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勇者の旅にはお供が必須:1

登場人物


勇者:『教会』曰く、勇者は人々を救うべく神に遣わされた存在であり、広義における天使である。

フランチェスカ:オーラム騎士団所属。勇者捜索を命じられた。自身含め10人の部隊を率いている。

 フランチェスカは部下を連れ、果ての見えない草原を北に向けて馬を走らせていた。足跡などはなく、彼女が追っている者がそこを通ったのかどうか判然としない。空を見上げれば今にも日が落ちそうで、内心の焦りを抑えることは極めて難しかった。

 驚いたことに、昨日にふたつの村を救ったと勇者は、その村で一夜を過ごすことなく出発したという。その時既に空は赤みを帯びていたらしく、彼はほんの数時間を惜しんで野営を選んだことになる。

 よほど旅を急ぐ理由があるのか。魔王軍と戦うためであるのなら、向かう方角は西のはずだ。しかし勇者が向かったのは北である。フランチェスカは勇者の目的を考える。魔王討伐のための前準備だろうか。だとしたら、北に何があるのだろう。


(……ダメだ、ダメだ。今は捜索に集中しろ。見落としでもしたら大変だ)


 フランチェスカは頭を振り、雑念を追い払った。勇者捜索の命を受けてから三ヶ月、ようやく手に入れた情報だ。これを逃せば、次はいつ手掛かりを掴めるかわからない。なんとしても追いつかねばならなかった。


「隊長。あそこに登ってみてはどうでしょう」

「うん? ……ふむ、いいかもしれないな」


 部下の一人が小高い丘を指差した。フランチェスカはなるほどと頷き、そちらへと馬を進めることにした。あそこからならば何か見えるかもしれない。

 丘の上に着くと、フランチェスカは視界を広げるため兜を脱いだ。解放された銀色の髪が風に揺れる。額の前に手を翳し、ぐるりと周囲を見渡した。すると遠くに、何かがゆっくりと動いているのが見えた。


「あれは……」

「行ってみましょう」

「うむ」


 はっきりとはわからなかったが、荷馬車のように見えた。勇者が馬を連れていたという話は聞かない。行商人か何かだろう、とフランチェスカは当たりを付けた。勇者本人ではなくとも、勇者を見かけているかもしれない。彼女は兜を被りなおす暇も惜しんで馬の腹を蹴り、丘を駆け下りた。

 それがやはり荷馬車であるとはっきりわかる距離まで近づくのに、それほど時間はかからなかった。荷馬車は北から南へと向かっていたのだ。フランチェスカは幸運を神に感謝し、更なる幸運を祈りながら、痩せた馬の手綱を握っている男に声をかける。


「そこの者! 止まれ! 尋ねたいことがある!」

「な、なんだあ?」


 男は半ば居眠りしていたようで、馬を走らせ寄って来ながら大声で呼びかける騎士の姿に大層驚いた。急に手綱を引かれた馬は不満げに嘶き、しかし忠実に足を止める。フランチェスカたちは荷馬車の前に、道を塞ぐように展開した。


「な、なんだ……? 騎士様が一体なんの用で? 俺は真っ当な商売人です、咎められるようなことなんて何も──」


 不意打ちで現れた騎士たちに、男は怯えながら自身の潔白を訴えた。その態度が自分たちの言動ゆえであるとは気づかず、少々不審に思いながら、フランチェスカは手の平を突き出して男の弁明を遮った。


「いや、違う。我々は人を探している」

「はあ。人探しですか?」

「うむ。勇者を名乗る少年だ。黒髪黒目、主に皮の旅装で、立派な剣と盾を──」

「ああ、それでしたらさっき会いましたよ」

「本当かっ!?」


 目を見開いて身を乗り出したフランチェスカに、男は再び怯えた。それほどまでに鬼気迫る表情であった。


「は、はい! ま、薪を売ってくれと言ってたんで、多分、そろそろ野営の準備するんじゃないかと……」

「どっちだ? どこで会った?」

「北で。ほら、向こうに大きな木が見えますでしょう? ちょうどあれの横を通ったくらいに」

「よぉしっ!」


 フランチェスカは思わず胸の前で拳を握った。願った以上の収穫だ。男の言う木はそう遠くはない。馬ならば追いつける。


「助かった、礼を言う。行くぞ!」


 フランチェスカは再び馬を走らせる。走り続けで息を荒げる愛馬の首を撫で、もう少しだと元気づけた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 それからすぐに日も落ちて、月明かりで淡く照らされる草原を、フランチェスカは進み続けた。ひとまず野営し明日改めて捜索するという選択肢はない。追い続けた者がそこに居ると思うと、安全策を取ろうという気にはまったくならない。それにたとえ野営したところで、気が逸って眠れそうもなかった。


