5-17 閉塞は淀みを生む
とある建物の部屋の中。締め切られ、窓にもカーテンがかけられて動くものもいない部屋。
「……ん」
いや、動くものが約一名。
それは今話題の人であり、騒ぎの元となっている人物である、私ことミコトの声だった。
今まで眠っていた影響か頭が回らない。それでも気だるげに身を起こすと、デバイスを使って操作を行う。
「……夢じゃなった」
そしてそう呟いた。
確認したのはネットに出回る自分の情報だ。
自分の名前を検索して出てきたそれの大半は、決して褒められたものではない言葉が並べ立てられていた。
それを確認し、ミコトは深くため息をつく。
ネットに流れている言動は暴言といっていいものであり、普通なら見るのすら嫌になり、取り乱すことが普通だろう。
「また、こうなちゃったか」
寝起き特有の気だるげさに任せ、壁に体を預けた私はそう呟く。
ミコトは驚かなかった。むしろ、そうなって当然という感じだ。
今のこの状況、私は昔に経験していた。
経験したのは昔のこと、小学生の時のことだ。
理由は今になってもわからない。理由なんてないのかもしれない。
覚えのない事、やってない事、そして一般常識において決して褒められない事。
それを私がやっていると、気づいた時には私以外の皆で共有され、それが当たり前になっていたのだ。
ある日いきなり、仲の良かった友達だった彼女たちから仲間外れにされ、暴力をふるわれる。
それを相談しようにも、相談する相手すらありもしない事実を信じて取り合ってくれない。
その上で、面と向かっても、面と向かっていなくても飛び交う私を対象とした罵詈雑言。
今引きこもっている私にそれらを耐えることなどできるはずもなく、小学校高学年になった時には、立派な引きこもりになっていた。
私はイツキ君たちに引きこもり引きこもりとからかわれていたが、実際のところそれは事実だった。
中学なんて行っていない。少なくとも、普通と呼ばれる分類には私は含まれていなかった。
ネットを介した通信教育のおかげで義務教育を終えられて、かつお兄ちゃんの仕事を手伝うことで経済的に自立しているから、かろうじて自立していると言える程度だろう。
もっとも、そのおかげで今の状況に、私をやり玉に挙げられる状況になっても混乱せずにこうして普通にしていられるのだけれど。
「いや……普通じゃないか」
普通なら引きこもらない。というか、ここまで非難されることもないだろう。
私は自嘲気味にその事実に対して力なく笑った。
笑うしかない。別に何をしたって私の扱いが良くなることなんてないからだ。
昔は話すら聞いてもらえなかった。
そして今。私のせいで徴兵された人たちの代わりに最前線に立ったとしても、むしろそのことを責められている。
そのせいで、ミオリさんたちはその対策に追われている。
私の行動は無駄だったどころか、むしろ悪化させていた。
成程。これでは昔、私が責められても文句は言えない。
いや、今も責められているのか。
「…はぁ………」
笑うのも疲れた。深くため息をつく。
そんなとき、部屋の中に音が響いた。
「……ん?」
何かを叩く音、ノック音。それは私の部屋のドアからで、それは室内にいる人物を呼び出すための音。つまりは私に呼びかけている。
「……誰?」
ドアの向こうに聞こえるかわからない音量でそう聞いた。実際、聞こえなくても気にしなかった。
「ミコトさん。大丈夫?」
聞こえたのかわからないが、その声はドアの向こうから聞こえてきた。
その声は若く。男か女かわからない。
だけど、私はここ最近よく聞いていた。
「イツキ君?」
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「…ふう」
向かいの席で一息入れたのが聞こえた。
場所はとある一室。何に使われるのかわからないが、人が二人はいれる程度の部屋で、中には机と椅子があった。
一息を入れたのはミコトさん。その間にある机の上には、先ほど平らげたばかりの昼食のカラが残っていた。
大矢さんたちと会った後、あの人たちに頼まれて遅めの昼食を持って行ったのだ。
流石に部屋に入る訳にはいかなかったが、個室とはいえ部屋の外に連れ出せたのには少しだけ安心した。
「大丈夫そうで安心したよ」
