嵐を呼ぶ男と体育祭⑩
「見てて? 先輩」
多分、一秒にも満たない。そんなコンマの世界で。私は確実に、秋月からそう言われた気がした。
――ドクンッ
それまでで一番大きく、胸が鼓動する。私の前を通り過ぎると同時に、ラストスパートをかける秋月。私はもう確信していました。秋月は絶体。優勝を取ってきてくれることを……。
ゴールと共に湧き上がる大歓声。見事、秋月は黄色軍団のアンカーを抜き、第一位でゴール。「パンパン!」とリレーの終了を告げる音が校庭に鳴り響いた。
「アイツ……本当にやっちゃった」
沙希がポカンとしている。
「……だね。有言実行? ……信じらんない」
智花もポカンとしている。
「優勝……だよ」
柚子は言わずもがな、二人に同じくです。
「秋月……」
私は無性に胸が苦しくなった。湧き上がる熱い気持ちが、私の胸全体を覆いつくしているのを感じる。
本当に、本当に秋月……優勝を取ってくれたよ……。駄目、込み上がる気持ちが抑えられない……。
「せんぱ~い!」
少し呼吸を乱しながら、秋月が私たちの元へと戻ってきた。
「先輩見た!? 約束通り、優勝ぶん取ってきた!」
「へへへ!」と、得意気に私の前で胸を反らす秋月。そんな彼を目の前にして。私はもう抑えが効かなくなった感情を、つい晒け出してしまいました。
「……っつ、……う……うぁあ~~~~~~ん! 秋月ぃ~~!」
「え゛っ!? 何で泣くんだよ先輩!」
突如泣き出した私に秋月はおろか、あっくんも沙希も、みんなが驚いていた。
だって。だって……。うぅ……わぁ~~~~~~~ん。
慌てているみんなをよそに、私はその場で大号泣をする。みんなが私を落ち着かせようとしてくれているけど……無理です。だって、嬉しくて嬉しくて、涙が止まらないんだもん。
ちょっと、ポツリと言っただけでした。出来れば優勝したいことを。本気でそう思ってなく……はないけれど。優勝出来たらみんなと喜びを分かち合えるから、あくまでも出来ればの範囲で思っていた。
だから、青軍団がリレーでビリになってしまってもすぐに諦めることが出来たんです。そのぐらい、私の中では単純な気持ちでした。
でもそんな私に知ってか知らずか、秋月は優勝宣言をしてくれた。秋月もただ単純に私のノリに付き合ってくれた……。どこかでそう思っていたのかもしれません。だから秋月が本気だと分かったとき、とても驚いたし、嬉しかった。
こんな私の些細な願いを叶えようとしてくれて。すっごく、嬉しい気持ちになったんです。
そして胸に湧き上がった感動の渦は、秋月が帰ってきた時に決壊して……私は泣いた。
だって秋月は純粋に、私が喜ぶと思って走ってくれたんだもん。私のために、あれだけ走ってくれたんだもん。感動しちゃうよ……。本気でそこまで思ってくれただなんて、感動しすぎて涙が止まらないよ。
泣いてて言葉が詰まって言えなかったんだけど、私はこのとき、秋月に「ありがとう」って言いたかった。ただ、ありがとうの気持ちが大きすぎて、泣くことだけしか出来なかったけど……。
「先輩……大丈夫?」
秋月が心配そうに私の顔を覗き込む。ここは校庭から外れて校舎の裏側。あまりにも私が号泣したので、沙希たちが秋月に私をここへ連れて行くように促した。今はきっと閉会式真っ只中。
でも、私はまだ涙が止まらないので戻ることが出来ません。折角、秋月が優勝を取ってきてくれたのに私は得点結果を聞くことが出来ずじまい。すっかりしゃがみこんで、ただ嗚咽をもらしていた。
そんな私に、秋月は優しく頭を撫でながらずっとそばにいてくれる。体育祭の最大の功労者なのに、こんな場所にいさせて私、駄目な先輩だな……。
「……うっ……ひっく、ご、ごめんね……あ……秋月、付き合わ……せちゃっ……ひっく……て……」
泣いて少し落ち着いた私は、ようやくこれだけ言えた。それを秋月が優しい声で答えてくれる。
「いいよ、こんぐらい。俺のことなんか気にすんなよ。それよりも先輩、平気?」
コクコクと頷きながら、私はやっとの思いで涙を抑えることが出来た。途端、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。本当だったら今頃、秋月はみんなからもてはやされているはずなのに。私に付き合って、こんな人目につかない場所にいさせちゃって……。
だから私は、精一杯感謝の気持ちを伝えようと思った。秋月が言われるはずだった賞賛を、出来るだけ沢山。泣いてて言えなかった気持ちと共に、秋月に伝えようと思った。
「秋月……本当に凄かったよ……。凄すぎるくらいだよ……」
私は涙を拭いて、更に言葉を続ける。
「とっても凄い。優勝を取るって言って、取ってきちゃうんだから。ありがとう……。秋月、本当にありがとう。すごく私……嬉しかったよ」
