刻印師
春のファンタジー短編祭(武器っちょ企画)参加作品です。詳細は遊森 謡子さんの3/20活動報告にて。
http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/126804/blogkey/396763/
●短編であること
●ジャンル『ファンタジー』
●テーマ『マニアックな武器 or 武器のマニアックな使い方』
「そんな冷たい事言わないでくれよ! ほら、金ならあるんだし!」
これで通算三十回目のお断り。
いい加減諦めて欲しいんだけどな。
目の前の男は、受付台に金額を想像させる重さの袋をわざと音を立てながら乗せた。だから、お金じゃなくて――。
「あなたの為を思って忠告しているんです」
「いいや、ここにちゃんと刻印してくれ! 彼女の名を!」
「……」
ここは交易都市の大通りに面した武器屋。大振りの剣や斧、弓に暗器にと各種多様に取り揃えてあるが、主に扱うのは武器の整備、調整、補正で、腕の良さから業界に名を馳せている。
私はその店の受付業務をしており、依頼のあった武器を各種方面に手配する役割を担う。
この日は剣の研ぎを五件、鞭の持ち手の巻き直しが一件、弓の弦の張替えが三件。そろそろ隣国との戦いが佳境に入ると聞き、そのお陰でこちらの商売も上向きだ。
しかしこの店には他の武器屋と一線を画する特殊な技術がある。
「刻印師に頼んでくれ!」
「いや、だから……」
刻印師――。
それがこの世界で唯一の技を持つ者の職業。
依頼主が持つ武器や武具に『刻印』を打つことで、過分なる力を発揮できるという技術の持ち主。
ただしこの刻印師の所在は明かされることがない。人嫌いで表に出ることを拒み、正体を知ろうとする者には一切刻印を打つ事を拒む。連絡を取れるのは――私だけだ。
武器屋の受付をする私はその刻印師に接触できる特例が認められており、よって国内外に関わらずこの武器屋に訪れる剣士は後を絶たない。
しかし、殆どのものが諦めて帰る。その理由は――。
「お前が頼りなんだ。お前が首を縦に振るだけで願いが叶うんだから頼むよ! 金か? 金ならもう少し足してもいいから!」
「ですから……」
受付台に額を擦らんばかりに頼むこの者は、この国の騎馬隊に在籍する立派な体躯をした男だ。背丈ほどもある大きな槍に、自分の愛する女の名も刻めと依頼してきた。
刻む文字は依頼主によって“破魔”“祝福”など好きに文字を決めて刻むのだが、私はどうしてもこの男の求める「最強の剣、更に彼女に捧ぐと刻みたい」というのが気にかかる。
強度、攻撃力、魔力補助などは常人には読めない古代文字で打ち込むが人名は一般的な書体をもって刻まれる為、相手の名が誰にでも読まれてしまうというのが問題なのだ。
刻印師に頼める条件は、法外な金額と……私が納得するか、だ。
私が依頼主を見極め、可否を見極める。
可なら、刻印師へ取次ぎ希望通りの文字を刻む取次ぎをし、否ならもちろん丁重にお断りを申し上げた。
そんな責任重大の役割を任されていたので、責任を持って家柄、性格、実力共に納得するまで調べ上げるから時間がかかるのだ。その過程も時間がかかるし、願い叶っていざ刻印師の下へ手渡ったとしてもそこからまた刻むまでが長い。焦れた依頼主が苛立って取り下げたりするので、依頼が殺到する事態は起こらない。
それでも刻印師の付加能力は他に類を見ないほど圧倒的な力を持って、飛躍的に使用者の能力を高めるため噂が噂を呼び人気は衰えないのだが。
今も受付台に額を伏せたまま必死に懇願する男を見ていたら、段々思い悩むのが馬鹿らしくなってきた。そうだよ、私はこんな想像力のないヤツの将来など背負い込むことはない。想い人だろうが何だろうが、自分で痛い目を見ればいいのだ。
「……分かりました、お受けします。ただし修正はできませんよ?」
