怪しい
エリサの4日目の朝は寝坊せずに済んだ。
起きれたわけではない、起こされたわけでもない、あれこれ考えていたら朝になっていただけのことだ。
しかし一睡もしていないわけでもない、夜中に何度か眠ったはずなのだがどうしてもすぐに目が覚めてしまい寝付けなかったのだ。
隣で寝ているアンネさんが起きたときは、すでに目は覚めていた。
その時はなんとか落ち着こうと枕の中のポプリの香りを嗅いでいて不思議そうな顔でアンネさんに見られてしまった。
布団の上に力なく座り込み、良い香りのする枕を抱きかかえそこに顔を押し付ける。なんとなく気持ちは落ち着くのだが胸のモヤモヤが取れることはない、目の下にできたクマを見てアンネさんがさらに怪訝な顔をしたが特に聞かれることはなかった。
さすがにほとんど寝ていないので頭はボーっとして、うまく考えることができない、いや考えれない方が良いかもしれない。
このまま余計なことを考えずに料理を作った方がうまく作れる気がした。
「それじゃぁ、行ってきますね!」エリサはいつもと変わらないそぶりで笑顔を見せ家を出たがその顔にはハッキリとクマができていて明らかに様子がおかしい、アンネは薄々その理由に気がつき始めていた。
「こればっかりはねぇ……」エリサを見送りその後ろ姿を見てそう思った。
教会に着くとちょうどベレンさんも来たところで、今日は初めから一緒に作ることができることにエリサは安心した。
「おや?なんだいエリサ、ずいぶん疲れた顔をしてるじゃないか?」その曇った表情に気がつくベレン。
「あ、いえ、ちょっと眠れなかったもので…でも大丈夫です!」エリサは腕を捲ってできる限りの笑顔を見せた。
エリサはどうしてこうも毎日毎日違う表情を見せるのだろうとベレンは不思議に思いつつも環境が変わって眠れなかっただけだろうと思い、いつものように準備に取り掛かった。
「そうそう、昨夜作ったジャガイモのクリームに煮は好評だったよ!ハッハッハ」
「良かった…ありがとうございます」
「お礼を言うのはこっちだよ!本当に美味しかったさ、私もエリサに教えてもらって嬉しいよ!」
明るいベレンさんと一緒だと少し気が紛れる、昨夜は上手くいったみたいで良かった。「それじゃぁ早速作っちゃいましょうか!」エリサは気が紛れている勢いですぐに料理を作ることにした。
今朝のスープは昨日と同じ作り方だ、違うのはカボチャではなくトマトを使うこと、もう一つは鶏肉を豚肉に変えたことだ。
作り方は全く同じだがこの二つの材料を変えただけで全く違う味になる。
出来上がったスープは薄っすらと赤い色をしていて、爽やかなトマトの甘い香りが食欲をそそる、豚肉が入っているおかげで味に深みも出る。
「エリサ!やっぱりあんたは天才だよ!スゴイよ〜」またお椀で味見をしたベレンが叫ぶようにエリサを褒める。
ここまで大袈裟に褒められるとすごく恥ずかしいものだとエリサは思った。
「あ、あの、それじゃぁ皆さんのぶんをよそりましょうか…」苦笑いを浮かべ作業に戻るエリサ、何か身体を動かしていないと落ち着かないのだ。
いつものようにエリサがお椀にスープを入れ、ベレンさんがパンを切り分けてそこに添える。
料理を作る2人の息も合うようになってきた。
全てを出し終わり、少し残ったのでお昼にでも食べてもらおうとシスター達に渡したら、予想以上に喜ばれたので驚いた。
どうやら最近の料理がとても美味しそうなので気になっていたらしい。
ベレンさんと一緒に料理を作っているときはその明るい性格に助けられる、なんとなく気が紛れたからだ。
あとは夜までどうしよう…
なんとなくモヤモヤした気持ちが強くなっていくのを感じていた。
「なぁエリサ、あんたちょっと疲れてるみたいだから先に帰りなよ!」
時折見せるエリサの不思議な表情が気になったようでベレンが大きな身体を揺らしながらこちらに向かってくる、少し威圧感があって抵抗できそうにない。「また午後は市場に買い出しにも行くから今日はもう休みな!」
ベレンはエリサの持っていた食器を取り上げ、洗い物をしながらそう言った。
エリサはしばらくそこに立ち尽くし考えていた。
本当はこのまま働いていた方が気が紛れるのだがベレンさんに気を使わせてしまうのも嫌だ、でもこのまま帰るのも落ち着かないしどうしよう…。
