勇者の旅にはお供が必須:2
登場人物
勇者:黒い髪と瞳を持ち、雷の魔法を使い、祝福を受けた剣と盾を扱える。いずれも勇者のみの特徴である。
フランチェスカ:腹芸ができず、交渉向きの人間ではない。
何かを引っ掻くような硬質な音で、フランチェスカは目を覚ました。夜明けの前、東の空が薄らと白み始めた時間だった。
いまだ覚醒しきらない頭で、音の正体を探る。それはすぐに見つかった。勇者が岩に立て掛けていた盾を持ち上げた音だった。
「……はっ」
それに気付いたフランチェスカは勢い良く身を起こした。勇者は既に身支度を終え、今にも野営地を出発しようとしていた。
「お、お前たち起きろ! 出発するぞ!」
「ふぁ、はい!」
「ううん……まだ日も昇ってない……」
「馬鹿者! 起きろ!」
ドタバタと準備を始める騎士たちを一瞥もせず、勇者は歩き出した。向かうのは変わらず北だ。待ってくれとも言えず、フランチェスカはひたすら急いで鎧一式を装備し、剣を帯びた。馬鎧を着けさせる時間はない。とりあえず荷鞍に放り込むことにした。
「先行する、準備でき次第続け! ……ジェニー、お前たちは戻れと言っただろう!」
「ああ、そうだ! すみません!」
まだ寝ぼけているのか、部下たちの動きは鈍かった。それはフランチェスカ自身にも当てはまった。いまいち頭がはっきりしない。今馬に乗るのは危険に思えた。彼女は愛馬の手綱を引き、自らの足で走った。
「おはようございます」
「え!? あ、おはようございます」
「朝からお元気ですね」
「はっ……みっともない所を……」
フランチェスカは内心少々驚いた。至って普通の朝の会話だ。昨日、あれだけ冷たくあしらわれた身としては、突き放されないことが意外ですらあった。
「あ、あの、勇者殿」
「なんでしょう」
「昨日の件ですが……考えは変わりませんか」
「はい」
答える勇者の声は、昨日とまったく同じ調子であった。その間、一瞬たりとも歩みを止めない。返事はするが、まともに話し合うつもりはないという態度であった。勇者の中では、そのことはもう終わっているのだろう。
「しかし我々も、王より命じられここに居ます。一度断られたとて、おめおめと帰るわけにはまいりませぬ」
「そうですか」
「勇者殿に頷いていただくまでお供いたします。なに、ご安心を。勇者殿の邪魔はいたしませぬ」
「そうですか」
「……」
フランチェスカはすっかり困ってしまった。勇者の声は抑揚がなく淡々としていて、人と話しているという感覚が異様に薄い。肉体を失ってなお現世を彷徨う亡霊が、まれにそのような話し方をする。いつだったか、そう聞いたことを思い出した。
「……ど、同行を許していただけるのですか?」
「お好きにどうぞ。ですがあなた方がついて来れなくても、待つことはしません」
「もちろんです」
フランチェスカは勇者の横顔を見た。黒い瞳は小揺るぎもせずに前だけを見据え、フランチェスカには微塵も興味を示さない。同行を許した、というよりも、単にどうでもいいのだろう。
続々と部下たちが追いついて来る。その視線が、なんとなく事態の進展を求めているような気がして、フランチェスカは内心慌てながら勇者に話しかけ続けた。
「と、ところで勇者殿。共に行くのであれば、いつまでも勇者殿とお呼びするわけにもいきますまい。よろしければお名前を教えていただきたいのですが」
「……」
その時、勇者は一瞬押し黙った。今まで即答を続けていたと言うのに。名前など、誰でも簡単に答えられる問いなのに。嫌なら嫌と、今までのようにはっきり断ればいいのに。
「……勇者殿?」
「魔王を倒した勇者の名前をご存知ですか?」
「は?」
「僕ではなく、伝説となっている、前回の勇者の名前です。ご存知ですか?」
「い……いえ……」
言われて初めて、フランチェスカは考えた。そういえば、世界中で語り継がれている伝説でありながら、その名を聞いたことはない。
魔王を倒し、世界を救った英雄。その者は、ただ勇者と呼ばれている。
「なら、僕の名前を知る必要もないでしょう。皆さんが求めているのは勇者であって、僕ではないんですから」
