2-9 習熟訓練
その後、朝食を終えた僕たちは、そのまま電脳空間へと没入していた。
MULSの操縦訓練だ。先日の話で、MULSの挙動が非常に変わっていることは想定できた。
なので、MULS、百錬の習熟訓練に今日から励むことになる。
電脳スペースで行うのは理由がある。
理由は二つ。
まず、百錬をいきなり実機運転なんてしたらまず間違いなく故障する。僕たちは百錬の運転に慣れていないし、それ以上に百錬が貧弱すぎるのだ。
だから、どれだけ壊れても即座にやり直しできる電脳で、壊しながら練習するのが一番手っ取り早く、そして安価ですむ。
そしてもう一つが重要で、かつ単純な理由がある。
実機がない。
現在、ラインまで作って急ピッチで製造を始めているものの、その製造が始まるまでのスタートがはるかに遅かった為だ。
今ようやく形になって仕上げと、調整の段階らしく、実機が納入されるのは、今から一週間後らしい。
習熟も予定に入れてのスケジュールなのだろうが。実機を用意もせずに送り出すなんて。何とも見切り発車で場当たり的だと思う。そもそも僕らの徴兵も何とも場当たりなようにも感じる。
よほど政府は焦っているみたいだ。MULSの未完成具合もそれを強調している。金や安全よりも、とにかくダンジョン内に入って出てきたという実績が欲しいようだ。
これに失敗すれば、日本の国土の一部を世界にいいようにおもちゃにされるわけだから、当然と言えば当然ではあるのだが。
まあ、それはさておき。
「思ったよりも難しいな。コレ」
僕は百錬に乗ってそう思った。
貧弱、貧弱、とにかく貧弱。
その一言に尽きる。
特に足回りがやばい。
足回りは反応の鈍さが言われたとおりに顕著で、普段MULSを扱うように動かそうとするとついてこない。普段なら回避機動を取ろうとして間に合わなくても、即座に反応して出力するのにそれがない。必ず一泊遅れで反応していて、ただ歩くだけでさえ困難を極める。
おまけに、油圧の出力はゲームに比べて非常に強力で、反射的に全力を出そうとすると文字通りに全力を出してしまう。
その全力がユニット全体に負荷をかけてしまい、その自重と相まってあっという間に駆動系が故障してしまうのだ。
それに気づいて力を抜こうとすれば、今度は反応の遅さが邪魔をして間に合わずにやっぱり破壊してしまう。
理屈ではわかっていても、ゲームのMULSに乗り続けた僕たちには今までのMULSの癖が染みついている。
そう簡単に切り替えができるモノでもなかった。
「樹君。ちょっといいかしら」
そんな感じで百錬の操縦に四苦八苦していると、ミオリさんが足元に来て話しかけてきた。
「はい。何でしょうか?」
「機体の調子を聞こうと思って。どう?MULSはどんな感じ?」
そうミオリさんが聞いてきた。
どんな感じと聞かれても、ふむ、
「異常に筋肉の発達した、臨終間際のおじいちゃんみたいな感じですね」
「な、なかなか独創的な表現ね」
僕の言葉に、若干引きながらそういうミオリさん。
「油圧のパワーが強すぎる癖に動きは遅いし反応も鈍いです。ローラーダッシュがないから超信地旋回もできません。ちょっと待っててください。今そっち向きますから」
そう言ってエッチラオッチラと機体をミオリさんの方に向ける。足の回転方向の稼働は股関節にしか設けられておらず、その可動域は左右に15度ほどしかない。90度旋回するためには3歩ほど足踏みをしなければならないのだ。
「とまあ、こんな感じです。なかなかどうして、ここまでMULSを難しく感じたのは最初のチュートリアルの時くらいですよ」
僕はそう言う。実際、百錬は乗ってすぐに歩こうとして、その反応の遅さで盛大にぶっ倒れたのであながち間違ってはいない。
「そうなの。じゃあ、改善できそうなところはある?もしくは、何か仕様に対しての要求とか」
