クラウスの反乱
「コンコンコン」
まだ夜明け前、外は静まり、空が紫色に染まり始める前、寝ていたルイスはドアを叩く音に気がつく。
「入れ」
音もなくそのドアが開くとラウラが静かに入り跪く。
「クラウスの屋敷に兵士が集結しております、すでに300人以上は集まっています」
「……っ!」ルイスは飛び起きると昨夜弓で射られた腕にズキッと痛みがはしる。その痛みと先手を打たれた悔しさと怒りが入り混じり、苦虫を噛み潰したような表情をした。
予想はしていた、しかし思っていた以上に行動が早い、あらかじめクラウスは計画をしていたのか?そうなるとそれに気がつかなかった俺の失態だ……
「ラウラ、クラウスの元に使者を送れ。すぐさま集めた兵を解散させろ」
「ハイ…」
急いで着替えるルイスの表情は険しく、全兵士を起こし戦闘準備をとるように急がせた。
「ルイス!?」バルサが慌てて部屋へ入ってくる。
着替え終わったルイスは窓から外の様子を伺っていた。街は暗く静まり返ったまま誰も気がついていない様子だ。
…兵を集めているということは戦争でもする気か?昨夜の襲撃程度であれば住民に被害は出ない、しかし300以上の兵が攻めてきたとしたらここは戦場となってしまうだろう…
「このままでは住民を巻き込んでしまう…」
ルイスは今すぐにでもエリサを助けに行きたかった、しかし指揮官として、王子としてこの場を離れることはできない「くっ!…」くちびるを噛み締め懸命にこらえる。
「バルサ!住民の避難を急げ最優先だ!クラウスに気づかれないよう静かに動け、灯りも使うな!………それと……すまん、エリサを頼む…」最後にルイスは申し訳なさそうに言った。
「わかった」バルサは真剣な表情で踵を返し走り出した。
続けてルイスはアレフを呼んだ
「アレフ、銃士隊をお前に預ける!住民の避難が終了するまで正面にバリケードを作れ、もし攻めてくるようであれば必ず守り通せ!」
「はい、必ず!!」
続けて東の砦に駐在しているルイス直属の兵士達にこの屋敷に集まるよう連絡。
次に近隣の領主へ援軍の要請を急がせた。北の港町ディベスと東の山岳地帯にあるルヒアナだがルヒアナは峠をいくつも越えた向こうにある為かなり遠い、だがせめてクラウスと組んで背後を突かれるのだけは避けないといけなかった。
夜が明けるまであと2時間程度、おそらく夜明け前には動き出すだろう…砦にいる兵の到着は早くても3時間後だ、なにより問題は避難が2時間でどこまで進むかだ。
援軍の要請も、この首都から離れた辺境の地ではたして第三王子ルイスの名前がどれだけ効果があるものか?そもそも来たとしても、早くてディベスからの援軍が2〜3日後だろう、あてにならない。いやまだ攻めてくるとは決まっていない…、ルイスは右手で顔を抑えながら鬼気迫る表情で考え込む。
夜明が近くなると空は紫色に変わり次第に辺りが明るくなり始める、ルイスの送った使者は戻ってこなかった。替わりにクラウス率いる部隊がルイスのいる屋敷に向けて進み始めたとの連絡がはいる。
偵察隊からの連絡によると、正面から向かうクラウスの率いる部隊は約180、西の住宅街から回り込む右翼は約120、東の森から回り込む左翼は約100、クラウスの屋敷を守る兵は約100だ。最終的に約500人の兵をクラウスは集めたのだ。
元々これだけの兵はここラージュにはいない、だとしたら半数近くが傭兵ということになる。
「おかしい…」あらかじめ予定していたと考えるのが妥当だった。
クラウスの屋敷は町の最北にあり、そこから南へ向かって大きな通りが2本出ている、1本は住宅や商店が立ち並ぶメインストリート、もう一本東側の通り沿いにはルイス達が滞在している屋敷がある、この通りには海賊討伐後に多くの行商人が露店を出しているラージュの中心街だ。
