第50話 隠していた痛み
地区予選二日目、違和感ははっきりした形で現れ始めていた。
倉橋の右脚が、ほんの少しだけ遅れる。
フォームが大きく崩れるほどではない。
知らない人が見れば分からない程度だ。
けれど、毎日一緒に走っている蓮には分かった。
接地の一瞬、右の返りが浅い。
「倉橋」
アップのあと、蓮が呼ぶ。
「何ですか?」
「脚、どうした」
倉橋は一拍遅れて笑った。
「何もないです」
「ない人の走りじゃなかった」
「……大丈夫です」
「苦しそうなときに大丈夫って言うの、だいたい大丈夫じゃないだろ」
倉橋は目をそらした。
「今日、マイルありますから」
「それとこれとは別だろ」
「別じゃないです」
その言い方が、思っていたより強かった。
倉橋自身、追い込まれているのだとそのとき初めて分かる。
マイルの地区予選。
ここを抜けなければ、県はない。
真壁は何かを感じ取っていたのか、招集前に珍しく短く言った。
「無理なら言え」
倉橋はすぐ答える。
「行けます」
瀬川が静かに見る。
「本当に?」
「行きます」
蓮はそれ以上、何も言えなかった。
レースは、苦しい一本だった。
真壁が一走でまとめ、倉橋が二走を持ってくる。
だが戻ってきたときの顔色が悪い。
それでも流れは切らなかった。
蓮が三走で押し上げ、瀬川がアンカーでまとめる。
結果は組通過。
県大会進出。
掲示が出た瞬間、西野が声を上げ、遥が大きく息を吐いた。
高梨も思わず笑っていた。
けれど、倉橋だけはその場にしゃがみ込んだ。
「おい」
真壁が駆け寄る。
「……すみません」
「謝んな。脚か?」
倉橋は答えず、ただ唇を噛んだ。
そのまま保冷剤と応急処置。
歩けないほどではないが、普通じゃない。
診断を受けた結果は、軽くなかった。
筋の損傷。
無理を押せば悪化する。
「県は厳しいです」
顧問の言葉が、やけに淡々として聞こえた。
誰もすぐに返せなかった。
県へ行く。
そうやって通した一本が、そのまま倉橋の離脱に繋がった。
倉橋はベンチで俯いたまま、小さく言った。
「通したかったんです」
誰に向けた言葉か分からない。
たぶん、自分自身にだった。
蓮は返す言葉を持たない。
県へ行けた嬉しさと、倉橋がその代償を払った事実が、まったく同じ場所に置かれていた。
その夜、高梨はメッセージアプリの部の連絡に何度も目を通した。
“倉橋、県は欠場濃厚” 短い文なのに重い。
ただ速いだけじゃない。
ただ勝てばいいだけでもない。
チームで戦うって、こういうことなのかと、高梨は初めて少し怖くなった。