「は、ははっ、やった! じゃあよろしく頼むよ」
苦悩から一転、顔をあげた男は満面の笑みを浮かべて小躍りしながら店を出て行く。それを見送った私は、細くため息をついたのだった。ああ、疲れた……。
「ん? どうしたミリー。あの男やけに浮かれていたが」
入れ替わりに店へ入って来たのは幼なじみの傭兵で、名をスェンチと言う。
戦うことで日銭を稼ぐ生業をしており世界中を旅しているが、戦争の臭いを嗅ぎ付けたのかフラリとこの国に戻ってきたのだ。
武器屋を営んでいた私の親の代からの常連で、親が亡くなり店を継いだ私を何かと気にかけてくれる。折に触れて修理や研ぎをしてくれともっともらしい理由を口に乗せやってくるのだが。
それでもいい。スェンチは口達者に生きていないし、言われた私がちゃんと気持ちを汲めばいいだけの話だから。
スェンチが戦争孤児で幼い頃から、剣を持ち戦いに身を置いていたのを両親は知っていて、何かと世話を焼いていたから私もそれに倣って気安く声を掛ける。武器、防具、それに伴う整備で親から指導を受け、その知識を生かしスェンチの装備をあつらえることで実践型の勉強していたといっていい。
もともとの能力もあっただろうが、スェンチはあっという間に傭兵の中から頭角を現した。どこかの国から将軍待遇でとの招聘にも応じず、気ままな今がいいからと言って一人で旅に出たり、その場で知り合った傭兵仲間と酒場で豪快に酒を浴びたりする。
いつか一箇所に留まることあるのかな。
「うーん。気は進まないんだけど、しつこくて」
「ああ、“刻印師”への依頼か?」
「そう。彼女の名前を刻んで欲しいそうよ」
やれやれと小さく肩を竦め、私は注文のあった装備品をそれぞれの工房に振り分ける書類整理にとりかかった。ヘクトおじさんは最近甥っ子を抱っこして腰を痛めたって言ってたから、ゼッタ爺さんの息子さんに頼んだ方がいいかしら。
「彼女の名前? 駄目なのか?」
スェンチは分からないな、と首を捻る。スェンチは刻印師に依頼をしないから無理もないか。付加される力ではなく己の腕一つでと信念を持つ彼には、己の力量以上の価値は要らないようだ。金もないしな、と明るく笑う彼に、特別な計らいをしようと思った自分を引っ込めた。私はいつだってスェンチの力になりたいと思っているけど、勝手なことして怒られるのが怖かったからだ。
「駄目よ。刻印って一生ものだから、彼女というだけじゃ、その……色々と問題があるのよ」
「問題?」
察しなさいよ!
鈍感なスェンチにイライラとしながら、鎧に裏打ちする売り物の護符をガチャリと音を立てて籠に放り込む。
「とにかく請け負ったものは責任もって仕上げるようにするから。スェンチ、今日は一体なにしに来たの?」
鬱陶しいので話題を変えると、「ああそうだそうだ」と腰に佩いた大小の剣のうち、小さい方を受付台に置く。短剣の研ぎと皮紐の巻き直しを注文した。
「ま、なんかあったら俺に言えよ? ちょっとした待遇で軍に雇われたから顔が利くし、ちょくちょく顔出しに来るから。若い女一人で野郎ばかりが来る店番なんて危なくてしょうがねぇよ」
「ん、ありがと」
無防備に見えて、店の扉や受付台に不審者撃退の刻印が刻まれているから危険な目に合ったことはない。ただ善意の押し付けがしつこかったり、一度でも注文を受け取ったことがある者は除外されるから――安全とも言い切れないのだが。
笑顔でスェンチを見送って、武器防具をそれぞれの工房に運ぶ為の準備を始めた。
それから半月程経ち。
彼女の名前を槍に刻んだ客が、某国を脅威に陥れていた魔物を倒したという一報が飛び込んできた。彼は英雄となり、そのときの武器が国宝として崇められることになったのだが――。
「だから、やめといたらって言ったじゃないですか」
「うるさい! 修正しろ修正を!」
「修正なんて無理だと最初に申し上げたはずですよ」
