嵐を呼ぶ男と体育祭③
「きゃあああああ!」
一斉にその場にいる全員が動揺したのを私は見た。何故なら、空き教室の外から見張りの女子生徒らしい痛烈な悲鳴が聞こえたからです。何事だろうとどよめく彼女たち。
でも、それは一瞬で止まった。いえ。止まざるを得なかったんです。次の瞬間。
――ドォンッッ!
けたたましい音とともに。空き教室のドアが、勢いよく吹き飛んできた。よくよく見てみると、蹴破られたらしいドアは一ヶ所だけへこんでいるのが視界に入る。見事な程、足形がついたドアはバタンと大きな音をたてて、数人の女子生徒を巻き込んだまま倒れていく。
誰もが「ヒッ!」と声をあげた気がした。そして顔面を蒼白させ、ガタガタと体を震わせている。廊下から中へ足を踏み入れた人物に、みんな怯えだしたのが誰の目で見ても明らかでした。
そんな彼女たちをよそに、一歩、空き教室内へと歩みを進めたその人物が、おもむろに口を開いていく。それを認めた私は驚きのあまり、自分の目が見開かれていくのを感じた。
「テメーら、そんなに死にてぇーんだ? おい、流香先輩からどけよ」
あ、秋月……?
そこにはいつもより数段声が低く、ドスを効かせた秋月がいた。そして、私の知らない秋月がいた。大きな目はナイフのように鋭く細められ、瞳孔が開いている。整った口はそれに反し、口角を上げ……笑って……る。
何て、何て顔をしてるの……秋月。
いつもと違う秋月を見て、私は驚きを隠せなかった。冷たく、壮絶な笑みを浮かべている秋月に私を除く全員が教室から逃げ出そうとしていたけれど、秋月が蹴り飛ばした机と椅子一式に阻まれ恐怖のあまりへたり込む。
「俺、テメーらに言わなかったっけか? 先輩にこれ以上、手ぇ出したらただじゃおかねーぞって。おい、言ったよな?」
秋月はグイッと見張り役の一年生の髪を掴み上げ、尋ねる。
「……ヒック……グスッ……ウッ……い、……言い……グス、ヒック……ましたぁ……ウッ……」
教室に入ってくるまで、ずっと秋月に髪の毛を掴まれていたらしいその一年生は、泣きじゃくりながらも答えていた。嫌な汗が流れてくるのを止められない。あ、秋月……。相手、女の子なのに……。
「テメーと、テメーと。あと、テメーらにも言ったよな?」
秋月から指名された数人の女子生徒もいつの間にか泣いており、小さく「はい」と答える。それに構わず、秋月は容赦ない言葉を彼女たちへ向かって更に告げた。
「んで? 何で俺が言ったのに先輩がこんな目に遭ってんだ? 言えよ! おらあぁっっ!」
秋月は拳を近くの机に叩きつけ、分厚いはずの机の板を割る。
な。な、な……な……。
ブチギレているらしい秋月と壊された机を交互に見た私は、これ以上はマズイと思った。危険だよ。これ以上はあの人たちが。私に暴行を加えた、あの人たちの方が危険だと察する。
「あ、秋月!」
体中の痛みに少し慣れ、何とか体を起こし、私は秋月に向かって叫んだ。
「もういいから! 私はもういいから!」
「けど先輩、こいつら先輩に……」
「いいの! 秋月が怒ってくれたもん! あなたたちももう反省してるよね!? 行って!」
この先、何をしでかすか分からない秋月から彼女たちを逃がすため、「行きなさい!」と私は言った。本当は彼女たちがしたこと許せないけど、それよりも危険な雰囲気を出している秋月の方を止めなければ、と私は直感する。
バタバタと泣きじゃくりながら逃げて行く女子生徒たち。まだ怒りが治まっていないのか、秋月は追い討ちをかけるように激しく音を鳴り響かさせるよう壁を思いっきり叩く。それに反応し、ビクッと体を震わせて、何度も「ごめんなさいごめんなさい」と彼女たちは言っていた。それを横目で見、慌てた私は秋月を呼ぶ。
「秋月! こっちに来て!」
「先輩……」
彼女たちを追い掛けて行くかと思ったら、案外あっさり私の方へ歩み寄る秋月。そして、ドカッと私の目の前で座り込んだ。
まだ怒ってるのかな? 呼び寄せたものの、あんなに冷たく笑う秋月を見た私は正直、どう接すればいいか分からなかった。恐かった。今までの秋月とは違いすぎる、ブチギレた彼。女の子相手に容赦がない仕打ち。あんな秋月、私は知らない。まるで本当に、知らない人のようでした。
そして、いつか沙希たちが一度、秋月を見て怯える表情をしたのを思い出す。あの時、私は見ていなかったけど、秋月がすぐに笑ってたから気付かなかったけど、沙希たちが見たのは間違いなく、あの、冷たい笑顔をしている秋月だったんです。
秋月、あんたは一体……。
「……ごめん……」
「え?」
「……ごめん……先輩。本当に…………ごめん……」
声を震わせながら謝罪する秋月の顔を、恐る恐る覗き込む。
あ、また……。
もう先程までの危険な秋月は、そこにはいなかった。とりあえず、落ち着きを取り戻したらしいです。小さな声で、未だ謝罪し続ける秋月。でもそんな彼からは、知っているけれどあまり見かけない雰囲気が漂い出している。うつ向き、肩を震わせながら、あの淋しそうな顔をする秋月がそこにいた。
ポタッと雫が床に垂れる。それは秋月自身から零れ落ちたもの。もしかして秋月、泣いているの?
