新しい私
「カルラ叔母さんって魔法使いみたです」
「そうねぇあの姿でとんがり帽子を被って鍋でハーブをグツグツ煮ている姿を想像すると…ふふ」変な想像をして吹き出すアンネ
「あ、いや見た目じゃなくて…」苦笑いをするエリサ
「たくさんのハーブを自由に操って、美味しいお茶を淹れたかと思ったら、お風呂とかポプリとか人がビックリするようなことを平然とやってしまうんです。それにさっき気がついたんですけど家のあちこちにハーブの一輪挿しやポプリが置いてあって、そこを通るたびにいい香りがするんですよ〜」
「あら、それでさっきは廊下を行ったり来たりしてたの?」
「へへ」エリサは嬉しそうに照れながら微笑んだ。
その顔はすっかり元気なエリサに戻っていて、以前と変わらない笑顔を見せてくれている。そんなエリサが戻ってきたのでアンネは心の底から安心できた、アンネは心配事が一つ減り、いつもより少し上機嫌で午後のディベスの街を案内し続けた。
「ディベスはラージュに比べると半分くらいの広さしかないわ、それに同じ港町で漁業も盛んだけど港のほとんどが造船所になっているの、カイの乗っている船もこの町で作られたものよ」アンネは港を歩きながら説明した。
「はぁ〜すっごい大きな船もありますね〜」エリサが背伸びをして見上げても当たり前のように甲板は見えない、それどころか甲板までの高さはエリサの背丈の3倍はある、横幅もカイの船の10倍以上はあるだろう。
きっとこんなに大きな船を漁に使ったらたくさんの魚が積めるだろう、そしてすごい沖の方まで出れるはずだ、沖の海で漁をしたらきっと見たこともない魚がとれるかもしれない、どんな味がするんだろう〜…。
何を見ても料理のことを考えてしまうエリサ、ある意味調子が良い。
「あれは軍艦ね、漁のためではなくこの港を守るためのものよ。ここには軍艦がいくつもあるから海賊も攻めてきたりしないのよ」
「そうなんですか〜、はぁ〜すっごい大きいですね〜」大きく口を開けて上を向いたまま子供のように船を眺めるエリサ。
「次は向こうの漁港の方に行ってみましょう」アンネは指をさして嬉しそうに走り出した。
「あ、はい、待ってください」アンネが急に走り出したので慌てて追いかけるエリサ。
走り出したエリサに向かって強い風が吹き抜けていく。ディベスに着いてから気になっていたが時折強い風が吹くみたいだ。駆け出したエリサの髪が風にあおられ思わず立ち止まった。両手で髪を抑えて風が落ち着くのを待つエリサ「ん〜、髪切っちゃおうかな…」強い風が鬱陶しく、ふとそんなことを考えたが、風が吹き止むとすぐにアンネを追って走り始めた。
「もう午後の遅い時間だから誰もいないわね」漁港に着くと辺りを見回しながらゆっくり歩くアンネ。漁港の広さもラージュに比べるとかなり小さい、しかし漁船がたくさん停泊してあり、港の端の方には使っていない定置網の仕掛けが山積みにされている。雰囲気はどこの漁港も同じでなんとなく落ち着く。
「でもここでもお魚は手に入るんですよね!」漁港と聞いて目を輝かせるエリサ。
「ええ、でも私たちがいきなり来ても直接は譲ってもらえないかもしれないわ…」
「そう…なんですか…」エリサは残念そうな顔になる、
「すぐ近くに市場があるから行ってみましょう! これからは必要なものをそこで買うことになると思うわ」
「はい!」漁港や市場という馴染みのある場所が出てくると安心する、どこか料理を作れる仕事があれば良いと思っている、むしろ料理を作らない今の状況が妙に落ち着かない、どんな所でも良いから料理を作りたくてウズウズしているのだ。
エリサはこの先の不安を一つでも早く消していきたかった。
少し歩くとすぐに市場に着いた。
ラージュの市場と同じくらいの広さだろうか、見ると色々なものが売っている、品揃えが豊富なようで嬉しい。