「だからってこんな目に合うなんて聞いていないぞ! 今すぐ直せ!」
「おいおい、表通りまで聞こえてきたぞ。何やってんだ」
たまたま仕上がった物を受け取りに来たスェンチが間に入ってくれ、言い争う声が思ってた以上に大きい事に気付いた私は慌てて口をつぐんだ。
「あ、英雄の人?」
スェンチはこの客が依頼したのを覚えていた。彼女の名を刻印しろと迫った時、丁度居合わせたのだ。偶然にしては出来すぎているけど彼の武器も修理を終えていたから、たまたま受け取りに来ただけだろう。顔をみて、世間を賑わせた張本人だと知るとにっこり笑って「いい仕事したな!」と握手を求める――が。
「触るな! そうか貴様もこいつの手先だな? わざと俺が被る不利益を黙り金を取ろうという算段か!」
「おいおい、そんな言いがかりは止してもらおう。ミリーはお前が熱心に頼むから絆されて融通したんだろう? それにちゃんと修正は利かないと忠告もした。そもそもこいつは単なる受付だ」
「いいや! お前ら二人共謀して中間搾取してるに違いない。そうだ……大体あんな法外な金を吹っかけるなんておかしいと思っていたんだ!」
錯乱して喚き散らす男に気づかれないよう、スェンチが小声で私に尋ねてきた。
「おい、何でこんな荒れてるんだ?」
悪い予感が大当たりだったの、とこちらも小声で答える。
そもそも彼女の名を刻んでくれと言ったのはこの男であり、私は止めたのだ。
『妻』じゃなくて『彼女』の名前と銘を刻むのは、予想通りにいかない可能性を考えると……。
――最強の槍を彼女に捧ぐ――
英雄となって帰ってきた男が直面したのは、『彼女』が他の男と結婚していた事実。要するに、男の片思いだったのだ。
最強の槍で魔物を倒したまではよかったが、それを他の男の妻の名で展示されるとあっては男として悔しいやら恥ずかしいやらで気の置き所がないらしい。
彼女から、そして彼女の夫からも勝手を咎められて「ならば刻印を変えればいいだろう」と後ろめたさも手伝い大言壮語をして――こちらに怒鳴り込むという事態に。
「こうなっては仕方がない。俺はあくまでも穏便に済ます気だったが……」
すら、と男は腰に佩く剣を抜く。
きらりと光を反射した剣はまっすぐに私に向けられた。伝説となった男の槍は隣国の王に献上されているから、この剣は刻印された最強の剣ではない。しかしかなり質のいい材料を使っているし、華美な装飾も見当たらないから普段から実用的に使われている一振りだろう。そのあたりの目利きは自信がある。
「何のつもりだ英雄さんよ」
剣呑な声でスェンチが私と男の間に体を割り込ませた。切っ先がスェンチの顎先こぶし一つ分しか無く、私はびくびくと身を竦めた。男が少しでも腕を伸ばせばスェンチはただではすまないだろう。しかしスェンチは剣先が見えないかのように、ただ静かに大きな背中で男から私の身を隠す。
「このままじゃ道化に終わってしまうんだよ俺は! 今すぐに修正するなら許してやるから刻印師連れて来いよ。さあ早く!」
「駄目です。一度刻んだものは戻りませんし、上書きできません」
声、震えていないかな。
相手はあの魔物を倒した立派な英雄。その男が剣を抜き命を脅してくるという暴挙が恐ろしく怖くて逃げ出したいが、受け付けたのは自分だ。
しゃんと背筋を伸ばし、武器屋を営む小さな自尊心をかき集めてきっぱりと断った。
「自分で望んだことだろ。あきらめろ」
「ふざけんな!」
男は、奇声と共に剣をスェンチの喉へ突きいれた――かに見えたが、スェンチの方が動きが早かった。左腕の篭手で剣を跳ね上げそのまま手首を捻り、右手は男の喉に掌底を叩き込む。
「ぐっ!」とくぐもった悲鳴を上げる男にかまわずスェンチは足払いをし、全体重をかけて男が動けないよう捻った腕をそのままに床へ押さえ込んだ。男がたまらず取り落とした剣は、足で店の奥のほうへ蹴り飛ばし遠ざける。