私はまだ目を腫らしながら、笑顔で秋月に自分の気持ちを伝えた。本当に心から思っていることを。ずっと言いたかった、感謝の気持ちを。そんな私を見て、「え……」と秋月が驚いた声を出す。秋月自身は、何で私が泣いたのか分かっていなかったらしいです。だから私の言葉を聞いて、ようやく私が泣いた理由を理解出来たみたいでした。
「先輩……もしかして、それでこんなに泣いてんの?」
きょとんとしながら聞いてくる秋月。それを私は「ふふっ」と笑いながら答えた。
「うん、だってすっごく感動したから。本当に優勝取ってくれるんだもん。ありがとう秋月、叶えてくれて」
ニッコリと笑う私に、秋月は少し照れたみたい。顔を赤くさせながら、ちょっとそわそわしている。
「いや……そんなお礼言われるほどじゃねーし……こんぐらい」
恥ずかしいのか、秋月は私から視線をちょっとだけ反らす。
「そんなことないよ?」
私は秋月を真っ直ぐ見つめた。
「だって、優勝出来るって思わなかったもん。あんなにいっぱい離されちゃって。今年ももうダメだって諦めちゃったもん。だから……」
そっと私は秋月の着ている体操服を掴む。この、まだ湧き上がっている気持ちが少しでも彼に伝わるように。
「秋月が一位取って、すっごく感動したんだよ? 本当に……本当にありがとう……秋月……」
――ギュッ
私が言い終わるか終わらないかの刹那。秋月は私を強く抱き締めてきた。突然だったから、抱き締められたことにすぐ反応出来なくて、私はただビックリする。そんな私の耳元で、秋月が声を震わせながら囁いてきた。
「……ヤベ……。こんなに喜んで貰えるなんて思わなかった……。スッゲー嬉しい……」
ふと顔を動かして、横目で秋月の様子を伺う。すると、耳まで真っ赤ににしながら私を抱き締めている秋月が見えた。
――ドクンッ
――ドクンッドクンッ
――ドクンッドクンッドクンッ
あ。また……。
秋月から心臓の音が聞こえてくる。秋月が告白してくれたあの日と同じ、うるさいぐらいに鳴り響く心臓の音が私の耳に届いてきた。まだ感動が残っていた私は、静かにその音を聴く。そして、いつの間にかそれが心地よいと感じた。同時に暖かい秋月の温もりもじんわりと染み込んでくる。すごく……いい香りも漂ってきた。
次第に私は、今まで味わったことがないような感覚に支配される。
気持ちいいな、秋月。あったかくて、すごく安心する。
何と言えばいいんでしょうか。今までの私だったら恥ずかしくて、すぐに逃れようとしたくなるのに、今回は違いました。もっとこの感覚に包まれていたいと願ってさえいました。そしてこの感覚が、ある感情に近いということにも気付く。
好き……。
――トクン
――トクン
――トクン
まるで秋月の心臓に合わさるかのように、私の心臓も鳴り出す。
――トクン
――トクン
――トクン
いつまでもこうしていたい気分。私はすっかり、秋月の腕の中に身を預けていた。
「……流香先輩」
そっと秋月が私に声をかけてくる。
「……何?」
静かに聞き返す私。そうすると。秋月はゆっくり、私から顔を起こしながら尋ねてきた。
「キス……してもいい?」
え……。少しだけ正気に戻った私は、慌て始める前に秋月に口を塞がれてしまう。
「……っ」
優しく、包み込むような秋月からのキス。
この時私は、振りほどこうとは何故か思いませんでした。いいよとは言っていないのに。返事をする前にキスをされてるのに。私は、されるがままとなってしまった。
どれだけ長い間していたんだろう。何度も何度も。離されては再び被さってくる秋月の唇に、私は戸惑いながらそれを受ける。こんなこと、まだ付き合ってもいないのにするなんて……。
それまでの私だったら考えられないことなのに、私は何かに捕らわれたかのように身動きすることが出来なかった。
秋月から溢れる熱い吐息が、私の感覚を麻痺させているかのようです。
「……好き」
口を離す度に、秋月は私にそう言ってくる。
「好き……大好き。……流香……先輩」
口を離しては私にそう告げ、再び唇を重ねてくる。一向にキスを止めようとしない秋月。
流石に、ここまでキスをされ続けて、私は恥ずかしくなってきた。体育祭の閉会式も、もう終わったのかな。にわかにざわめく校庭に気付いた私は、誰かが来てしまう前に秋月を止めようとする。
「……っつ。……はぁはぁ、秋月……」
秋月の唇が私の唇から離れた瞬間、やっと私は秋月を呼ぶことが出来た。そこでようやく、秋月もキスの嵐を止めてくれる。顔を真っ赤にさせている私。そんな私を見た秋月は、嬉しそうに軽く私にキスをしたあと、優しい笑顔で私に言ってきた。
「ご褒美、もらい」
え。ご褒美って、このことだったの……?