魚はもちろん野菜もお肉も調味料もたくさんあり、種類は少ないが鍋やナイフも置いてある「なんでも揃いそうですね!」市場に入るとエリサのテンションが上がってきた。
キョロキョロと辺りを見回しながらアンネの少し先を落ち着きなく歩いている。
「おや、あんたは今朝の!」アンネに荷物を抱えた大きな女性が話かけてきた、ベレンだ。
「あら、確かベレンさん。今朝はお世話になりました」アンネが深々とお辞儀をする。
「そんなかしこまらんでいいよ!ハッハッハ」相変わらず大きな声で陽気に話すベレン。
「あ、ベレンさん!」エリサがその大きな声に気がつき駆け寄ってきた。
「おや?こちらのお嬢さんは?」ベレンは声をかけられエリサを見たが不思議な顔をした。
「へ?あの…今朝、一緒に洗い物させてもらったエリサですけど…」陽気な性格だったからもう忘れちゃったかなと思いエリサは恐る恐る説明した。
「おやぁ? まぁ 本当かい? えらいべっぴんさんだったんだねぇ、見違えたさよ!」ベレンは本気で驚いていた。
今朝話をしたときの薄汚い小僧のような格好をしたエリサのイメージしかないのだから仕方がない。エリサは困ってチラッとアンネを見たがいつものようにニコニコと微笑んでいた。
「ベレンさんはお買い物ですか?すごいたくさんありますけど」アンネが尋ねる。
「ああ、今夜も教会へ避難してきている人達への食事をつくるのさ。行くあてのない人が多くてな、まだ1/3くらいは教会で寝泊まりしてるのさ」
「まだそんなに…」アンネは不安そうな顔をする。
「ああ、あんたらのような人達は少ないさ、このままじゃみんな疲れ切っちまうよ」
その会話を聞いていたエリサが何やら考え込んでいたが何か思いついたらしい「あ、あの…」
2人がエリサを見る
「あ、ベレンさん、私もその食事をつくるのを手伝わせて頂けないでしょうか?」
エリサがそう言うとベレンは少し困った顔をした「いやどちらかというとあんたも避難してきた人間だろ、疲れてるだろうに…」
「避難してきた多くの人は顔見知りです、中にはお世話になったことがある漁師さんもいました。私、ベレンさんの作ってくれたスープとても美味しかったです、野菜がたくさん入っていて、暖かくて、作った人の優しさが心に染み渡るような味でした。おかげで私は元気になれたんです、なので今度は私がみんなに元気をあげれたらって思うんです。それに私は料理くらいしか取り柄がありませんし!」
「あたしは手伝ってくれるならなんでもいいがねぇ、いいのかい?」ベレンはアンネの方を見た
「ええ、そういうことでしたら私からもお願いしますわ、それにエリサちゃんの料理はとっても美味しいんですよ」
美味しいと聞いてベレンの表情が期待に変わるのがわかった「あたしゃ食べるのが好きでねぇ、どんな料理を作るんだい?」
「ええ、できれば魚料理が得意というか、作り慣れているというか…」
魚料理と聞いてベレンの表情が高揚し始めた。「うんうん、そうかいそうかい。それじゃぁ何を買おうか、ちょいと買い物からお願いするとしようかね」
すっかり作ってもらう気になって、エリサがどんな料理を作るのか楽しみな様子だ。
「はい」
そうだ、私にはできることがある。
また、この料理でみんなをとびっきりの笑顔にするんだ!店がなくても料理が作れればできるはず。
早速市場を回り何を作ろうか考えるエリサ。その姿はとてもイキイキとしていた、ルイスのことを忘れたわけではない、まして吹っ切れている訳でもない。
もちろんラージュが自分の店がどうなったのか、エリックとセヴィのことも心配で仕方がない。
ただ、いくら心配しても自分には何も出来ないことに気がついてしまっただけだ。
そう、いくら気を病んでも現状が変わる訳でもなく皆が幸せになる訳ではない。