ここまで瞬き三回で終わり、私は目の前で繰り広げられた戦闘――といっていいのか――があっけなく終わった事に驚きを隠せなかった。
一瞬で片がついてしまったが、そもそも相手の男は恐怖の対象であった魔物を倒した――。
「――って、英雄相手に素手!?」
「英雄もクソもあるか。一般女子に剣を向ける刻印の力に頼りきった野郎なんざ、今この場で叩き潰してやってもいいぜ」
「ひっ! や、やめてくれ!」
じたばたと暴れだす男へ捻りを強めに加えれば、声を出すのすら苦しいらしくおとなしくなった。
スェンチにどうする? と聞かれたが、私はもうちょっと強く断ればよかったかもと反省の意味をこめて、二度と店と私に近づかないことを条件に解放した。
男は英雄の名を手に入れた。もちろん腕は立つのだろう。そこへ刻印の力が加わることにより飛躍的に力が増した結果魔物を倒せたのだろうが……それ以上に驚いたのがスェンチだ。幼い頃より彼を見ていたが、ここまで強いとは思わなかった。そもそも私は、戦いの場におけるスェンチの姿を見た事がないし、修理に出される武器防具は浅い傷ばかり。本人も重傷を負った事がないと言っているし……どれほどスェンチという男は強いのだろう。急にスェンチが知らない人に見えてしまい、私は一歩後ろへ足を引いた。
コトン、と靴音が床に響いて、スェンチが私を振り返る。私の固まった表情を見て先程の物争いのせいかと勝手に思い込んだスェンチは、ふっと目元を緩め「怖がらせたな。もう大丈夫だ」と私の肩に手を置いた。
「あ……うん、うん、」
置かれたと同時に、私の体がカタカタと震え始めた。やだ、止まらない……!
男が剣を向けてきた恐怖は初めて目の当たりにする命の危険。そしてあの男を叩きのめした、私の知らぬ『力』を持ったスェンチにびくりと体がこわばったものの、手から肩に伝わるじんわりと温かな体温がほろりほろりと緊張を解きほぐしていく。
「スェンチぃ……怖かったよ」
「ごめんな? 怖い目にあわせてごめんな?」
危ないところを助けてくれ、むしろ私がスェンチに謝らなければならないのになぜか慌てた声で私に謝罪をする。体はまだ震えているものの、スェンチの様子にもうちょっと甘えちゃおうかなと逞しい体に腕を回して引っ付いた。
「お、おいっ」
「落ち着くまでこうしてて。お願い」
ぴったりと頬を厚い胸板に寄せると、熱と息遣いが直接伝わってくる。頭上では溜息と「しょうがねえなあ」という諦めの声が降ってきて、大きな手のひらで私の背中をトントンと優しく叩いてくれた。
――調子に乗って失敗したなあ。
たまたま客が来なかったからいいものの、妙齢の男女が店の中で抱き合うなんて。しかも相手が一時的ではあるが軍に籍を置く男だ。口さがない近所のおば様などに見られたら、後日とんでもない目に合うのが容易に想像できる。
あの後すぐに我に返った私はどんな顔をしていいか迷ったけど、スェンチは全く気にしていないようで「修理上がったのもらえるか?」ときた。
ぎこちない態度を取られても困ったが、全く意識をされないのかと自分の女子力に自信をなくしてしまう。
店の修理済が並べられた棚からスェンチの剣を手に取る。仕上がりを確認する為剣を抜き、細部をくまなく調べた。
「うん、流石ね。ゼッタ爺さんの腕が引き継がれているわ」
息子さん一人前の仕事するし、代替わりもそろそろかな? とちょっぴり感傷にひたる。
「なあミリー。俺、明日国境に行くことになったんだ」
「えっ?」
「偵察がさっき帰ってきてな。この国と隣国の国境付近に魔物が集結し近隣の街や村を襲っているとの報告が上がった。隣国との協議の結果、先遣隊として俺が一部隊任されて今夜出発する」
「そんな……」
先遣隊は傭兵ばかり集めたもの。最前線に配置され、ある程度相手の力を削ったところで国王直属の軍が手柄を持っていく。そういうものだと頭で分かってはいたが、いざ目の前のスェンチが行くとなると平静ではいられなくなってしまう。