この2本の大通りは交差点ごとに大きな広場がつくられていて、ルイスのいる屋敷から北へ300mほど進むと一番大きな広場がある、そこは東側に大きな聖堂、西側に時計台があり露店も多く出店してあり、住民達がよく集まる街の中心と言える場所だ。
アレフはこの広場に入ってすぐの所にバリケードを張りクラウスを待ち構える事にした。広場には行商人の屋台が幌などをかけたまま沢山置いたままになっている。
アレフが待ち構えるバリケード横の建物の隙間からは朝日が射し込みはじめていた。その日の出とともに広場の反対側にある入り口にはクラウスの兵が到着し、アレフ達と対峙するように隊列を組んだ、そこはルイスのいる屋敷からも目視できるほどの距離まで近づいていた。
アレフ達のバリケードを確認し隊列を整えるとクラウスは兵士達を鼓舞し始めた。
「混乱に乗じてラージュを乗っ取ろうとしている王国を叩き潰せー!!」
「おおぉーー!!」
「奴らは権力を盾にラージュへ攻めてきた侵略者である!今こそ今こそ我らがラージュのために立ち上がる時である!」
「おおぉーー!!」
「我らの話を聞かない王国は海賊以上に野蛮で卑劣である!」
「おおぉーーー!」
「正義は我らに!!」
「おおぉーーー!!」
「今こそ我らがラージュの力を見せるときである!」
「おおぉーー!」
「弓矢隊前えーー!!」
「撃てーー!」クラウスは躊躇することもなく号令を発した。
次の瞬間正面にバリケードを張り、待機していたアレフ隊の頭上に雨のような弓が降り注がれた。
「ガッ、ガガッ、ガガガガガ…………」おびただしい数の矢が飛び交った。頭上から雨のように降り注ぐかと思えば「ヒュンッ」という風切り音と共に後方地面に突き刺さる矢、盾を持っていても矢の勢いは重く気を抜くと弾かれてしまうそうだった。
100人近くの弓矢隊の攻撃は激しく、しばらく続いた、とてもじゃないが生きた心地はしない。
ここ数日晴れが続いていたため街は乾燥しきっていた、石畳に降り注いだ矢の勢いは激しく、周囲に砂煙が舞う。一瞬にして行商人の屋台は壊れた。近くにある家屋も傷だらけになった。アルフはなんとか盾でしのいだがその目には数名の負傷者が映っていた。
「くっぅ……」しかしアルフはまだ指示を出さず相手の動きを観察するように我慢している。
次にクラウスは間髪入れず無数の火矢を放った、アルフの目に炎が飛んでくる光景が映される。
「っ………」「盾構えー!耐えろー!」アレフが必死な表情で叫ぶ。
幸いにも先ほどより矢の数は少なかった「くそっ、……まだ…もう少しだ…」しかし屋台には火が付きアレフ達の後方にも火矢は飛んでいた。
「消火班急げ!」アレフが叫ぶ。
火矢を使うことは想定内だ、しかしあらかじめ消火の準備はしておいたものの圧倒的に人手が足りていない。数名の兵が懸命に消火に当たる。
アレフの部隊が消火に気を取られ始めたところでクラウスは何も躊躇することなく動きだした。
「歩兵部隊突撃ーーーー!前方バリケードを突破せよ!」
「ウオオオオーーーー」ものすごい雄叫びと共に広場の中にあるバリケード目指し突撃を開始。その後方には馬に乗ったクラウスの姿も確認できた。
目の前の敵は圧倒的な数で攻めてきている、100以上の兵が槍や剣を持ち自分達を殺しに向かってきているのだ。
タイミングを間違えたら自分はあの槍で何箇所も刺されて串刺しにされるだろう。アレフの心臓は破裂しそうなくらい勢いよく脈打っていた、チャンスは一回だけ、緊張と恐怖で呼吸も震えていた。
「フー…」
アレフは静かに立ち上がり大きく深呼吸をし小刻みに震える右手を上げた。
「っ…撃てー…ぇぇ!!