そんなことはずうっと前からわかっていた、自分には何もできない何も変えることはできない、ただそれを受け入れたくないという気持ちが強かったのだ、それがここにきてやっと受け入れることが出来たのだ。
今は自分にできることがあるのならそれをしようと思う。
どんな些細なことでもいい、せめて目の前にいる人が笑っていなかったら笑えるようにしたい。
何より料理を作っているときは楽しい。想像した通りの味が出れば最高に気持ちがいい、さらにそうなったら、早く誰かに食べてもらいたい、それを食べれば皆んな喜ぶと自身もあった。
材料を買い揃え教会へ戻るエリサとベレン、アンネさんは荷物運びを手伝ってもらったら家に帰るという、今夜はアンネさんが家の料理当番になっていたからだ。
昼食の時に交代で作ることになったのだ、ちなみに明日はエリサの番だ。
朝は気がつかなかったが教会の脇には広場があり、少し広めの公園のようになっている、そこは行商人が露店を出したり、住民がよく集まる憩いの場所だ。
その一角に何やら人だかりができていて、何やら盛り上がっているのが見える。
始めは何か珍しい物でも売っているのだろうと気にしていなかった、いや気にはなっているが買うお金も無いので見て欲しくなるくらいなら初めから見ないほうがいいと思っただけだ。
しかしその話し声の中に「ラージュ」という言葉が何度も聞こえた。始めはラージュで獲れた貝の装飾品を売っているのかと思ったが、よくよく考えてみると同じ港町のディベスではそんなものは珍しく無い。
不思議そうにその一角を眺めていたら「その時炎が…」話をしている男の大きな声が聞こえた。
この人は物を売っているんじゃ無い、ラージュを見てきたんだ。とっさにそう思った。
ゆっくりと近づき、人だかりの一番後ろで耳をすますエリサとアンネ。
「それで俺は慌ててディベスへ戻って来たって訳さ!おかげでこちとら商売上がったりだ、お情けでもなんでもいいから何か買ってくださいまし〜」
どうやらラージュの話は終わってしまったようだ、若い商人の男は集まった人達に手持ちの商品を並べて買ってもらおうと必死になっている。
「アンネさん…」不安そうな表情で戸惑うエリサ。するとアンネは商人の方へ歩み寄っていった「あのう、すいません」
「へい、いらっしゃい!なんにしやしょうか?綺麗な奥様にはこの紅なんていかがでしょう、この辺じゃ手に入らない代物ですよ!」商人はアンネを普通のお客と思い商売を始めた。
「あ、いえ申し訳ありませんがラージュの事を聞かせて頂けないでしょうか?」
商人の顔が落胆の表情に変わった「はぁ〜、客じゃねぇのか…」しばし沈黙の後、男は辺りを見回し集まっていた野次馬がどんどんいなくなっていることに残念そうな顔をし、さっきより大きな溜息をついた。
「はぁ〜〜〜〜! ほんっと、ラージュのせいで商売上がったりだよ…」男はそう呟くとアンネの方を見て投げやりな感じで切り出した「なぁ、あんた!何か買ってくれないかい?ラージュの事を聞きたいんだろ!情報料ってことでどうだ?」
エリサはとんでも無いと思いアンネの袖を引っ張るが、アンネはまるで動こうとしない。
「それは確かな情報かしら?」
アンネがそう言うと男は、おっ という顔をし自信ありげに答えた。
「ああ、昨日俺がこの目で見てきたんだ、全てが本当のことだぜ」男はそう言うと2人を見てハッとする「もしかして…あんたらラージュの人間か?」
「ええ!昨日の朝早くにラージュから逃げたわ、私たちはその後どうなったかが知りたいの」アンネはそう言うとさっき男が進めていた紅を手に取りお金を支払った。
商人の男はアンネの勢いに少し押され気味だ、そんな男をアンネとエリサの2人がじっと睨むように見つめている。ラージュから避難してきたと聞いて男はためらいながらも話し始めた