「はは、ベレンさん、バレちゃいましたか? すいません、ちゃんと休んできますので午後もお願いしますね」エリサはできるだけ明るく振る舞った、これ以上ベレンさんに気を使わせるのも嫌だったので帰ったほうが良さそうに思った。
ベレンさんを1人残して帰るのは後ろ髪を引かれる思いだったが今日は帰ることにしよう、自分がいけないのだ。
エプロンを外し申し訳なさそうに厨房を出るエリサ「ベレンさん、お先に失礼します」
「あいよ!また後で頼むよ〜、あんたの料理はあたしも楽しみなんだ!」ベレンは洗い物をしながら振り向かずにそう言った。
その後ろ姿に会釈をするエリサ。
…でもこのまま帰っても落ち着かないから港でも散歩してから帰ろう…
…………
その頃ディベスの関所を通過したルイスとラウラ。
「あの関所の兵士、俺がルイス・デオ・ファルネシオだと何故信じないんだ!おかげでえらく時間を取られたぞ!」馬を走らせながら怒るルイス。
「仕方ないですよ〜こんなところに王子が護衛も付けずに居るんですから、普通だと思いますけどね〜」ラウラはルイスに並走するように馬を走らせながら淡々と話す。
「おい、教会はどっちだ?」慌てるようにルイスが叫ぶ
「確か街の真ん中にあるはずですからこのまま真っ直ぐ行けば着きますよ〜」
「急ぐぞ!」
「はーい」
「ところで、ルイス様」ラウラが真剣な表情で尋ねてきた。
「なんだ?」
「やっぱりエリサさんとの感動の再会は抱きしめてからの熱い口づけですかね〜」
「っ…」突然の発言にビックリして馬から落ちそうになるルイス。
「どうしてお前はそうなんだ…」
「にひひひ」ルイスをからかって嬉しそうに笑うラウラ。
そんなことをしているうちに大きな教会の建物が見えてきた。
見えた!
あそこにエリサがいる。
たった3日会わなかっただけなのに、もう何ヶ月も会っていないような気がする。
早く会いたい。
「急ぐぞ」ルイスはさらに馬を走らせた。
「おお〜やる気十分ですね〜」ラウラは何やら楽しそうだ。
教会に着くと警備の兵士がいて、ルイスとラウラは止められ、ここでもルイス・デオ・ファルネシオの名前を出したら余計に怪しまれた。
「イヤ、待ってくれ、俺はここに避難してきている人に会いたいだけなんだ」
ルイスはなんとか説得しようとするが慌てているせいかまともな説明ができていない。あれこれと言えば言うほど兵士達は怪しみ、ルイスは慌てる。
「はぁ〜」どうしてルイス様はこうもダメダメなんでしょう…戦場にいるときとは大違いですね〜。ラウラはため息を付き兵士の方へ歩き出した。
「あの〜すいませんが、もし気になるのでしたら一緒に中まで同行して頂くということではいけませんか?もしくは避難してきている人を呼んできて頂くだけでも良いのですが」そんな状況を見かねたラウラが間に入り警備の兵士にお願いした。
兵士たちはしばらく考えていたがなんとか一緒に同行することで許可が出た。
「良かったですねルイス様」ラウラは笑顔でルイスの方を向いた。
「…ああ、すまん」ルイスはホッとしたような情けないような微妙な表情を見せた、そんなルイスを見てラウラはまた楽しそうに笑っている。
「ここに避難しているラージュの住民がいる」警備の兵士が教会の一室に案内してくれた、そこではちょうど朝食を食べているところだったので全員ここにいることは容易にわかった。
「エリサ!」ルイスが急いで中を覗くとそこにはエリサはいない。
いないのか?ここではないのか?警備の兵に他に部屋はと尋ねるとここだけだという。
「ここにいるのは避難してきた住民のうちの1/3ほどだ、他はすでに親戚の家などに身を寄せている」兵士は事務的な話し方でルイスに話した。
「それぞれの行き先はわかるか?」
「それはすでに領主様に提出してある、ここではわからない」兵士は相変わらず事務的な話し方だ。
ルイスは兵士の話し方にイラつきながら部屋に入っていった。
皆が食事を止めてルイスの方を見ている。避難所となった教会の一室なんかに立派ないでたちの騎士がいきなり入ってきたものだから、そこにいる誰もが不安そうな顔をしている。
「食事中申し訳ない、ここにエリサという女性がいたと思うのだが行き先を知っている者はいませんか?」
ルイスがそう言うと皆がざわつき始めた。
「エリサって酒場のエリサちゃんのことですかい?」1人の男性が恐る恐る尋ねた。
