カレーを作ろう
コンクスを出発してからの道のりは順調に進んでいる。
途中に小さな町があったが特に必要なものも無かったので素通りをし、今はベルニという小さな農村にいる。
ここの小川のほとりにテントを張らせてもらい今夜はここで野営することになった。
村長さんは家を一軒開けるから使ってくれと申し出てきたが、村の人達に迷惑をかけるわけにもいかないのでバルサさんが丁重に断った。
エリサも野営には慣れてきたところなので特に問題は無かった。あえて言うなら夜になると虫が沢山飛んできて気持ち悪いことくらいだった。
「きゃ〜〜」頭のてっぺんを突き刺すような声で叫び走り出すエリサ。
「あぁ…待って下さいエリサさん!」慌てて追いかけるエレナ。
「は、はやくぅ〜」何かに怯えうずくまるエリサの元にやっとエレナが駆け寄り追いついた。
「もぉぅ、こんなに真っ白なシャツを着ているからですよ〜、今、取りますから着替えてきた方が良いですよ」エレナは落ち着いた態度でエリサの背中と帽子に付いているカナブンやキリギリスを一匹づつとっている。
「ぅぅ…エレナちゃんは平気なの?」涙目になってくるエリサ。
「はい、小さい頃は弟が毎日のように獲ってきていましたから慣れちゃいました」
「ありがとう…ちょっと着替えてくるね…」大量の虫達に怯えながら荷馬車へ向かうエリサを他の兵士達も笑いながら見ている。
そんな兵士達にエレナも気がつき困ったように微笑んだ。
山を下りてからは気温も湿度も高くなり虫達の数も増えてきた、さらに草木の多い農村ではなおさらひどいことになっている。特に白い服など着ていれば虫を呼んでいるようなものだ。
「いやいや、毎日賑やかで良いですね〜」小川の土手で夕陽を眺めているバルサの隣に腰掛けカロンがにこやかに言った。
「はは、こんなに楽しい移動は初めてだよ」バルサも楽しそうに答えた。
しばらくするとエリサが戻り、その姿を見て夕食の準備をしているエレナの手が止まった。
「はあ……そこまでしなくても…」
「これで完璧よ!」そう言ったエリサは全身黒ずくめの服装で戻って来たのだ、黒いシャツに濃い茶色のズボン、ベージュの帽子を外して黒い布をバンダナのように頭に巻いている。さらに首周りには薄手の黒い布をスカーフのように巻きつけていた。白い肌の手と顔だけがやけに目立つ格好だ。
そんなエリサを呆れた顔で見るエレナを気にもせず調理は再開された。今夜は約束通りカレーを作るのだ。
「さぁエレナちゃん、作るわよ」
「あ、はい」
今日作るのはチキンカレーだ。しかもこのために昼間は鶏肉料理を作り、その骨やくず肉を使って鶏の出汁を作っておいたのだ。これで美味しいカレーを作れなかったら恥ずかしい。
「スパイスは用意してある?」エリサがエレナに確認する。
「はい、ここに!」スパイスは全て粉末状になっているものを使うことにした、クミン、ターメリック、カルダモン、コリアンダー、チリパウダー、クローブ、シナモン、全てエリサに言われた分量を混ぜてある。
「じゃぁまず始めにみじん切りにした玉ねぎ、ニンニク、生姜をゆっくり炒めてちょうだい」
「はい」エリサに言われた通りに作業をするエレナ。次第に玉ねぎの甘い香りが辺りに漂い始める。
エリサの指示するタイミングでスパイスも入れて炒め始めると今までに嗅いだことのないエキゾチックな香りが立ち始める。
初めて嗅ぐ香りに兵士達がエリサ達の方をチラチラと見始める。時折不思議そうな顔をして背後を通過する人もいたが特に気にせず調理に集中した。
少し焦げ付きそうな香ばしい香りが出てきたところでトマトと昼間作った鶏の出汁を入れてしばらく煮込む。すでに辺りは食欲がそそるカレーの匂いでいっぱいだ。
