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ワルプルギスガーデン  作者: 藤村灯
ワルプルギスガーデン
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ジジ・刃渡

 ざらついた物が頬を撫でる感覚に、アスキスは意識を取り戻した。

 目を開けると、頬を舐めていた仔猫がぴょんと飛び退いた。


 全力を出し切って、わずかな間気を失っていたらしい。

 制服の肩は破れたままだったが、異形の器官は消えている。

 白い羽根はまだ辺りに散らばっていたが、見ているうちに淡雪のように消えてなくなった。


「お前にも無理させたか。ありがとな」


 ものみが取り込んでいたハスターの欠片も、魔力に変換し奪ってしまったのだろう。

 頭を撫でてやろうとした手はかわされ、ぺしりと前脚で叩かれる。

 可愛げがない。無理やり捕まえて喉元をくすぐってやる。


「さっきの打ち明け話は、あたしにじゃなく、朱鷺乃(ときの) に直接聞かせてやったほうがよかったとは思うけどな」


 語り合うことのできる姿になれたからといって、必ずしも理解し合えるわけではない。

 元の姿に戻ったものみを見て、朱鷺乃が喜ばないはずがない。

 仔猫らしく自由気ままに振る舞って、以前のように可愛がってもらえばいい。

 そのうち、誰かの代わりじゃない、自分達だけの絆に気付けるだろう。


 アビゲイルの工房は完全に瓦礫の山に変わっていた。

 生家より長く過ごした馴染みの部屋だが、いずれ無限回廊に飲み込まれ、痕跡も無くなるだろう。

 名付けたばかりの使い魔・ルールーは、手持ち無沙汰な様子で浮かんでいる。


「あたしの心臓。これは、銀貨がやったのか?」


 アビゲイルの魔術で垣間見た、自らの異形の心臓。

 今はいつもと変りなく、アスキスの胸の中で脈打っている。

 肩に形成された器官は、この心臓の影響か。



 銀貨。


 人類の最適解。


 ほんの数回逢っただけ。

 それでも、何よりも強く今のあたしを形作ったひと。

 彼女と過ごした最後の5日間は、淡い黄色の穏やかな温もりで。

 今もあたしの胸の奥の柔らかな部分に息づいている。



「ほんとに、生きて……るんだな」


 泣き出したいのか笑い出したいのか。

 自分でも整理しきれない衝動がこぼれ落ちないように、アスキスは強く胸を抑える。

 伝わる心音は、彼女と繋がる確かな証だ。


 巻き添えの形で強い抱擁を受けるものみが、腕の中で抗議の声をあげる。

 いいからお前も、黙ってあたしの幸せの分け前に預かっとけ。


「何事ですの、これは」


 聞き覚えのある声に顔をあげると、行方知れずだった雇い主の姿。

 朱鷺乃はおっかなびっくり、工房だった空間へ足を踏み入れてきた。


「無事だったのか! ずいぶん探したぞ。いったいどこほっつき歩いてたんだ!?」

「あら。あらあら! 元に戻れましたの?」


 アスキスの問いに応える前に、朱鷺乃は走り寄る仔猫を抱き上げ頬をすり寄せた。


「ほらな、ものみ。あたしの言ったとおりだろ」


 双方の戸惑いに触れていたアスキスだったが、再会を喜ぶ一人と一匹を前に、そのことは自分の胸にしまっておくと決めた。


 浮かべていた優しい表情は、朱鷺乃に続いて現れた二人目の人物を目にした刹那、警戒に変わった。


「なんで()()()()()にいるんだ?」


 雑に伸びた黒髪。

 黒のタンクトップに同色のスパッツ。

 商店街で会った行き倒れの少女だ。


「私がこの迷路に迷い込んで困っていた時に、偶然再会して助けて頂いたんですの」

「そんな偶然があるもんかよ!」


 身構えるアスキスに、黒髪の少女――ジジとかいったか――は、ほんの少し眉をひそめて見せる。

 困ったようにも、気を悪くしたようにも見える表情。

 いろいろ仕掛けのありそうな街だ。百歩譲って偶然無限回廊に紛れ込む生徒もいるのかもしれない。

 だが、それがさっき会ったばかりのこの少女というのは、偶然というにはあまりに出来過ぎだ。


「お待ちなさいアスキス。この子は敵じゃありませんわ。もしそうなら、私を貴女と引き会わせたりはしないんじゃなくて?」


 ジジは構えもせず、どこか他人事のように困り顔を続けている。

 何かを待っているような間が、アスキスを苛立たせた。


「それより、貴女のほうは無事ですの? 何か色々あったようですけど」


 アビゲイルのことをどう話すべきか。

 朱鷺乃の父、紅劾こうがいを殺したのは、ヤツの差し金で間違いがないだろう。

 ここで「知らなかったが、あんたの父親を殺したのはあたしの師匠だ」と聞かせて、受け入れてもらえる話か。


 どう使うつもりだったにせよ、アビゲイル亡き今となっては、“鍵”はアスキスにとって必要なものではない。

 喧嘩別れになってしまったとしても、朱鷺乃には正直に話しておくべきか。


「ここはあたしの師匠の工房……だった場所だ。今さっき、派手な師弟ゲンカが済んだところさ」


 だが、口に出たのは当たり障りのないセリフだった。

 打ち明けるにしても今じゃない。この無限回廊を無事に抜け出し、お互いもう少し落ち着いてからだ。


「そうですの……」


 何かを察したのか、口籠る朱鷺乃。

 ぎこちない空気が漂う中、会いたくはなかった三人目の人物が姿を現した。


「なに? あんた先に二人とも見付けちゃったワケ? これじゃあわたし、骨折り損じゃない」

「お前は!!」


 ぼやきながら瓦礫を踏み越えるのは眼帯の魔女エステル。

 黒犬を一頭従えている。


 アスキスは、ものみを抱きかかえた朱鷺乃を背後に庇う。

 連戦だ。切り抜けられるか?


