バリエまであと少し
翌日、天気が曇りのせいだろうか気温以上に少し蒸し暑さを感じる朝となった。
窓を開けると生温い風が部屋の中に入ってくる、湿気を含んだ空気が身体にまとわりつくようで鬱陶しい陽気だ。
蒸し暑さのせいもあり最近のエリサは常に髪を束ね上げ陽射しを避けるために帽子をかぶっている。仕事も忙しいので動きやすいようにシャツにズボンという以前の男性の様な格好をすることが多い。
しかしアンネさんの服は明るい色の物が多いので今日は淡いピンク色のシャツだ。
宿屋を出ると出発のため馬車の周りには皆が集合し始めている。
次はついに首都バリエだ! コンクスからバリエまでは小さな町がいくつもあるのだがこの先は全て所轄領地となるため買い物以外は素通りする。到着予定は明日の正午!
「エリサさん、まず市場へ行きましょう。バリエまでの途中に小さな町がいくつかあるのでそこで買うこともできますがコンクスの市場が一番大きく、商品も豊富に揃っているはずなので必要なものは必ず買っておいてください」バルサがエリサのところに近寄り笑顔で話し始めた。
「はい、バルサさん」次はバリエだと改めて言われると少し緊張してしまい堅い表情で返事をするエリサ。
「それと、市場の後に兵士の詰所に寄りますのでエリサさんも一緒に来てくださいね」堅い表情のエリサを気にすることなく、バルサは終始笑顔だ。
「…?…は、はぁ」詰所になぜエリサが行くのか不思議に思ったがバルサが笑顔で淡々と話すものだから理由を聞くことができず生乾きな返事しかできなかった。
市場に着くと朝早くだというのにそこはエリサ達の予想を超える賑わいを見せていた。
さすが巡礼者の町と言われ多くの人で賑わう町の市場だ、品揃えも豊富でなんでも揃っている。まるでお祭りでも始まるのかと思わせる様な人の多さに気持ちが昂ぶる。
「うわぁ〜エレナちゃん、何を買おうか?」お祭りのような賑わいと品数の豊富さにテンションが上がるエリサとエレナ。
「そうですねぇ…えっと…あれも、いや…こっち」エレナは賑わいと品数の多さに目移りしてしまい決めかねている。
「ねぇエレナちゃんはなにか作りたい料理ってある?」食材を選びながら話すエリサ。
「そうですね……例えばカレーとか!」エレナは少し考え、子供みたいな可愛らしい笑顔で答えた。
「…!?……か、かれ〜…?」あまりにも予想外な答えに面食らってしまったエリサ。
「はい、あのいくつものスパイスを魔法のように混ぜ合わせてできる複雑で奥深い味と香り…小さい頃お父さんがたまに作ってくれたんですけどラージュではカレーに使うスパイスがなかなか手に入らないらしくて最近は作ってもらえないんです」
「………は…っ!……」子供の頃の記憶を思い出しヨダレが垂れそうになるエレナ。
「はぁ…カレー…ねぇ…」拍子抜けしながらもエレナに言われて市場を見渡すエリサ。
カレーを作るために必要な材料を考えながら出来上がりを想像するエリサ。すると必要な材料が全て目に映る。
「あ…作れそう…かな…」小声でボソッと呟くエリサ。
「っ!本当ですか?」エレナはその小さな声を聞き漏らさなかった。
「え、ええ…それじゃぁ…夜にでも作ろうか!」エリサはあまり気乗りしなかったがスパイスの調合次第で変化する味と香りには面白みを感じていた、何よりこの暑さを乗り切るためにもカレーはピッタリの料理だ。
買い物を済まして市場を後にすると、今度は町の外れにある兵士の詰め所に向かった。
「ここ?」エリサの目に映ったのは全く飾り気のない石造りの大きな建物だ。入口の大きなドアの前には二人の大きな男が槍を手に持ち見張りをしている。
賑わいのある街並みとは違い威圧感のある雰囲気に気圧されるエリサとエレナ。
そんな雰囲気を微塵も感じないかのようにバルサは片手を軽く上げて挨拶をすると、驚いたことに見張りの兵士は改めて姿勢を正し大きなドアを開けた。
「はぁ〜、バルサさんってもしかして凄い人なのかしら?」その姿を見たエリサは思わず呟いてしまった。
「はい〜、バルサ様は第3王子ルイス殿下の側近ですから殆どの兵士は頭が上がりませんよ〜」それを聞いていたカロンが笑顔で答えてくれた。