「そ、それは……それではまるで、ご自身が勇者ではないかのような言い草ではありませんか」
「勇者ですよ」
少年は、僅かに低い声で言った。おそらく、自身でも気づかぬままに。
「僕は勇者です。そう生まれ、そう育てられ、そしてそう生きます。なら勇者とだけ呼べば十分でしょう」
「はあ……」
圧のある声だった。これ以上、この話題を続けたくない。まるでそう言うかのように。フランチェスカはうむむと唸りながら、勇者から僅かに距離を取った。
「隊長、どうでした?」
「え? ああ、いや……どう、と言われても」
部下の一人が近づいて、こっそりと尋ねて来た。返答に困る。なんら役立ちそうな情報は得られなかった。ただ、どうにも興味を引かれた。
「不思議な方だ。一体何を考えているのかまるでわからん。ただ……魔王討伐に向けた強い意志だけは感じられた」
わかったのはそれだけだ。勇者は昨日から一貫して、勇者の使命、すなわち魔王討伐を掲げている。
とりあえず、信用していいように思えた。国々を守るつもりはないのかもしれない。人々を助けるつもりはないのかもしれない。だがどれだけの時間をかけても、いずれ必ず魔王を倒す。少なくとも、それを自分から裏切ることはない。
「きっと……余裕がないのだろう。勇者と言えどまだ子供だ。魔王討伐の使命を負うには若すぎる……いや、幼いとすら言える。それでもその使命に真摯に向かっているゆえ、あのような言動になってしまうのではないか」
「なるほど……」
部下は曖昧に頷いた。フランチェスカが述べたのはただの印象だ。その印象を元に考えれば、無情な態度も理解はできるというだけだった。
しかし。しかし、本当にそうだろうか? フランチェスカは、その印象が正しいとは思えなかった。余裕がない。それは間違っていないかもしれない。だが、それだけか?
「……いずれ、わかるだろうか」
「は?」
「なんでもない。独り言だ」
フランチェスカは、いや、武人であれば誰しも、勇者に憧れを抱く。彼の英雄譚を聞いて育ったのだ。憧れぬはずがない。
しかしとうの本人はどうだろう。一夜で大陸を渡る竜や、海を飲み干す大蛇や、山を踏み潰す巨人と戦う物語の、主人公は。
(……とにかく、まずは信用を得なければ)
少しずつ信用を得ていけば、こちらの頼みを聞いてくれるかもしれない。とりあえず、名前を教えてもらえるくらいには。第一の目標を設定して、フランチェスカは己を鼓舞した。甘い考えだと、自分でもわかっていながら。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それからしばらく歩き続け、遠目に町が見えてきたのは、太陽が西に傾き始めた頃だった。かなりの疲れを感じていたフランチェスカたちは、ようやく休める、と僅かに元気を取り戻した。
なにせ鎧を着たまま、馬にも乗らずに歩き続けたのだ。自分たちが楽をするため、勇者にも一度騎乗を勧めたが、身動きの制限される馬上で背中を預けられるほど、フランチェスカたちは信用されていなかった。
食事すら歩きながらパンを食べるだけで済ませる、まったく休みのない道程だったが、それも終わりだ。とりあえず今日は。フランチェスカは地図を取り出し、町と見比べながら言った。
「ほう、ほう。立派な町ですな。あそこは、ええと……」
「ケルズ。シャルドアの北部と東部を繋ぐ交通の要所です」
「おお、ケルズ。話には聞いていましたが、こうして訪れるのは初めてです」
「そうですか」
「勇者殿、この町にはどういった用件で?」
「これと言った用はありません」
「……」
嫌な予感がした。背後で部下たちが不安そうに囁き合っている。まさかこのまま、と。
「ゆ、勇者殿。もしやあの町は、ただ通り抜けるだけのおつもりで?」
「いえ。食料や消耗品の補充をしないといけませんし、それが終わる頃には日も暮れているでしょうから、今日はあそこで宿を取るつもりです」
「……ほ」
安堵の吐息が複数。フランチェスカも心中で胸を撫で下ろした。