パン!パパッ、ダダッダン!!…パパンッ、パン!…
広場の中におびただしい銃声が轟いた。その瞬間目の前の兵士達がバタバタと倒れていく。
同時に撃たれた銃の音は兵士達の叫び声さえもかき消す大きな爆発音のようになっていた。
アレフは広場の左右にある一番高い建物、聖堂と時計台の最上階にありったけの銃を持たせた兵士を15人づつ潜ませていた。
聖堂に15人、時計台に15人とアレフ達正面10名のほぼ40人全員が連続して銃を放ったのだった。
アレフ達の使っている銃は弾を一発づつ入れて放つコッキング式のライフル銃だったが1人4丁は持っているので連続して四発は撃てる、40人が4回、160発の銃弾が3方向から同時に放たれたのだった。
アルフは前方奥で落馬するクラウスの姿を確認したとき「よし!」と心の中で叫んだ。
「撃ち方止めー」
………… 辺り一面が一瞬にして静かになった
次の瞬間
「ぅああああーーー」
運良く銃弾を逃れた兵士達は一目散に退散する、奥に待機している部隊は唖然としていた、いや青ざめているといったほうが正しいかも知れない、少し間を置いて退却する兵に気が付き慌てて弓矢で牽制してきたためすかさず盾に持ち替える。
攻めてきた部隊が一旦退くと広場にクラウスの姿も無かった。他の兵が這いずりながら逃げて行く姿を確認していたらしい、残念ながら致命傷は与えられなかったようだ。
クラウス率いる4倍はあった兵士の数は一気に3倍程度に減ってしまった、しかしまだ3倍も兵力差はある。
ただ、ここにいるクラウスの兵達の誰もがその3倍を圧倒的な数と思えなくなっていた、何より幸運にも落馬しただけでかすり傷しか負っていないクラウスは死の恐怖を目の当たりにしたのだ。その恐怖心はすぐには拭えず部隊の後方で青ざめた表情をしていた。
圧倒的に進むと思われていたクラウスの部隊は広場の手前で足止めをくらい、膠着状態へと入った。
戦いは始まった、ルイスが窓から外を見るとまだ避難できていない者達がいる。荷物を抱えて逃げる者がいれば、着の身着のまま走る者もいる、泣きじゃくる子供達、杖を突いて走れない老婆。銃声を聴いて皆が慌てているのが良くわかる。
「…っ…まだ避難が終わっていない…」焦るルイス。
「東側の森は順調、敵の進行はほぼ停滞中です」しばらくすると1人の兵士が報告にやって来た。
「……ふぅ」順調な報告に一つ安堵の溜息をつく。
ルイスの出した東側の作戦は単純だった、5人一組で6部隊、計30人で「ひたすら罠を張り巡らせろ、絶対に牽制以外の攻撃はするな」だ。
そこは時間との勝負だった。森の入り口の方はただロープや草木のツタを張るだけだ、それも敵の目に見えるように…。
簡単で単純だ、森に入っていきなりロープが張り巡らされていたら誰もが立ち止まる、それが戦場ならなおさら警戒して一本ずつチェックするだろう、クラウスの部隊も同じだった。
ただのこけ脅しと思わせた頃にちゃんとした罠を幾つか作る、ロープを引いたら弓が飛んできたり、上から石が落ちてきたりだ。
無数にあるロープの中に数本は本当の罠、これだけで十分な足止めになる。
入り口の罠で時間を稼いでる間に落とし穴や倒木など大掛かりな罠を作る時間もできる。人数が多いがゆえに森のような狭い場所ではクラウスの部隊は動きが鈍くなっていた。
「東側はもうすぐ砦からの部隊が到着する、それまでもちこたえろ!正面はそのままアレフになんとかさせろ!残りの兵は西側の市街地に集中させろ、避難が終わるまで街の住宅街に一歩も入れるな!」ルイスは険しい顔つきで指示を出す。
クラウスは正面からの突撃は危険と判断し、左右の部隊を進め屋敷を包囲することともに、アレフ達銃士隊の背後を突くように指示した。そのため西側の市街地へ兵力を集中し始めていた。
「くっ、まだか早く避難を…」ルイスは焦るように窓の外を見ていた。
市街地の部隊が押されている。いくつも作られたバリケードは徐々に後退しているのが見えた。
「コンコン」誰かがドアを叩く
「入れ」バルサが状況報告に入ってきた
「ルイス様、住民の避難誘導は約8割が終了、あと15分程で全住民が町を出て東の教会と砦へ集められます」
「わかった!………エリサは…確認できたか…?」昨夜手当てをして貰った左腕を押さえながらルイスは静かに口を開いた。
「…いえ、店には誰もおらず、私が避難誘導をとっていた中には…。ただ漁師など船を持つ者達は多数自力で海へ出てディベスへ向かったと報告を受けております、カイさんとアンネさんも見なかったので、おそらくはそちらに…」バルサは申し訳なさそうに言った。
「…そうか」ルイスは一言だけそう言って悔しそうに外を眺めた。
ルイス率いる国王軍のほとんどはバリエに返してしまっている。今は治安維持のために残している兵だけだ、砦に約80人、屋敷に約120人の計200人余りだ。
それに対し領主クラウスの元に集まった兵は約500人、しかも国王軍は住民の避難に兵の大半を割いてしまっている。今は足止めしているだけでも奇跡のような状態だ。
「よし、まず西側を崩す!バルサ!ラウラ!ついて来い!」
「はっ!」
「はい!」