スェンチの剣を胸にぎゅっと抱え、一言断る。
「ごめんスェンチ。ちょっとこの刀身に気になる所があるから直させて。――あとで軍に届けにいくわ」
俯いたまま剣を持つ私にスェンチは何かを感じたのか、「頼む」と短く言い置いて帰っていった。
私は、武器を取り扱うくせに戦いそのものを見たことがない。
命をやりあう戦場に、スェンチが身を置いているんだと実感したのはこれが初めてだ。
――怖い。
――無事で……せめて、生きて帰ってきて。
願いをささやきに変えて口に乗せた。
それから幾夜の時が過ぎていく。
情報は逐一伝聞となって城下町へもたらされたが、戦況は思わしくないようだ。私は普段通り店を開くが、出入りする客からの噂に一喜一憂する。
「親玉級の魔物が何体もいたそうだ」
「隣国はすでに撤退したと聞いたが」
「我が軍の先遣隊は壊滅状態らしいぞ」
皆、憶測で物を言うのでかなり怪しいものだが、噂から遅れてもたらされる軍から正式な発表があるまで気が気じゃなかった。スェンチは無事なのだろうか……。戦地からの知らせにはあちらこちらへ耳を傾けるのだが、一向にスェンチの情報が伝わってこない。
生きているのか、負傷しているのか、それとも――。
今まで私は、スェンチがどのような仕事をしてどのように過ごしてきたかなんて深く考えてこなかった。戦乱に巻き込まれるなどここ二百年位起きていない街にいるせいか、どこか絵物語だと捉えていたのだと思う。
今まさに、自らの体を使い命の駆け引きをしている。
その最前線で、スェンチは戦っているのだ。
私は眠りが浅くなり暗闇が怖くなった。眠ると魔物が攻めてくる夢を見てしまい、怖くて飛び起きると今度は部屋の闇の濃い場所に魔物が潜んでいるのではないかと怯える。
こんな弱い私だっけ……。
両親が亡くなった時でさえ仕事上の失敗は一切しなかったのに、今の私は注意散漫でゼッタ爺さんから「しっかりせんか!」と叱られてしまうほどボンヤリと日常を過ごしていた。
更にそれから半月が経ち――。
護符が三、四……うーん、ちょっと足りないからあと二十ほど発注しておかないと。矢尻はヘクトおじさんに頼んでいたのがそろそろ出来上がるかな? 腰、治ってたらいいけど。
在庫確認を手元の帳簿と突き合わせていたら、背にした店の扉がギィ、と音を軋ませて開いた。ああ、油差さないと駄目ねと思いながら、「いらっしゃいま――」せ、の口を開けたまま、店に入ってきた主を信じられない気持ちで見る。
「ミリー、ただいま」
そこには、記憶よりも痩せて薄汚れていたスェンチが立っていた。
「スェンチ!」
帳簿が手から滑り落ちたのは分かったが、拾うよりなにより先に私はスェンチの懐に飛び込んだ。
「お帰り! お帰りスェンチ!」
髪はぼさぼさ髭は伸びギラギラと眼光鋭くなったうえに痩せてくぼんだ頬が、どれほどの苦しい戦いだったのかを証明している。
スェンチは帰還後すぐにこちらへ直行したらしく、私が抱きついてからようやく己のひどい格好に気づく有様だった。
「ミリー、離れて離れて。俺いま臭いし汚いし、せめて着替えてからに――」
「うん、うん」
返事はするけど離す気などさらさらない。
どれだけ心配したと思っているの? スェンチが『生きてる』って確かめたいんだから、もうちょっと。
腕を回す私に、どことなく硬い雰囲気のスェンチ。以前ならあやすように背中を撫でてくれた大きな手が、この時はなかった。その違和感に気づかず、私はぎゅうっとスェンチの体温を感じて無事を喜ぶ。
あのあとすぐ、スェンチと同じ先遣隊に入っていた傭兵達が修理の依頼に来たから私を引き剥がし、「話があるから。また使いを寄越す」と言い残してスェンチは店を出て行ってしまった。
なんなの、もう!
