2-23 定め
私は機体を前へと進めていた。
背後では喧騒が聞こえてくる。
樹君が戦っているのだ。
その様子を後部カメラ越しに見ると、敵に囲まれないように動きながら、手につく範囲の敵を攻撃し、その数を減らしていっていた。
その様子は危なげは無いが、決して安心はできなかった。
(急いで行かないと)
私は機体を前へと進める。その歩みは遅い。
(まさか、ここにきて限界が来るなんて…!)
落下の衝撃でアブソーバーが損傷し、長時間の探索で繰り返し荷重がかかった私のMULSの脚部はそろそろ限界へと達しようとしていた。
先の戦闘で、無意識に荷重を脚部へかけてしまったのが原因だった。
加重を支えるシャフトそのものは問題ないのだが、それを固定するロック機構が限界に近いのだ。
本来の使用法とはかけ離れた使用を続けたせいで、そう遠くないうちにそれは破損しようとしていた。
そうなると内部のシャフトは固定から外され、自由に動くことになる。当然、上下方向から適切に加重を受け止めるということができないため、あっという間に破損し、折れてしまうだろう。
そうなったら、もう、歩くことは不可能だ。そして、歩けないMULSは敵にとって格好の餌食だ。
そうならないように歩く。可能な限り、脚部にダメージがいかないように。
それは探索時に比べてはるかに遅い。
しかし、ここでMULSを擱座させるわけにはいかなかった。
ゆっくりと、しかし確実に歩を進める。
後方では、もう間もなく戦闘が終わろうとしていた。
残るは3体。それも、四肢を欠損させて動くことは出来そうにない。
後は砕くだけ。樹君は、敵を殲滅することに成功したのだ。
後顧の憂いは断った。後は上に行くだけだ。そしてダンジョンを脱出する。
それだけのはずだった。
私と樹君の間に、それが湧く。
骸骨。こちらへと牙を剥く。悪意の塊。
何もないそこにある、地面からそれが湧き出した。
それは周囲をぐるりと見まわし、樹君のMULSと、そして私を見た。
その骸骨は私を狙った。ゆっくりと、しかししっかりした足取りで歩み寄ってくる。
私はそれを確認し、急いで上への階層への入口へと向かった。
急げない、けど急ぐ。急がないといけない。
気持ちがはやるが、機体の速度は遅々として進まなかった。
対して、敵は悠々と歩き、こちらへと近づいてくる。
急ぐ。しかし、急げない。
私は焦った。それがいけなかった。
膝から聞こえる破断音。それは、関節のロック機構がとうとう壊れ、破断した音だった。
脚部の固定がなくなり、機体が安定を失う。
そのまま、前のめりに転倒した。
それでも、それでも前へと進もうと、両手を使い這ってでも進もうとする。
衝撃。機体が前へと進めない。もがくが、それは近くに地面の砂をかき集めるだけだった。
後部確認用のセンサーがその原因を教える。
骸骨が、私の機体を上から押さえつけ、動けないようにしているのだ。
追いつかれた。
「っ! 離して!」
思わず叫び、両手を振り回す。MULSの肩は軸構造のモーター駆動。その気になれば、腕を真後ろへと向けることができた。
しかし、それをもってしても、骸骨を押しのけることは叶わなかった。上を取られ、その重力を味方につけた骸骨を、格闘技能を持たない私のMULSでは押しのけることは叶わなかった。
諦めて機体を起こそうとしても、MULSの両手は機体の質量を持ち上げるようにはできていなかった。
それでももがいた。生きたい一心で、死にたくなかった。
しかし、骸骨はそれを許さない。
さらさらという音がする。通気口から零れ落ちる白い粉。
骸骨が、コクピット内へ攻撃を始めたのだ。
このままでは、いずれ窒息死に追いやられる。