「どう! どう!」


 しかし、彼女を乗せて走る馬の体力には限界がある。愛馬は次第に速度を落とし、走りから歩きになり、そして止まった。振り向けば部下たちの馬も同様で、少なくとも今日はこれ以上走れない。


「すまん、よく頑張ってくれた」


 フランチェスカは馬を下り、首を撫でた。随分無理をさせてしまったと、己の至らなさを恥じる。その上でなお諦められなかった。

 すぐ近くに居るはずなのだ。探し求めていた勇者が。


「隊長、どうしましょう」

「むう……そう、そうだな。お前たちはここで馬を守りつつ、野営の準備をしろ。私は──」


 もう少し、自分の足で探す。そう言おうとした時、気づいた。視界の端に映る光。夜空から降り注ぐ月明かりではなく、地上から発せられる赤い光。

 火だ。誰かが火を焚いている。


「た、隊長」

「ああ」


 フランチェスカは無意識に歩いていた。部下たちもそれについて来ていた。全員が、まったく同じことを思っていた。

 勇者だ。勇者がそこに居る。

 他の可能性など、思い浮かびもしなかった。


「……う、お、おおっ」


 どれほど歩いたか、フランチェスカは遂に見つけた。マントで全身を包み、大きな盾越しに岩に背を預け、剣を抱いて眠る人影を。その体躯はフランチェスカより一回り小さく、いまだ成長しきっていない少年であることを思わせた。

 そして何より、焚き火に照らされた黒い髪。その髪色を持つのは世界に一人だけだ。いかなる悪意にも、いかなる災いにも染められぬ、使命の象徴。魔王討伐という、絶対の意志を持つ者のみに授けられる色。

 遂に見つけた。伝説を。


「……はっ」


 達成感にしばし我を失っていたフランチェスカは、薪の弾ける音で意識を取り戻した。そして己に言い聞かせる。まだ早い、と。見つければいいというわけではない。王宮まで同行してもらわなければならないのだ。断られないよう、丁寧に、誠実に交渉しなければ。


「……んんっ」


 喉の調子を整えながら、フランチェスカは勇者のもとへ歩いた。寝入り端に起こすというのは相当に気が引けたし、機嫌を損ねるかもしれないという意味でも避けたかったが、しかし自然と目覚めるまで待つわけにもいかない。眠る少年を十人で囲むなどそれこそ不審に過ぎる。

 散々考え練習してきた文言を脳内で繰り返しながら、フランチェスカは一歩一歩進んで行く。重厚な鎧を着込んでいながら、弾むような足取りだった。その足が、突然止まった。


「何の用ですか」

「え……」


 正確には、止められた。何者かが、フランチェスカの鎧の襟を掴んだのだ。


「た、隊長!」

「動かないでください」


 一斉に剣を抜こうとする部下たちを、少年の声が止めた。声の主は立ち位置を変え、フランチェスカの正面を騎士たちに向けた。フランチェスカの脇腹、鎧と骨の隙間を縫って心臓を貫く角度に、ナイフが突き付けられていた。


「一人でも、少しでも動けば、あなた方の隊長さんをこのまま刺します」

「わ、私にかま、うぐっ!」

「あなたは黙っていてください」


 少年はフランチェスカの膝裏を蹴り、膝を着かせると、するりとナイフを動かして首に添えた。喉に触れる刃の感触はぞっとするほど冷たく、声を上げれば簡単に肌を引き裂くだろう。


「訂正します。言う通りにしていただけない場合、喉を切ります。それが嫌でしたら、まずは武器を捨ててください。一人ずつ、ゆっくりと、鞘ごと外して」

「くっ……卑劣な真似を!」


 フランチェスカを人質に取られ、騎士たちは言われた通りに武器を捨てた。少年の目が部下たちに向いている隙に、フランチェスカはこっそりと剣を抜こうとした。ナイフが僅かに動き、喉に鋭い痛みが走った。見ることはできなかったが、少しずつ血が流れていくのをはっきりと感じ取れた。


