3-8 死ぬ覚悟
とある市街地。とある民家。
その前に、一人の人物が立っている。
「……」
佐倉ミオリ。ダンジョン攻略における、その内部に突入し探索するMULS部隊の指揮を任された女性だ。
彼女は今、背後の民家から出てきたところだった。
その表情は暗い。
「……はぁぁぁぁぁぁぁ……」
深く、肺の中を掃き出すかのように長い、ため息。
「覚悟はしていたつもりだったけど、やっぱり堪えるわね」
誰にともなく、そう呟く。
背後の民家は、彼女自身には何の縁もない。しかし、決して無縁でもなかった。
この民家の持ち主の家族は今、ダンジョン攻略のために徴兵され、MULSの操縦者として西富士駐屯地の敷地の中にいる。
今、徴兵されたMULSの操縦者たちは、休暇を与えられて一時帰省が許可され、実家へと帰っている。
その目的はダンジョン攻略に参加した賞与であることは理由の一つであるが、実際のところそれは副次的な目的でしかない。
実際のところは、何もかもを前倒しにして計画を進めてしまったため、基地におけるMULSを運用する設備の殆どが機能していないため、それを一応の形でも稼働させるために急ピッチで作業を進めるためだ。
早い話が、邪魔だったのだ。
MULSは改造のために工場へ送り返され、基地内は設備増設のために工事中。
基地内にいたとしても、彼らにできることは何もなかった。
おまけに、ダンジョンから持ち帰られた情報は当初の予定を上回るほどの情報量であり、対外的なアピールとしても、探索を行ったという実績を積むには十分すぎるほどだった。少なくとも、『さっさと探索しろ』とせっつかれるほどの状況を凌ぐことはできた。
その為時間的余裕ができ、また以上の理由から無意味にMULSドライバーたちを基地内に拘束する理由もなくなった為、一時帰省を許可。という形になったのだ。
だが、今この家の家族のMULSドライバーは、未だ基地内に留まっている。
勿論理由はある。物理的な理由で、彼はここに返ってくることができないのだ。
そのMULSドライバーがどこにいるかといえば、それはダンジョン内第2階層。その中にある小部屋の一室。
そう、ダンジョン内で落とし穴にはまり、そこで襲撃を受けて亡くなったMULSドライバーの一人だ。
ミオリは今、死亡報告のためにこの民家へと訪れていた。
よく聞けば、民家の中から誰かの嗚咽の音が聞こえるかもしれない。
幸いにも、ミオリにはそれは聞こえなかった。
「…はああぁぁぁぁぁ…」
しかし、ミオリの気分は晴れない。
これが自衛官。つまり、志願して軍人になった人間ならここまで気に病む必要はなかっただろう。
何故かといえば、自衛官には自衛官としての覚悟があるからだ。
人を撃つ覚悟、引き金を引く覚悟、危険な場所へと赴く覚悟。
民間人を守るために死ぬ覚悟も、その一つだ。
こういった、自衛官としての覚悟というものは、自衛官全員が持っているものだ。
そう、全員だ。断言できるほどに、それは確定的だ。
何故かといえばうまく伝えられるかわからないが、この言葉に集約されるだろう。
それが自衛官としての仕事だから。
敵を撃つのが自衛官の仕事、危険な場所に飛び込んでいくのも仕事。
民間人のために身を盾にして、死ぬのもある意味、仕事だ。
そんなことが仕事なのかと思うかもしれない。
けど考えても見てほしい。
今まさに民間人が撃ち殺されようとしているのに、殺したくないと撃つのをためらう。
自分が死ぬかもしれないからと、危険な場所に飛び込むのをためらう。
死にたくないからと、民間人を見捨てて逃げ出す。
こんなことをする軍人が、はたして軍人と言えるのだろうか。
外科医が血を見たくないからと、外科手術を拒否するならあなたたちはどう思うだろうか。
おそらく、こう思うだろう。
「ならやめろ。何のためにその仕事をしているのか」
と。
つまりはそういうことなのだ。自衛官にとって、死ぬことはある意味仕事の内なのだ。
勿論、だからと言って心の底からそう思っている人間は殆どいないだろう。誰だって死にたくはないはずだ。
ただ、自衛官という職業を選択した以上、それに伴う危険も、またついてくることを理解している。
そして、それに納得し、自衛隊という職業をすると決めた。
つまり、彼らの言う覚悟とは、そう言うことなのだ。
だから、仮に死んだとしても、心情は置いておくとしても、『仕事だから』の一言で片付けることができる。個人の感情を無視しても、事務的にそう処理することができる。
じゃあ、徴兵された人たちはどうなのか?
