男ならこれを選べ! って書いておくべきよ (上)
まったくの初心者から始める模型のハウトゥストーリーです。
読めばプラモデルやガレージキットの組み立てができるようになる、そんな内容を目指していきますので、よろしくお願いします。
松田美桜は渇望した。
必ずかのゲームのキャラクターを手元に置いておくと決意した。
だが、美桜にはホビーが分からない。
美桜はゲーマーである。画面端でガタガタ震えながら、弾幕をチョン避けして暮らしてきた。
しかし、欲望に対しては人一倍忠実だった。
「時は、待たないわ」
美桜は落ち着き無く自室を歩き回り、考えを巡らせた。
ベットの上には新型携帯ゲームハードと、ワイヤレスコントローラーが投げっぱなし。
机には大きな液晶モニターが鎮座し、下のパソコンは轟々と音を立てている。
壁にはアニメやらゲームのタペストリーがぶら下げられ、押入れの戸を隠していた。
窓際には申し訳程度に観葉植物が置いてあり、唯一これだけが女の子らしく部屋を彩っていた。
散らかってはいるが、目をつぶっても何がどこにあるのか分かる自慢の部屋だ。
それも今の美桜には物足りない。
「うるおいが足りないわ」
彼女の考えるうるおい、それはゲームキャラクターをモニターの制約から解き放ち、いつまでもそばに置いておきたい。
さらに言えば、好きな角度から愛でまわしたい。
我慢できなくなったその時には、美桜はカタログページを検索していた。
「そこには、なにもないようだ……」
しかし、検索結果は思わしくない。
時代はサブカルチャーの主流をゲームからアニメに変えていた。そのゲームの中でも少数派のシューティングゲーム、さらにキャラグッズ、さらに美桜を満足させるフィギュアとなると皆無であった。
なお悪いことに、美桜の贔屓にしているキャラクターは出番
も少なかった。
「手に入らないのなら、いっそ!」
作るしかない。
一人頷いた美桜は、自らの思いつきに満足そうな笑みを浮かべた。
一年後、美桜の部屋は大きく様変わりをしていた。
久しぶりに上がり込んだ親友は、その変貌に目を丸くした。
彼女は一度吹き出してしまったものの、あとは頬をふくらませて笑うのをこらえている。
「いやいやいや、コレはない」
「あぁ、パソコンの場所が変わったわね。部屋の容量が足りなくって」
友人の懸命の努力には気づかず、美桜は自慢げに鼻を鳴らした。このマイペースっぷりは改めて欲しいが、今追求するのはそこではない。
「脳みそデフラグしろ」
友人は美桜の脇腹をつつき、その手で部屋の奥を指差した。
壁のタペストリーは全て取り払われ、代わりに天井まで届くガラスケースがいくつも設置されていた。
「飾るっていっても限度ってモンが……」
「そうね、そろそろスペースがきつくなってきたわ。次の棚を買えとの天の声かしら?」
ガラスケースにはギッシリとフィギュアが並び、各々の隙間は造花で彩られていて、妙に女の子らしかった。
しかし、どんなに可愛らしく飾り付けても、その中身が変わるわけではない。
際どい。
どのフィギュアもミニスカートだったり、水着だったりでセクシー全開である。
部屋の緑は全て造花になったので、植鉢は姿を消していた。
友人としてそのことを指摘しようと思ったが、それで美桜が聞き入れるとは思えない。
だが、ガラスケースの一角、造花のないスペースを見たときに我慢は限界を迎えた。
「って、ロボットもあるんかい!」
ペシっと手の甲で美桜の胸を叩いてやると、彼女は恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
「そんなに褒めないでよ」
「褒めてない」
これは何を言っても無駄だ。脇腹をつつき、美桜の勘違いを黙らせるしかない。
「口を閉じて、シャットダウンしろ」
不意打ちを受けた美桜は、床に転がって悶絶する。
友人はため息を殺しながら、もう一度ガラスケースに目を向けた。
改めて見てみると、フィギュアというものはなかなか綺麗なものに思えてきた。
「コレ、プラスチック?」
「ちょっと違うけど、似たようなモン」
服のシワに乗った薄い色が、硬い素材を柔らかく錯覚させてくる。