「……大丈夫、朱鷺乃を傷つけたりはしない。さばき所長の指示……」

「慧士郎の?」


 どこか茫洋としたままのジジの言葉に、朱鷺乃が動揺を見せる。

 こいつらは神智学研究所しんちがくけんきゅうしょの指示で動いているのか。


「慧士郎と直接話せるのなら、“鍵”をお渡しするにやぶさかじゃありませんわ」

「おい、ちょっと待て朱鷺乃。あんたはそれで良いのか?」

「慧士郎なら信用できます。それに、何に使うとも分からない鍵より、私にはお父様の死の真相について伺うほうが大事ですわ」


 朱鷺乃の言葉に、エステルは意外そうな表情を浮かべる。


「なんだ、まだそんな話してんの? 紅劾を殺ったのは、アビゲイルの使い魔でしょ?」


 朱鷺乃の表情が強ばった。


「どさくさ紛れにうまいことやって、わたしらの上前跳ねるつもりだったんでしょうけど、弟子に裏切られるなんて詰めが甘いね」

「……アスキス、知ってましたの?」

「……………………」


 いま知ったばかりだと言って信じるか?

 探索の目的を果たしてしまった朱鷺乃にはもう、アスキスと組む理由がない。

 父親の(かたき) の弟子。

 この場で朱鷺乃の敵なのは、神智研ではなくアスキスの方だ。


「朱鷺乃、あたしは――」

「鍵さえ渡せばわたしが安全な所に連れてってあげる。そっちの半人前。ついでにあんたにも来てもらうよ!」


 エステルが黒犬に狩りの指示を出すべく身構えた瞬間、ジジがその前に割って入った。


「あなたは朱鷺乃を連れて先に行ってて。この子はわたしが連れてゆく」

「言ってくれるじゃねぇか。やれるもんならやってみろ!!」


 どれだけの自信があるのか。

 気負いもせずに言ってのける態度に、アスキスは苛立ちを覚え吐き捨てた。


 判断が付かないらしい朱鷺乃は、後ろに下がりアスキスからも距離を取る。


 切り抜けたら全部話そう。

 納得できるかどうかは朱鷺乃次第だ。


 魔力を込めた黒曜石は残っていないが、地力は格段に上がっている。

 それに、今は使い魔もいる。やりようによっては切り抜けられるはずだ。


「ルールー!」


 使い魔を介して、ジジの横合いから圧縮した空気弾を放つ。

 ジジはそちらに目も向けず、手にした短剣で切り裂いた。


「ちッ! どこから出しやがった!?」


 飾り気のない半透明の刃を持つ短剣。

 この感覚には覚えがある。天屍てんしの羽根――高密度のエーテル体か!


 短剣を投げつけアスキスに駆け寄るジジ。

 アスキスが手に風を纏い付かせ弾き飛ばすも、ジジの手にはすでに二本目の短剣が現れている。


「クソッ! こんなことなら、ダサくても儀式用の短剣か仗を持ち歩いとくんだったな!」


 真後ろからのルールーの空気弾。

 ジジはターンし、かわす動きでそのまま斬り付ける。

 刃を受けた使い魔は、虹色の球体を弾けさせながら姿を消した。


「ルールー!? 畜生ッ!!」


 使い魔の心配をしている余裕はない。

 手足に風を纏わり付かせ刃を凌ぐも、決定打を撃つ隙が見付からない。

 何度か短剣を叩き落とすのに成功しても、ジジの手には即座に新たな得物が現れる。

 かわし切れずに受けた傷で、アスキスの白い制服は赤く染まってゆく。


「何なんだお前はッ!?」

「……あなたは覚えてない」


 腹に蹴りを受け、倒れた拍子に着いた左手を、そのまま短剣で床に縫い止められる。

 少し困ったような表情のままのジジの背後に、ぼんやりと、巨大な手のような物が浮かんでいるのが見える。


「お止めなさい!! もう十分でしょう!?」


 叫んでいるのは朱鷺乃か。


 風を放とうと振り上げた右手も、二本の短剣で縫い付けられる。

 痛みもダメージも無視し、構わず引き抜こうとするアスキスの脛に腿に肩に背に腰に。

 次々と短剣が突き刺さってゆく。


「アスキスッ!!!」

「畜生……畜生ッ!!」


 朱鷺乃の悲鳴。

 歯を食いしばり、滲む視界で睨み付けたジジの顔は、何故だか泣き出しそうに見えた。

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