッタリしています。でもそんなことは気にもとめていないようで、秋月はさっさと私を家まで送ってくれるつもりの様子。
って、えぇ!? それはないでしょ秋月! 私の弟を、このままにしておく気!? っていうか、手を繋いでこないでよ~~~~!
秋月を意識して再度真っ赤になった私は、ズルズル彼に引きずられていく。なす術なく、弟を置いていくしか出来ませんでした。
ははっ、いつもの秋月に戻ってくれて安心したけど、途端にこんな調子。
ていうか、家に帰った後……。ど、どうしよ~~。




