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3 初めての業務②

 だが今、目の前で語られたのは、法の外にこぼれ落ちそうな人たちの現実だった。

 ロンの震える声も、山川の真剣な眼差しも、すべてが生々しく胸に刺さってくる。

「……つまり、いろいろ心配なことはあるけれど、どうしても年内にはベトナムから家族を呼び寄せたい、ということですね」

 山川が確認すると、ロンは一瞬目を伏せ、それからゆっくりと頷いた。

 その頷きには、祈りのような静かな重みがあった。

 朗は、その仕草に、胸がじんわりと熱くなるのを感じていた。

 打ち合わせが終わると、ロンは何度も深く頭を下げて事務所を後にした。閉まったドアの向こうに、彼の小さな決意が見えたような気がした。

 山川は空になった湯飲みを片付け、しばらくして新しいお茶を持って会議室に戻ってきた。

「見ていて、どうでしたか?」

 テーブルに湯飲みを置きながら、山川が静かに問いかける。

 朗は少し考えてから、静かに口を開いた。

「……“呼び寄せたい”って、簡単な言葉に聞こえるけど……実は、すごく重たい一言なんですね」

 山川は一瞬、目を細めた。驚いたというより、何かを確かめるような眼差しだった。

「……そうですね」

 お茶を置いた手を引きながら、彼女は小さくうなずいた。その横顔には、ほんのわずかに柔らかな表情が浮かんでいる。

(やっぱり……この子、見るところをちゃんと見てる)

 ふと横を見ると、正樹はロンが持ってきたお菓子の箱を開けるのに夢中になっていた。中身を覗き込みながら「お、これ好きなやつ」と呟いている。

 山川は「まあ、いつものこと」とでも言いたげに、特にあきれる様子も見せなかった。

 そして、何気ない口調で朗に向き直る。

「村嶋さん、ロンさんの件、手伝ってくれませんか?」

「えっ?」

 朗と正樹が同時に声を上げた。

 山川は二人の反応に、ふっと小さく笑った。

「奥さんとお子さんを呼び寄せるには、まだいくつか確認しなきゃいけないことがあります。書類の整理も必要ですし、理由書も丁寧に作り込みたいんです」

 言葉は淡々としているが、その目はどこか楽しげでもあった。

「いやいや、いきなり彼に任せるのは……」と正樹が口を挟む。

 しかし、山川はさらりとかわした。

「任せるなんて言ってませんよ。ちゃんと私が見ます。でも資料の読み込みや、理由書の下書きをお願いしたいんです」

 朗は思わず言葉を詰まらせた。

(理由書……? 在留資格……? 正直、この業務のことは全くわかってない。でも……)

 先ほどのロンの姿が、胸の奥で静かに蘇る。

 ……でも、心の片隅には

(ここで雇ってくれたら、正直、楽なんだけどな……)

 という思いが潜んでいないという訳でもなかったし、この展開をどこかで期待していたのかもしれなかった。

「……私で、いいんですか」

 少し間を置いて、朗はそう口にしていた。

 山川はまっすぐに朗を見つめ、ゆっくりと頷いた。

「そう、あなたがいいんです」

 その表情は、自信に満ちているというより、不思議な余裕があった。

(ここで目を丸くしている正樹だって、最初は何も知らなかったんだから)

 山川は心の中でそう付け加えた。……10年以上も前、ここで事務所を経営していた佐藤親子からこの事務所を託されたあの頃、右も左もわからないままに突っ込んでいった正樹。その背中を見てきたからこそ、山川は根拠がなくても確信を持って言えるのだった。

 朗は視線を少し落とし、小さく息を吸った。

「……わかりました。やってみます」


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