ムカムカとしながらも修理を受け付ける私に、ようやく生還を果たした傭兵達が口々にスェンチの強さを称えた。
「いやー、隊長の剣技は見事だったな! あんな無駄のない動きは真似しようったってそうはいかねぇよ。あ、これ俺の長剣ね。研いでくれ」
「俺の長剣は研ぎと柄の欠けを直してもらいたい。――そうだよ。さすが傭兵の中の傭兵と呼ばれるだけの事はある」
「あの短剣がなければ俺たち全滅だったかもな。ミリー、この肩当の修理頼む」
「ハハハ。本当に助かった! 俺はな、隣国に行って魔物を倒した今や英雄扱いのあいつに付いていった一人なんだが……正直、あのときの魔物よりも強ぇやつがごろごろいたんだよ。いや、これは本当だって。なぁお前ら! 今回の魔物はそれを上回る数と力で襲ってきた。しかしだよ? うちの隊長さんがよぉ、見事なぎ倒してくれて」
「そうそう。いや、あの方も危ない瞬間はあった。だけど俺は見たんだよ……魔物の一撃がたまたま隊長の持っていた短剣に当たって無事だったっていう偶然がな!」
「っはー! そりゃすげぇな。隊長さんは運も手にしていらっしゃる!」
それぞれが武器や防具を預け、スェンチを褒め称えながら「じゃあ飲むぞー!」「いつもと変わらねぇじゃねーか!」と陽気に笑い合い、そろそろ店が開くであろう酒場に繰り出していった。
私は……溜めていた気持ちと共にゆるゆると息を吐き出す。
「いい? 入っても」
「ミリーか。いいぞ」
傭兵の中の傭兵と知り合いである、と王城の門兵に伝えると即座に通された。
傭兵達からの依頼品を片付けている私のもとへ城から使いがやってきて、話は通してあるから来てくれというスェンチの誘いを伝えられた。何のことかは分からないが、スェンチがわざわざ呼びたてるなどよっぽどに違いない。私は急いで家にある一番上等な服を着て店を閉め城門へ向かった次第だ。
ここは王城の一室。
重厚な造りの机に長椅子が置かれた客間とその奥にも扉がいくつか見えるに察すると、相当豪華な部屋を与えられていることが分かる。
正直ここまでスェンチが好待遇を受けていると思わなかったため、やや気後れをしてしまう。
スェンチは湯浴みや身繕いを終え、上質な生地で作られた衣服を身に纏い髪や髭を整えた姿は、この部屋に似合うとても威厳に満ちたいい男の姿だった。
なんだか自分がみすぼらしく、着ている服ですら色あせたように思えてひどく居心地が悪くなる。
「……傭兵の中の傭兵って呼ばれてるのね。私もそう呼んだほうがいい?」
とても素晴らしい。誇らしい。あなたの装備を任されて鼻が高いわ。
最大級の賛辞を送りたいくせに、口に乗せたのは棘のある言葉。ああいやだ。こんなこと言うつもりじゃないのに!