「そ、それでしたらっ。補給の間に、我々で宿を探しておきましょう。勇者殿とてお疲れでしょう、良い宿であれば、疲れが明日に残ることもありません」
「結構です。良い宿は宿泊費も高額です。路銀は節約したいので」
「もちろん、勇者殿の分は我々が支払いますよ! 宿代だけでなく、買い物も! 資金は十分にあります」
「なおさら結構です。あなた方に借りを作りたくはありません」
「ぐっ!」
恩を着せて頼みを断りづらくしようというフランチェスカの策は、あからさま過ぎた態度によりいとも容易く見破られた。そりゃ無理ですよ隊長。背後で誰かが言った。
「改めて言っておきます。ついて来るのは勝手ですが、僕の邪魔はしないでください」
「はい、もちろんです」
「どうやらわかっていないようですね」
「へ?」
町の手前、あと一時間も歩けば着くという距離で、勇者は今日初めて足を止め、今日初めて振り返り、フランチェスカたちを見た。
「ご自分がどのような格好をしているか、自覚はありますか?」
「は、はい。オーラム騎士団正式の鎧と剣です。シャルドアいちの名工と名高きゴールドバーグの手による──」
「なるほど、自覚はないと」
「……?」
フランチェスカはきょとんとした。勇者は表情を変えずに続ける。
「軍の敵は魔物だけではないでしょう。一部の人間もまた、治安を乱し人々を苦しめます。そのような人間にとって、あなた方は敵と言うより宝の山です。あなた方の装備や持ち物や馬を奪って売れば、数年は食べるに困らない金になります」
「……心得ています。しかし我々も厳しい訓練を受けた身、盗賊如きに遅れは取りませぬ」
「認識が甘いと言わざるを得ません。彼らが正面から堂々と襲い掛かって来ると思いますか? 昨夜は装備を外し、見張りも立てずに熟睡していましたね。夜襲を受けたら対応できたのですか?」
「……それは……」
フランチェスカは言い返せなかった。昨夜、勇者は眠る際に身代わりを置き、迂闊に近づいたフランチェスカたちの不意を突いた。対してフランチェスカたちは、今朝勇者が起きてから慌てて準備を始める体たらくであった。警戒心の差は明らかだ。
「彼らはより容易く、より旨味のある獲物を狙います。あなた方に巻き込まれて襲われたら、それはあなた方に邪魔されたと言っても過言ではないと思いますが」
「……そう、ですね。おっしゃる通りです」
フランチェスカは俯いた。勇者とは言え、一回り年下の少年に何一つ言い返せない自分が恥ずかしかった。
「繰り返しますが、邪魔をしない限り、あなた方の同行を拒否するつもりはありません。もしついて来るというのであれば、ご自分で何らかの対策を取ってください」
追い打ちのように冷たく言って、勇者は前に向き直った。もう振り返ることはなく、進んで行く。
部下から心配そうに声をかけられるまで、フランチェスカは動くことができなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
勇者がケルズに着くと、町の人々はまず驚き、次いで疑った。黒い髪と瞳、白銀と新緑の剣、蒼天と太陽の盾。伝説に語られる通りの出で立ちの、しかしまだ幼さすら残る少年は、本当に本物の勇者なのかと。
それはいくつもの感情が入り混じっているがゆえの感想だ。
魔王の脅威に怯える者の、早く魔王を倒してくれという希望。
既に故郷を滅ぼされた者の、なぜ助けてくれなかったのかという絶望。
たとえ本物だとして、こんな子供に魔王を倒せるはずがないという失望。
その他様々なモノを煮詰めた視線が、四方から突き刺さる。勇者は気にした様子もなく、常と変わらぬ無表情で町を歩く。
その一歩後ろを、フランチェスカはいたたまれない心地で歩いていた。悪意でも敵意でもない、しかし決して良いものではないドロドロとした感情は、向けられた本人ではないフランチェスカにもはっきりと感じ取れるほどに濃密だった。
「うう……」
思わず呻き声が漏れる。彼女には不思議でならなかった。勇者はなぜこれに平然と耐えられる? それとも、本当に平気なのか? もうとっくに慣れてしまっているのか?
