5-23 善意に涙は流れるか
「……?」
相手の様子に、僕は少しだけ疑問を持った。
僕が攫われてから数時間。未だに警察がここを特定できてはいないが、しかしそれだって時間の問題だ。
だというのに、未だにゆっくりと話し合いを続けている。
「ふふっ」
むしろ、先ほどから少しだけ含んだ笑いを続けている。
「何がおかしいんですか?」
「ああ、いえ。大したことじゃないんですよ」
そうは言うが、その含み笑いは今この場で無視するには難しいほどに不自然だった。
「そんなことより、いい加減私の話を理解してはくれませんか」
「無理ですよ。無理に決まっているでしょう」
「何故ですか?」
不気味にニコニコ笑う女の言葉に僕は少しだけ思案する。
信用できないということだけは簡単だが、そんなこと知ったこっちゃないだろう。
だからちょっとだけ言い方を変える。
「あんたらの話が正しいかなんてわからないし、政府の裏がどうなっているかなんて言うのもわからない」
つまり、こいつの主張も政府の発表もとりあえず信用しないでおくとする。
「ただ、今一つだけわかっていることがある」
「それは何ですか?」
「あんたら人攫い」
こいつらは車をぶつけ、同意も得ないまま拉致して僕に対してあることない事を吹き込んでいる。
「犯罪者のいうことなんて信用できるわけがないでしょう?」
それは正しい事だとは言えなかった。個人的には、それは説得ではなく洗脳と言い放ちたい。
「そうですか」
僕の言葉にも女は一切動じない。
「解っているんですか?貴方は自分が何をしているのか」
「騙されたままの貴方に言われても。貴方こそ自分がどんなひどいことに巻き込まれているのかを理解してください」
コイツは自分がバカだと理解出来ないらしい。
僕は呆れたが、それも彼女の次の言葉には顔を引き締めざるをえなくなった。
「まったく。貴方よりも彼女の方がよっぽど物分かりがいい。頭は良いのだから最初から正しい事に使えばよかったのです」
その言葉に、僕は一瞬気を取られる。そしてその言葉の意味をすぐに察するに至った。
その言葉の中にある“彼女”。その言葉の対象は、ミコトさんだ。
「あんた、一体ミコトさんに何をした」
「何もしていませんよ」
この女はそう言うが、こいつらの『何もしていない』ほど信用できることなんかない。
「本当に何もしていませんって。ただちょっと、イツキ君が元気だということを画像付きで送ってあげただけです」
その言葉を聞いて、こいつらが何で笑っていたのかを僕は理解した。
「ミコトさんに人質の画像を送り付けた訳か」
「人聞きの悪いことを言わないでください。私にそんなつもりはないです」
「アンタにそんなつもりが無くても。相手はそう受け取りますよね。それを期待したんじゃないんですか」
「そんなつもりは全くありませんよ。ただ、イツキ君のことをこんな手段を使わないといけないほどに追い詰めたのは誰か、教えてあげただけです」
その言葉を聞いて、僕の頭はどうにかなりそうだった。
頭に血が上ろうとしたり、逆に血の気が引こうとしたり、そのどちらをすればいいのか、実際にどっちが起こっているのかわからないほどに僕の頭からは意識が遠のく。
この女、分かっててわざと送り付けていやがった。
「………それが目的か」
ようやく絞り出せたのは、そんな言葉だった。
「何のことです?」
「アンタらが僕をさらったのは、ミコトさんに死んでもらうためなんだろう」
「人聞きの悪いことを言わないでください。大体、その画像を送ったからってあなたは彼女が何をするのかわかっているんですか?」
「ダンジョンに一人で飛び込んだんでしょう?」
僕の言葉に、一瞬だけ息をつめたことを僕は見逃さなかった。
だろうな、ミコトさんならそうする。
伊達に出会ってからずっと一緒に生きていない。彼女の心境は理解できないが、行動パターンくらいは予測がつく。
そして、それがこいつらの目的だったわけだ。
だから派手に僕を攫った。派手であればあるだけ、ミコトさんの元に話が行く。
ここ最近のバッシングで参っていたところにこれだ。効果は絶大だ。
それがこいつらの目的だった。
「だからって死んでほしいとまで思ってませんよ。それに、普通の感性を持っているなら、自分の責任を取ろうというのは普通のことでしょう?」
「だから死ぬ危険くらい背負えと?」
「生きて帰ればいいんです。難しい話じゃないでしょう」
簡単に言ってくれる。それがどれだけ難しい事か知らないくせに。
「どうしたんですか?」
女は僕にそう言った。僕が椅子から立ち上がったからだ。
「基地に帰るんですよ。ミコトさん救出に行かなきゃいけないんで」
