2-19 準備、出発
「あ、ありがとう。助かった」
半ば引きずり出される形でコクピットから這い出した僕は、まず最初にそう言った。
彼女がここに来なければ、僕は多分死んでいた。
なら、最初にかけるのはその言葉だ。
僕は両手をついた姿勢のまま、彼女へ向かってお礼を言った。
「あ、うん。その、どういたしまして」
その言葉に対して、彼女はそう困惑しながら答えた。先ほどの安堵した様子とは一転。少し悲しそうな顔をする。
(うれしくない?)
僕はその声色に対してそう感じた。
だが、それについて詳しく詮索するつもりはなかった。こういう状況だ。素直に喜べないというのはあるだろう。
まだまだ現状に理解が追いつかない。聞きたいことはいくらもある。
「あの、名前を教えてくれませんか」
立ち上がりながら、僕はそう訊ねた。
そして、とりあえず危機が去ったことに対して思考に余裕ができ、彼女の詳細へと興味を持つことができた。
身長は150半ば。僕と同じか、もしかすると高いくらい。
ヘッドギアから髪が出てこないくらいだから、たぶんそんなに長くない。
顔立ちは非常に整っており、ヘッドギア越しにも美少女だろうことがうかがえる。
ただし、体の方はMULS用のスーツ越しにもわかるほどに華奢で細く、スーツのそこかしこがだぶついていて、半ば着られているような感じだ。
少なくとも、女性だと一目ではわからない。一瞬だが、顔立ちのきれいな男とも僕は錯覚した。
「ミコト」
彼女は簡潔に、それだけを教えてくれた。苗字は名乗ってくれない。
おそらくは本名なのだろうが、偽名であることも捨てきれない。
そもそも、彼女はいったい誰なんだろう。徴兵されてから今まで、僕は彼女のことは一切確認していない。目の前でこちらにLEDを向けているMULSは彼女の物なのだろうから、MULSドライバーではあるのだろうが、ランキング100位の中にはいないだろう。
つまり、彼女は徴兵されてここにいるわけではない。当然、基地内で彼女の存在を確認したこともない。
いきなり、目の前にポンと姿を現したミコトと名乗る少女。その存在は、僕に疑念を持たせるには十分すぎるほどに怪しい。
が、絶望的な状況で助けてくれたのも事実。何度も言うが、彼女がやってこなければ僕はまず間違いなく死んでいた。
(まあ、とりあえずは識別するための名前がわかればいいか)
僕はそう判断した。問題の先送りともいう。別いいじゃないか、生きて帰ってからそのあたりは調べてもいいのだし。
彼女は敵じゃない。それが今の全てだ。
「僕は和水 樹。機体名はベッセル。和水でも樹でも、ベッセルでも、好きに読んでくれて構わないです」
「わかった」
自己紹介が終わる。
「ほかの人は、無事?」
そして、彼女はそう聞いた。
その言葉を聞いて、僕は体を強張らせた。
記録の中の映像と、実際に見た彼らの死体が、僕の脳内でフラッシュバックする。
「みんな、死にました」
何とかそれだけ口から絞り出すことに成功した。
「そう」
彼女もそれだけを言った。その言葉と表情には、その事実に対する悲しさが形となって表れていた。
「これからどうしますか?」
しばらくして彼女が落ち着いたのを待ってから、僕は聞いた。ここに留まるにも、自力でどうにかするにも、彼女の協力は不可欠だろう。
「あなたのMULSは?」
「さっきの戦闘で、完全に壊れました」
元々半壊気味だった僕のMULSは、首をもがれ腕をもがれ、無事なところがないくらいに壊れてしまった。辛うじて電源だけは生きているが、もう、MULSとして動かすことはできないだろう。
「他のMULSは?」
「自分で確認はしていませんが、すべての機体が脚部を損傷。歩行ができないようです」
山郷さんの記録の中に合った情報を思い出しそう答える。
「全て完全に破壊されている?」
「いえ、一部損傷を免れたパーツがあります。手を貸してくれれば、直せると思います」
「わかった。じゃあ、まずはあなたのMULSを用意する。使えるパーツはどれ?」
そう言い、彼女は自分のMULSへと歩いて行った。
いきなりそう決め行動する彼女にやや困惑するが、ここに留まるにしろ、自力で脱出するにしろ。MULSがもう一機あれば生存率に大きな差が出るのは明白だった。