わからない。想像すらつかない。このような感情に晒され続ければ、そう長くかからぬうちに狂ってしまうのではないか。フランチェスカはそう思わずにはいられない。既に吐き気にも近い不快感を覚えていた。
部下たちに馬を預かってくれる厩舎を探しに行かせたのは間違いだったかもしれない。一人はあまりに心細かった。これ以上、勇者に迷惑をかけるわけにはいかないというのに。
カラン、と音が響き、フランチェスカは顔を上げた。いつの間にか、視線から逃れるように俯いていた。勇者が店の扉を開け、扉に付いている小さな鐘が鳴ったのだった。
看板には、小さな荷車に載せられた袋の意匠と、厳重に封じられた壺の意匠の二種。商人ギルド公認の道具屋のうち、危険物も扱う店だ。フランチェスカは小走りで勇者の後を追い、店に入った。
店の規模は都市で見られるような大商店には遠く及ばないが、隅々まで掃除が行き届いており、商品の並びも整然としていて、清潔な印象を受けた。何より外のような視線がない。フランチェスカは胸に手を当て、大きく息を吐いた。額には汗が浮かんでいた。
「こんにちは。いくつか欲しい物があるのですが、取り扱いはありますか」
「はい、はい。何を探して……」
店主と思しき中年男性ははじめ、町の住人とそう変わらない反応をした。あんぐりと口を開け、視線を勇者の顔から爪先まで、無遠慮に二度往復させる。
「え、も、もしかして、勇者……」
「はい。魔王討伐のため、旅をしています」
しかし次の瞬間、店主はすっくと立ち上がり、誇らしげな笑みを浮かべながら勇者へと歩み寄った。人々の希望を背負った未来の英雄を出迎える、打算にまみれた、商人として完璧な笑顔だ。
「これはこれは勇者様。ようこそおいでくださいました。お探しの品はどちらになりましょう?」
「石火草の粉末と竜油、それとアコの葉を煎じたものを」
「……扱ってはいます。しかし勇者様、失礼ですが、ギルドの許可はございますか」
「はい」
勇者は懐から、鈍く輝く赤銅のバッジを取り出し、店主に見せた。精巧なロバの意匠が施されたそれは、商人ギルドが発行する取扱い許可証のひとつであると、フランチェスカは知っている。
「おお、さすがですね。その若さで一級をお持ちとは」
「贔屓していただいたのかもしれません」
「ははは、ご謙遜を。頭の固い連中です、いかに勇者様であろうと、彼らの定めた資格のない者に、それを渡すことはありえませんよ」
「ありがとうございます」
店主は人好きのする笑顔で勇者を褒めた。勇者もまた笑顔でそれを受け取るが、その笑みは誰の目にも不自然な、ぎこちないものであった。
「では、袋はありますので、補充だけお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちを」
気味の悪さすら感じさせる笑みにも怯むことなく応対し、店主は店の奥へと消えて行く。そして勇者とフランチェスカ、二人だけが残された。
「……」
「……」
日暮れも近いためか、店内には他に客はおらず、途端に静かになった。勇者は気にしないだろうが、フランチェスカには耐え難い沈黙であった。フランチェスカは視線だけ忙しなく動かしながら、何か話題はないかと探した。
「……感服いたしました。その許可証を得るには、難しい試験に合格しなければならないと聞いていましたが、勇者殿は知識も豊富なのですなあ」
「必要ですから」
「ほう……」
「……」
「……ど、どのような時に?」
「竜油は実際に竜から取れる油というわけではありませんが、その火は非常に高温で、加えて水中でも燃えます。石火草は火打ち石でも簡単に燃え上がり、これを粉末にした物は着火剤として使えます。ふたつ合わせれば、高い再生能力を持つトロルや水中へ逃げる魔物も倒すことができます」
「……アコの葉、というのは?」
「致死性の毒です。餌に混ぜて罠にする、鏃やナイフに塗るなどの使い方が一般的ですね。毒そのものへの耐性や浄化能力がなければ、大型の魔物にも有効です」
「……」
フランチェスカは言葉に詰まった。指先は自然と、昨夜ナイフで浅く切られた喉に触れていた。
「ず……随分と……物騒、ですな……」
「便利ですよ。魔物の巣を手早く一掃できます」
勇者は振り返った。フランチェスカを見る黒い瞳には、なんの感情も窺えない。
「勇者らしくない。と言いたげですね」
「っ!? いえ、決してそのようなことはっ」
「僕もそう思います。ですが、僕はかつての勇者たちのようには戦えません。あらゆる手を尽くして、それでも遠く及ばないでしょう」
「……え」
聞き間違いか。かつての勇者たち。
たち?