こいつらと話合う時間はもうない。
そんなことより、早く基地に帰ってミコトさんのところに行かなきゃいけない。
だが、こいつらはそれを許さない。
僕の後ろに立っていた男が帰ろうとする僕を押さえつける。
「離してくれませんか。もうここに僕がいる理由は無いですよね」
「落ち着きなさい。貴方にそんな義務はないわ」
「何を言って———」
言葉は最後まで続かなかった。
軽い音が響いた。僕の首が横を向き、頬には衝撃。
首を戻すと、手を振りぬいた姿勢の女。
僕は彼女にぶたれていた。
「いい加減に目を覚ましなさい!」
彼女の口から放たれたのは怒声だった。
「自分の命を大切にしなさい!貴方の命はそう簡単に捨てていいものじゃないのよ!何でそれがわからないの!」
そして続けられるその言葉。
僕の命を案じる大変貴重なお言葉だ。涙が出そうだ。
「―ふざけんなよ貴様」
実際に出てくるのは怒りだが。
「何を怒っているの?貴方に怒られる道理はないわ」
「人を攫って、更に死ねって言っておいて怒るなと?人を馬鹿にするのもいい加減にしろ」
「貴方に死ねなんて言ってないわ」
「ミコトさんには死ねっていうんだろう?生きて帰ればいい?僕には死ぬからダメだって言っている場所に追い込んどいて何言ってるんだアンタ?ふざけんなよ」
「彼女はそれだけのことをしたわ。その責任を取ってもらうだけ」
「つまり死ねってことだろうが。その考えはおかしい」
「それは貴方が彼女たちに洗脳されているからよ。落ち着いて。目を覚まして」
「断る」
「お願いだから目を———」
「断る!」
僕は女の言葉を遮ってそう吠えた。
「仮に僕が洗脳を受けていたとしても、あんたの主張はおかしい。ミコトさんが死んで良い理由にはならない。彼女が居なくても、他の誰かが作っていた。それに僕が巻き込まれても、僕がそれを理由に見殺しにしていいわけがない!責任の取り方は他にある!死ぬことじゃない!」
「―――――――」
僕の怒鳴り声に、女は言葉を失った。
「どうしても、自分が洗脳されていると認められませんか」
そしてそう言う。
「あたりまえだろ」
僕は当然。そう答えた。
「そうですか――――」
その返答に女は一瞬だけ悲しそうな顔をし、
「でも大丈夫、そんな貴方でもちゃんと受けられる治療があります!」
満面の笑みで、僕には不気味にしか見えないその笑顔で、女は僕にそう言った。
女の言葉を聞いて、二人の男が動き出す。僕を机に押さえつける。
その間に、女はどこからかとある装置を取り出した。
それは手作りであろう、お手製の四角い箱だった。一面にはメーターとつまみがあり、その箱からは3本の線が伸びている。
一本は室内の電源に接続され、残りの二つはその先端にむきだしの電線が見えるだけのコードだった。
僕はそれを見て、表情をこわばらせる。
「お前ふざけるな。それが何かわかっているのか」
「そんなにおびえなくても大丈夫ですよ。ただの電気治療器ですから」
女は屈託のない笑みでそう言った。
「みなさん最初はそうおびえるんですよ。でも大丈夫です。うつ病の治療とかにも使われる実績のある治療法ですから。これさえあればちゃんと治ります」
女は無邪気にそう言う。
だが、される方はたまったものじゃない。この電源装置は国の安全基準を満たしていない自作品だろう。この女のことだ。政府の言うことは裏があると思っているに違いない。
安全基準を満たしていないということは安全ではないということだ。当たり前だ。
僕が受けたことのある電気治療、聞いてみるとその電流は1ミリアンペア以下らしい。
「ふざけるな、一体どれだけの電流を流すつもりだ!」
「大丈夫ですって、ほんの30ミリアンペアですから」
実に30倍である。冗談で聞いた看護師さん曰く「そんなの流したら筋肉が壊れる」そうだ。
「ふざけんな、離せ!」
喰らってられない。逃げようと暴れるが、男たちは押さえつけて離さない。
「だから大丈夫ですって。ちょっとビリってしますけど、受けた人はみんな治ったんですから」
そりゃ、あんたらからすればみんな従順になったでしょうよ。
僕は暴れる。逃げられない。その間にも電極は伸び、そして僕の体に取り付けられた。
「イツキ君が目を覚ましてくれれば、こんなことしなくても済むんですけどね」
取りつけて、女は僕にそう言った。
「…自分がおかしいとは思わないんですか」
最後の最後。僕は彼女にそう聞き、彼女はそれが答えだと認識した。
「そうですか、それじゃあ仕方ないですね。大丈夫、終わったら世界が変わって見えますから。」
そう言って、女はスイッチに手を伸ばした。