ミオリさんはそう聞いてきた。この百錬を調整してくれると言っているらしい。
「言って通るんですか?」
「通せるものならね」
その言葉に、僕は少し思案した。
この百錬。思った以上に貧弱だ。だが、それはもうそういう仕様なのでどうしようもない。
だから、その上でどう操作性を上げるかという話になる。
「油圧ユニットにリミッターをかけてください」
「いいの?出力が低くなると思うけど」
「今のままだと、逆に強すぎて負担がかかるんですよ。少なくとも、こっちから調整できるようにはしてほしいです」
「そう。解ったわ、伝えておきます」
「お願いします」
「他にはないかしら」
他にはか…。ああ、あれが要るな。
「圧力センサーを追加でお願いします」
僕はそれを要求した。
突然だが、ちょっと聞きたいことがある
今の自分の体がどんな体勢になっているかわかるだろうか。
多分、ほとんどの人は目視で確認しなくてもわかると思う。
寝転がっている人は自身が横になっていることを認識するし、腰をひねっている人は、その腰のひねりを認識できるし、猫背の人は腰の曲がりを認識できる。
何故そんなことがとは思わないだろう。僕らにとって、それは普通のことだ。
じゃあ、それが無かったらどうなるか。
想像がつかないだろうが、センサーを切ったMULSに乗るとそれがよくわかる。
戦闘に集中しすぎていつの間にか上半身が90度真横に向いており、前進しようとして横方向に突っ走ったり。
膝立ちになっていることに気付かずに、回避機動を取ろうとしてずっこけたり。
保持しているはずの銃が脱落していることに気付かずに、引き金を引こうとして拳を握り締めるだけになったりと、こんな感じになる。
自分の肉体が今どうなっているかを直感的に把握できないため、その時々の最適な行動をとっさに取ることができなくなるのだ。
何で生身の肉体でこんなことが起こらないかといえば、全身に走る神経網が答えだ。
感覚器が体中の各部位に配置され、リアルタイムで信号を受け取り、脳で処理されて今はどういう姿勢だ。どこどこが痛い、どこどこがかゆいといった感覚を僕らは認識できる。
MULSの場合も、同じ処理が要求される。
その為には、各関節や稼働部にセンサーを配置し、コンピュータで処理し、自身の肉体として、デバイスを介して直感的に把握する必要がある。
その為に圧力センサーは必要になる。関節の加重がどうなっているかを把握するためには、圧力がかかるとその圧力に応じて電流が走る圧力センサーはうってつけなのだ。
もっとも、今乗っている百錬にも機体制御用のモニタリングセンサーは各所に取り付けられてはいる。
但し、配置されていない個所もある。僕は、その配置されていない場所へ追加で設置することを要求したのだ。
「圧力センサー?もしかして、手のひらと指先用ですか?」
僕の要求に、ミオリさんはそう答えた。
僕は少し驚いた。
「ええ、そうです。よくわかりましたね」
「他に頼んだ人がいましたから」
「そうなんですか?」
「ええ」
ミオリさんは肯定する。
この要求。普通のMULSドライバーには必要のない要求だ。
僕の場合は万が一の予備のつもりだったが、この要求をしたということは、ある特定の人間に限られる。
「ああ、樹君も格闘技能持ちだったんですね」
不意に意識しないところから声をかけられた。腰の旋回軸ごと旋回し、声のした方を見る。
そこには百錬がいた。AR表示された機体名は“軍デレ教司祭”
「ああ、この人です。同じことを頼んできたのは」
「こんにちは、樹君」
山郷さんだった。おい変態、なんだその機体名は。
「山郷さんも、格闘技能持ちだったんですか」
「ええ。まさか樹君もだとは思いませんでしたが」
格闘技能持ち。
読んで字のごとく、MULSで近接武器を持ち、敵に肉薄して近接攻撃を行える技能を持った人たちのことだ。
