2-11 反省講習
その日の夜。
「よーし。それじゃあ第一回、大矢ちゃんの物理数学講習会。はっじまっるよー」
大矢さんは僕の前でそう言った。
昨日、大矢さんから提案のあった、物理、数学に関して教えてもらうという約束に則って、食堂で大矢さんに授業を受けてもらうことになったのだ。
今日はその第一回目になる。
「さってと。じゃあ何から教えようかな。まあ、今回はモーメントって決めたんだけどね。うん。昼間に決めた」
大矢さんはそう言う。
「決めてなかったんですか?」
「んー。もっと簡単なものから始めようかと思っていたからね。ちょっと予定変更」
「どうしてですか?」
僕がそう聞くと、大矢さんはグルリとこちらを向いた。その顔は冗談みたいな顔をしているが、その目は普段みたいに笑っていない。
「君たちが昼間に剣盾持って大立ち回りしたからだよ。昼間も言ったけど、百錬は格闘戦を想定して作ってないんだ。よくもまあアレだけ暴れられたもんだと逆に気になったよ」
「す、すみません」
「いいよ。格闘技能持ちがいないとは思ってなかったし、その上で説明していなかった私も悪い。電脳でやらかしただけマシってもんさ」
実機だと修理しないといけないからね。と大矢さんは言う。
「ただまあ、また同じことが起こらないとも限らないし。何が原因で壊れたのか知らないと同じことを起こすだろう?だから私が教えることにしたのさ。んで、その為に必要なのが——」
「モーメントっていうやつなんですね」
「その通り。というわけで、早速始めようか。」
「よろしくお願いします」
そして始まる、大矢さんの物理講習。
目の前に、モーメントの教材モデルが表示される。
「といっても、そんなに難しくは教えないよ」
「そうなんですか?」
「まあ、結局はてこの原理だからね。というわけで樹君に質問です。てこの原理とは何でしょうか」
「あ、ええと。支点と力点の距離に応じて、作用点にかかる力は大きくなる…?」
「はい正解。で、この時の力のことをモーメントって言うのよね。もうちょっと正確にいうと、支点を回転させようとする力のこと。その力を数値化したものがモーメント。ここまでは理解できたかい?」
目の前のAR出力された教材を交えて説明する大矢さん。
「はい」
理解できていたので、僕はそう答えた。
「はいよろしい。んで、このモーメント、回転する力は。てこの原理のシーソーに置き換えていえば、シーソーの右側と左側で釣り合わないといけない」
「何でですか?」
「まあ、モーメントに限らず、物理学は力のつり合いを取るためのものだからね」
「?」
「あー、シーソーの右側にかかっているモーメントを知ろうとした場合、左側のシーソーに力をかければいずれシーソーは水平位置で静止する。その時に左側のシーソーにかかるモーメントを計測すれば、結果的に右側のモーメントも知ることになる。これが力のつり合いで、物理学は基本的にこうやって手元にある情報から手元にない情報を手に入れるためのものなんだよ。そのためには=の右と左で式が成立しないといけないんだ。」
「なるほど」
よくわからん。が、とにかく釣り合いが大事だというのは理解した。
「よろしい。で、話を戻すけど。モーメントの求め方は支点からの長さ×力になる。樹君、質問だ。右のシーソーの中ほどに力がかかっている。右のシーソーとつり合いを取るためには、左のシーソーの端に、どれだけの力をかけたらいいだろう?」
不意に問題を出される。モーメントは長さ×力。右のシーソーのモーメントと左のシーソーのモーメントを釣り合うには、式に直すと。
