2-13 はじめの一歩
僕は背面に開いたハッチから、MULSの中へと身を滑り込ませた。
内部はさしずめ、車の運転席とバイクのシートを足して2で割ったような感じだ。
車のシートのような座席部分に、少し離れたところにコンソールがある。
コックピットブロックの大きさに比較して、内部のスペースは結構広い。
まあ、これについては仕様だ。待機状態のMULSではこんなものだ。
コクピット部分はMULSにおいて全て共通化されているため、その内部はたとえそれが初めてのモノでも問題なく扱える。
まずは起動だ。電源は既に入っている状態であるため、機体のOSをたたき起こす。
シートに座り、まずは天井のコネクタにコードを接続する。
反対側のコードは僕がつけているヘッドギアに伸びている。その中にある僕のデバイスに伸びており、それは別のコードでヘッドギアに接続されていた。
そして、そのヘッドギアは接続端子と僕の生体電極を介して僕と接続されている。
僕は、デバイスを介してMULSと接続された。
僕は続いて、頭上のコネクタ横、頭上の起動ボタンを押す。
コンピュータが起動した。
コンピュータの起動、各プログラムの動作チェック、胴体各所のセンサ類のチェック、応答の確認。続いて各マルチコネクタ以遠のパーツの起動、プログラムチェック、センサ類のチェック…。
コンピュータ内で起動処理が行われる。
それと同時に、僕のデバイスも仕事を始める。
MULSのコンピュータとデバイスで情報がやり取りされる。MULSがデバイスの情報を読み取り、制御をデバイスに譲渡。続いて僕の今までの行動パターンから最適化された制御予測ルーチンを与えられ、MULSは僕に合わせた鞍を用意する。
デバイスは僕に制御権をそのまま渡し、僕はその制御権を受け取った。
僕と接続されたMULSは、僕の脳とリンクする。
MULSの機体各所に設定されたセンサーが機体の状態を認識、それらはMULSの制御中枢に集約され、まとめられた情報が僕へと送られてきた。
応答はシステム全て問題なし。すべて問題なく扱える。
僕は最初に、コクピットの閉鎖を行った。
後ろにあるハッチが閉じられる。それに連動して倒されていたシートの背もたれが起き上がる。
空気の抜ける音を残してハッチが閉鎖。コクピット内部が完全に遮蔽された。
そのまま、僕自身の搭乗準備を行う。
背もたれが僕の背中を包み込む。肩と脇についている金属製の金具がシートと接続され、ゆっくりと引っ張られる。
その金具は僕の胸に取り付けられた胸甲のようなハーネスと接続されており、胸を圧迫される形で僕の体はシートへと接続された。
シートは緩くテンションをかける形で僕の上半身を固定しており、多少の自由は確保されているけど、急激な衝撃に対してはしっかりと保護するようになっていた。
頭部も同様に、ヘッドギアの金具がシートと固定される。これで上半身が固定された。
残るは下半身なのだが、その前に動くものがある。
コンソールだ。目の前に不自然に開いたスペースを詰める形で、目の前にあるコンソールが迫ってきた。
それはそのまま進み、僕の腹部を固定する形で止まった。
そのまま、僕の下半身は複数の固定具に固定され、結果的に腹部から下を飲み込まれる形で固定された。
もっとも。固定されている感覚はほとんどなく、フットペダルの反発感以外の感覚がほとんど感じられない。
馬の鞍に乗った感覚が一番近い感覚だろうか。
そのまま、僕は目の前に迫ったコンソールに手を伸ばす。
伸ばした先には円筒形のパーツ。その円形のがこちらを向いており、そこには穴が開いている。
僕はそこに手を突っ込んだ。
中にはスティック状のパーツがついており、それがMULSの操縦桿だった。
それは特に頑丈に作られており、たとえ殴りつけてもびくともしない強度を誇っている。
円筒形のパーツは前後に動き、好きな位置で固定できるようになっていた。
僕はそれをいつもの位置に調整、固定する。
それは少々前傾姿勢で、軽く操縦桿に体重をかける形だった。
これで僕はMULSの操縦ができる状態になった。
だから、次にやるのはMULSの操縦準備だ。
僕は起動状態にあるMULSのコンピュータに、機動状態へと状態以降の命令を出す。
その反応は、デバイスを介して僕へと直接伝えられた。
AR表示で、MULSの状態が表示される。
崩壊炉の出力、油温、油圧、各センサの状態、センサが受け取るデータの数値。
それらは数瞬で行われ。そして終わる。
