5-30 生き残って
「イツキ君、大丈夫!?」
心配そうな顔でそう聞いてきたのは、予想通りのミコトさんその人だった。
コクピットから引きずり出され、体の状態を確認され。
僕の五体が満足であると確認でき、ミコトさんはほっとした表情をした。
そして次の瞬間には乾いた音が鳴り響いた。
頬には衝撃。その影響か僕の視界は今までの右方向を向いている。
「貴方は、自分のしたことをわかっているの?」
ミコトさんは僕の頬をひっぱたき、静かな声でそう言った。
ついさっきババアにされた状況を思い出し、僕は少しずつ心の奥底から何かが湧いて出る。
貴方がそれを言いますか。
出てきたのは怒りだった。
いつもいつも、同じことをやっているミコトさんの言葉。ダブルスタンダードって知ってます?貴方自分が何やっているかわかってないの?
よろしいならばお仕置きだ。これはお仕置きが必要だ。言って聞かんなら物理的にお仕置きだ。その体にしこたま教え込んでやる。
僕はそう決心し、ひっぱたいたミコトさんの方を向き、睨み付け。
そしてその怒りを強制的に霧散させられることになった
「私は貴方に命を賭けてほしいと思ってない」
ミコトさんはそう言う。しかし、僕の怒りがかき消されたのはその言葉が原因じゃない。
その原因はもうちょっと直接的。僕はあるモノを目にしたからだ。
そのモノは、ミコトさんの両目の端から湧いて出た。
それは涙だ。目からあふれ、頬を伝い、その勢いは止まらない。
ポロポロポタポタボッタボタと見る間に勢いを増していくその涙を見て、僕は怒りを持つどころではなくなってしまった。
そしてミコトさんは泣きながら、しかし目をしっかりと開けて僕の方を睨み付ける。
僕はその瞳から目を離せない。
「貴方の命は、そう簡単に捨てていいものじゃない」
ミコトさんは言葉を続けた。
僕はその言葉を聞きながら、僕の怒りが静まった原因を探していた。
あのババアとミコトさんのやっていることは同じだ。だから、僕も同じように怒った。
けど、今の僕はこうだ。この差は一体どこにある?
その原因はすぐに見つかった。
その原因は、こぼれる涙。
「私は貴方に死んでほしくない」
そして、その涙がこぼれる理由だ。
あのババアは何を理由に怒ったのか。
それは僕があのババアの言葉を聞かなかったから。
あいつは僕が言うことを聞かないことに怒った。
じゃあ、ミコトさんは?
彼女は僕が命を捨てに行ったことに怒った。
つまりは僕に死んでほしくないと思っているからだ。
そして、その証として涙がこぼれた。
怒る理由は同じでも、その原因は全く違う。
納得だ。これじゃあ怒ろうにも怒れない。
ひっぱたかれた怒りよりも、心配してくれたという嬉しさの方が強いからだ。
「―-それは、僕も同じなんだけどね」
それでも、納得できない部分を、辛うじて口にする。
とりあえず、これだけは伝えないといけない。
「それは……イツキ君!?」
そしてそこまでが限界だった。
膝から力が抜ける。体が下に落下する。僕にはそれを支えられない。
僕は膝から地面に頽れた。
先の戦闘の衝撃が今になってやってきた。
なんせ、10t超えのMULSが宙に飛ぶだけの衝撃を真正面から受け止めたのだ。コクピットには搭乗者を守るための保護装置があるが、その機能でも吸収しきれなかった衝撃は僕が全て受け止める羽目になった。
死ぬほどじゃないが、それでも立っていられないほどにはキツい。
「イツキ君、大丈夫!?」
「大丈夫、死ぬほどじゃないから」
先ほどの怒りも忘れ、心配してくるミコトさんにそう言う。
ただ、立つのは無理だった。その場に座り込む。大丈夫、少し休めば回復する。
「……………」
そんな僕の様子を、ミコトさんは黙ってみていた。
そして、おもむろに背後に回り込む。
「? ミコトさん。どうしたの?」
その不可解な行動に、僕はミコトさんにそう聞いた。
ミコトさんは応えない。無言で背後に回り込む。
「え?うわ!」
そして、首根っこを引っ掴まれて、そして引っ張られた。
僕はその力に抗えず、その上半身を後ろへと傾けさせた。
倒れる。体が後ろに引き倒される。体は地面に倒れ、砂に似た感触がスーツ越しに感じられる。
そんな中で、頭だけは何か柔らかいものに乗せられたことに気付いた。
「あの、ミコトさん。これは一体?」
それは俗に言う、膝枕という代物だった。だけど、なぜ今?