右のシーソーの長さの半分×力=左のシーソーの長さ×求める長さ
左右のシーソーの長さは同じだから、その半分なら1/2
1/2×力=1×求める力
つまり
「半分の力でつり合いが取れますね」
「その通り!よくできたね」
大矢さんが驚いている。ふふん。僕は別にバカではないのだ。
「とまあ、こういう感じで、異なる二つの力が釣り合うには、その力の比率に応じた距離が必要になる」
僕は頷く。
「じゃあ、ここで問題です。シーソーの右に支点から10mの位置にある1㎏の重りを支えるには、シーソーの左に支点から10㎝の位置に何kgの重りをつければいいでしょうか」
簡単だ。1mは100cm。10mは1000㎝。1000:10は100:1。
「100㎏必要になります」
「はい正解」
パチパチパチと、拍手する大家さん。
「んじゃ、ここから本題。まずはこれを見てくれ」
百錬のデータモデルを出力する。腕の部分がピックアップされ、分解されて肩の付け根部分の詳細が表示される。
そこには大きな歯車と、モーターについている小さなピニオンがあった。
「百錬の肩のピッチ方向に使う…。要は前後方向に回転するためのモーターなんだが、この大きな歯車の半径は大体20㎝だ。OK?」
「はい」
「じゃあ、このピッチ軸から掌までの距離は約2m。ここもいいかい?」
「はい」
「よろしい。それでは問題だ。掌に100㎏の力がかかった場合、大きな歯車の部分には何kgの力がかかる?」
ええと、2m×100㎏=20㎝×求める力。
つまり、200㎝×100㎏=20×求める力。200/20×100=求める力なので。
「だいたい1tくらいですか?」
「正解だ。つまりそれだけの力が歯車のこの小さな歯面で支えられることになる」
わかるかい?と大矢さん。
「人くらい軽く潰れるくらいの力がこの小さな部分にかかるんだ。静止荷重でこれだ。剣を振ったりモノを殴ったり、そんな形でさらに強い衝撃をかけたらどうなると思う?」
「壊れますね」
「そういうこと。今回君たちが破損したのもここだ。剣を振ったり、何気なくやっていることだけど、それをモーターでするのはその部分に非常に負担のかかることなんだ」
「だから、壊れた」
「そう。今度自衛隊の車両で似たような形をしているクレーン車のアームやパワーショベルのアームを見てごらん。全部油圧シリンダーで動かしてるから。モーターは回転運動して継続的に力を出力することには優れているんだけど、力を保持するという点ではシリンダーによるストローク運動の方が優れているんだよ」
「だから、脚部は油圧とシリンダーで動かしているんですね」
「そうだよー。脚部だけはモーターじゃどうしても加重を保持できなかったからね。ついでに衝撃がかかっても、油圧なら油を逃がす回路を作ればある程度の耐衝撃性は持つからね」
モーターだとギアに直接荷重がかかっちゃうと大家さん。
「だからお願いだから、百錬で近接戦闘は極力避けてちょうだい。何が起こるかわからないから絶対にするなとは言わないけれど、仮に殴って壊れるのはまず間違いなくこの肩の部分だから。ここが壊れると殴れないだけじゃなくて銃も撃てなくなる。実質的に攻撃手段を失って何もできなくなるよ」
大矢さんはそう哀願する。
「わかりました」
僕はそう答えた。ここまで詳しく説明されて、拒否する理由はかけらもなかった。
「よろしくね。んで、とりあえずモーメントについては軽く説明したのだけれど。他には何か知りたいものがあるかい?他に何か気になることがあるなら何でも答えるよ」
満足そうに頷いた後、大矢さんはそう言った。
ん?