そんな人にタメ口で話をしている自分は大丈夫なのかと一瞬不安に思ったが、バルサさんがそうしてくれと言ったことを思い出し気を取り直した。
ドアが全部開くとその前でバルサさんがエリサの方を向いて手招きをしている。一体こんな所で私に何の用事があるのか?と思いながらもバルサさんの後に付いて中に入ることになった。
バルサさんは建物の中には入らず、裏の方へ進むと無数の鳩が飼育されている場所へ出た。鳩はそれぞれ仕切りで一羽づつ区切られて飼育されており、一人の年老いた男性が世話をしていた。
「おじさん、お久し振りです!」少し離れているからか、耳が遠いのか、バルサは少し大きな声で話しかけた。
「おやおや、ほう〜、バルサかい!久し振りじゃのう」年老いた男は横目でバルサを見ると、鳩の世話をする手を止めることなく挨拶をした。
「バリエに行く鳩を一羽出せるかい?」
「急ぎかい?」
「いや、定時連絡だ」
「……じゃぁこいつでイイじゃろう」年老いた男は少し考え、一羽の鳩を取り出した。
「ありがとう」バルサは一言お礼を言って鳩の足に手紙をくくりつける。
「所でそこのべっぴんさんはお前さんのナニかい?」年老いた男の遠慮の無い言葉にエリサは少し引き気味になる。
「いやいや、そんなこと言ったらルイスに殺されますよ」
「ほう、あのわんぱく坊主にねぇ…」年老いた男はそう言うと手を止め、始めて目を見開きエリサを品定めするように見つめた。
「ぃゃ…はは…」この微妙な会話についていけず笑って誤魔化そうとするエリサ。
「ほぉぅ……お嬢さんや、ルイスに恋文でも出したくなったらいつでも来なさいな」そう言われた瞬間エリサの顔が真っ赤になる。年老いた男はニヤッと笑いながら真っ赤になったエリサの反応を楽しんでいるようだ。
「くぅ〜〜。 ……と、ところでバルサさん、私はなぜここに?」いい加減話を反らせたくなったエリサは口を開いた。
「ああ、ここには王国が使う伝令用の鳩がいますのでそれでルイスに明日の到着を知らせておこうと思いまして。あ、もちろんエリサさんのことは秘密にしておきますから!」
「いや、そこは言っておいてもらいたいというか……」
「はいエリサさん!」困った顔をしているエリサを気にせずバルサは手紙をつけた鳩をエリサに手渡した。
「え?…あの、どうすれば?」
「ええ、そのまま空に向けて放り上げて下さい、その鳩の先でルイスが待っています」
「あ…」そう言われバルサの顔を見ると楽しそうな笑顔をしている、何やら遊ばれているような気にもなるが深く考えないことにした。
そうかこの鳩は一足先にルイスのところに行くんだ。あと少し、この先にルイスがいる。
「今日はエリサさんの手で鳩を飛ばせてやろうと思いまして」
「…そうだったんですか…ありがとうございます。嬉しいいですけど少し恥ずかしいいですね…」エリサは少女のような笑みで照れている。
「それと、バリエに着いたらルイスを支えてやってください」バルサはそのまま笑顔で続けた、深妙な趣きでは無いのでそれ程大変なことになっていないと感じた。
「? どういう…こと?…」
「いま、支援の交渉がまとまらずに少し気が滅入っているそうです。私がバリエに行くのもそれの手伝いが一番重要な事となるのですが、エリサさんが居てくれると心強い」
「私に何かできるんでしょうか?……」
「ええ、側に居てやるだけで充分ですよ」
「………ぅ……」当たり前のようにそう言われると恥ずかしくて目を反らすエリサ、なんて答えていいのかわからなくなり、そのまま振り向き「それ!」と言う掛け声とともに鳩を放り上げた。
曇り空の中、空高く飛んでいく鳩は東の方へ勢い良く飛び見えなくなった。エリサはその鳩が見えなくなるまでその場に立ちルイスの事を想った。
鳩が飛んで行った先にルイスがいるんだ。
もう直ぐ会える…
私にできることがあるなら何でも手伝おう!
ルイス
早く会いたい
「お嬢さん、恋文はちゃんと付けたかい?」馬車に戻ろうとしたら年老いた男は楽しそうにエリサをからかっていた。