100kg近い質量物を振り回し、拳で殴りかかり、体当たりをかましてくる彼らは、その交戦範囲の中では無類の強さを誇る。
何せ、向けた銃は逸らされ、その質量攻撃は装甲をたやすく破壊し、さらにその攻撃の慣性にバランスを崩され、翻弄される。
関節技ができるなら素手で関節を破壊され、衝撃は耐衝撃機構に優れたコクピットすら構わず貫通し、MULSドライバーにダメージを与える。
格闘技能を持たないMULSドライバーからすれば、格闘技能持ちを近づかせるという行為は殆ど撃破されるに等しいのだ。
だが、その技能を持っている。あるいは、積極的に戦闘で使用するMULSドライバーというのは極端に数が少ない。
理由は単純で、その交戦距離の短さによる機会の少なさが原因だ。
ぶっちゃけていってしまえば、銃の方が便利なのだ。
歴史から剣が駆逐され銃が台頭してきたように。剣の切っ先の届かないところから一方的になぶり殺しにできる銃の前には、エクスカリバーだろうがグングニルだろうが関係がない。
MULSの場合、ローラーダッシュによる強襲が可能ではあるが、当然相手もローラーダッシュを搭載しているので距離を保たれたまま射撃される。
近接武器による攻撃が可能な状況になる機会というものが基本的に少ないうえ、そんなことに機体の装備枠を潰すくらいなら、火器の一つでも積んだ方がいいと考える人が多い。
おまけに目標をセンターに入れてスイッチすればいいだけの銃とは違い、全身をすべてコントロールし、目標との測距を正確にし、武器を振る、攻撃を当てるなどしなければならない。
その技能は練度がモノをいう上、使う機会は非常に選ばれる。
そんな理由で、格闘技能持ちになりたがる人はあまりおらず、もっぱらロマンを求める物好きか、勝ちにこだわる努力家か、暇人くらいしかなろうと思わないのだ。
もっとも、重心移動を駆使するMULSの機動性の高さが交戦距離の短さと装甲の薄さを補うための能動的な機動戦術と相まって不意の近接戦闘に陥りやすいため。格闘技能持ちは恐怖の対象として先祖がえりをしているわけなのだが。
「ちょうどいい。樹君。ちょっとお願いがあるのですが」
そう言って、山郷さんは百錬をその場にしゃがませる。
手には実体化させた剣状の武器を持ち、機体の前に構えてこちらによく見えるようにしていた。
「手合わせ、お願いできませんか」
それは、ゲームにおける格闘技能持ちの格闘戦による決着。決闘を申し込むときの合図だった。
「本気ですか?というか、何で僕に?」
「他に手合わせできそうな人がいないんですよ。機体の習熟にも繋がるでしょうし、お願いできませんか」
その言葉に、僕はミオリさんの方を見る。
「いいんですか?やっても」
「構いませんよ。二人の実力を見るいい機会ですし」
ミオリさんはそう答えた。なら、まあ、僕にも断る理由はないか。
「わかりました。お相手させていただきます」
「ありがとうございます」
僕は武器を実体化させる。
右手にシールド。左手には剣状の近接武器。
柄の部分が傘のようにJ形に湾曲し、刀身の根本は片刃なのだが、先端部は両刃に置き換わっている。刃は幅広で中ほどから刃の方に向かって緩く湾曲していた。
刃と言っているが刃のように他より薄くなっているだけで、実際に切れはしない。まあその質量と速度で打ち切るわけだが。
剣の歴史から検索すれば、ファルカタと呼ばれる剣が一番近い。
実際にゲームでもファルカタと呼ばれている。
山郷さんのものも同じものだ。
そして僕のいつもの装備だ。
僕は山郷さんの百錬の前に回り込み、同じように武器を立ててしゃがみ込む。
決闘を受ける時の合図だ。
そこからは言葉はいらない。
お互いに立ち上がり、武器を構え、その武器でお互いの武器を打つ。
衝撃があたりに響き渡る。
それが合図。
決闘の始まりだ。