その後に来たのは、AR表示ではなく直接、体の違和感として出てきた。
MULSの各部位の状態が、僕の体の状態へと置き換えられ、五感という形で表現されたのだ。
もっとも、味覚や嗅覚はもちろん。毛も神経もないMULSの体表では触覚も再現されないため、その殆どは三半規管や体の各部位の状態になる。
そして、五感の中には、味覚、嗅覚、触覚以外に残り二つ。視覚と聴覚がある。
それらも全て再現されていた。
聴覚はそのままだ。機体に取り付けられた超各センサが周囲の音を拾い、それをそのまま僕の耳が聞く形で再現される。
しかし、視覚の方はかなり変わっていた。
MULSのメインカメラは頭部にある。前方を詳しく視認するためのもので、MULSの視覚情報の基礎になる部分だ。
しかし、それ以外にも視認用のカメラセンサは頭部を含め機体の各所にある。
何故かと言えば、メインカメラは正面しか見ないからだ。
僕ら人間の目が見る範囲は大体180度。集中してみなければ、真横の位置まで僕たちはモノを見ることができる。
対してメインカメラの視認範囲は左右に30度程度の円錐範囲。合わせて60度の範囲しか見ない。
それでは生身の体との視認性の齟齬で精神的に疲労しやすく、また視界不足によるデッドスペースの増加は危機察知能力の低下を招き、またメインカメラが破壊された場合に代わりのセンサがないためその時点で戦闘能力を喪失してしまう。
それらの理由から機体の各所に補助カメラが設置され、それらを統合処理したものが僕の脳内へと届き、AR表示されるのだ。
それは全周を囲むように配置されたカメラを統合したもので、当然機体後部も映される。
そのため、前を向いているのに後ろが見える状態になってしまうのだ。
それをどう表現すればいいかはわからない。それを体験したことが無い人に対しては、実際に体験してみないとわからないだろう。
とにかく、これで起動準備も完了だ。あとはいつでも動かせる。
とりあえず、AR表示の透過率を調整する。このままではコクピットの内部が全く見えないため、それはそれで問題だ。
「無事に起動できたようね」
ちょうどその調整を終えた時。通信ではない、MULSの聴覚センサがとらえた音声がその情報を僕へと送ってきた。
僕は意識を外へと向ける。
視認できる範囲は明るい。地面はコンクリート敷ではなく野ざらしの土であり、それも耕されたかのようにぐちゃぐちゃになっている。
周りには何もない。いや、僕の両横方向に、そして後方にも僕が乗り込んだMULSと同じ機体、百錬があり。それは僕の乗る機体と同じように駐機姿勢を取らされていた。
そして目の前にはせわしなく動き回る迷彩服を着た人たちと、作業着を着た人たち。そしてこちらを見て突っ立っている三人の人。
声の主はこの三人の中の一人で、MULSに乗れなくても我らが隊長。ミオリさんだ。
僕はMULSのマイクを使い、その声にこたえた。
「はい。無事に起動完了しました」
今日は徴兵されてから一週間。
予定通りMULSが搬入されたので、今日はその起動試験及び実機による訓練だ。
しかし、納入された機体は30機。徴兵された100人に対して大幅に少ない数になる。
もっともそれは予定されていたことらしく。最初の攻略に間に合わせるために機数を制限してこの30機を先に納入させたらしい。
当然、この30機を全員で仲良く使いまわすなんてことはしない。最初の攻略のために、それぞれに乗り込む人員を割り当てて、集中して訓練させることになる。
そして、僕はその30機の中から1機を与えられることになったのだ。
というのも、僕がこの一週間。ことあるごとに習熟訓練と称して山郷さんと一緒に決闘を行っていたからだ。
激しく動き回り、かつ機体制御を瞬間的に行わなければならない近接格闘は僕らの機体習熟度を劇的に引き上げていた。
その為、他よりも早く百錬の扱いに慣れたため、僕はその30機の内を与えられることになったのだ。
当然、山郷さんも1機与えられている。
もっとも、それは僕がダンジョンにより早く送り込まれるということなのだが。
まあ、過ぎたことは仕方がない。調子に乗って決闘しまくった僕たちに対するあてつけというわけではないと信じたい。
ポジティブに考えれば、どうせいつかは僕もダンジョン攻略に駆り出される日が来るわけで。他よりも先に実機の習熟に取り掛かれるのはメリットだ。
ミオリさんもそのあたりを考えて僕にこの百錬を割り当ててくれたに違いない。
…たぶん!