見る間に骨粉の量は増えていく。
機体を捨てるしかない。もう、考える余地もなかった。
コクピットの上にあるハッチに手をかけた。そのまま開き、開放する。
上部ハッチが解放され、私はそこから外へと這い出した。
ほうほうのていで機体から脱出し、地面へと転び出る。
何とか、生き延びることはできた。
が、それは寿命を数十秒伸ばしただけだった。
視線を感じる。私はそれに、全身の肌が鳥肌を立てるのを実感した。
見たくない。恐怖が体を動くなと縛り付ける。
しかし、体は動いた。見る恐怖よりも、見えない恐怖の方が上回った。
首の筋肉が強張っている。それを無理やり動かす感覚が嫌でも伝わる。
私は見た。目の前の光景を。
暗い双眸が、こちらを見ていた。
何もない穴のはずなのに、それが私を見ていると理解した。
骸骨が、全長5mもある巨大な化け物の、その髑髏頭の巨大なそれが、こちらをじっと見つめていた。
その口には表情は無いはずだ。筋肉もない。皮もない。そんなものがあるはずもない。
しかし、その表情は、何故か笑っているように見えた。
もう何もできないぞと、もう抵抗しないのかと、無機質で、無感動で、なのに喜びの、嘲笑の笑み。
「嫌ぁあああ!」
声が挙がる。
後悔の声。こんなものに敵対するんじゃなかったと、後悔する声。
恐怖の声。目の前の光景に、その将来に、黙ることすらできなくなった恐怖の声。
絶望の声。もう助からない。それを理解したが故の絶望の声。
それが自分の声だと気づいたのは、目の前の骸骨が、私を叩き潰すために右手を振り上げた時のことだった。
―――――――――――――――――
「せいっ!」
その掛け声の元、骸骨の一体が腰から断ち切られた。
下半身が粉になり、上半身は地べたを這いずる。
僕はその胸部に足をかけ、その中にあるコアを破砕した。
碌な抵抗ができる敵は、これが最後だった。
残りは僕が丁寧に四肢を吹き飛ばし、コアを弾き飛ばし、そう簡単には再生しない。
逃げるための時間は、十分に稼ぐことができただろう。僕の仕事は終わりだ。
ミコトさんは、既に上層への入り口近くへと辿り着こうとしていた。
僕もミコトさんに追いつこう。そう思った矢先のことだった。
僕とミコトさんの間で、地面から何かが起き上がる。
それは僕が以前見た光景。忘れない。僕が初めて骸骨どもをダンジョン内で見た時の光景だ。
そして、そこからは予想通り、骸骨が姿を現した。
距離はミコトさんの方に近い。
だからか知らないが、そいつはミコトさんのMULSを狙い、歩き始めた。
ミコトさんを襲うつもりだ。
最悪だ。今の彼女に武器は無い。おまけに、脚部を損傷していて全力で移動することができない。
追いつかれるのは時間の問題だった。
「っ! させるかよ…!」
僕はそれを阻止するため、歩き始めた。
スケールの大きな、けど滑稽な追いかけっこが始まる。
僕の機体は全力で移動している。みるみるうちに骸骨とミコトさんに距離を詰めていく。
しかし、ミコトさんの機体は遅々として進まず、骸骨の速度は僕ほどじゃないが、ミコトさんよりは早い。
僕が追いつけるかは、ぎりぎりの時間だった。
そして、その均衡を崩すように、悪い方へと話は転がる。
大きな破断音が響き、聞こえた。それと同時にくずおれるミコトさんのMULS。
とうとう脚部が壊れ、歩行不能に陥ったのだ。
そこに後ろから捕り付き、抑え込む骸骨。
ミコトさんは抵抗するが、骸骨の拘束を剥がすことはできなかった。
そのまま、おそらくは骸骨によるMULSドライバーへの攻撃が始まったころ。
骸骨に動きがあった。下げていた視線が、頭部が、上を向く。
まるで、そこに何かがあるかのように。
(機体を捨てたのかっ!)
