ある寒い雨の夜
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私––––マリー・スパンダムは、山間のある小さな街でカフェを営んでいる。
店は常連客が数人来る程度で暇だが、特に生活に困っているわけでもなく、贅沢さえしなければ十分に暮らしていける、どこにでもいるカフェの店主だ。
このまま何も変わらない日常を営んでいくのだろう……そう思っていた私の目の前に、彼女、シエラ・ロゼッタは現れた。
「お願い、お腹が空いているの」
それは雨の降る寒い夜のことだった。
あまりにひどい雨なので、流石にもう店仕舞いしようと看板を片付けていた私の目の前に、彼女は現れたのだ。
声は枯れていて、息は絶え絶え。本来は美しかったのだろう金髪はボサボサに荒れ狂い、艶もなく、髪の色すらも変わっている。
着ている服も、何度も着古したような薄汚れたワンピースだけだった。そんな、到底人前には出られないような姿をして、その少女は必死に私に訴えかけてきた。
「何か食べるものをもらえませんか? もう何日も食べていなくて……」
「た、食べるものね……」
看板を片手に持って。少女を見定めながら、私は少し、逡巡した。
彼女がお金を持っていないのはすぐに見て取れたし、代わりに何か出来るとも到底思えなかったからだ。
慈善事業じゃないので、すぐにハイそうですかと受け入れるわけにはいかない。けれど。
「まあ……いいよ。入りな」
けれど私も鬼ではない。
雨の夜、こんなひどい格好をした娘を放り出したとあれば、死んだ後地獄に落とされたって文句は言えないからね。私は彼女をカウンターに座らせ、なけなしの人情を奮い起こして簡単なスープを作ってやった。
その時の彼女の様子は忘れられないよ。何日も食べていなかったようで、獣のように飛び付き、スープは一瞬でなくなった。
いい食いっぷりだったので残っていたパンと、2分で作ったサラダも出してやったらとても喜んでいた。それを見て私はなんだかいいことをした気分になった。
お腹を満たして落ち着いた彼女は、お金を持ってないことに今更気がついたようだ。だが、私もそんなことは知っていたので、別にいいと答え、その日は彼女を店に泊めることにしてやった。
「ほ……本当にいいの?私、だって……」
「気にするなっての。ただ、明日には帰りなよ」
「え、ええ! もちろん! ありがとう!」
彼女は困惑していた。私にお礼を言いたいような、申し訳なさそうにしているような、どこか怯えた態度だ。
だがまあそんなものだろうと私は思った。このご時世他人に無償の恩を受けることは少ない。特に彼女のような格好をしている娘はそうだ。
だからただ戸惑っているのかもしれない。私はそう思ったんだ。
––––しかし私は気づいていなかった。あの日……あの時の私の選択が、彼女の運命を大きく変えていたのだと。
ならば私も既に「当事者」の一人ではないだろうか? と、私は勝手に思うわけだ。
そして当事者の一人として、私は語らなければならない。彼女、侯爵令嬢……のちに「悪役令嬢」なんて呼ばれることになる、シエラ・ロゼッタの数奇な運命を。