「無事に起動できたか。よかったよかった」
三人のうちの一人、大矢さんがそう言う。開発者として、ちゃんと動くか気になっていたらしい。どことなくほっとした様子だ。
「あらぁ?あんたみたいな馬鹿でも、人の心配するんだ?」
その隣で三人のうちの最後の一人、美冬さんが大矢さんを茶化している。
「そりゃあね。美冬の寄越したデータ通りじゃなかったら立ったまんまぺっしゃんこになってるわけだからなぁ」
「は?あんた人のこと馬鹿にしてるの?そんな訳ないでしょうがちゃんと試作してデータ採ってるんだから」
「おう、さすが分かっているじゃないの。さっすが美冬タン。その絶対の自信に私は驚嘆!私だっておんなじことしてるんだけどね。人の心配しないなんてもしかして美冬タン、冷酷?」
「ケンカ売ってるの?売るなら買うわよ?」
「あらやだ美冬タン。私と一緒に公衆の面前で赤裸々の絡み合いを皆に見せつけるの?ヤダもう美冬タンったらダ、イ、タ、ン」
「こ、、、、、の、、、、、、、っ!」
そのまま痴話喧嘩を始める二人。
この一週間、面を突き合せればこんな感じで痴話喧嘩を始めるので、最初は戸惑っていた僕たちももう慣れた。
「あー、樹君。こちらのことは置いといて、とりあえず立ってみてくれませんか」
ミオリさんも無視して、僕にMULSを動かすよう言われる。
僕はその指示に従うことにした。
MULSの操縦システムは複数のそれを組み合わせて使う。
システムは四つ。
操縦桿とフットペダル。体を拘束する部位に搭載されたセンサー類のみで行う『ハード』
予め与えられた命令に従って、決められた動作を行う『コマンド』
電脳を介してMULSを自分の肉体と同じように動かそうとする『ソフト』
そして、機体の各部位を直接操作する『ダイレクト』
基本は『ハード』で行い、おおざっぱな命令は『コマンド』し、その中でできた細かな不具合を『ソフト』で修正する。
それが一般的なMULSを動かす基本的な流れだ。もっともそれを使うかどうかは個人個人に委ねられるため、よりMULSを動かす実感が欲しい人は『ハード』と『コマンド』のみを使ったり、逆に『ソフト』一本で動かす人もいる。
『ダイレクト』は殆ど使われないのが主流だ。その操作を人間換算で表現すれば肉体の全ての筋肉を一つ一つ命令するような代物の為、使い方が逆にわからないかららしい。
この辺りは個人で設定が可能で、それぞれのやり方にあった操縦方式をデバイスが記憶している。
初めて乗るMULSでもデバイスが情報をMULSに与えるため、乗り慣れたものと遜色のない操作ができた。
僕は百錬を立たせる。
立ち上がる感覚と共に、視界が上へと昇っていく。
それは電脳でさんざん経験してきたことだ。
だけど、初めての現実でのMULSの機動。
それはただ立ち上がるだけとはいえ、僕の中に決して少なくない感動を与えていた。
僕はMULSを直立させた。
「よし。ちゃんと立てたみたいね。じゃあ次は一歩前へ。焦らなくていいから。-あの、博士たち。危険ですので離れてください」
そう言いながら、二人を引きずって離れていくミオリさん。三人が十分に離れたことを確認して、僕は一歩前進させた。
電脳で訓練したとおりだ。足の挙動も把握している。訓練したとおりに動けばいい。
僕はそうする。
だが、今回ははじめの一歩だ。確実に行きたい。
僕はいつもよりも丁寧に、かつ慎重に一歩を踏み出した。
たった一歩。足を上げ、前へと重心をかけ、そのまま倒れ込むように一歩を踏み出す。
それはその通りに動き、それはMULSが一歩歩いたといっていい挙動だった。
周囲からどよめきと、声に出さない歓声が上がる。
一歩踏み出す。たったのそれだけだったが、それはMULSが現実でも動くことを証明した一歩だった。
「……。」
僕は何も言えない。MULSが現実でも動いたことに感動していた。
それは電脳で何度も疑似的にだが体験していたことだ。
だが、ここは現実だ。
VRMMOメタルガーディアン。そのプレイヤーの殆どは、メカが大好きなメカオタクたちだ。
僕だってその一人だ。じゃなきゃほかのゲームをやっている。
そして、今まで空想の産物だったMULSが今、現実としてここに立ち、一歩を踏み出した。
メカオタクの一つの夢が、今ここに実現したのだ。
感動しないほうがおかしいだろう。
「よし。歩行も問題ないみたいね。じゃあ樹君。訓練場まで移動してもらえるかしら。ゆっくりでいいから」
ミオリさんがそう言う。
「―――はいっ!」
僕はそう答え、ゆっくりとMULSを前進。目的の場所まで移動を開始する。
それから一日。僕たちは歩行訓練しか行わなかった。
たったそれだけのことだったが、現実の重力と慣性に従って動くMULSの乗り心地は。僕が徴兵されてここにいることを忘れるほどに感動的なものだった。
起動するだけで丸丸一話使っちまったい。