04-脱出
「レイア殿、こちらの準備は整いましたが、心づもりはいいですか?
この格子は少し特殊で、工作するめには今外す訳にはいかないのです。そこで痛い思いをさせて申し訳ないのですが、少しでよいので貴女の血を牢の四隅に一滴ずつと、こちらに一滴垂らしてください。
これで簡易ではありますがこの格子をあけずに術を確実なものとできます。」
「はい」
渡されたナイフで指先を少し切り、言われたとおりに行っていく間もシィレンの説明は続いた。
「詳しい説明は省くことをお許しください。
まず今宵のことは忘れてください。ここでわたくしたちに会ったことは他言無用に願います。
多少事情は前後してしまいますが、この後公爵の下へ行き公自らの意思で貴女方を遠方へ捨て置いたと思わせるよう偽装を行う予定です。容易ではないですが、決行するには今宵が絶好の機会なのです。必ず成してみせましょう。そのように心得てください。
あと、おそらくいずれは知ることとなりましょうが、御子の出自や事情についてそれを本人に話すかどうかはレイア殿にお任せいたします。」
そうこうしているうちに準備が整いついにその時がやってきた。
「では始めます」
「はい」
「ジン、外の様子は?」
「問題ありません」
「では、レイア殿、部屋の中央へ…」
「はい」
「……あっ」
指示に従い移動しようとした時小さく声があがり、それに振り向くとシィレンが頬を微かに紅く染めながらこちらを見ており、小首を傾げた。
「……?」
「レイア殿、最後に一度お腹を触ってもよろしいでしょうか?」
「えっ……ふふっ、もちろんよ」
「ありがとうございます」
シィレンの言葉に再び歩み寄ると、彼女はそっと優しくお腹に手を当て、目を閉じた。
「…どう?」
「あぁ、すばらしい。なんとも暖かく輝かしき光を感じます。
わたくしに光をくれた御子よ、貴方はまさにわたくしの光、わたくしの希望です。ありがとう。
己が心の命ずるままに強く、優しく、激しく、生きなさい。さすれば、貴方の前に道は開かれるでしょう。
貴方と貴方の母御の御許に天の導きと大地の加護があらんことを…」
囁くようにお腹の子に語り掛け、最後に一撫でするとシィレンは目を開け、レイアに目を向け微笑んだ。
「ありがとうございます」
「いいえ、こちらこそありがとう」
「あっ、そうでした、これを」
「?」
シィレンが懐か取り出したのは、親指ほどの雫型の石に皮ひもが取り付けられたものだった。受け取って見るとその石は一見只のガラス細工のようにもみえるが、光を受け様々な色に見えるというとても美しいものだ。
「これっ…!」
「どうか、受け取ってください。
その石にはわたくしの唄を込めておきました。気休め程度にしかならないでしょうが、一応守り石です。
せめてこれくらいさせてください。」
守り石は、魔術師のみが作れる貴重なものだ。現在魔術師の数自体がそんなに多くないうえに創るのに手間がかかり、さらにたいていの守り石は所有者が代わるとき明確な譲渡の意思を持って行わないと石の効果が発しないようにできていることから、なかなか手にできないものだった。
レイアは石を握りこみ、万感の思いを込めてお礼を言った。
「っ……、ありがとう。大切にします」
「はい。
では今度こそ始めましょう」
「はい!
あっ、あの、お二人は大丈夫なの?一緒に逃げた方がいいんじゃない?」
ふっと今頃になって気付いたことを尋ねると、二人はきょとんとお互いの顔を見合わせから微笑んだ。
「お気遣いありがとうございます。
ですが、我らは行きません。今はまだ事を起こすには尚早。期を失すれば成せることも成せませぬ。特に民たちには辛く、申し訳ありませんが今は耐える時期なのです。必ず機は来ると希望を捨てず、それに備えながら耐えねばならぬのです。
貴女には貴女の、我らには我らの闘い方があるのです」
「はい。でも気を付けてくださいね。
お二人とも本当にありがとうございました。
きっと元気な子を産みます」
「いえ、お体をお大事に」
「はい。貴女と御子に天の導きと大地の加護があらんことを。
さようなら。」
「さようなら」
皆で頷き合い、密やかに別れを行うと、シィレンは詠唱を始め、術を発動させた。
薄暗い地下の中、レイアを挟むよう足元と頭上に、さらに格子越しにいるシィレンの正面に一つずつ計三ヵ所に魔方陣が浮かび上がり、一瞬の強い光に目を閉じ、再び開けたときには、もう牢には誰の姿もなくなっていた。
「はぁ。何とかうまくいったようですね」
「あぁ。
さて、余韻に浸っていたいところですが、こちらはこれからまだまだやることが山積みです。ここを片付けて次にチャッチャといきましょう」
「そうですね、
……これからです」
シィレンは格子越しの空に浮かぶ月を見やり、挑むように決意を込めて一言つぶやくと、素早く事後処理に取り掛かっていった。
そして、いつの間にかまた二つの影が闇にまみれ消えていった。