「やめてくれ。頼んだわけじゃないし、だいたい俺はそんな器じゃない」
「あら、あなたの部下たちは皆褒めてたわよ?」
更に毒を乗せると、スェンチは急に声を落とした。
「なあ……。俺の短剣に何をした?」
「何をした、って?」
「見てくれは一緒だが俺が使い込んだのとは別物の気配だ。やたら切れ味鋭く反応もいい。魔物が火を吐けば障壁をつくりあげ、俺が傷を負えば癒しの呪が発動する――刻印、だな?」
まっすぐに私の目を見て、断定する。
スェンチの意思を込めた強い視線に怯みながらも、私は「さあ……?」と答えをはぐらかすが、スェンチは一歩距離をつめて私の腕を掴む。
「答えろ」
「痛っ!」
ぎり、と握られた二の腕が悲鳴を上げる。自然と涙が浮かび、やめてとスェンチに懇願するも、その手は緩められなかった。私を見るスェンチの瞳が一瞬揺らいだ気がしたが、その動きが何を示すのかを確かめる余裕はない。
「お願い、離して」
「駄目だ」
「どう、して……」
「それを俺に言わせるのか? 俺は己の体の限界を隅々まで知っている。それは商売道具だからな。それがどうだ? 能力以上の動きをする、魔物に炎吐かれても俺だけ無事、終いには両手触れていないのに剣だけ持ち上がって敵手から守るなんて異常だろ。何したんだ俺の剣に!」
あまりの痛さに目がチカチカする。ぼろぼろと流れる涙を拭く余裕などなく、スェンチの怒りを一身に受けた。そうしてやっと気づく。――私はスェンチの矜持を傷つけたのだ。
スェンチは戦争孤児で、両親の営む武器屋に来るまでどのように過ごしてきたのかを私は知らない。出会った時はすでに戦いに身を置き、周囲への警戒心を露にする……そんな少年だった。なにかと世話を焼いた私の両親にはいつの頃か心を開いていたし私にも常に優しく接してくれたが、一歩表に出ると常に斜に構えて他人との距離を推し量る。終始疑いの目を持って人に接するスェンチは、信用できるのは自分だけと心身ともに鍛え上げていたのに。
その姿を知っているのに。
スェンチの誇りを、私は――――。
「……ごめんなさい」
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
堰が切れたように謝罪の言葉を口にする。私は、彼の気持ちをないがしろにしたのだ。心配という思いにかこつけて勝手に刻印を施すなど、信頼していないのも同然じゃないか。
「分かったなら、もういい」
私の腕を開放し、スェンチは短剣を鞘から抜く。金属音が耳に抜け、ぞわりと肌の上を戦慄が走った。何をするつもりなのだろう。身を硬くする私をよそに、スェンチは短剣を私の腕にあてがった。ひんやりとした刀身から、じわりじわりと熱が生まれて――これは癒しの力?
「スェンチ……」
「頭に血が上って加減ができなかった。すまん」
短剣に刻まれた刻印により治癒の魔力が発動し、腕の痛みがすっと消えた。
急に怒りの矛を収めたスェンチを不審に思いながらも、痛みが無くなったのは素直に嬉しい。
とうの昔に日は落ちて室内は暗闇に包まれている。しんと静まり返るなかに私の鼻をすする音が響いてしまい、泣いている自分が途端に恥ずかしくなった。
「いい、いいの! これは私が勝手にしたことだし、スェンチの言いたいことよく分かるから! すごく失礼だったよね私。本当にごめんなさい」
乱暴にごしごしと袖で目元を拭い、「じゃ、帰ります」と扉に向かおうとした私を「まあ待て」とスェンチが引き止めた。
長椅子に座るよう示し、スェンチは部屋に灯火を付けてから長椅子に戻ると、ぴったりと隙間無く私の傍に座る。
……んっ?