「ごめん……先輩……。俺、先輩に……言ったのに……。守るって……言ったのに……」
「秋月……」
「絶体守るって。誰にも……先輩のこと傷付けさせないって……言ったのに……」
秋月、本当は……本当に怒っていたのはあの人たちじゃなくて、自分自身……なの?
二人だけになった空き教室で、秋月の言葉だけが響いている。さっきまでの秋月が嘘のよう。肩をすぼめ、力なくただ泣いている。
秋月、泣かないで。
小さくなってうつ向いている彼に私は手を延ばし、秋月の頭を撫でた。まるで子どもをあやすように。捨てられて、泣いている子犬を拾い上げるように。ジーンと胸に広がってきた感情に導かれるまま、私は秋月に言った。
「秋月、助けに来てくれたじゃない」
「でも……遅かった……。先輩、酷い目にあった……」
諭すように私は、更に優しく秋月の頭を撫でる。
「ううん。秋月が来てくれなかったら、私、もっと酷い目に遭ってたもん。……ありがとう、助け来てくれて」
「けど……俺……」
まだ自分を責める秋月に、私は微笑みをかけた。
「秋月」
それまで撫でていた手を秋月の頭から離し、今度はギュッと彼の頭を抱き締める。
「いいんだよ、そんなに自分を責めなくても。秋月が助けに来てくれて、私、嬉しかったんだから」
「先輩……」
沙希たちが言っていたのを思い出す。秋月が私のためにしてくれていたこと。
それまでどんなことなのか分からなかったけど、何をしてくれていたのか今は分かる。秋月があの人たちに言ってたことを思い出せば、答えは簡単です。
「それと秋月? 私のために、あの人たちに色々と言ってくれてたんでしょう? 私への嫌がらせ、止めようとしてくれてたんでしょう?」
「う、うん。あんまり……役に立ってなかったみてーだけど……」
もう涙は治まったみたい。
「はぁ」と溜め息を漏らし、今度は落ち込んでいる秋月。自分は結局、何も出来ていないと言わんばかりです。バカ、そんなことないよ?
暗く沈んでいる秋月へ、私は抱き締める力を更に強めた。
「違うよ。絶大だったよ。秋月のお陰で、どんどん嫌がらせが減っていったんだから。本当に……ありがとう」
悪口も手紙も、どんどん無くなっていったんだよ?
「先輩……俺……」
ふと、秋月が私に声をかける。
「うん?」
何かを言いたそうな秋月に、少し力を緩め、私は聞き返した。
「俺……まだ先輩のそばにいてもいい? ……先輩がこんな目に遭ったのに……俺、先輩と一緒にいてもいい?」
私のそばに? 余りにも消え入りそうな声で聞いてくるものだから、何かと思ったらそんなの……。
「いいに決まってるでしょ! あんたは私の後輩なんだから!」
再びギュッと秋月を抱き締め、答える私。何を言ってんの全く! 本当にしょうがないな、秋月は。
「流香先輩……大好き……って、あぁっ!?」
秋月も私の腰へ手をまわし、抱き締め返してくると思いました。でも何やら慌てているらしい秋月は、やり場のない自分の両手をバタバタと動かしている。どうしたんだろう秋月。元気になってきたのかな? 良かった良かった。あれ、でも何か耳が赤くなってきてるよ?
「せ、先輩! あ、えっとっ!」
「どうしたの? 秋月」
まだ秋月の頭を抱えて抱き締めている私は、彼の顔を覗き込もうとした途端、自分がとんでもない格好で秋月を抱き締めているのにようやく気付いた。
「きゃあああ――っっ! バカ! 離れてよ秋月――――っっっ!」
「イデッ!」
思いっきり秋月を突き飛ばし、私は慌てて胸元を隠した。そうだった、忘れてました。私……私……。さっき、制服をズタズタに切られていたんだった!
ほぼ下着が丸見えの状態で、秋月を抱き締めてしまった私。ぎゃあああ~~! は、恥ずかしい!
顔を真っ赤にしながら身を捩る私に、秋月は「ヒデー! 自分からしてきたくせに!」と喚いていたけど、うっさい! 忘れてただけだから!
「……でも案外、流香先輩、胸あるね。……ヤベ、興奮してきた」
黙れ秋月――――――っっ! 何を言ってんの!? 忘れさせてやる! 全部忘れさせてあげるから、その頭、もう一度貸しなさい!
「あ゛ぁっ!?」
泣いたり落ち込んだりしてたけれども、今度は突如として私を見ながら声をあげる秋月。瞬間的に私は身構えました。なに!? 今度は何!? 胸は隠してる。下は……この際諦める! 丸見えですよ。ほぼですよ。どーせ見えてるって言いたいんでしょ!? 見ないフリしててよ秋月!
慌てて近寄ってくる秋月に私は動揺し、パニックになりそうだった。
「バッ! 俺何やってんだ! 先輩、医者! 頭から血ぃー出てんじゃん!」
パニックになってるのは秋月でした。ヤダ私、勘違いしちゃった。そういえば頭、殴られて血が出たのを思い出した。手を頭に添えてみる。
――ベトォ
うわ! 何これ!? 手にはベットリと血がついてます。見るんじゃなかった。頭クラクラしてきた。あ、血が出てているから当然クラクラしますね。
「止血――――――――っっっ!」
秋月は制服のセーターを脱ぎ、一旦それを私に着させた。そしてワイシャツの袖を破いて、私の頭を叫びながら押さえる。
「あ、秋月……シャツが……」
「んなのどーでもいいんだよ! 先輩大丈夫!? 医者! 早く医者連れてかねーと! あれ? 医者ってどこに行きゃーいいんだっけ!?」
あんたが大丈夫なの秋月。血を流している私よりも動揺しています。
本当に、さっきのブチギレ秋月はどこに行ったのやら……。