そう予測した僕は、その後の敵の行動に、それが正しいのだと確信する。
骸骨は、右手を振り上げ始めていた。
「っ! っく!」
叩き潰すつもりだ。僕は機体を急がせた。
しかし、既に機体は全速だ。これ以上早くはいけない。
もう目の前まで迫り、あと数歩だが、そこへたどり着いた時には骸骨はその振りあげた手を下げ、ミコトさんはその質量で押しつぶされているだろう。
(急げ、何とかしろ! 助けてもらった癖に。その逆はできないのか!)
自分で自分を叱咤し、どうにかして急ごうとするも、これ以上は急げないことも事実だった。
(だからどうした、何とかしろ! 何ができるか考えろ!)
そう考えるが、思いつくいいアイデアもない。考えるが、そのすべては不可能だった。
そう考えるうちに、ふと、記憶の淵からどうでもいいことが浮かんできた。
(全ては定められている)
それは大家さんに勉強を教えてもらった、最初の授業であった与太話。
誰がするかはわからない。けどそれは決まっている。
(なるようになる)
僕はそう解釈した。すべては決まっている。起こることが起きる。それは決定されている。
(彼女が死ぬのも、決まっていた…?)
間に合わないのも、手遅れなのも、先に行かせてしまったのも。すべては決まっていた?
成程。彼女のせいで僕たちは徴兵されるハメになり、現に人が死んでいる。
その報いを、今彼女は受けることになるのだ。ザマーミロ。あっはっはっはっは。
「嫌ぁあああ!」
彼女の声が響く。骸骨は腕を掲げ切ろうとしていた。
「ふざけんなよ?」
無意識に漏れた僕の声は、驚くほどに冷え切っていた。
僕は操縦桿を強く握りしめる。
強く、強く。それこそ、砕けて壊れてしまっても構うものかと強く握りしめた。
たったの一瞬でも、そんなことをした自分に腹が立つ。
頭に血が上る。僕は今何を考えた?
(運命を受け入れようとした)
違う!
(諦めた! 彼女を見捨てようとした!)
僕は何で生き残った?
(彼女が助けてくれたから!)
それは運命だったか?
(違う! 彼女の行動の結果だ!)
その行動を、勇気を。運命の一言で終わらせるつもりか!?
(ふざけるな。そんな簡単な言葉で、片づけられてたまるか!)
じゃあ考えろ! できることを考えろ! “全ては定められている”それはどういう意味だ!?
すべては決まっている。起こることが起こる。なるようになる?
(違う!)
じゃあ何だ! 大矢の言葉は何だった!
(誰がするかはわからない。けど、それができることは既に定められている!)
それはどういう意味だ!
(できることはできる。できないことはできない。いいや違う!)
じゃあなんだ!
(できることはできるんだ!)
じゃあなぜできない!
(僕がそれを、できると気づいていないだけだ!)