彼女とMULSがあれば、修理も確実にできるだろう。僕はMULSの修理をすることになった。
必要なのは、MULSの上半身が一つと、足が二つ。
上半身は山郷さんの百錬を使うことにした。中を軽く清掃し、骨粉を掃き出して使用する。
山郷さんのMULSは両足が全損していたため、代わりの足が必要だった。
生きていた足パーツは、僕のMULSについていた右足と、もう一機の右足の二つ。
両方とも右足だ。だが、問題ない。
僕は片方の脚部ユニットへと向かい、攻撃にさらされない部分にある人用の制御盤にとりついた。
そこにコネクタを差し込み、まずはユニットの状態を確認。
特に深刻なエラーはない。これなら十分に使える。
まずはデバイスを介してユニットに命令し、設定を右足からニュートラルに変更。接続軸を開放するように命令した。
幾ばくかの音を立て、脚部ユニットがMULSのマルチコネクタから外れ、フリーになったことが分かった。
「お願いします!」
僕は離れ、ミコトの乗るMULS。機体名3510へと合図を送った。
「わかった」
そう答え、彼女は解放された右足へと近づく。
最初に外すのは、股関節の軸と同一軸線上にある弾薬庫。
安全のためにそれを引き抜き、そして脚部ユニットをMULSから引き抜く。
さしたる抵抗もなく、MULSから脚部ユニットが引き抜かれた。
彼女はそれを、修理する予定のMULSの近くへ運び、おろす。
僕はおろした脚部ユニットに再び取りつき、マルチコネクタの開放をユニットに命令した。
再び脚部ユニットが動き、内部のロックが解放され、脚部側のマルチコネクタが解放される。
僕はミコトさんに合図を送り、それを取り外してもらった。
取り外した後に残るのは、丸い穴が貫通した、脚部ユニットの関節軸。
僕が、MULSの右足二つでも問題ないと言った理由だ。
四肢のユニットは量産性と互換性を両立するため、左右両方に使えるように作られているのだ。
脚部の場合は、マルチコネクタを大腿部に開いた接続穴に固定することで右足、左足の役目を切り替えられるようにしているのだ。
右足を左足用に切り替え、今度は逆の要領でそれをMULSの股関節コネクタへと接続する。
特に問題なく接続された。
同じようにもう一つの右足ユニットを取り外し、今度はそのまま取り付ける。こちらも問題はない。
脚部ユニットが両方接続され、MULSは再び五体満足の状態になった。
すぐさま乗り込み、状態を確認する。
「どう?使える?」
ミコトさんが聞いてきた。僕はその声にこたえるためも、MULSの状態を確認する。
帰ってきた反応を見る限り、不具合は特にないみたいだ。十分に実用に耐えられるだろう。
「大丈夫です」
「よかった」
彼女から安堵の声が挙がる。僕自身ほっとしていた。
生身のままでいるよりは、MULSに乗っていた方が恐怖心は紛れた。
僕はMULSを直立させる。特に問題なく起き上がることができた。
システムもエラーは吐いてこない。問題なかった。
「とりあえず、首の皮はつながった。か」
生身ではどうあがいても、あの骸骨たちを倒すことはできなかった。MULSに乗れるだけで、少なくとも機関砲を撃つことができるから対抗することはできる。
その安心感は、半端ないものだった。
しかし、いつまでもほっとしているわけにもいかない。
「それで、どうします?」
僕はミコトさんに聞いた。ここから移動するにしろ、留まるにしろ、二手に分かれていい理由はない。
「樹くんは、どう思う?」
逆に尋ねられた。僕は現状を再確認して、考える。
「移動した方がいいと思います」
僕はそう答えた。
落とし穴に引っかかったということは、自衛隊が意図的に隠していない限りその情報を持っていなかったということになる。
その上で探索を行っていたということは、何かしらの条件で作動するトラップである可能性が高い。
トラップというのは機能するよりも、むしろ機能しないほうが効果をより発揮する。
今回の場合を考えれば、いつどこに落とし穴があり、また発動するかわからない場所に僕たちの救助隊を送り込むということになるからだ。
下手すればトラップを発動し、二次災害になりかねない。
トラップに引っかからなくても、トラップの存在に注意しながらの行軍だ。普通よりは時間がかかる。