「あんたら、聞いて後悔すんなよ……、言っておくが嘘じゃねぇ、俺が昨日の朝から昼過ぎまで見てきたことだ」男はさっきまでとは違い真剣な表情で話し始めた。
「俺はラージュが毎日お祭り騒ぎだと聞いていた、だから俺も一儲けしようと昨日の朝ラージュに着いたんだ、峠からラージュの町を見ると煙が上がっていて、てっきり屋台や祭りの煙だと思った、しかし町が近づくにつれ様子がおかしいことに気がついた、それは銃声のような音が聞こえたからだ。この時何かやばい雰囲気っての?その直感みたいなものが働いて町には入らねぇで少し離れた山道から様子を伺ったんだ。落ち着いてよく見りゃぁ戦争やってんじゃねぇか!少し離れててもよく聞こえる兵士たちの叫び声、何かが崩れるような凄まじい地響き、こりゃ本当にヤバイって思ったね。何がお祭り騒ぎだよ、何が一儲けだよ、あれじゃあっという間に殺されちまう…」男は昨日のラージュを思い出し言葉に詰まる。
アンネとエリサも息を殺して真剣に聞いている
「それで早く逃げるしかねぇ、そう思った時だよ、港の方でものすごい勢いで炎が燃え上がったんだその炎はあっという間に港側を飲み込んじまった。ありゃぁ…」また言葉に詰まり2人の顔を伺う「大丈夫続けてください」アンネはエリサの手を強く握りしめ目を閉じてその言葉に耳を傾けた。
「あれじゃぁラージュの港はほぼ壊滅と言っていいはずだ、しばらく漁なんてできる状態じゃねぇだろう……俺は呆然として見入っちまった、どれくらい経ったかわかんねぇが、しばらくすると今度は街の至る所で火の手が上がり始めたんだ。そりゃぁ町中が煙で包まれて…あまりにも恐ろしい風景だったよ…どっちの人間がやったかわかんねぇがありゃぁ人間のすることじゃ無いね…」しばらく沈黙の後、男は続けてその後はどうなったかわからないと言った、恐ろしくなり慌ててディベスへ逃げてきたらしい。
アンネはいつにもなく俯いたまま口を開こうとしなかった。エリサの手を握るその手は少し汗ばみ力が入っているのがわかる。
反乱が終わればどちらが勝ったとしてもラージュに戻れて、今までと同じように生活ができると思っていた。しかしこの商人の話が本当だとしたら、最悪だ。
港が燃えた?もう漁はできない?信じられない言葉が次々と出てくる。
エリサはアンネの手を握り返し、真剣な表情で話し始めた。
「アンネさん! 私…このディベスの街が気に入りました。カルラ叔母さんもベレンさんも、そしてアンネさんとカイさんがいる…
…私は昨日まで全てを失ってしまったと思っていました、でもこの町に来てみんなに優しくされて……気がついたんです…まだ全てを失っていない、こんなに素敵な人達がいてくれている。だから、もう一度やり直そうって思えたんです」
「アンネさんは私のことを家族と言ってくれました、本当に嬉しかった…もちろん私もアンネさん達のことを家族と思っています、だから、だからまだ、私たちは全てを失ったわけじゃ無いんです。私はここ、ディベスからやり直します、新しくスタートするって決めたんです。……………それにはアンネさんも一緒じゃ無いとダメなんです! 一緒に頑張りましょう」
うつむくアンネの顔には長い髪がかかっていて表情がわからない、一瞬見えたその口元は何かをこらえるように唇を噛み締めているような感じだった、少しそのままでいた後、顔を上げたその表情は優しく微笑むいつものアンネだ、しかしその頬を一雫の涙が流れた。
「ありがとうお兄さん!安い情報料だったわ」アンネはそう言うとさっき買った紅を見て笑って見せた。
「へいまいど」商人の男も商売用の笑顔より少し自然な笑顔でそう答えた。
すでに陽が傾き始めている、ディベスに避難して2日目の夜、エリサは久しぶりに料理を作りたい気分になっていた。前に進むと決めたエリサは迷いの無い明るい表情で教会の厨房に向かった。