僕は機体を沈ませた。
膝を曲げ、腰を曲げ、腕を地面すれすれまで下げる。
剣は捨てる。重量物は可能な限り排除する。
僕は油圧のリミッターを解除する。
ポンプが全力で回転し、シリンダーへと全力で中の油を送り込む。
それで起こるのは、機体の上昇。
加速度は小さいが、引き下げた機体と、それによるシリンダーのストローク長の増加により、その時間が引き伸ばされる。
シリンダーが悲鳴を上げ、油を伝えるホースが膨らみかけ、今にも壊れそうな嫌な音をまき散らす。
構うものか。これくらいはしないと、彼女を助けることなんかできなかった。
僕は大矢さんとの講習であった、一つの授業を思い出していた。
―――――――――――
『MULSでも飛べるって言ったら、どう思う? ああ、飛行って意味じゃなくて、跳躍って意味で』
『できるんですか? どうやって?』
『ふふん。重力加速度って知ってる?』
『ええまあ、万物は、大体10m/s で落下する。でしたよね』
『そうそう。で、その理屈で言うとね、5m/s以上で上に飛び上がれば、一秒は滞空できるってことなんだよ』
『けど、それって現実的じゃないですよね。瞬間的に、それだけの速度まで加速できるんですか?』
『瞬間的である必要はないんだよ。最終的に、5m/s以上に加速すれば、後は勝手に上へと飛び上がるのさ。たとえ毎秒1mの加速度でも、5秒かければ立派に空を飛べるんだよ。MULSも同じさ、全力で、しっかり、ゆっくり加速すれば、実はMULSも飛べるんだよね』
『百錬も、ですか?』
『そうだよ? あ、だからって試さないでね? 壊れるから』
『しませんよ』
――――――――――――――
できることは決まっている。
良くも悪くも、神の作った理屈は絶対だ。
だからこそ、彼女を助けることができるなら、それは必ずできることなのだ。
後は僕が行動するだけ。
なるようになる? これは、そんなちゃちなもんじゃない。
(為せば成る。それができることならば、それは、できることなんだ)
僕は機体を発射した。
機体の荷重がゼロになる。重力の鎖から解放され、MULSが宙を突き進む。
それは長くは続かない。重力がこの身をからめとり、下へと引きずり下ろそうとする。
それにあらがう術はない。しかし、その行動は、無意味なものではなかった。
あと数歩。本来なら必要としていた距離を、跳躍は一歩へと短縮し、時間もまた同じことだった。
骸骨は腕を振り上げ、今にも振り下ろそうとしている。
しかし、振り下ろされてはいなかった。
寸前のところで、骸骨の横へと着地する。足に衝撃、機体が横滑り。
辿り着いたが、手に武器は無い。攻撃手段が残っていない。
んな訳あるか。ちゃんとある。
腰の旋回軸を回す。腕の関節を全力で動かす。
その先にある手は、しっかりと握られ拳を形作っていた。
機体の勢いを旋回に乗せ、僕は拳を敵の胸部へと叩きつける軌道を取った。
遠心力と、慣性が僕の意識を刈り取ろうとする。
そんなこと、許すはずがなかった。
「さ せ る かあああああ!」
それは、狙い違わずに骸骨の脇腹へと吸い込まれた。
指のマニピュレーターがひしゃげ、ちぎれ、ボロボロに使えなくなっていく。
しかし、それはもう問題じゃなかった。
目的は、達成できた。
ボロボロになりながら、拳は目当てのものに到達した。
それは敵の心臓部。コア。
僕は、力任せにそれを振りぬいた。
骸骨を構成する骨粉を弾き飛ばし、引きちぎり、コアが摘出されて宙を舞う。
それは、飛び出た先の壁に当たって地面へと落下した。
確認できたのは、それまでだ。
脚から大きな破断音。
跳躍と着地。それに、落とし穴の落下での少なくないダメージに、長時間の探索の疲労。
無理をさせすぎた結果。僕のMULSも、その両足を完全に破壊してしまったのだ。
殴った衝撃を逃がしきれず、そのバランスを崩して倒れる。
このMULSはもうだめだ。機体を捨てるしかなかった。
上部ハッチを開放。そこから、僕は機体の外へと転げ出た。
「樹君!」
そこへ、ミコトさんが駆け寄ってくる。
「大丈夫!?」
心配そうに、そう声をかけてくる。
「ミコトさん。大丈夫?」
「あ、うん。こっちは平気。樹君は?」
「大丈夫」
「そう、よかった…」
その声に、心底安堵したようにため息をつくミコトさん。
「ねえ、ミコトさん」
僕は彼女に声をかけた。逃げては困るので、肩も掴んでしっかりと固定する。
「何。どうしたの?」
ほっとした様子で、彼女は聞き返す。彼女はそのことに気付かない。
「君は何も悪いことはしていない」
僕は彼女に、そう言い切った。