第64話 送り出す背中
卒業式の日の風は、まだ少しだけ冬を残していた。
校門の桜は開き切っていない。
けれど、部室の前に立つと、それとは別の季節がもう終わるのだと分かる。
真壁のロッカーは半分空いていた。
瀬川の棚には、古いノートがきれいに揃っている。
「ほんとに終わるんですね」
西野が言うと、真壁は肩をすくめた。
「終わるっつうか、追い出されるだけだろ」
「言い方」
「間違ってねえよ」
その横で瀬川が静かに笑う。
「真壁は最後まで真壁ですね」
「お前は最後まで腹立つな」
「光栄です」
蓮は少し離れた場所で、そのやり取りを聞いていた。
うるさいのに、もう二度と同じ形では聞けない声だった。
部室の奥で、小宮山が記録箱を抱えていた。
普段と同じ顔をしている。
でも、指先だけが少し白い。
真壁がそれに気づいて、箱を持つ。
「重いだろ」
「……平気です」
「そういう顔じゃねえ」
「してません」
「してる」
短い沈黙のあと、小宮山は小さく息を吐いた。
「先輩、最後までそうですね」
「何が」
「雑なのに、細かいです」
真壁は少しだけ困った顔をして、それから笑った。
「褒めてるなら受け取る」
「……半分だけです」
その返しで、周りが少し笑う。
小宮山も笑った。
でも、目は赤かった。
言おうとした言葉があったのだと、蓮にも分かった。
たぶん真壁にも。
それでも、どちらも口にしない。
壊れるくらいなら、このままでいい。
そう決めた顔だった。
校門の前で、最後の写真を撮り終える。
神崎と相沢も来ていた。
「お前ら、顔暗いぞ」
相沢が言う。
「卒業なんだから、もう少しめでたそうにしろ」
「相沢先輩が一番うるさいです」
遥が返すと、相沢は笑った。
「そういうのは残してけ。部の空気まで卒業させんな」
そのあと、真壁が西野を呼ぶ。
「次の部長、お前な」
西野が固まる。
「……え、僕ですか」
「お前以外に誰がいる」
「いや、でも、朝倉くんとか」
蓮は首を振った。
「俺じゃない」
瀬川がうなずく。
「朝倉くんは中心です。でも、部長とは少し違います」
神崎も短く言う。
「西野。まとめろ」
その一言で、もう決まってしまった。
西野は喉を鳴らして、それでもうなずく。
「……はい」
真壁が蓮の肩を軽く叩いた。
「お前は前見せろ」
「はい」
「最後の一年だ。遠慮すんな」
瀬川は一冊のノートを差し出す。
「受け渡しのメモです。全部ではないですけど、置いていきます」
「……助かります」
「あと、ひとつ」
瀬川は少しだけ間を置いた。
「速くなったあとも、繋ぐほうを捨てないでください」
蓮はその言葉を、まっすぐ受け取った。
「捨てません」
短い返事だった。
でも、それでよかった。
卒業生たちが門の向こうへ消えていく。
真壁は最後まで大きく手を振って、瀬川は一度だけ振り返って、小さく頭を下げた。
小宮山は笑っていた。
ちゃんと笑えていた。
それが余計に、見ている側の胸に残る。
春はまだ来きっていない。
でも、見送る側の季節は、もう止まってくれなかった。