「ふん♪ふふん〜♫」思った以上にいい香りがしてきたのでご機嫌になってくるエリサ。珍しく鼻歌を歌いながら具になる野菜を多めの油で揚げるように炒める。今日は夏らしくナスとピーマンがタップリと入っている、他には人参とカボチャとズッキーニだ。
野菜の次は少し大きめに切った鶏肉を焼く、少し焦げ目がつくようにじっくりと焼いたあと白ワインを入れてふっくらと蒸し焼きにする。
最後はこの野菜と鶏肉をカレールーの中に入れて完成だ!肉の旨みが増して作ったエリサも想像以上の味になって嬉しくなった。
「あ、なんだか思っていたより美味しいのができたかも…」味見をするとそれを作ったエリサ自身が驚いている。
「あ、あ、っ! わたしも!」早く味見をしたいとばかりに小皿を持って駆け寄るエレナ。
「へへ、どう?」
「……くぅ〜、たまらないですね!」口に入れた瞬間、絶妙な割合で配合されたスパイスと野菜の甘みが味覚と嗅覚を刺激する、そう思うとすぐに鶏肉の旨みが全体をまとめ、唐辛子の辛さが最後に効いてくる。エレナはこれだと言わんばかりに足踏みをして喜んだ。
「これなら喜んで貰えるわね!」
「はい、完璧ですよ!」
「じゃぁみんなを呼んでくるわ、エレナちゃんは用意をしてて」
「はい」
今日はみんな思い思いのところにいるため声を出して呼んでも返事が無い、散歩に行っていたり、剣の練習をしていたり、村の人達と話をしていたり。珍しく全員すぐには集まらなかった。
「もう〜、どこ行っちゃったのかな?あとは…カロンさんとバルサさんかな?」
あたりを見渡すと小川の土手の方から何やら話し声が聞こえる。近くとカロンさんとバルサさんがすでに葡萄酒を飲んで楽しげにしているではないか、しかもすでに出来上がっている。
「あ、何やってるんですか二人とも!」呆れた感じで大きな声を出すエリサに気がつくが『何が?』と言わんばかりの表情でこちらを向くと意味もなく笑い始めた。だいぶ酔っていそうだ。
「もぉう、ご飯できましたよ〜」少し怒り気味にエリサが近寄る。
「あ、今日のエリサさんはエキゾチックな良い匂いがしますね」エリサの周りをくんくんと犬のように匂いを嗅ぎふざけるバルサ。
「……」やっぱりかなり酔ってるかも…
「あ、エリサさん、こんなところにカナブンが〜」不意にカロンさんがエリサの肩を指差す。
「きゃぁ〜!!」慌てて肩を払うが何も付いていない。前を向くと二人がケラケラと笑っている。
まさかバルサさんだけでなくカロンさんがこんなことをするとは意外だった、いや、完全にノーマークだった。
……そうとわかればもう遠慮はしない、エリサはすかさず二人の葡萄酒を奪い取った。
「空きっ腹にこんなにたくさん飲んではダメです!とにかく早く食べて下さい。片付けれないじゃ無いですか」エリサは子供を叱る母親のように毅然とした態度をとった。
すると以外と素直に二人とも「はい」と言い、目を見合わせてニヤついた。
完全に近所の悪ガキと同じような態度だ。
「ところでエリサさん…今日は夕陽が綺麗ですよ」バルサが急に申し訳なさそうに言った「ちょうど私たちが超えてきた山に陽が落ちていますラージュとは違ってこれも綺麗だと思いませんか?」
「あ…」そう言わるとちょうど太陽が山にかかって見えなくなるところだ。西の空が真っ赤に染まり目の前の小川や水田の水に夕陽の光が反射してキラキラと赤く輝いている。
『山に沈む太陽』酒場でルイスが話してくれた風景を今こうして見ることができている。
不思議だ…話を聞いたときはそんな風景見ることは無いだろうと思っていたのに、今こうして目の前に広がっているんだ。これも……
………不本意だけど目の前の酔っ払いのお陰だ…もう少しムードのある状況で見たかったと後悔したが、なんとなく穏やかな気持ちになった。
エリサは仕方なさそうに小さく吐息を吐くと「はい」と言って取り上げた葡萄酒を二人に返した。そして「早くご飯を食べるように」と少し強めに言いエレナのところへ駆け足で戻った。