彼らは望んで自衛官になったわけじゃない。国が必要と判断し、そして変わりがいないから、無理やり連れてきて仕事をさせているに過ぎない。
当然、先のような自衛官としての覚悟なんてあるわけがない。
じゃあ、彼らの死はどうやって処理するのか?
むりやり危険な場所に追い立てられ、見たこともない化け物と戦わされて、その結果死んだとして、
その死を突きつけられた人たちは、それをどう処理すればいいのだろうか。
先ほどあった、遺族の様子が脳裏に強く思い描かれる。
彼らは肉親が死んだと報告され、どういう反応をしただろうか。
深く悲しみ、泣き叫んだ?強く怒り、私のことを口汚く罵った?
どちらも違った。
彼らはミオリの話を聞き、ポカンと口を開け、反応できなかった。
彼らは肉親が死んだことを、理解することができなかったのだ。
彼らは、もう肉親が声をかけることも、笑顔を向けてくることもない事を理解できていない、
いつかひょっこり帰ってくる。心のどこかで、彼らはそう思っている。
死ぬ覚悟というものは、おそらくこういう時のために必要になるのだろう。
死ぬかもしれないという覚悟があれば、多少なりとも彼らの『死』を受け入れることができる。
そして、それがない場合、今の彼らのようになる。
死んだことを、理解できなくなる。
それがいい事なのか、あるいはいけないことなのか、それを判断することはできない。
ただ、放置しても大丈夫だとはとても思えなかった。
彼らの中で死んだ人間が生きているということは、彼らはそれを前提に生活を送るということだ。
そして、社会はそれを、既に死んだこととして処理し、動いていく。
彼らは生きていると思って行動するのに、社会は死んだこととして動いていく。
その認識のズレは、最初は小さいものなのかもしれない。
ただし、そのズレは時間とともに拡大し、いずれは無視できないものになる。
その中で、いずれは死んだことを認識し、自力で修正できる人間もいるかもしれない。
じゃあ、もし理解できなかったら?
その問いに、答えることはできない。
しかし、決していい方向には向かないだろう。
どこまでも理解できず、社会との齟齬で問題が生じるか、もしくは死んだ事実を受け入れきることができず、心が壊れるか。おそらく、そんなところだろう。
そして、それは決して良い事とはいえなかった。
だから、それを放置することはできなかった。
むりやり徴兵し、殺した挙句、その過程も崩壊させて何のフォローもないとなれば、社会の反発は必須。
そうでなくても、これ以上の悲劇を、遺族に強いることは個人の心情としても容認できるものではなかった。
そう遠くないうちに、手を打たないといけない。
「手段がないわけじゃないのは、不幸中の幸いか」
それを実現する手段はあった。遺体を回収し、見せればいい。
それで、多少なりとも理解はできるはずだ。
問題があるとすれば、遺体のある場所はダンジョン内の第2階層にあるということ。
そこから帰ってくることはできたものの、行くことはできず、またその準備も完了していない。
だが、それをしないという選択肢はなかった。
それくらいはできるようにならなければ、ダンジョンの探索などできるはずもない。
「帰ったら、準備を急がせなければな」
ミオリはそう言うと、基地へと変えるために歩き出した。
今更ですけども、この作品における制度的な部分はかなーり適当です。それっぽく理由付けと、矛盾がなければそれでいいかなと思って書いてます。
なので、今回みたいな、遺族への報告に部隊長が赴くなんてことが現実ではないのかもしれませんが、ご了承ください。
いやもう、無駄にキャラ作るの嫌なんですよ。名前を考えるのめんどくさい。