魔王を倒した勇者は、一人ではないと?
「勇者殿、それは一体どういう──」
「お待たせしました」
聞き返そうとした瞬間、店の奥から店主が現れる。みっつの壺と秤が入った木箱を両手で抱えていて、それをカウンターの上に丁寧に置いた。その横に、勇者が革袋をみっつ並べる。
「石火草の粉末、竜油、そしてアコの葉。ご確認を」
「……はい。間違いありません」
「少々古くはありますが、品質は保証いたします。では、補充しますので確認を」
店主は壺を秤に載せてから、中身を革袋に移していった。勇者は一瞬も目を逸らさずにその様子を見る。店主の手際は良く、革袋はすぐに満たされた。店主は壺を閉じ、最後にもう一度重さを量る。
「おわかりだとは思いますが、ご使用の際にはくれぐれもお気を付けください」
「心得ています」
「それで、値段ですが──15800ラピス。ですが少々半端ですので、15000といたしましょう」
「い、いちまっ……!?」
フランチェスカが目を剥いて驚く。彼女の金銭感覚でも二、三ヶ月は暮らせる額だ。もう一度木箱の中の革袋を見る。この程度の量の消耗品で?
「ゆ、勇者殿──」
「妥当な額ですよ。少し安いくらいです」
「そ、そうですか……」
そう言われては、フランチェスカは黙るしかなかった。自分が勇者以上に物価について精通してはいないことは、フランチェスカにもわかっているからだ。
「それに、このまま使うわけではありません。効果が過剰ですし、貴重でもあります。大抵は安価な油や火薬と混ぜてかさ増しします。アコの葉はそうもいきませんが、一度に使う量が少ないので、見た目よりは割安です」
「……少し安心しました」
説明しながら、勇者は革袋を腰に括ったカバンへと収めていく。危険物を身に着けるのは大丈夫なのだろうかと思ったが、よく見ればその革袋も蜥蜴の、おそらくは火や毒に耐性がある種の革を使っているようだった。
「ありがとうございました。良い買い物ができました」
「こちらこそ、ありがとうございました。今後とも、トムの道具屋をご贔屓に」
恭しく一礼する店主に会釈を返して、勇者は店を出る。フランチェスカも店主に会釈し、勇者に続いた。背後で僅かに息を吐く気配。日は既に半ばまで沈んでいた。
「ところで勇者殿、宿はどうされるのですか」
「これから探します。見つからなければ厩舎にでも──」
「おお、勇者様……!」
会話を遮ったのは、感極まった声だった。二人は同時に振り向いた。そこに、他の住民よりも数段上等な服を着た老人が居た。
「勇者様……勇者様でございますね!?」
「はい。なんのご用でしょうか」
勇者は再び下手な笑顔を作り、老人に正対した。老人の顔には焦燥と希望が表れていた。
「私はこの町の町長のデニスと申します……勇者様に是非ともお願いしたいことが……!?」
そこで老人は、初めてフランチェスカの存在に気づいたようだった。表情に絶望が加わったことを見て取った勇者は、顔だけフランチェスカに向け、言った。
「隊長さん。少し外してもらえますか」
「は? ええと、一体なにが──」
「僕の邪魔はしない。そういう約束でしたね」
「う……」
勇者は有無を言わせなかった。最重要目的の成否を押さえられているに等しいフランチェスカは引き下がるしかない。彼女は困惑しながらも、勇者と老人に会釈し、会話が聞こえぬよう大きく距離を取った。
勇者が視線を戻すと、老人は不安げに勇者とフランチェスカを交互に見ていた。その様を見て、勇者は確信を持って言った。
「軍ですか? 役人ですか?」