「あなたも動かないでください」

「うっ……」


 少年の声は平坦で、まるで台本を棒読みする三流役者のようだ。脅し命じている立場にあるのに、声には迫力も殺意も感じられない。それでいて、動きには一切の淀みがなかった。次の瞬間には、何の躊躇いもなくフランチェスカを真っ赤な噴水に変えていても不思議ではない。

 フランチェスカは恐怖した。訓練ではない、本物の凶器と痛み。今までどこか実感の伴っていなかった死が、目の前にある。


「では、隊長さん。もう一度お伺いします。僕に何の用ですか」

「き……き、貴様に用などないっ!」


 だが、フランチェスカは涙と震えを必死に堪えながら言った。


「我々は貴様などに屈せぬ! 皆、武器を取れ! 私のことは構うな! 勇者殿を守れ!」


 発声により震える喉に刃が食い込むのも構わず、部下に命じる。彼女には使命があるのだ。勇者を国へ連れて行くという使命が。

 これだけ騒いでいるのに、勇者が目を覚ます気配はない。この少年に既に襲われていた可能性が脳裏を過ぎった。だがフランチェスカの部下には回復魔法の使い手がいる。今すぐにこの少年を倒し勇者を治療すれば、間に合うかもしれない。

 そのためならば、命など惜しくはない。自身にそう言い聞かせ、フランチェスカは繰り返す。私を見殺しにしろ、と。


「この者を倒せ! 使命を忘れるな! 勇者殿を──」

「何か誤解があるようですね」


 ふと気づくと、喉のナイフが退けられていた。フランチェスカは呆然と喉の傷に触れた。血は出ていたが、本当に浅く皮膚が切られただけだった。次の瞬間、慌てて振り返り飛び退きながら剣を抜いた。


「き、貴様、何者だ! 何が目的──」

「それは僕が訊きたいことです」

「!? ま、待て!」


 少年はフランチェスカたちに背を向け、焚き火の前で眠る人影の頭を掴んで持ち上げた。なんらかの獣の毛皮らしき、黒い毛の塊だった。マントの中には石が積まれ、剣はそこに立て掛けられているだけだった。

 少年はフランチェスカたちに向き直る。焚き火に照らされたその髪は、黒かった。


「僕が勇者です」

「な……」


 フランチェスカは絶句した。手からポロリと剣が落ち、爪先を掠めて土に突き刺さった。


「改めてお伺いします。僕に何の用ですか」


 勇者は、感情の見えない黒い瞳で、呆けたままの騎士たちを見回した。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「も、申し訳ありませぬ!」


 騎士たちは勇者の前に跪き、地に着くほどに頭を下げた。放置すれば自害すらしそうなほどの勢いで、謝罪の言葉をまくし立てている。勇者は気にした様子もなく、騎士たちを見渡し、ぺこりと頭を下げた。


「いえ。僕もやり過ぎました。すみませんでした。寝ようとしていたところに武装した集団が駆け寄ってきたので、つい警戒し過ぎてしまったようです」

「うっ……」


 フランチェスカは呻いた。勇者はやはり気にせず続ける。


「ところで、何の用ですか。いい加減教えてほしいのですが」

「はっ……わ、我々はシャルドア王国、オーラム騎士団……私はフランチェスカ・ヨハンナ・タウンゼントと申します」

「はい。それで」


 パチンと薪が弾ける。フランチェスカは唾を呑み込んだ。


「シ……シャルドアは西側諸国と同盟を組み、魔王軍と戦っておりますが……魔王軍は非常に手強く、徐々に追い込まれているのが現状です。前線を破られれば、慈悲なき獣どもは街や村へと雪崩れ込み、抵抗する術を持たぬ無力な民をも貪り食らうことでしょう」

「はい。それで」


 勇者は感情の籠もらぬ声で先を促した。不穏な何かを感じ、フランチェスカのこめかみを汗が伝う。


「そ、それで……現状の打開には敵の首領、すなわち魔王の討伐しかありませぬ。そのために、かつて魔王を討ち倒した伝説の勇者の力が必要であり、その正当なる後継者であるあなた様にご助力を願いたく……」

