領主バルサ
ラージュの町の北側に領主の屋敷はある。
前領主クラウスが住んでいた所だ。
今はここで新しい領主としてバルサがラージュ復興のための指揮をとっている。
屋敷に近づくにつれ目に入る光景は変わらず酷いものだった、街の中心にある時計台を過ぎると港と同じくらいほとんどの建物は焼け崩れ、争いの激しさを想像させた。
屋敷に着いたエリサが大きな門を抜けると、とても鮮やかな芝生が一面に広がる庭が迎えてくれた。
しかしエリサはその広い庭に足を踏み入れるとすぐに何か違和感を感じる。
それはすぐに理解できた。
そこには花などの草木が一つも無いのだ、カルラ叔母さんの家と全く正反対なその庭はとても殺風景で寂しい感じがして、立派な芝生だけが目立っている。
そしてその庭を隠すように大きな木で屋敷は囲われており、庭の隅には大きな見張り台が3つもあるのだ。
ラージュに生まれ住んで22年、始めて領主様の屋敷に入ったエリサだったが、人の温もりを全く感じないこの風景はなんだか異様に感じた。
アレフに案内され屋敷の中に入るエリサ、始めて領主様の屋敷に入るのだから少し緊張している。
中に入ると大きな壺や獣の剥製、禍々しい形相のお面、昔の騎士の鎧などがいくつも飾ってあり、壁には不思議な模様が刻まれていてじっと見ていると目が回りそうになる。
少し悪趣味に感じる装飾は前領主クラウスの物をそのままにしてあるらしい。
バルサの趣味でなくて良かったと安心したが、どれも普段は見る事のできない珍しい物なのでエリサはとりあえず見ておく事にした。
すぐにアレフさんに呼ばれ階段を登り2階にある一室へと案内されるエリサ。
アレフさんがその部屋のドアをノックすると中から聞き覚えのある声で「どうぞ」と言うのが聞こえた。
その部屋のドアを開けると大きな机の上には書類が山積みにされていて、その向こうにバルサが座っている。
バルサは入ってきたエリサに気がつくと作業をしているその手を止め、慌てるように立ち上がった。
「あ、エリサさん! 良かった来て頂けて、お元気そうで何よりです」酒場に来ていたときと同じように気軽に話しながらエリサに近づくバルサ。
「あ、えっと、バルサ…さま…よ、よろしくお願いします!」
エリサは領主の屋敷に招かれるなんて事は始めてであったし、面識があるとはいえ今のバルサはこの街の領主だ。そう思うとどう接して良いのかわからず思うように言葉が出ない。
そのぎこちない挨拶にバルサは目を丸くし、改めて自分の領主という立場を意識し、頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。
「あ、いやぁできればその『バルサ様』って言うのはやめて欲しいのだけど… … …エリサさんには今までと同じように接していただきたい」
「いや、でも、領主様ですし…」
「………」
「……………」
何やら気まずい雰囲気が漂いアレフも困り気味だ。
「じゃぁ、せめて『さん』付けでお願いします!」バルサは笑顔で答えた。そのときの笑顔はルイスと同じ、酒場に来ていた時のように自然な笑顔だ。
その後バルサは改めて一呼吸置き、真剣な表情に切り替えた。
「エリサさん、まずはラージュの街をこんな状態にしてしまったことをお詫びしたい。申し訳ない」そしてバルサはエリサに向かって頭を下げた。
そんな頭を下げるバルサの姿はルイスの事を思い出させると同時に驚くべき態度だった。
ルイスといい今度はバルサまでも自分のような町娘に頭を下げるなんて、生まれて22年クラウスのような領主しか知らないエリサにとってこのような態度は不思議でしかなかった。
「大丈夫です。 ルイスにも同じことを言われましたが私は大切なものは失っていませんから」エリサはネックレスがある胸のあたりを服の上から両手で押さえ、幸せそうに答えた。
バルサはエリサが押さえる胸のところにルイスに貰ったネックレスがあることは容易に理解できた。
「そう言ってもらえると気持ちが軽くなります」そして優しく微笑み、話を続けた「エリサさんとは話したい事が沢山あるのですが、今は時間がありません、早速ですが出立の準備に取り掛かって頂きたい。まずは明日の朝、ラージュを出発します。人数は私とエリサさんの他に兵士が20人、それとエリサさんの手伝いとして見習いコックのエレナという女性が一人、全員で23人分の食事を担当して頂きたい。ただ、荷物は極力少なくしたいのと今のラージュで食材を調達するのは困難なためルヒアナで多くを揃えたいと考えています。ひとまずエリサさんにはルヒアナまでの必要な食料をこの屋敷の食材庫から選んでください。一階の厨房へ行けばエレナも居るはずなので会って一緒に準備をして頂きたい」
「はい! 」エリサもバルサと話したいことや聞きたいことが沢山あったが時間が無いことも理解していた。しかし一つだけ先に聞いておきたいことがあったので口を開いた。
「… でも、なぜわたしを選んで下さったのでしょうか? ここの屋敷には一流のコックさんが沢山居るはずなのに?」
エリサのその質問にバルサはすぐに答えてくれた。
「この屋敷で働く者は皆このラージュに住んでいます。そして家族がいて家がある。しかし今回の争いで家は焼かれ生活もままならない状態が続いています。そんな時に一家の中心である男手を一ヶ月近く連れて行くことはその家族を不安にさせてしまう。さらに今のラージュには男手が多く必要です、復興の妨げになるような事はしたくないのです。何よりエリサさんの作る料理の味は十分わかっていますしね!」
さらにバルサは笑顔で続けた。
「それとルイスを驚かせてやろうかと思いまして!」
「う…」このときのバルサは領主ではなく、周りの人を困らせて喜ぶ悪ガキのような笑みを浮かべていた。
驚かせようと言っているのだから私がバリエに行くことはルイスに言ってないということだろう、二人の仲が良い事は判っているがネタのように使われるのは複雑な気持ちだ。
しかし理由はどうであれ、これからバリエに行ける事には変わりはない、エリサは自分の仕事をしっかりとこなそうと気持ちを入れ替える事にした。