「っ!エリサを知っているのか?」ルイスは思わず大きな声を出してしまい、皆が少し怯える。
「す、すまない、行き先を知っていたら教えて頂きたい」ルイスは藁にもすがる気持ちで頭を下げた。
「イヤ、行き先って言ってもなぁ…」
「ああ、まだ調理場に居るんじゃねぇか?」
「そうだなぁ」
その会話を聞いて驚くルイス。
「ここにいるのか?調理場にエリサはいるのか?」話をしていた男に詰め寄るルイス。
「あ、ああこのスープもさっきエリサちゃんが作ったもんだ、まだ居るだろう…」
「ありがとう、食事中すまなかった!」
ルイスは嬉しそうに部屋を出て警備の兵に厨房へ案内してもらった。
もうすぐエリサに会える。
早く…
あいたい…
「ここだ」兵士が指を指す。
ルイスはその指差した部屋へと駆け寄った、そこは確かに調理場に間違いない。
でもエリサはいない。
いるのは身体の大きな叔母さんだけだ。
ルイスはどうして良いかわからず呆然と厨房の中を見ていた。
「ん?なんだい?あんたは」身体の大きな女性はベレンだ、ベレンはルイスに気がつき怪訝な顔で質問した。
「エリサ…エリサという女性を探している、ここに居ると聞いたのだが…」
近くにエリサが居るはずだ、ルイスはそう思うといてもたってもいられず、落ち着きがなくなっている。
ベレンはしばらくルイスの顔を見て考えている「あんた誰だい?」
「お、俺はルイス、ルイスだ、エリサに言えばわかるはずだ、知っていたら教えて欲しい、彼女は何処に!」ルイスはどんどん慌てていく、ベレンを見たり厨房の中をキョロキョロと見渡し、どう見ても怪しい人間だ。
「悪いがエリサからルイスなんて人物の名前は聞いたことがないね、あんたみたいな怪しい人間にエリサちゃんの居場所を教えるわけには行かないさね!」
「くっ…」どうして俺はこのディベスでは怪しまれてばかりなんだ…すぐ近くに居るはずなのに、イヤこの女性は確実にエリサの居場所を知っている。だとしたら聞き出すしかない。
「はぁ〜まったくダメダメですね〜」またラウラが見るに見かねて厨房に入ってきた。
「いきなりのご無礼失礼致しました。私はこの男の共をしているラウラと申します、御察しの通り私達はエリサさんを探しております、それはこれをお渡しする為なんです」ラウラはそう言うとエリサの店から持ち出した荷物を広げた。
「これは?」ベレンがそれを見ると使い込んだナイフに汚れた帽子とサロン、それに箱に入ったお金だった。エリサが酒場を経営していたことは聞いている、確かにその荷物といえば合点がいく。
「これをどうしてあんた達が持っているのさ?」ベレンはまだ怪しいと思い理由が知りたかった。
「これはエリサさんのお店が炎に包まれる直前に何とか持ち出すことができた唯一の荷物です、これを早くエリサさんにお渡ししたくてラージュからここに来ました」
ベレンはまだ信用しきれていない様子でルイスとラウラを交互に見ては悩んでいる。
「おそらくエリサはアンネさんと漁師のカイっておっちゃんと居ると思うんだ、アンネさんとカイさんの居場所でも良い何か知っているなら教えて欲しい」ルイスはどうにかして聞き出そうと必死だった気がついたら深々とベレンに向けて頭を下げていた。
「あんたらアンネとも知り合いなのかい?」ベレンは確認を取るように聞いた。
「ああ、知っている旦那のカイのおっちゃんが獲ってくる魚は最高にうまい!」ルイスは頭を下げたまま話している。
「わかった、あんたらとりあえずカルラん家に行きな!」ベレンはつっけんどうに言い放った。
「カルラ?誰だい?それは…」ルイスが頭を上げて目を丸くしている。
「アンネの叔母だ、エリサも一緒に住んでるはずだ、それにエリサは調子が悪そうだったからさっき帰ったところだったもう家に着いてるだろうさ」
「ありがとう、本当にすまない」ルイスは何度も頭を下げてお礼を言った。
ベレンに聞いたカルラ叔母さんの家はすぐ近くだった、馬を走らせたらあっという間にそれらしい家に着いた。
ベレンという女性が言っていた通り庭にはハーブが沢山植えてある。
ここにエリサが居る。
やっと会える。
ルイスは急いで家の入り口に向かった。
「すいませんが、誰かいませんか?」ルイスが大きな声で叫んだ。
しばらくすると奥から女性が出てくる、アンネさんだ。
「え?ウソ?ルイス…様…」その姿を見たアンネは驚き持っていたタオルを落としてしまった。