幾許の想い 3
生地と図面を持ち帰ると、母親はふとレウレトのことを思い出した。そして背広の事、アルフレッドの事、自分の病気の事、愛児達の事を手紙に認めた。それを持って郵便局に行き、手紙を送った。そうして帰宅してから母親は背広を作り始めた。一カ月が経過して背広は出来上がった。母親が店に持って行き、店主に確認してもらう。その背広はワインレッドの色をしていて、裏地にはルクレール家の紋章である獅子が刺繍されてある。
「うん、素晴らしい出来映えだ。やっぱりあんたに頼んで正解だったよ」
「ありがとうございます」
「これはその代金だ」
「こんなにですか!」
「あと少ないが、こいつも受け取ってくれ。まあ退職金みたいなもんだ。それとあんたに貸した道具類はあげるよ、これから使うだろうしな。餞別代わりに使ってやってくれ」
「ロイドさん……、ありがとうございました」
「ああ……、あんたの腕ならすぐに客はつく。頑張れよ、達者でな」
「はい、ロイドさんもお元気で」
そう言って母親は店をあとにした。そして銀行に行き、あと一年は家族が食べていける分を自分の口座に、そして残りをアルバの口座に預けた。そのあと母親は教会に向かい、老神父に自分の身上を伝えた。さらに共同墓地に自分の墓を作って欲しいとお願いをした。涙ながらに嘆願する母親の姿と、境遇を思って心を打たれたのか、老神父は無償で願いを聞き入れた。母親の入る墓の場所は墓地の片隅で、そこは陽のあたる、小さな桜の木の下にあった。
母親が家に帰ってきた。時計を見るとまだ昼過ぎである。作業する机に座り、紙とペンを取り出して、一つ深呼吸をして、それから愛児達に宛てた遺書を書き始めた。もうすぐ死ぬとわかりながらも、幼い愛児達を想いつつペンをはしらせるのは辛かった。何度拭っても、なお涙は止まらない。紙を濡らさぬよう、ハンカチで目を押さえつつ、時折ペンを置いてはまたそれを持ち、遺書を記していた。そうして書き終えて、封筒に収めて例の保管場所に大切にしまうと、アパートの一室に母親の慟哭がこだました。しばらくして泣き止むと、母親は作業机に座り、最期の大仕事に取り掛かった。
* * *
地上の楽園で過ごす日々は時を忘れさせる。
家族はオメガの誕生会をした。母親とアルバはオメガにナポレオンの伝記と、判らない漢字が多いだろうと、辞書をプレゼントした。小さなオメガは喜びを爆発させて、一生懸命にろうそくの火を消していた。それからケーキを切り分け、家族三人仲良く食べた。母親の誕生日、愛児達は誕生会を開いた。内緒で買ったケーキを卓袱台の上に置き、誕生歌を歌う。そうしてオメガが手紙を出して母親に読み聞かせる。母親は泣いて喜び、オメガの頭をクシャクシャにしていた。
アルバはキャンバスに描いた絵をプレゼントした。その絵は実に見事なもので、母親の好きな、幾本もの色取り取りのかすみ草が鮮やかに描かれている。
アルバは、
「これなら、ずっと枯れないでいいよね」
と言って恥ずかしそうにして渡す。すると母親はまた泣いて喜び、アルバの頭をクシャクシャにした。そうして家族三人は喜びの歌を合唱していた。
夏終わり、秋深まりて、冬来たり。
聖夜を祝い、アルバの誕生を祝った頃に母親の大仕事は片付いた。それはアルバとオメガが成人した時のためにと、濃紺色をした二組の背広である。冠婚葬祭で困らない色を使い、時代が流れても古臭くならないデザインのものだ。その背広の裏地には、以前レウレトの背広を作った時と同じように獅子が刺繍されていた。
母親のやるべきことはなくなった。ただ一つだけ、ささやかな夢があった。卒業式に出席して、アルバの晴れ姿を見ることだ。やがて春が訪れると、アルバの卒業式が行われた。母親はこの日の為だけにスーツを借りて卒業式に出席した。演壇では銀髪直毛の少年が実に晴れやかな、凛々しい顔をして卒業証書を受け取っている。そのあと家族三人で記念写真を撮った。
これで、母親のささやかな夢は叶った。母親はもう、思い残すことは無いというような、充実感に満たされていた。そうしてその三日後に、母親は愛児達の目の前で倒れた。病院に搬送され、意識を取り戻した母親は入院せず、自宅に戻った。せめて最期は幸せに満ち溢れた、この小さなアパートで過ごしたかったのだ。
家に着くと、母親は愛児達に自分の命が残りわずかであることを告げた。この日を境に母親は寝たきりになり、日に日に衰弱していった。