「お断りします」

「無論、我がシャルドアも全軍を挙げて……は?」

「お断りします」


 フランチェスカは口を開けたまま、何度か瞬きを繰り返した。彼女からは見えなかったが、彼女の部下たちも同じ顔をしていた。


「は……それは、つまり……助けてはいただけぬ……と……?」

「はい」


 背中を、冷たい汗が滝のように流れ落ちた。断られる可能性を考えていなかったわけではない。だが、これほどまで無下にとは。


「話はそれだけでしょうか。でしたら──」

「り、理由を……理由をお聞かせいただきたいっ!」


 しかし、それで引き下がるわけにはいかない。自分は国の命運を背負っているのだから。


「理由を……あ、あなたは魔王討伐の宿命を負っているのではないのですか!」

「はい。そのためにこうして旅をしています」

「ならば何故! ただ助けてくれと言っているのではありません、我ら皆、勇者殿と共に魔王城へ乗り込み、屍をもって血路を開く覚悟はできております! 無論、魔王討伐の暁には、勇者殿が望まれる報賞をお約束いたします!」

「理由は三つあります」


 勇者は抑揚のない声で言った。


「ひとつ。僕の使命はあくまで魔王討伐であって、どこか特定の国を守ることではありません。防衛戦に徹しているあなた方に協力はできません」

「し、しかし、魔王軍に対しては反撃に転じることも難しく……」

「なおさらですね。ラトナーク海中央の魔王城まで行けるような船を、あなた方は持っていないのでは?」

「うっ……」


 図星であった。内陸に位置するシャルドアの船は元々少なく、大きさや武装も十分ではない。西側諸国の軍艦は既に大半が沈められ、海魔の庭と化した大洋を渡れるような艦隊を編成することなど、とてもではないが不可能だ。


「ふたつ。僕が魔王に挑むには、今はまだ何もかもが不足です。僕自身も強くならなければなりませんし、道具も揃えなければなりません。どれほどかかるかはわかりませんが」

「その間、魔物どもに怯え暮らす人々に耐えろと!? こうしている今でさえ、多くの命が奴らに食い荒らされているのですよ!」

「僕は失敗できません。魔王に敗れれば、「今回はダメだった」「次は上手くやろう」というわけにはいかないんです。誰かのために決戦を急ぎ、準備不足のまま挑んで負けたら、一体誰が責を負うんです? 次の勇者が現れる保証でもあるんですか?」

「そ、それは……」

「人々に耐えろと言うのか。そう仰いましたね。その通りです、耐えてください。いずれ必ず魔王を倒します。ですが具体的にいつとは約束できません。それまでひたすら耐えてください」

「……」


 フランチェスカは言葉を失う。あまりにも、あまりにも無情な言葉に。


「みっつ。報賞には興味がありません。ですが魔王討伐に向けた支度金ということでしたら、喜んで受け取らせてもらいます」


 勇者の調子は、話し始めから一切変わらなかった。彼は呆然とする騎士たちを見回して、もう一度頭を下げる。


「そういうわけですので、お引き取りください」

「……し、しかし……我々は、あなたを王の前へお連れせねば……」

「それに関しては、僕の知ったことではないですね」

「は……」

「では、明日に備えなければいけませんので、失礼します」


 勇者はマントで体を包み、岩に立て掛けた盾に背を預ける。フランチェスカはしばし無言で、頭の整理に必死になった。


「た、隊長……」

「どうすれば……」


 部下の一人が不安げに声をかける。どうする。どうすればいい。勇者の態度は頑なで、取り付く島もない。このまま説得を続けても、助力を得られるとは思えなかった。そもそもこの少年は本当に勇者なのか。魔王の影に怯え苦しむ人々に、耐えろ平然と言い切る人物が。


「……馬を連れて来よう。今日はここで野営する」


 だが当然、このまま手ぶらで帰るわけにはいかない。そんな軽い任務ではないのだ。頷いてもらえるまで何度でも嘆願するつもりだった。加えて、この少年が勇者であるという確証も欲しい。そのためには。


「ジェニー、ファーブル、マーク。お前たちは夜が明けたら王宮へ戻れ。勇者発見を報告しろ」

「「「はっ」」」

「残りは……勇者殿に同行し、説得を続ける。護衛も兼ねてな」


 体躯に釣り合わぬ剣を抱いて眠る、幼さの残る少年を見る。

 勇者には、なんとしても魔王を倒してもらわなければならない。確かに勇者の言にも一理あった。失敗が許されないのなら、万全の準備をもって臨むのは当然だ。

 だが。だが、それでも。

 一刻も早く、世界を救って欲しい。その願いは、フランチェスカだけのものではないのだ。誰もがそれを願っている。助けてくれ、と。

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