戸惑う心に忍びよる影⑦
「これ、うちのボールじゃねーか」
私に投げられた二つの野球ボールを手に、あっくんが驚いたように呟いた。
放課後、沙希たちと別れ、私と秋月は部活に行く前に一先ずあっくんの所に来た。このボールは、野球部所有のものかなと思ったからです。
案の定、今日野球部の部室は何故か鍵が開いており、あっくんを含めた部員はみんな不審に思っていたらしい。ただ、荒らされた形跡もないし、まさかたった二個のボールが無くなっていたとはすぐに気付かなかったみたいだけど。そこへ私たちが持ってきたので、ようやく、あっくんは部室が開いてた謎を理解したみたい。
「おい、ちゃんと管理しとけっつーの! 流香先輩に当たりそうだったんだかんな!」
「す、すまねー」
吼える秋月に、あっくんは面目ないと頭をかく。
ちょっと秋月、それはしょうがないじゃない。聞けば、部室の鍵はこじ開けられてたみたいなんだから。管理も何も、どうすることも出来ないよ。
さっきからイライラしているらしい秋月に、私はそう言いそうだったけど……辞めておいた。ボールを投げて来た相手の得体が知れないだけに、私も不安になっているからです。
だから、秋月が苛ついているのも何となく分かってしまう。わざわざ部室の鍵をこじ開けてまで、ボールを手に入れようとしたその真意。全くもって不明です。あとになれば判明してしまうのに、何故、そこまでしてボールを手に入れなければならなかったのか? 意図とするのは何なのか? そして肝心要。何故、私を狙ってきたのか?
しかも、どうやら相手は……。
「ったく、随分と穏やかじゃないな……。流香、本当に良かったな。秋月みたいな『男』がそばにいてくれてさ」
あっくんが心配そうに私の頭を撫でる。
うん、私もそう思う。今までの嫌がらせは女子によるものだったけど、今度はどうやら『男子』。力では絶体に勝てない。例え相手が単独でやっていたとしても、私みたいなチビじゃあ一対一でどうにかなるものではないから。もし、私だけでその人と出くわしたらと思うと……寒気が止まらない。だから、心の底から思う。秋月がいてくれて、良かったと。それだけで、私の不安は薄らいでいく。
「流香先輩、大丈夫だかんな! 俺、先輩の傍にずっといる。離れないから」
「秋月……ありがとう……」
私を安心させるように、秋月は優しい顔でそう言ってくれた。うん、そうだね。秋月がいてくれるから、私は何が起きても落ち着いていられるような気がする。前の時も助けに来てくれた。そして、その時秋月が言ってくれた言葉に、私の心は救われもしたんです。
“今度こそ……守るから”
私も秋月に微笑みを返した。彼が私のそばにいてくれるということ。これからも一緒にいてくれるということ。それに感謝と、少しだけ気持ちも湧き上がる。
本当に、秋月がいてくれて……良かった。とても……安心する……。
そんな私たちにあっくんは、ちょっと苦笑いしながらも、「ははっ」と何やら声をたてて笑う。そしてそのあと、あっくんが発っした言葉に、私の心臓が止まるかと思った。
「お前ら、ほんっと~に仲が良いんだな。ちょっと妬けるわ」
「えぇ!?」
声を出して驚く私。
え、いや、そ、そんな! 仲が良いか悪いかと聞かれれば、今の私と秋月は仲が良いとしか言いようがないかもしれないけど。それをあっくんに言われると、何か複雑な気持ちになってしまいます。
だけどそれ以上に、あっくんから「妬ける」と言われてしまったのでさぁ大変です。もう私、大パニックです。そんな言葉、今まであっくんに言われたことが無かったもん。
い、いきなり何を言いだすの、あっくん!
――ガバァ!
え? あっくんの言葉に大パニックになって……更に大大パニックになりました。いえ、『大』なんて言葉生易しすぎます。『激』が妥当です。
「へへっ、いいだろ~? 俺と流香先輩はすんげぇ~仲良いんだよ。妬けよ。なんつったって、一昨日デートもしたし、その前はキスだって……」
「きゃああああああ~~~~~~~~~~~~っっっ!」
自分が持てる最大音量で、私は叫んだ。叫ばざるを得ません! だって、秋月はあっくんの前で私を抱き着いてきて頬擦りをし、尚且つ! あろうことか、一昨日のデート発言と、よ、よりにもよって……私と秋月が、キスをしたことまで言おうとしたんですから!
