2 試される朗(アキラ)①
昼下がりの光は、どこかやわらかく、街全体が午後の空気に包まれていた。
にぎやかな駅前を離れ、住宅街へと歩を進めると、幹線道路の喧噪が少しずつ遠のき、空気が静かに変わっていくのがわかる。
小さな公園の脇を抜け、いくつか角を曲がった先に、三階建ての建物が見えてきた。
外壁はレンガ色のタイル貼りで、午後の光を受けてほのかに温もりを帯びている。
一階には「行政書士法人ベントス」と記された控えめな看板が掲げられていた。派手さはないが、丁寧に手入れされた外観と窓辺のグリーンが、周囲の住宅と穏やかに調和しながらも、どこか凛とした空気をまとっている。
朗は足を止め、しばしその建物を見上げた。胸の奥に、名刺を受け取ったときと同じ、静かで小さな温もりが広がっていく。
インターホンを押すと、奥からドタドタと慌ただしい足音が近づき、ドアが勢いよく開いた。
少し乱れた髪に、どこか楽しげな笑顔を浮かべた今井が顔を出す。
「お、村嶋くん! よく来たね!」
その声は、事務所代表という肩書きから想像していた堅苦しさとはまるで違い、まるで旧友に声をかけられたような気安さがあった。
朗の肩から、いつの間にか入り込んでいた緊張がふっと抜け、自然と頬に笑みが浮かぶ。
中に入ると、事務所の空気は外の静けさとまた違った落ち着きを持っていた。
壁際の棚にはファイルがきっちりと並び、カウンターにはペン立て、奥にはコピー機と書庫。窓際には観葉植物がさりげなく配置され、事務的な空間に柔らかさを添えている。
外から差し込む午後の光が、床と棚をやさしく照らし、静かな事務所の中にコピー機の小さな駆動音だけが響いていた。
生活感と仕事場の緊張感が絶妙なバランスで同居していて、朗は思わず周囲を見回した。ここには、自分の知らない世界の空気がある。そう直感した。
「紹介するね、山川さん」
今井が声をかけると、奥のデスクで書類をめくっていた女性が顔を上げた。
「ああ、あなたが村嶋さん」
山川は軽く目を細め、すっと立ち上がった。
「若い人が来るって聞いてたから、どんな方かと思ってました」
その口調は穏やかだが、どこか探るような響きを含んでいる。だがそれは決して警戒ではなく、むしろ小さな好奇心が混じったような柔らかさだった。
朗は思わず一瞬たじろぎ、背筋が自然と伸びる。
彼女の視線は鋭いわけではない。けれど、不思議と胸の奥を静かに覗き込まれるような感覚があった。
「……はじめまして。村嶋です」
少しぎこちなく名乗ると、山川は軽く会釈を返し、再び席に戻った。
その動きには一切の無駄がなく、机に戻る所作までもが整然としている。
朗はその背中に、言葉にならない“距離”のようなものを感じた。
自分とは違う世界のリズムで生きている、そんな印象だった。
「じゃあ、こっちへ」
今井に促されて事務所奥の会議室へと進むと、そこもまた外観と同じように整然としていた。
壁際にびっしりと並ぶ書棚と、中央に置かれた大きなテーブル。無駄なものは一切ないのに、不思議と冷たさを感じさせない空間だった。窓際には花が生けられていて、外から差し込む午後の光がその花をやわらかく照らし、静けさに深みを添えている。
朗は静かに息を吸い込みながら椅子に腰を下ろした。心の奥で、何かがゆっくりと切り替わっていくのを感じた。
「ところでさ、君はどうして行政書士になろうと思ったの?」 不意を突かれたように、朗は一瞬まばたきをした。少し迷ったあと、口を開く。




