港町ラージュ
良く晴れた漁港で海を眺めているエリサ。すぅ〜〜はぁ〜〜と大きな深呼吸を何度も繰り返す。潮の香りをたくさん含んだ空気を身体の隅々までに行き渡らせるように何度も何度も幸せそうな顔で。
初夏の穏やかな風は真っ白なシャツを着たエリサを包み込むように海から吹き抜け、また新しい潮の香りを運んでくる。深く被ったハンチング帽を上にずらすと、穏やかな笑顔で久しぶりに訪れた平和な日常を全身で感じていた。
静かに打ち寄せる波の向こうにはどこまでも蒼い海が広がり、それが眩しい太陽に照らされてキラキラと光り輝いている。
空は高く、透き通るような青い空に覆われ、風も穏やか。雲一つない晴れたこの気持ちの良い天気の中、聴こえてくるのは波の音と海鳥達の声。
それと大漁だった漁師達の大きな歓声が港の彼方此方であがっている。
ここラージュはファルネシオ国でも有数の港町で漁は定置網漁が基本だ。季節や天気、気温に潮の流れと風の強さ、様々な状況を考慮して仕掛ける網の位置や深さ、角度を調整する経験と知識が必要とされる。いきなり素人が始めても安定して魚が穫れるというわけではないのだ。
しかし古くから漁業が盛んなこの町、どの漁師も経験と知識は豊富でたくさん魚を積んだ船は次々と港に戻ってきていた。
ここ数ヶ月の間、港は海賊により占拠されてしまい漁はおろか外出さえままならない日々が続いていた。町の領主は海賊に捕まりここ港町ラージュそのものが占拠されてしまっていたのだ。しかし国王軍による海賊の討伐が無事に終わり、今日は久し振りに漁が再開された初日だ、どの漁師も気合がはいっている。
そんな港の1番端へ向かうエリサは自分の経営する酒場で使う魚を仕入れるため馴染みの漁師の元へ向かっていた。
「何処の船も大漁だぁ、美味しそう〜〜」次々と水揚げされる魚に目を輝かせ生唾をのんだ。
「久し振りの魚だからなぁ今夜は何を作ろう。今の時期ならスズキは必ず取れるはずだ生でも食べられるし、焼いても美味しい! 楽しみだなぁ〜」
昨日までエリサの経営する酒場の営業は酷いものだった。港町の酒場なのに魚料理が作れないどころか街道が封鎖されてしまったため日に日に物価が高騰する始末、酒の仕入れにすら四苦八苦していた。
街は荒れる一方で誰もがなるべく外出を控えるようにしていたし、夜の酒場なんて海賊達の溜まり場になってしまう為昼間しか営業はできなかった。
少し離れた隣町のディベスからも魚は入ってきていたが値段が高くて買うことはできない、そんなものは全て海賊や貴族達の胃袋行きとなっていた。
さらに今回の一件で何もしなかった領主たち貴族に対する不満は大きくなっている、自分達の身の安全を約束する代わりに街道の関所を海賊に渡してしまった上に、街で略奪が起こっても素知らぬ顔で日々過ごしていたからだ。
私達から見たら海賊の仲間と一緒だった、しかし町の領主や貴族達も取り潰してしまうと街の再興が遅れてしまうということでその地位は守られたままらしい「全く腹立たしい…」今まではそんな事を毎日考えていた。
しかし今は漁の再開と普通に酒場が営業できる喜びでいっぱいだった。
「今日は最高に美味しい料理でみんなを迎えるんだ!そして笑顔でいっぱいのお店が今日は戻ってくるはず!!」まるでこれからお祭りでも始まるんじゃないかと思うくらいワクワクしていた。
そして、これは自分だけではない。街中の人達全員がエリサと同じように平和になったこのラージュを喜んでいるのだ。
「おーい」遠くで漁師のカイが呼んでいる。
「あ、カイさーん」エリサもそれに気がつき大きく手を振って走り出した。
「嬢ちゃんやっと来たか、今日の漁は最高だったぜぇ!今夜は呑みに行くから久しぶりの魚料理を頼むぜ!」鼻息を荒くして興奮気味の大男の前には立派なスズキやカレイ、的鯛、カサゴが桶いっぱいに入っている。
「わぁ〜〜スゴイですね!」予想以上に多い魚の量と種類にエリサのテンションも一気に上がった。
「エリサちゃん、こっちも持ってきたわよ」突然後ろから声をかけられ振り向くとカイの奥さんのアンネが大きなカゴいっぱいに貝や海藻を運んで来てくれていた。
「おぉ〜〜!」大きな眼を更に大きくして子犬のように喜び出すエリサ。
「今日から酒場も普通に営業できるんでしょう?ほんとによかったねぇ」アンネは感慨深そうに話し始めた「昼間の営業だけでも海賊の奴ら店に来ることがあるって聞いていたから、もうエリサちゃんの事が毎日心配で心配で…」
「はい、確かに危ない事もありましたけどカイさん達が結成した自警団の人達がいつも見廻りに来てくれていたので頑張ることができました!カイさん色々ありがとうございました」
「はは、嬢ちゃんの店が無くなったら俺っちも困るからなぁ、お互い様だ。頭なんか下げねぇでくれ」深々と頭を下げるエリサに対してカイは笑顔で優しく答える。
「はい……」辛い日々が続いていた為、解放された安心感とカイとアンネの優しさが嬉しく急に涙が出てきてしまった。
「嬢ちゃんの店はこれから忙しくなって大変になるんだ泣いてる暇なんてねぇぞ!」
「ごめんなさい…嬉しくて……。ぁ、でもいい加減嬢ちゃんって呼ぶのは終わりになりませんか?」
「んっ?そりゃ無理だ、こっちゃぁ嬢ちゃんが小便漏らしてる頃から知ってるんだ無理ってもんだろう!」
そう言われて恥ずかしそうに頬を膨らませ顔を赤らめてしまうのがいつものやり取りだ、こんな会話ができる当たり前の日常が戻ってきた、そう思うと平和になった当たり前の日常がとても愛おしく思える。
「もぅ〜これでも22歳になったんですから、髪だって長くしたんですよ、ほら!」
涙を拭い帽子を取ると束ね上げていた髪をほどき、鮮やかなブロンド色の長い髪を見せた、背中まで伸びた髪は細く艶やかで初夏の陽射しを浴びるとキラキラと輝いている、大きな目をしているので少し幼さの残る感じはするが、なだらかな肩のラインから伸びる細くてしなやかな手、白く透き通るような肌。少しドキッとする色気をかんじさせる。
「ぉ、ぉう、たしかに…な…し、しかしよう嬢ちゃん、そろそろ彼氏の一人でも出来たかい?」
「へっ?な…ぁ…か、かれし…なんて…ま、まだ…」予想外の問いに耳まで真っ赤になってしまった。
「はっはっは〜、じゃあまだまだ嬢ちゃんだな」