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シンクロ ― 0.1秒の残像 ―  作者: T.SUDO
Season1|マイル始動編
6/8

第6話 欠けたまま

神崎が走れない、と聞いたとき、最初に黙ったのは真壁だった。


怒るより先に、言葉がなくなったのだと分かった。



月曜の放課後、神崎はトラックの外にいた。


左脚にテーピングが巻かれている。


「大したことない。張っただけだ」


本人はそう言った。


でも、走順のところに立たずに外から見ている時点で、それが軽くないことは全員分かっている。


「今日と明日は外す」


神崎がそう告げると、真壁がすぐに聞いた。


「……代わり、どうするんすか」


「西野に入ってもらう」


西野が目を丸くする。


「え、俺ですか」


「今日はそれで形を見る」


西野は一瞬だけ戸惑って、それからすぐに頭を下げた。


「はい。やります」


その返事の素直さが、かえってこの状況の重さを見せる。


西野はまだ、急に本番仕様の一枠へ入る準備ができているわけじゃない。


でも、いないなら入るしかない。


「一走、真壁。二走、瀬川。三走、朝倉。四走、西野」


神崎はホワイトボードにそう書いた。


「走順は今日だけこの並びでいく」


真壁が眉を寄せる。


「……欠けたままやるってことですね」


「そうだ」


神崎は否定しなかった。


「欠けたままでも、何が欠けるかは見える」



一本目から、難しかった。


真壁はいいスタートを切る。


瀬川も悪くない。


蓮も受けて、区間を押し切るところまではいつも通り走れる。


でも最後、西野の手へ渡す瞬間に、空気が変わる。


西野が悪いわけじゃない。


むしろ必死で合わせている。


蓮もいつもより慎重に入れている。


だからこそ、流れが細くなる。


神崎へ渡すときに一瞬でつながっていたものが、今日は丁寧に手渡しされるだけで終わる。


切れてはいない。


でも一本にはならない。


「すみません!」


西野が受け取ったあと、すぐに頭を下げる。


「謝るな」


真壁が先に言った。


「今のはお前だけのせいじゃない」


蓮は何も言えなかった。


自分でも分かる。


神崎がいないだけで、自分の中の怖さの向きが変わっている。


神崎には、流れごと渡しても受け止めてもらえる気がした。


でも西野には、壊さないように渡そうとしてしまう。


その“壊さないように”が、いちばん流れを壊す。



二本目のあと、神崎がフェンス越しに言った。


「朝倉」


「はい」


「守りすぎだ」


すぐに返す言葉がない。


「西野が相手だと、余計にそうなるんでしょうね」


瀬川が静かに言う。


「朝倉くん、丁寧にやろうとして、逆に切ってます」


西野が申し訳なさそうに肩をすくめる。


「俺がまだ遅いから」


「違う」


真壁が珍しく強く言った。


「お前が遅いとかそういう話じゃない」


それは真壁なりの庇い方だった。


荒いけれど、まっすぐだ。


「神崎先輩のときは、朝倉も最後ちょっと雑になれるんだよ。いい意味で」


その言葉に、蓮が顔を上げる。


「雑」


「丁寧に壊すくらいなら、少し雑でも流れ切らない方がマシってこと」


言い方は乱暴でも、言っていることは合っていた。


神崎がフェンスに寄りかかったまま続ける。


「四人揃っても欠けることはある。 三人で走れば、もっと分かりやすく欠ける」


「……はい」


「今日見てるのはそこだ」



三本目。


蓮は意識して速さを上げた。


自分が押し切れば、少しは楽になるかもしれない。


自分の区間で貯金を作れば、最後の受け渡しも救えるかもしれない。


そう思った。


でも、そういうときほどリレーは個人走になる。


第三コーナーから第四コーナーへ。


蓮の走りは速い。


速いけれど、前の真壁と瀬川の呼吸を少し置いていってしまう。


ホームストレート。


西野が見える。


渡す。


パシ。


つながる。


しかし、細い。


西野は受けてから前へ出るのに一拍かかった。


責められない。


まだ慣れていないのだから当然だ。


けれど、その当然が、今日はひどく遠く感じる。


「……だめですね」


蓮が小さく言うと、神崎が首を振る。


「だめ、で終わるな」


「でも」


「今見えたものを持ち帰れ」


フェンスの向こうにいるのに、神崎の声は近かった。


「誰か一人を責めるな。 揃わないときは、四人とも少しずつ揃ってない」


西野が俯いていた顔を、少しだけ上げる。


瀬川は黙って頷いた。


真壁だけが、苛立ちを消しきれないままトラックを見ている。



練習のあと、蓮は一人でスタンド下に座っていた。


今日はシンクロが一度も来なかった。


来るはずもない、と思ってしまった自分もいた。


それが、少し嫌だった。


「蓮」


遥が缶のスポドリを差し出してくる。


「ありがと」


「今日、全然違ったね」


「……見て分かるんだろ」


「見てたから」


遥は隣に座る。


「神崎先輩がいないだけで、あんなに変わるんだね」


「うん」


「神崎先輩だから、っていうのもあるんだろうけど」


そこで遥は少しだけ言葉を選んだ。


「蓮が、誰に渡すかで変わってる感じもした」


図星だった。


でも、否定する気にもならない。


「西野に悪いと思った」


蓮はぼそっと言う。


「失敗したら、余計に背負わせるから」


「それで守った」


「……たぶん」


「守った結果、流れ切れた」


やさしい言い方ではなかった。


でも、責めているわけでもない。


「うん」


「難しいね」


遥はそう言って缶を開ける。


プルタブの音が、小さく響いた。


「誰かにやさしくしようとして、ちゃんとつながらなくなるの」


その言葉だけが、長く残った。



その夜、遥はノートに書いた。


神崎先輩がいないと、ただ一人減るんじゃない。


流れの出口がなくなる。


西野が悪いわけじゃない。


蓮も悪くない。


でも、誰も悪くなくても揃わない日はある。


そして、その下にもう一行。


欠けるって、人数のことじゃない。


同じ秒に入るための、受け止める場所が足りないこと。


ノートを閉じたあとも、その言葉だけがしばらく手の中に残っていた。

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