その事実に対して、僕はそう呟いた。
あの騒動の中で引きこもったミコトさん。大丈夫かと思ったが、持ってきた昼食も全て平らげた。思ったよりは元気そうだ。
「うん。まあ、慣れてるから」
まあ、あくまで思ったよりは。であるけれど。
「慣れている、か」
慣れている。この言葉の裏にあることは、つまり過去に経験したことがあるということだ。
今みたいに、複数人からの心無い暴言をたった一人で受け止める状況に。
「あ、うん」
ミコトさんは僕のこぼした言葉に反応して、そう言った。
そして、そこからも言葉が漏れる。
「その、昔。子供のころにちょっとだけ…」
「成程ねえ」
僕はミコトさんの言葉にそう返した。それ以外の感想は湧いてこない。
まあ、気にならないわけじゃない。ちょっとだけというが、そのちょっとの範囲は一体どれだけ深いのだろうか。とか。
気にはなるが、聞かない。過ぎたことを聞いても無駄でしかない。
言いたくないなら聞く必要もない
「…お兄ちゃんから聞いたの?」
そんな僕の納得したという様子に、ミコトさんがそう聞いた。
「何を?」
「その、私のこと。昔何があったか。聞いてこないから」
ミコトさんが今の状況に堪えていない、慣れているその原因。
僕が理由もなしに納得したことに、ミコトさんは疑問に思ったらしい。
「いや、聞いてないよ」
ただ、僕は大矢さんからは聞いてない。
というか、聞く必要を感じていない。
「まあ、なんとなく予想は出来てたし」
よくよく考えればわかることだからだ。
ミコトさんが作ったものは、本来メタルガーディアンと呼ばれるゲームの中のキャラクターで、それを動かすためのプログラムだ。
それはこのゲームを形作るための基礎であり、これが無いとゲームとして成り立たない。
早い話、ミコトさんがMULSのプログラムを作ったのはゲームが世に出てきた時が最低限の時期になる。
ではそのゲームが発売されたのは何時なのかというが、それは今から4年ほど前の話。
僕が中学に入ったころだから、ミコトさんがMULSの制御OSを作ったのはそれ以前。つまりは小学生のころだ。
そんな時期からこんなものを造れたのかと驚愕するが、とりあえずそっちは置いておく。
当時のMULSは今以上の扱いにくさだったらしいが、頻繁なアップデートを重ねることで今のMULSができていた。
当時を僕は知らないが、経験した人にとっては『平成を一日で経験したような感じだった』とのこと。パソコンが家庭に普及し、IT革命と呼ばれる現象が起きて日本が高度情報化社会になり、たった30年の間で人々の生活の在り方がガラリと変わってしまった時代だ。
それと同じことがこの4年で起きていた。頻繁なアップデートとそれに伴う大きな変化は、開発側の開発期間の短さと作業量の多さを意味している。
つまり、ミコトさん一人でその作業を行っていたのなら、まともな学校生活なんて遅れるはずがなかった。
おまけで言えば、ミコトさんがことあるごとに行う、命令や自分の命を無視した異常なまでの奉仕性。
トドメに大矢さんや相模さんたち、ミコトさんの幼少を知っている人たちがよく言う引きこもりというキーワード。
ここまでそろえば、ミコトさんに昔何があったかなんて想定するのは容易かった。
「…そうなんだ」
僕の言葉に、ミコトさんはそれだけ呟く。
「外野のことなんて気にするなよ」
僕はミコトさんにそう言った。
「まあ、無理なんだろうけどさ」
そしてそうも付け加えた。
「…うん。それは、無理かも…」
僕の言葉に、ミコトさんはそう呟く。
僕はその言葉を聞いて、大きく息を吸って、ため息をついた。
やっぱりってやつだ。これで気にしないならミコトさんは多分ここにはいない。
「やったことは事実だから」
それは無許可でダンジョン攻略に参加したことか、MULSを動けるようにして僕たちを死地に送り出したことか。
どちらにせよ、話の中心が彼女である以上、ミコトさんがそれを無視することは無理だった。
僕は大きくため息をつく。ミコトさんの主張は事実だし、騒いでいる人間も実在する。
それを無いものとしてみるなというのは、彼女に言っても無駄なのだろうと理解した。
「まあ、事実だから否定はしないけどさ」
だから、別方向でアプローチをかける。