「――本当は感謝している。刻印を打たれなければならぬほど弱いと見積もられて腹が立ったのは事実だが、この短剣によって命が助かったのも事実。今回の任務が遂行できたのはこいつのお陰だ。ありがとう、ミリー」
「そんな……」
「すべての戦闘が終わった後短剣の柄に巻かれた皮紐を解いたら、びっしりと柄一面に刻まれていて驚いたよ。なあ、刻印とはそんなに刻むものだったか?」
ぎくり、と身を縮める。
「俺の記憶だと、そんなに付加は掛けられないと断る事例もあったような気がするが……」
「そ、そ、そんなことあったかしらねー」
「それで、たまたま俺の部隊に古代文字が読めるヤツがいてな?」
ぎくぎくっ。
何でいるのよ。都合よすぎじゃない?
背中に冷や汗をかきつつ、「へ、へえ?」と相槌を打つ。
「それはそれは様々な効力が付加されていると……読み上げる数が尋常じゃない。だがな、それはまあいいとして、一つだけ気になる一文があった」
「あの~、そろそろ帰らないと私困るんだけ――」
「使用者が愛する人のもとへ必ず帰れる……これ、どういう意味だ?」
「ひっ」
「ミリー?」
「……」
私はスェンチが無事に帰ってこれるよう、様々な付加効果を柄に盛り込んで……しかも余計なお節介を付け足しちゃったのだ。
もしスェンチに想い人がいるのだったら、ちゃんと生きて帰って幸せになってほしいな、なんて。
そのように告げると、スェンチはぎしりと広い背中を長椅子の背もたれに預け、後頭部をガシガシと乱暴に掻いた。
しばらく天井を見ていたスェンチは、大きくため息を一つ零し「なあ」と天井に視線を固定したまま私に問いかける。
「――なに?」
「ミリーは俺のこと好きなのか?」
「え? えええええ!?」
想像の斜め上を行き、私は心底驚いた。
え、私がスェンチを好き?
え、私が?
え、え、え??
「俺を心配したりそんな文字刻むよう刻印師に頼むなんて、明らかに友情越えたものだろう?」
確かに……自覚は全くなかったが、無意識に愛する人のもとへなんて付けてしまう自分はスェンチの事が好きなのかもしれない。
無自覚のまま先行していた恋愛感情に、ようやく理性が追いついた。
「そうなのかな。うん、そうなのかも」
「どっちだよ」
「そうよ、私はスェンチが好き。好きだから無事にと願って……私の所じゃなくてもいいから、とにかく帰ってきて欲しかったの」
私の名を刻むなど、そんな大それた真似は出来なかった。だって誰にでも読めてしまう文字だし、そもそもスェンチの気持ちは知らないから。
「ミリー……俺な、そろそろ腰を落ち着けようと思うんだ」
急に話が変わり、一体急に何なのだと呆けた様にスェンチを見上げる。スェンチはいたずらっぽく笑いながら鞘に収まる短剣を撫でた。
「今回の先遣隊の任務、実は俺の初仕事でもある。国王勅令で軍の一部を任されることになったんだ。ミリー、もう俺はこの国から離れることはないぞ」
……そ、それは嬉しいけど。
なんだか私の告白が宙に浮いてしまい、どう反応していいか分からなくなった。
「戦闘が終わり帰る段になって真っ先にミリーの顔が浮かんだ。お前の所に帰りたい、と一番に店へ飛び込んだんだ。――――つまり、俺の愛する者は」
長椅子からゆっくりと床に降り、片膝を付いて私の手を取るスェンチ。
「ミリー、俺の妻になってくれ」
「スェンチ……」
いいのだろうか。想いが通じ合ってすぐに求婚だなんて!
返事を急かされ、しかし自分に断る理由など一つもないので――。
「はい、スェンチ。私をスェンチ=メイトルの妻にしてくださいますか?」
「ありがとう、ミリー」
スェンチは体を起こすと私を優しく抱き寄せた。スェンチの温もりを一身に感じ取りながら、ああ、夜なべしたかいがあったなと短剣に刻んだ文字を思う。そして両親にこっそりと感謝をした。
――――お父さん。スェンチに引き合わせてくれてありがとう。
――――お母さん。刻印を教えてくれてありがとう。
私は刻印師のミリー=メイトル。
でもそれは内緒なの。