頬を赤く染めながら、ニコニコしている秋月に私は呆然とした。それまで考えていたご褒美の内容が恥ずかしく思えます。
やだ……。私、何て単純だったんだろう。秋月へのご褒美に、頭を撫でてあげたり、ジュースを奢ってあげたりと考えていた私。でも秋月はきっと、ご褒美には私にキスをしようと思ってたんですよね? は、恥ずかしい。
それまでも赤かった私の顔は、更に真っ赤になる。言えない。秋月には言えない、私のご褒美。きっとサラッと秋月は、
「そんなんで俺が満足するか!」
っとか言いそうだから。
そしてこれも言えない。
秋月に抱き締められたとき、このままでいたいと思ってたこと。鼓動した私の心臓のこと。今まで味わっことがない感覚に満ちたこと。秋月にいきなりキスされて、払いのけることが出来なかったこと。嫌じゃなかったこと。ちっとも。恥ずかしかったけど、でもちっとも嫌じゃなかった事も……。
私、秋月を好きになってきて……る……。
カァ~~~~ッッ!
「うおっ!? 先輩どーしたんだよっ!」
嬉しそうな笑顔から一変。秋月があたふたと手を動かしながら慌てている。それもそのはずです。自分の気持ちに気付いた私が、頭からまるで湯気が立ち上るかと思う程、真っ赤になっていたからね。
「な、何でもない!」
私も慌てて、秋月に何でもないフリをした。だって、信じられないんだもん。まさか私が秋月のこと、好きになってきてるだなんて……。
あうあう、と動揺する私。そんな私を見て、秋月はハタッと何か気付いたらしい。
「先輩……もしかして……」
ジッ、と私の顔を覗き込んでくる秋月。ま、まさか。秋月、私があんたのこと好きになってきてるの……感付いたの? ち、違っ! いや違わない……っ! でも違う~~~~っっ!
心の中で大絶叫をしている私。もう支離滅裂の思考に、どうにかなってしまいそうです。
そんな私に秋月は、真面目な顔をして口を開いた。
「もしかして先輩、それ以上のこと期待してた? ごめん、気付かなくて。じゃあ今から答え……」
「違う――――――っっっ!」
てゆーかそれ以上って何!? かなり真剣に聞いてくる秋月に、私は思いっきり突っ込んでしまった。真面目な顔をして何を言うのかと思ったら。それまでの雰囲気は何だったんでしょうか。私はつい、秋月を思いっきり叩いてしまいました。
「なんだよ、冗談だっつーの。……ちょっとだけ」
「………………」
私は今度、秋月の両耳を引っ張って制裁を追加した。「いててっ!」っと観念する秋月。
全く! すぐ調子にのるんだから!
でも良かった。秋月は私の気持ちに気付いていないみたい。正直、私自身、どうしたらいいのか分からない気持ちだから……。
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「らしくないんじゃないの? 楓」
校舎の裏側で、真っ赤な顔の流香にお説教を貰っている楓。だが叱られているのにも関わらず、楓はとても嬉しそうにしている。ニコニコと満面な笑顔で流香を見つめ、彼女と一緒にいることが心の底から楽しいようだ。
そんな楓の様子を遠くから見ていた哲平は、やれやれと嘆息する。
「随分と牙を抜かれたもんだな~。それも全部、あの先輩の『おかげ』ってことだけど」
今度は流香の方を見つめ始める哲平。さっきは楓を叩き、仕舞いには耳を引っ張った彼女に対して、意味深な視線を送った。
高校に入ってからどんどんと変わっていった楓。中学の頃からでは考えられないほど、様変わりをする彼に影響を与えた人物。それが流香。
哲平の中で、流香はその位置に認識されている。楓を変えていった先輩。それがこの先、どういう意味を持つのか知らずに。
「やっぱり俺がやんなきゃ駄目か~。あ~あ、楓には悪いけど」
「はぁ」と深く溜め息をつく哲平。そしておもむろに、校庭へと戻り始めた流香と楓を見つめ直しながら、彼はポツリと呟いた。
「それじゃあ『駄目』なんだよ楓。昔のお前に戻ってもらわないと。…………真山先輩、ごめんね?」
そう言い残し、哲平もその場から姿を消した。
このページでようやく長かった『嵐を呼ぶ男と体育祭』が終了です。
書きたかったシーンの一つであったため、あれよあれよと文字数が増えてしまいました(;^_^A
次から新章となります。
ただ、旦那の冬休みに合わせて旅行に行ってしまうため、すぐには更新できません(>_<)
申し訳ないです。
楓への気持ちに気付いた流香。
流香のために変わろうとする楓。
そして、そんな二人を見つめる哲平の思惑とは……?
少女漫画展開らしからぬ部分が多々ありますが、今後もお楽しみいただけたら幸いです!