デバイスを用意し、ウィンドウを表示してそれをミコトさんと共有。あるサイトを表示する。
それはとある掲示板で、それはゲームであるメタルガーディアンに関することをつぶやく場所であり、今の話題は今まで正体不明だったMULSのOSの開発者について。
つまりはミコトさんのことなのだが、いきなりその存在が話題に上がったことで掲示板ではお祭り騒ぎになっていた。
「……これは?」
流れて行くコメントを読みながら、困惑した様子でミコトさんが聞いてくる。
「ミコトさんについてのコメント」
「……女神って?」
「ミコトさんのこと」
「……私のことを女神って?」
「それいったら基地の外なんて魔女呼ばわりだし」
「……魔女?」
ミコトさんはさらに混乱する。まあ、魔女だ女神だとどいつもこいつも何言ってんだとは思わないでもない。いつの時代だ。
とりあえず、言いたいことははっきりと言う。
「ミコトさんを嫌う人もいるけど、ミコトさんを嫌わない人もご覧の通りなんだよ」
「けど、これはごく一部の人だけ…」
ミコトさんはそう言う。まあ、言っていることは間違ってない。
ただし、それは予想通りだ。僕は鼻を鳴らす。
「まあ、確かにそうだけどさ。よく考えてよ。ミコトさんのこと嫌ってるのも一部の人だけじゃないか」
「でも、ネットじゃ私のことを悪く言うサイトがたくさんあるけど」
「サイトの数は?100?200?」
「そ、そこまでじゃないけど」
「じゃあ、つまりはそう言うことだよ。」
「…どういうこと?」
「ミコトさんのことを悪く言っているのはせいぜいが200人くらいってこと。それ以上はただの妄想」
早い話が、そう言うことだ。彼らはミコトさんを悪者に仕立て上げたいわけで、そいつらはミコトさんを悪者にするために不特定大多数をそう誘導しようとする。
他人をどれだけ危険で排除するべきかと騒ぐのは、それを排除したい当人たちだからだ。
騒いで、目立って、不特定大多数を味方につけて、正義の名のもとに叩き潰す。
それがどれだけ筋の通らない事であっても、やる側はこの社会においてはノーリスクだ。
だから彼らはそれをする。彼らは誰も困らない。
「そんなの信じられない」
「…まあ、そうだろうね」
ミコトさんは信じなかった。まあ、騒いでいる最低数なだけで、実際のところそいつらの甘言に乗せられた人たちは数にいれていない。
どれだけかはわからないが決して少なくはないだろう。
「けど、それはこの掲示板の人達も同じだよ」
ただし、それはミコトさんのことを擁護する人間にも言えた。
この掲示板で騒いでいるのは100人にも満たないだろう、ただし、それを見ているユーザーはそれ以上。
何よりも、このゲームを楽しんでいるユーザーはミコトさんがいないと遊べなかった訳だ。
プレイ人口約4万。アクティブユーザーがそれだけであり、見る専門の外野を含めればその数は計り知れない。
そいつらがミコトさんのことを死ねというほど嫌えるかといえば、それは無いと断言できた。
数でいうなら、それはこちらも負けていなかった。
そして、その事実はボクに味方する。
「ミコトさんのことを嫌っている人もいるけど、そう思わない人も多いんだ」
「……」
「ミコトさんには味方だっている。少なくともこの基地の人達はミコトさんのことは何も言わない」
「……」
ミコトさんは答えない。何を言えばいいのかわからないのだろう。
実際、僕自身これを言って何をしたいのかを理解しているわけではない。
「ミコトさんに何かしたいわけでも無いし、してほしいわけでも無い。引きこもってても良い。けど、僕たちはミコトさんの味方だってのは理解してほしい」
ただ、自分の中の言いようのないものを、何とかして伝えたかった。
「………」
ミコトさんは応えない。僕自身、何か反応が欲しかったわけじゃない。
ただ、言いたいことは言った。とりあえず今はそれで満足だ。
「ゴミ、捨てとくから」
机のゴミを持って、部屋を出る。
「イツキ君」
部屋を出る直前、ミコトさんが声をかけた。
振り向いても、ミコトさんはこちらを見ていない。横顔は髪に隠れて表情はうかがえない。
「その、ありがとう」
ただ、呼びかけにはそう続いて、そして僕にはそれで十分だった。
「うん」
僕は簡潔にそう答え、部屋を出て行った。