視界に逆さに映るミコトさんの顔を見ながら、僕はミコトさんにそう聞く。
ミコトさんの顔は、泣いたままだったが、しかし困ったようしながらもこう答えた。
「前、言ってたから…」
「えと、何を?」
「勝手に動いたら、膝枕って」
僕は思い出した。確かにこの間、大矢さんと二人でミコトさんをいじっていた時にそんなことを約束した覚えがある。
冗談のつもりだったが、覚えていたらしい。
「そっか」
拒否する理由もなかったので、膝枕の柔らかさを堪能することにした。
幸い敵は湧いて出ないし、近くには関のMULSもいる。そう時間も置かずに、救出に来る大矢さんもいる。
とりあえずは、一休みができた。
「……何で」
手持無沙汰になった為か、僕の髪をいじくりながらミコトさんが口を開いた。
「何で、イツキ君は私にそこまでするの?」
言葉の意味は疑問。それに対する返答は明確だった。
「ミコトさんに死んでほしくないからね」
「それは、どうして?何でそう思うの?」
僕の言葉に再度問うミコトさん。僕の行動の、その根本にあるものが何なのか、それを知りたいらしい。
僕は少し考えた。さて、ミコトさんのためにそこまでする理由は何なのか。
命の恩人だからというのはもちろんある。だが、それだけでここには来られない。
「………ミコトさんがまともだから」
「私が、まとも?」
「そこに疑問を持ってくれて僕はうれしいよ」
べんっ。
撫でられていた手が僕の顔をひっぱたいた。
慌てて何度も謝る。
「ごめんごめん、ごめんなさい!」
「…何で、私がまともなの?」
叩くのをやめて、再び問うミコトさん。
「人のために必死になれるのは、まともなことでしょう?」
そのミコトさんに、僕は本心からそう言った。
ミコトさんは首をかしげる。うまく伝わらなかったらしい。
僕は苦笑しながら、言葉を続けた。
「ミコトさんはさ、町が襲われそうだからって、命令も無視して飛び出したことあったよね」
「う、うん」
「あんなことを、やろうと思ってできる人はもういないもの」
今の社会で、人のために必死になって何かをできる人というのはもう過去の存在になっていた。
ゼロになったとは思えないが、しかし目に見える形では、居るとはとても思えなかった。
何故そう思うのかといえば、それは僕がいじめを受けていたから。
正確には、その間に誰も助けてくれなかったから。
僕に関わるととばっちりを受けると、その目をそらして僕に対する暴力を見て見ぬふりをし続けた無関係の第三者たちのその行動。
僕の目に映ったのはそれであり、それが大多数の行動であり、そしてそれがこの国の教育の結果であり、そんな彼らこそが成長し社会へと羽ばたいていく。
大のために小を切り捨てる。それを学んだ人間がこの国の大多数。
小を救うために動く人間は、多いものだとはとても思えなかった。
だが別にそれを悪い事だとは思わない。
自己保存は最優先であり、彼らの行動は自分の身を守った結果。
暴力主義の乱暴者から自分の身を守るために必要な行動だった。
それを悪だとは言う気はない。
ただ、そんな中で人のことを心配し、人のために行動することができるミコトさんは、僕の目にはとてもまともな人に見えた。
たとえそれが、自責の結果であっても、命令無視を重ねることであってもだ。
何故なら、僕にとってはそれはとても強い憧れの対象だから。
「それは、イツキ君も同じなんじゃないの?」
そんな僕に対し、ミコトさんはそう言う。
人のために動くのは僕も一緒だと。
「僕?ないない。それは無い」
僕はそれを一笑と共に否定した。
勿論理由はある。
「僕は絶対まともじゃない」
「何故?」
「僕の常識は壊れてるもの」
それが僕の理由だった。
話し合いで解決しましょうと言うのが常識、助け合いも常識。
それは僕の中の常識で、しかし現実はそうじゃなかった。
殴って言うことを聞かせればいいし、見捨てて当然。
そんな環境にいたのが僕で、そしてそれにひざを折ったのが僕だった。
死にたくないと暴れまわり、暴力主義を受け入れたのだ。
その時に僕の常識は壊れてしまった。
話し合いが大事な僕の常識は、しかし現実には通用しなかった。
暴力はとても受け入れることはできなかったが、使うとなると便利だった。
僕の中にはこの二つの常識が同居し、しかし相反する主事のためにお互いを否定しあう。
僕の中にはどっちもあった。平和主義を信じ、しかし暴力主義に走っている。
自分が信じたものは役に立たず、使っているモノは唾棄すべきモノ。
そんな自分が、常識的だとはとても思えなかった。
「だから僕はミコトさんのために動くのさ」
僕にとって、ミコトさんの行動は自分の思ったことが正しい事なのだと、そう信じるために必要なことだった。
そんな彼女を見捨てると、僕は本当に暴力主義の僕になる。
死なせるわけにはいかない。いや、絶対に死なせちゃいけなかった。
だから僕は付いていく。ミコトさんが正しいと思ったことを実現するため。僕の考えが正しかったと思うために。
「……そう」
僕の言葉に、ミコトさんは簡潔にそう答えた。
その言葉の意味は解らないが、少なくとも僕のことは否定されなかった。
「無理無茶無謀に全力で突撃するのはもう少し何とかしてほしいんだけどね」
「それは………」
「まあ、聞く気がないなら僕がその前に立って突っ走るだけなんだけど」
「……諦めない?」
「ああ、諦めない。ミコトさんに許すのは、生きて生きておばあちゃんになって、孫に囲まれて死ぬことだけ。それ以外は絶対に許さないよ、やってみなよ。徹底的に邪魔してやる。ふははははははは」
「もうっ」
べんっと再び頭を叩かれる。痛みはそこまで感じなかった。
僕はミコトさんの膝から体を起こす。体は大分回復していた。
遠くからMULSの駆動音。そしてライトの光源が複数個。
永水さんたちの救出隊だ。
僕は立ち上がり、ミコトさんに手を差し出した。
「とりあえず、今日は帰ろう?」
今日も、明日も、これからも。
そう言えるように生きていきたいと。僕は願い、手を差し出す。
ミコトさんはそんな僕の考えは読めないだろう。
「…うんっ」
けど、それでもそう応え。ミコトさんは僕の手を取ってくれた。
遠く、明日のための光が。僕たちを照らし出していた。