しかもここはダンジョン。普通では攻略できないから僕たちMULSドライバーが徴兵された場所だ。
そこに送り込まれるのは、たぶんMULSだ。彼らを危険にさらすことは、ちょっと考えにくい。
以上の理由から、僕たちの救助は難航するか、もしかすると来ないかもしれない。
他のメンバーが生きていたなら、動けないMULSのこともあり籠城するという選択肢もあったかもしれないが、不幸にも彼らは全滅してしまった。
残ったのは僕たち二人。籠城するにも、火力が足りるかわからない。
それを考えると、ここで救助を待つというのはリスクの高い賭けだった。
「わかった」
ミコトさんは、それだけを簡潔に言った。
そうと決まったらぐずぐずしている理由はない。僕は手早く弾薬を回収し、状態のいい機関砲を装備する。
これで準備は完了だ。
「それも、持っていくの?」
ミコトさんががこちらを指さした。それは僕の胴体の後方、本来は背部装備用に使われる背面のサブアームに保持された、一本の剣。
鉄板を重ね合わせて溶接し、握り用に板の端に穴をあけられた簡素な代物。
いつも使っているファルカタとは形が違うが、山郷さんがお守り代わりにと用意した近接武器だ。
弾薬はこれ以上持っていくための装備がないし、重量には余裕があった。
「お守り代わりです」
ぼくはそう答えた。
「わかった」
彼女はそう答えた。
「じゃあ、これからの行動を簡潔にまとめます」
ここですることはもうない。だから、今度はこれからのことだ。
僕はそうミコトさんに話しかけた。
「行動目的はダンジョンからの生還。目下の目標は上の階層への入口の発見と到達。目的達成の手段としてはマッピングを行いながらこの階層の探索を行う。戦闘は可能な限り回避。弾薬の不足が確認されたら一度ここへと戻って補給の後、再出発。他に確認することはありますか?」
「え、と。一つ、いい?」
ミコトさんがそう、ためらいがちに言う。
「なんでしょうか」
「その、そんなにかしこまらなくていい」
「……いいんですか?」
「別に構わない。私は軍人じゃないし、樹君もそんなに年が離れてる訳じゃない。逆にそこまでかしこまられると、その、…疲れる」
少々疲れた感じでミコトさんが言う。どうやらそう言ったことに慣れていないらしい。
これからダンジョン探索のストレスと疲労が襲い掛かる。無駄な負担は避けておいた方がいいのは事実だった。
それに僕自身、彼女と壁を作っているような感じで違和感があった。
徴兵されて今の今まで、全員が年上という状況に囲まれていたのだ。未成年という特殊な状況も合わさり、パワハラこそされないものの、逆にどう接しすればいいのかわからないらしく、皆どこかよそよそしかった。
僕の立場が宙ぶらりんの中で、僕に接してくれたのは大矢という馬鹿と山郷さんたちくらいしかいなかった。
何かされたというわけではないが、気は使う。
そんな中、こんな状況とはいえ年の頃が同じくらいの人と出会えたのだ。できれば仲良くやっていきたい。
無論、可愛い彼女に対するよこしまな感情が無いわけではない。あわよくばもっと深い意味で仲良くはなりたい。
が、それは生きて帰ってからの話だ。現状でそんなことを考える余裕はなかった。
とにかく、彼女がそれを望んだことは、僕としても非常に助かることだった。
「わかった。じゃあ、ためで話すけどこんな感じでいい?」
「うん。ありがとう」
「どういたしまして」
さて、これで諸々の準備は整った。
ここから出れば、ひとまずの安全すら残らない。目の前に、再び落とし穴が開かないという保証もない。
だが、ここに残っても助けが来る、間に合う可能性は低かった。
どっちもリスクはあまり変わらない。
そして、僕たちは進むと決めた。
なら、そうするだけだ。
ちらりと、僕のMULSがあった所を見る。
そこには、山郷さんを含めたB班の遺体が並べられている。
連れていく余裕はなかった。埋めることもためらわれた。
だから、あのまま放置していくしかない。
生きて帰ったら、必ず回収しに戻ってこよう。
「お待たせ。行こうか」
僕はミコトにそう言い、小部屋のようだったそこを出る。
僕のダンジョン攻略は、今ここから始まった。