それでいて、金色に輝くボタンが全体の印象をキリッと引き締めていた。
ブラウン系で塗装された肌色の奥部はアニメ的ではなく、少し生々しかった。そんなしっとりとした肌色が、ミニスカートの中へ伸び――
「キミキミぃ、目がオヤジっぽいよ~」
「はっ! 見てない! 見えてない!」
美桜が口を手で押さえ、いたずらっぽく笑っている。
恥ずかしさで真っ赤になった友人は、手を振り回しながら話題の転換を図るしかなかった。
「これ、全部ミオっちが作った?」
彼女が苦し紛れに指差したのは、一番下の棚の隅にあったロボットだった。周りのロボットと比べて一回り小さいそれは、お世辞にも綺麗なものではなかった。
「ああ、懐かしいなぁ~。 最初に作った奴だったかな」
美桜は少しだけ眉を下げたが、すぐに目を輝かせて作成方法を語りだした。
「それはね――」
※ ※ ※
松田美桜はゲーマーである前に学生である。放課後ともなれば部活に顔を出す。
サブカルチャー研究同好会。
内申書は欲しいが、趣味は邪魔されたくない。そんな強い意思と、ホンの少しの行動力を持った先輩が作り上げた、難攻不落の治外法権の地である。
なお、同好会なので予算もない。治外法権である。
「え? 嫌ですよ。だって松田さん、すぐ飽きたって言うだろうし……」
かの地の王、部長は弱々しい声で異を唱えた。
美桜が要求したのは、部長が持つプラモデルのコレクションだ。次から次へと発売される魅力的な新商品の前に、作成時間と気力が追いつかず、ただひたすら数だけが増えていた。
通称、積みプラである。
「そんなコト言って、部長、作んないじゃん。ね、だからエリクサー……じゃなかった。プラモ、ちょうだい?」
それを以前から聞いていた美桜は、他の部員にも同意を求めた。
声のトーンを一段あげて、可愛くおねだりである。
しかし、部員達はどちらつかずの顔で視線をそらすだけ。同意を得られなかった美桜は、不満げに口を尖らせた。
「そこは、ものまねしなさいよ!」
「ものまねしたって、プラモは減るんですよ」
部長に冷静なお断りをされた美桜は、表情を涼しいものに戻した。ついさっきまで甘えたり、すねたりしてみせていたのだから、本気にしなかった部長は賢い。
「いいよ、もう。私、プラモ作るから。必ず作るから」
美桜は部室に来たばかりだったが、もう鞄を持って出ていってしまった。
思い立ったが即行動の美桜は、人から見れば気まぐれに映るのかもしれない。
だが、それを指摘されたぐらいでは諦めない、一途な少女なのだ。
それも知っている部員達は、ホビーショップへ向かう美桜を心配することなく見送った。
※ ※ ※
美桜の目的は、ゲームキャラクターのフィギュアである。
間違ってもロボットのプラモデルではない。
機甲戦士ガンダーは人型をしているが、人間にはならない。
人体を造るのに必要なのはガンダーではない。粘土だ。
美桜も最初は粘土を使って一から作ることを模索した。だが、何度考えてもイメージ通りに作れる気がしなかった。
もしかしたら、万が一にでも、形にはなってくれるかもしれない。だが、そんなものを見たくはなかった。それまでに彼女の愛は深い。
「どこに行きますか、ボス?」
そこで美桜は考える。
本屋に行っても、彼女の好きなゲームの本は売っていない。行くなら同人誌ショップだ。
無いのなら作ればいい、それだけの情熱を持った者が集まって作った本を売る店である。
そして模型にも同人グッツがある。
ガレージキットだ。
大企業が工場で製造するプラスチックモデルに対し、同好の士が家庭の倉庫で作成したことから、その名がついた。
個人作成なので当然のことだが、数や品質の面では大企業の製品には及ばない。
よって組立にはモデラーの技術でフォローすることが必須とされている。
「手に入らないのなら、いっそ!」
その技術を身につけるしかない。
今一度、決意を新たにした美桜は、ホビーショップのドアをくぐった。
入口付近に並べられているのは、新商品のプラモデル。ガンダーが三種類と、あとは美桜が知らないロボットだった。
美桜はそれには目もくれず、奥の棚へ視線を向けた。