「……ぐぁ……き、効いたぁ~。先輩相変わらず、でけぇ~声……」
「す……すげ~。久しぶりに聞いたな……る、流香の雄叫び……」
秋月とあっくんは揃って、私の大絶叫を間近で聞いたものだから頭をふらつかせている。タイミングが良いことに、抱き着かれたあとに叫んだ私の声は秋月の後半部分に見事被っていた。だから、あっくんは私と秋月がキス済みの部分は聞こえなかったみたいだけど、でも、私はまだその事実に気付かないでいる。
だって……よくよく考えてみたら……。私、今一番、鉢合わせしたくないメンバーと、一緒にいるんだもん!
「先輩、どうしたの?」
「流香、どうした?」
極限まで慌てている私に秋月とあっくん、それぞれが覗き込んでくる。それを私はどちらを見ることも出来ず、視線をあちこちに泳がせていた。
無理もありません。私は今現在、あっくんのことが好きだけれども、秋月のことも好きになってきているんだから。そしてそれが、最大に私を悩ませている要因でもあります。
「な、な、な……何でもない」
「流香、何か顔赤いぞ? どれどれ」
どもっている私に、あっくんが私の頬に手を当ててきた。そしてそのまま、額をコツンと合わせてくる。私の熱を、自分の額で計っているみたいな。って、何してるのあっくん!? 近い! 近すぎる! そんな小さい頃にやっていたことを、高校生になってまでしてこないでよ!
私の心臓は、バクバクと鳴り出した。久しぶりにあっくんと急接近したので、そうなってしまったのも致し方ありません。それを見た秋月は「げっ」と唸り、急いで私をあっくんから離す。
「テメー離れろ! 近ぇーんだよ! 流香先輩にセクハラすんなっ!」
「何言ってんのお前? 熱計ってみただけだって。セクハラなら、どちらかと言えばお前の方になるんじゃないのか?」
「ははっ」と笑いながらあっくんは、私と秋月を交互に見た。あっくんに負けじと秋月も、私の頬に自分の頬をすりすりと合わせ、熱を計っている素振りをしている。というよりも秋月の場合、単なる頬擦りなのは確かだけど。って、これも近い! 近すぎる! あんたまで何してくるの秋月!? いやあぁぁ――――っ!
更にバクバクと動き出した私の心臓。今にも爆発しそうになっています。秋月とあっくん、立て続けに接近され、頭の中はもうぐちゃぐちゃ。心の中は、一足早くやってきた台風のようにごうんごうんと渦を巻いている。乱れまくっています。
「おいおいお前、そんな流香にくっつくな。恥ずかしがってるだろ?」
混乱している私を、グイッとあっくんが秋月から引き離し、自分のそばに寄せる。秋月から私を助け出してくれようとしたみたいだけど……あっくん、それ逆効果です。
「あぁ!? テメー、俺から流香先輩を取んな。先輩、こっちに来いよ」
再び秋月があっくんから私を奪い返す。そしてギロッとあっくんを睨み、私にしがみつく秋月。それを見たあっくんは、やれやれと嘆息する。
「だからダメだって。見ろ。流香、こんなに赤くなっちまってる」
また秋月から私を助け出すあっくん。
「っざけんな! ダメって何でだよ。俺と先輩の仲なんだから別にいーだろーが。テメーには関係ねーよ」
――グイッ
また私を奪い返す秋月。
「そうはいかねーよ。流香は大切な俺の幼なじみなんだ。困ってたら見過ごせないだろ?」
――グイッ
また私を助け出すあっくん。
「はぁ~? 流香先輩は、俺にとっても大切な人なんだっつーの! テメーだけじゃねー!」
――グイッ
「こらこら、だからそんなに流香にくっつくなって」
――グイッ
「テメーがくっつくな。つーか、何ださっきから。先輩を引っ張ってんじゃねーよ」
――グイッ
「それはお互い様じゃね?」
――グイッ
二人が言葉を交わす度に、エンドレス。
「……っ、? ……っ? …………っっ!」
何度も二人の間を行ったり来たりした私は、顔を真っ赤にさせながら、ぐるぐると目も回している。秋月とあっくんの間を、交互に行き来したからというのもあるけれど。でもそれよりも何よりも、今、私の中で最大に心を掻き乱してくる二人が、私の取り合いをしてるということが一番です。何で、こんな状況に……。
「い、いやぁ~~~~っっ!」




