Like the wind
「よ〜イ……ごウ!」
長身女のスタート合図と共に俺は全力疾走でグラウンドを走り、最初の障害に差し掛かる。 まずは跳び箱。これは軽く飛び越せる。俺は跳び箱の中央に両手をつき、両足を開いて軽快に飛ぶ。
次なる獲物はバット。十回程回転して目を回した状態で走るというあれだ。俺は一瞬後ろを確認する。くそ、やっぱり陸上部は半端ないな。五十メートルのリードなんてあっという間に縮めてくる。俺がバットで半分ほど回転した頃には既に相手もバットで回り始めていた。
やっぱり、陸上部相手というのは少し無謀だったか。俺の中で焦りが生まれる。しかし、ここで焦ってはいけない。焦れば焦るほど相手の思う壺だ。幸い俺には思う一つのハンデ、手持ち武器の使用が許されている。これを上手く使うんだ。
バットで回転し終えた俺はそのまま次の障害物である平均台に挑む。俺が仕掛けるのはここからだ。案の定、向こうは俺が平均台をわずかに進んだところで既に俺と肩を並べるところまで来ている。確かに速いが、多少さっきのバットで目は回しているはず。その隙をナイフで突くのだ。
俺は男に向かってナイフを突き出す。しかし、男は避ける以前に先に前へと進んでいくではないか。
しまった、完璧な誤算だ。俺は急いで平均台を渡ろうとするが、その焦りが余計に俺のバランス感覚を狂わせる。そして、俺が平均台を渡り終えた頃には相手は次の障害であるハードルに挑んでいた。俺も急いでハードルに差し掛かるものの距離は一向に縮まらない。それどころかどんどん離されていっている。
そして、相手は最後の障害、編み潜りを中ほどまで進んでいた。俺も全力で網くぐりに挑むが、慣れていないと進むので精一杯だ。
(くそ、ここまでか)
四つんばいの姿勢で網の中を進む俺の手がポケットの中に入っているナイフに当たった。
これだ!俺は素早くナイフをポケットから取り出すと、網の天井をばっさりと斬った。そのまま網を抜け出た俺は最後の直線五十メートルで奴と並んだ。そしてそのままゴール。果たして判定は――
「どろー!」
判定をしていた長身女が両腕を垂直に上げる。
「ちぃ、なかなかやるじゃないカ。まさか網をナイフで斬り破るとはナ」
男は悔しそうに舌打ちをして、そのままさっきまで長身女が立っていたスターターの位置についた。
「女子のはんでも俺たちと同じダ」
「わかりました」
諏訪は短く答えると、意気揚々にスタートラインについた。
「得意の中華鍋は使わないノ?」
「流石に今回は使えませんよ」
「でも、意外な切り札になるかもしれないヨ?」
「そうかもしれません。でも、今回は使いません」
何を話しているのかは遠くでバテていた俺にはよく聞こえなかったが、どうやら諏訪の凛とした態度に長身女のほうが若干押され気味になっているのはわかった。
「よ〜イ……ごウ!」
スタートの合図と共に両者が同時に地面を蹴って走り出す。
速い。速い、速い!速すぎる!
それは目の錯覚かと思えるくらい速いスピードだった。諏訪はスタートしてから相手に
追いつかれるどころか逆にどんどんリードを広げていた。障害物の扱いも慣れているのか
全く動じず、特に平均台に置いてのバランス感覚は見事の一言だった。長身女から大量の
リードを奪って余裕のゴールだった。
「あんた何者ヨ。この私がついていけないなんテ…」
後からゴールした長身女が荒い息を吐きながら悔しそうに諏訪を睨みつける。
「芹沢さん、三澤中の俊足といえばわかりますよね?」
諏訪は涼しい顔をして言った。刹那、長身女の顔色が真っ青になった。スターターをし
ていた男も驚愕した面持ちで諏訪を見つめている。
「あんたが、もしかしてその諏訪なノ?」
長身女の問いに諏訪はにっこりと頷いた。
「勝負は私たちの勝ちですよね。食い下がっちゃうのなら、私も向井君も容赦しませんよ」
俺も、そして敵の二人も直感で感じ取った。諏訪の笑みの中に含まれている燃える闘志
のようなものを。
呆然と突っ立ったままの敵たちに合唱をしながら俺は先にグラウンドを後にした諏訪の
後を追いかけた。
一方、グラウンドを去った後の諏訪はすっかり元通りのちょっと天然が入った女の子に
戻っていた。
「久しぶりに走ったなぁ」
大きく伸びをしながらそんなことを言う。
「諏訪、三澤中の俊足って何?」
先ほど話の中に出てきたその単語について質問すると、諏訪は「ああ、あれですか」と
普通に返してきた。
「あれは三澤中の陸上部の短距離選手の中で最も早い選手男女五人につけられる称号みた
いなものです。ちなみに女子の一番は私でした」
なるほど、それで納得がいった。だから長身女はあんなに驚いていたんだ。三澤中学校
といえば陸上に力を注いでいる中学校で常に全国大会にその名を連ねていた。そこのベス
トワンに勝負を挑んで、あまつさえハンデをつけてしまえばまず勝てるわけがない。つま
り、あのハンデルールを決めた時点であいつらの負けは確定していたも同然だったわけだ。
しかもあの速さならおそらく中華鍋を背負っていたとしても諏訪が勝っただろう。
そう考えるとあの二人には悪いことをしたような気がする。特に長身女のプライドはず
たずたに引き裂かれたことだろう。夜が明けて忘れてくれていれば大事にならずに済むが、
こればかりは運を天に任せるしかないな。