壁際にはズラリと並んだカンプー。手前から144分の1ハイパーグレード、100分の1マスターズグレードシリーズ。
模型を志す者が最初に訪れるのは、普通ならキットの棚だ。
誰しもが憧れのキットを手に取り、完成形を思い描く。その情景が実在するものか、非現実のものかは人それぞれだが、瞳に映るものは同じものだ。
「おお、私の友達! でも、これはいらない」
だが、美桜はそちらには目もくれない。
右の棚には完成品フィギュア。人気のアイドルアニメの新作パッケージが自慢気に飾ってある。
「このポーズを立体化とはお目が高い……けど、今は買わないよ」
こちらも今の美桜には必要ない。
左の棚に工具がぶら下がっているのを見つけ、美桜は小さく頷いた。
「うん。武器や防具は装備をしないと意味がないのよ」
売り場の壁には鋭い刃先の刃物が並び、足元には透明の瓶に入った接着剤がキラっと輝いている。
工務店のような無骨なイメージを抱いていた美桜は、ちょっと嬉しくなってきた。
「にしても、けっこう種類あるのね。商売上手」
ゲーマーにとって最大の楽しみの一つにアイテムの数値チェックがある。
新しい町、新しい宝箱、新しい合成レシピ、新しいガチャ。
とにかく新しいものは数字が大きい。
大きい数字を求めるためなら、古代の封印を解くことも、巨竜を狩ることも、全く苦にならない。
それがゲーマーだ。
もちろん美桜にとっても、新アイテムの選定は一番楽しい時間である。
「ダメだ……どれが良いのか分かんない。これ全部買うと、私大損します。でも買わなきゃ」
ハズだった。
美桜は人差し指で額を押さえ、渋い顔になってしまう。
ニッパーだけでも三種類が並び、値段もピンキリなのだ。こんなことなら部長を引っ張ってくるのだったが、後悔先立たず。
ゲームハードならスペックが数字で書いてあるのだが、工具のパッケージには良いことしか書いてない。
鋭い、精密な、使いやすい。
どれも同じにしか見えなかった。
「それに高いし……私に首吊れといいますか?」
ピンキリのうち、ピンの物でも美桜が覚悟していたより高額だった。
「ニッパーいっこ2500円って……ちょっと。ガンダー買えるんじゃん」
キリに至ってはキットより高いのだった。
「男ならこれを選べ! って書いておくべきよ」
憤慨しそうになる美桜は、別の視点から考え直すしかなかった。
彼女にとって、今日の買い物は練習のための第一歩である。
練習のためには工具だけでなく、キットも買わなくてはいけない。
だが、同人誌が高いのと同じで、ガレージキットもプラモデルに比べてずっと高額である。
そして、学生である美桜の財布も無限ではない。練習で全力を使い果たすわけにはいかない。
早くも美桜の計画は暗礁に乗り上げようとしていた。
「手に入らないのなら、いっそ!」
よその店で買うしかない。
美桜は回れ右をして、近くの百円ショップを検索しはじめた。
※ ※ ※
次の日、部活に顔を出した美桜は、カバンの中身をお披露目することにした。
「じゃじゃじゃーん。コレで私が本気って分かったでしょ?」
擬音を口に出して自慢する美桜は、すこし興奮気味だ。
キルハ デザインナイフ500円。
ミヤタ ペーパーやすりセット200円。
ミヤタ ベーシック筆セット 300円。
万代塗料皿 100円。
あとは、百円ショップで買ってきたメーカー不明のニッパーとピンセット、金ヤスリ詰め合わせ。
おおよそ1500円の買い物である。
それを一通り見た部長は、何か言おうと思ったが言葉は出てこなかった。徹底的にコストを抑えながら、必要最低限の機能は備えたチョイスだ。
「レベル1勇者は鉄の剣を買ったりしないのよ。棍棒で十分だわ」
「百均だと、ひのきのぼうじゃないの?」
横から見ていた女子部員が口を挟んできた。美桜が新しく始めようとしていることに、皆興味深々である。
はしゃぐ美桜には悪いが、部長はこのセットに足りないものに気づいてしまった。
ガラス瓶は意外と重たい。わざわざ学校までもっては来ないだろうとは思ったが、部長は念のため聞いてみた。
「松田さん、筆と塗料皿があるけど……塗料は?」