「何でもいいんですか?」
「答えられることならね」
「じゃあ早速、百錬の装甲についてですけど」
僕は昼間の決闘を思い出しながら言う。
「正面装甲の横に、サイドユニットに挟まれる形で張り出した装甲がありますよね。アレ、格闘戦用のものなんですか?」
山郷さんの操る百錬。軍デレ教司祭の胸部を破壊しようとしたときに、横から突き出した装甲が僕の攻撃の正面装甲への到達を防いでいた。
それのことだ。
「ああ、コレ?」
大矢さんはモデルデータから、該当する部分をピックアップする。
「はい。ソレです」
「ああ、そういえば昼間これが攻撃を防いでいたね。実は違うんだ。本来の目的は別にある」
「そうなんですか?」
僕は驚く。てっきりその為のものかと思っていた。
「こいつの役割は避弾経始を利用した正面横方向からの攻撃に対する有人部位への防御装甲だよ」
「?」
ちょっと難しい単語が出てきた。
「あ、わかってないな。よーしそれじゃあ続いて三角関数のお勉強だ。三角関数は習っているよね」
「あ、はい。数学で」
「よろしい、じゃあ説明しよう。百錬を上から見れば一発でわかるよ」
そう言って、大矢さんはコックピット周りの詳細を断面で表示しなおす。
「この装甲は、正面から横15度から60度あたりまでの攻撃を防ぐためにある。樹君。避弾経始って知ってるかい?」
「いえ」
「よろしい。ま、三角関数がわかるならそんなに難しいことじゃない。まず質問なんだが、直角三角形の三本の線の中で、一番長いのはどこになる?」
「底辺でも高さでもなく、斜めになっている斜辺になります」
「その通り。で、避弾経始っていうのはその一番長い部分で敵の砲弾を受ける行為のことだ。要は敵の攻撃に対して装甲を斜めに当てて、本来の厚さ以上の防御力を得るための技術なんだ。それを踏まえてこれを見てほしい」
先ほどの百錬の上面方向からの図に、コクピットの有人部位。僕たちが搭乗する位置を中心に、放射状に線が引かれる。
「この線は中心から5度間隔で引かれている。言っていた装甲の部分を見てみ」
素直に見る。
「この装甲は40㎜ほどあるんだが、こいつが15度の線上で有人部位への直撃コースを取った場合、避弾経始によってその線上の厚さは大体150㎜になる。」
「150!?」
僕は驚く。本来の装甲厚の3倍以上だ。
「そう。正面装甲の厚さが100㎜くらいだから、そこが一番厚い。30度まで広げても80㎜で約8割の装甲厚がある。それ以上はサイドブロックや腕が装甲の役割を果たすから、有人部位への攻撃は考えなくていい」
わかるかい?と大矢さん
「横方向の装甲を前へ張り出すだけでこれだけの防御力が手に入るんだ。重量に対する効率を考えれば、まともに前面に装甲を施すよりも効率的だ。使わない手はないよ」
大矢さんはそう言った。
「……」
ぼくはそれに対し、何も答えることができなかった。
(何だこの男。一体何なんだ。たかだか装甲一つにそこまで考えて配置するのか)
それは衝撃的だった。MULSに乗って銃を撃って剣で叩き切って。それだけできれば、それでよかった。それだけで僕はトップランカーにのし上がった。
だが、大矢の先の話を聞いて、ちょっと考えが変わった。
MULSを知らなきゃ、いずれ頭打ちになる。
まだまだ伸び代はあるはず。アリーナでランクを競っていた時なら、より上にはまだいける。
けど、ある時を境にそれは止まる。そこから先は、たぶん絶対登れない。
自分の技術だけでは、そこが限界だ。
じゃあ、それ以上を望むなら一体何をすればいい?
たぶん、これが答えだ。
自分の操る肉体を知る。
説明文や情報による受け売りや、実際に乗った時の緩い感覚や経験則だけじゃない。
理屈に基づく絶対解。
それを知ることができれば、よりMULSの限界を知ることができる。
それだけの無茶をしても、MULSならできるというギリギリを見極められる。
それは僕にとって利益になる。
この講習。最初は学校の授業の穴埋めのつもりだった。それなりに知識が身につけばそれでよかった。
だが、今の僕にはそんなこと考えられない。
MULSの全てを理解するには、そこに使われる理屈を知らなければならない。
それは現代科学であり、それを構成する物理学や数学。化学。またはその他。
それを一人で理解しようとするなら、それは多分無理な話。
けど、それを知る機会が今であり、その道の専門家がそこにいる。
「じゃあ、次は何が知りたい?」
大矢さんはそう言う。
その言葉は、先ほどとは全く違って聞こえた。
「じゃあ、次は足回りについて聞きたいんですけど―」
僕は聞く。今を逃す理由はない。
大矢さんの講習は続いた。
英才教育。始まる。
追記
致命的な計算ミスがあったので修正しました。
それはそれでなかなか面白かったので下に残しときます
「2倍の力が必要になります」
「その通り!よくできたね」