凛として咲く花 2
――これからどこへ行くのだろう。
そう思いつつ幼子が不安な顔をして母親を見上げると、それを察した母親がいつも見せる、優しい笑顔をして話しかけた。
「どうしたの?」
「うん……、これからどこへ行くの?」
「みんながずっと仲良く一緒に暮らせるとこへ行くのよ」
「ほんと? ずっとお母さんと一緒に?」
「そうよ、ずっと一緒よ」
それを聞いた途端、幼子は顔をぱっと明るくして、満面の笑顔を浮かべた。
「やったお! ずっと一緒だお、嬉しいお!」
言って幼子が嬉しそうに母親に抱きつく。と同時に幼子から長い、低くくぐもった空腹の音が聴こえてきた。
「おなか、すいたお……」
「少し休憩しよっか」
「うん」
近くにあった石の上に腰を掛け、母親がカバンから缶詰めを取り出して二、三枚のカンパンを幼子に手渡した。
「おいしい?」
そう母親が尋ねると、
「おいしいお」
と幼子が返事する。しかし本当は味などほとんど無く、口の中で粉になったカンパンが唾液を吸い取って、なかなか飲みこめないでいた。それを察した母親が水筒を取り出して、それを幼子に飲ませる。
「もう少ししたら街へ着くわ。そしたらお腹いっぱいご飯食べようね」
「うん! ぼく、お母さんの作ったご飯早く食べたいお」
「フフッ、楽しみにしててね」
思えば工場に収容されて以来、幼子は母親の手料理を食べたことがなかった。母親もまた幼子のために好きな料理を作ることが出来なかった。しかし、これからはこの天使たちに手料理を作ることができる。服を着替えさせ、散歩をしたり、遊んだり、お喋りもできる。夜になれば一つの布団に一緒に転がって、子守唄を歌い聴かせることができる。安らかに寝息をたてる幼子の寝顔を見ることができる。そういった平凡な一日を過ごし、我が子の成長を見守っていきたい。それが彼女の望む全ての願いだ。
母親はカバンから飴玉を手に取り、それを幼子の口に入れた。
「はい、アーン」
「シュワシュワしておいしいお」
言って幼子はにっこりと微笑み、口の中のシュワシュワを楽しみつつ、遠くの空を見つめていた。
空に浮かぶ白い雲を見て幼子は、
「あれはゾウさん、鼻が長いお。あれはキリンさん、でも首が短いお」
そう指差しては無邪気に笑っている。その横で母親は赤ん坊に母乳を飲ませていた。赤ん坊は清潔な白の布切れにくるまれており、一生懸命に母親の乳房を吸っている。ふと赤ん坊の小さな手が布切れから飛び出したので、母親が小指を掴ませてみせた。その姿は後光に溢れ、その顔には慈悲が滲み出ていた。聖母と呼ばれた人もまた、こうした表情を浮かべていたのかも知れない。
緩やかで、柔らかな時間が過ぎていった。だが不意に母親は心奥から熱いものがこみあげてくるのを感じ、それを必死にこらえようと体を震わせていた。
「どうしたんだお?」
と、幼子が心配そうに声を掛ける。母親は心配かけまいと笑顔を作り、幼子に顔を向け、声を出そうとした。しかるに先に出たのは声ではなく、つぶらな碧青の瞳から涙が零れ落ちてしまった。
母親は、或りし日のことを思い出したのである。