美桜はキョトンとした顔で、二三度まばたきをしてみせた。 しばしの時間が流れた後、美桜は再度カバンに手を伸ばした。
塗料を買い忘れたのは明らかだが、部長は何も言わなかった。それが男の優しさというものだ。
「で、キットだけどね。部長にもアドバイスもらいたかったし、やっぱロボットじゃないとね」
「そうそう、ガンダーだよね」
女子部員に急かされた美桜は、カバンから小さな水色の箱を取り出した。
Jカーン(OMG版) 中古価格300円
「違います。ガンダーじゃありません。ロボ違いです」
即座に部長は否定した。美桜にも分かるように三回否定した。
大事なことなので否定した。
Jカーンとは、昔ヒットした対戦型ロボットアクションゲーム、バーチャルオンの主役ロボットである。
青いバイザーをかぶった頭部から伸びたアンテナは二本。胸は青で、手足は白。
背中に背負った旧式ゲームハードが、美桜のハートをわし掴みのデザインだ。
「どう? この土星エンジンがカワイイのよね」
「そういうのは、土星エンジン言わない」
パッケージを指差した美桜はニコリと笑ってみせたが、部長としては面白くない。
積みプラとはいえ、コレクションを取られそうになった上、美桜が持ってきたのはガンダーですらなかった。
ゲーマーの美桜は知っていて当然のロボットだが、部長にとってはガンダーのパチモンキットでしかない。
今度ばかりは部長も渋い表情を隠しきれなかった。
※ ※ ※
塗料の問題は美桜にとって頭の痛い話であった。
家に帰った後も、机に向かって考えてはいるのだが、未だに結論は出せずにいた。
「私にこの手を汚せというのか……」
日本の模型において定番とされるのはラッカー系塗料(※)である。
※現在は溶剤性アクリル樹脂塗料と呼び、水性アクリル性樹脂塗料と区別しますが、本書においては旧称のラッカー系と表記します。
ラッカー系塗料は、定着性と乾燥速度に優れており、乾燥後の強度も高い。なにより発売されている色数が多いので、多彩な表現が可能となる。
しかし、その希釈にはシンナーを使用することとなる。部屋でそんなものを使えば、親に怒られることは間違いない。
どうせ怒られるのなら、エナメル塗料という選択肢もでてくる。色ムラが出づらく、経年劣化にも強い。
だが、乾燥後触ると酸化を起こしたり、ひび割れると聞くと、初心者の美桜には使う勇気が出ない。
残る選択肢は水性塗料だ。匂いも少なく、取り扱いも気楽に行える。
欠点としては溶剤の関係上、ワックスやコンパウンドなどが使用できず、表現の幅が狭くなってしまうことが挙げられる。
これは美桜にとって死活問題であった。
彼女の目標とするキャラクターには、高確率でツヤツヤピカピカした装飾品がついてるのだ。
「手に入らないのなら、いっそ……」
怒られるしかない。
美桜は強ばった顔で押入れを開いた。
ミヤタ250II エアーブラシセット 3500円
去年、買ったまま未開封でしまっていたものだ。これがあれば、ネイルやスマホを好きな色にできる、ような気がしたのだ。
吸い上げ式のエアブラシと、ガス缶がセットになったもので、裏の説明書きに扱いやすいと書いてるところが、その気にさせらせる。
星のマークのパッケージを開き、中身を確認する。
「大丈夫、部品は足りてる。できるはず」
塗料はまだないのだが、開けただけで緊張を抑えきれない。
これを使えば、親に怒られる。
それも確実に。
ラッカー塗料を開ければ、部屋中でシンナー臭が充満するだろう。健康に悪そうだし、なにより親世代からは不良の行為として忌み嫌われる行為だ。
さらにエアブラシを使えば、飛び散った塗料が部屋を汚すことは避けられない。
一度覚悟を決めたことだったが、珍しく美桜は躊躇した。
母親に耳をつねられる痛みは、生半可な覚悟では乗り越えられない。
「道具は揃った。あとは作って作って作るだけよ……」
しばらく考えた美桜は、ゆっくりと顔を上げた。
そして右手にニッパーを握り締め、Jカーンのパッケージに手を伸ばした。
「いくぜ、百万体!」
これは小さいキットだが、美桜にとっては大きな決断となった。