懸想
引っ越してから十七日程経った頃。
ぼくは羽那子との思い出を振り返りながら、村を歩いていた。
用水路に繋がっている川、少し大きめな商店、山にある物置小屋、歩いて二粁程近所の鈴木家。
そう云った場所を巡っている時だけは彼女の存在を近くに感じる事が出来た。
一種のイマジナリーフレンドと云うのだろうか。
宛ら、幻想の世界に咲く花の様だ。
人生とは花に例えられる。羽那子は昔、そう言った
当時はお互いに小学校低学年。詩的で衒学的で達観した表現だと感じた。
彼女は幼い頃から文学を嗜み、そうした教養を身に着けていたからだ。
皆が野山で自然に触れる頃、戯曲や随筆に触れ、頭脳と精神から感性を切り拓いていた。
一日だけ花を鮮やかに魅せる一輪の花。其れが人生であった。
花言葉は万物流転。
一時は其の言葉を聞き、成熟よりは困惑が勝ったものだ。
然し、今となっては其の気持ちに一分の理解を示せる。
巡り変わる季節に同じ物は何一つとして無い。だからこそ一秒一瞬を大切にしようと思っている。
嘗ては瀟洒で該博で深謀遠慮な彼女に、憧憬の念すら抱いていたのだ。そうだ、綾錦に身を包む彼女に……。
神社の在る山の方に目を向けた。
人身御供として捧げられた……とかじゃなければ良いのだけど。ぼくはそう思った。
良く謡われる伝承では大蛇が山を支配し人里に降りて人を喰らう話の類型が在る。其の対処として人々は若い女の子を捧げ、水や豊作、長寿の恩恵を受けるのだ。彼女程では無いにせよ、ぼくは其れくらいの常識的な教養は持ち合わせている。尚、こういう知識も彼女から齎されたものだが。
だが、人身御供の儀式は昔此の村に在ったという噂がある。其れは噂であって、事実かなんて確かめようがない事ではあるのだが。
ぼくが山の前で物思いに耽ていると、中年男性が同じ方角を向いていた。
暫く、同じ場所を見てから、ぼくの顔を見るなり、ぼくの名前を何度も呼んだ。
彼は羽那子の父親だ。長い年月で容貌が著しく変化していた為に直ぐに気付くことが出来なかったが、其の声や語調、雰囲気はあの頃から変わっていない。
少しやつれた印象の彼に、ぼくは羽那子の様子を訊ねた。ぼくは浮かれ半分の気持ちがあった。何故ならば、
彼は少しの間の後に、軽く頷いて何かを決めたような表情で歩き出した。
すると、彼は木の枝を拾い、何かをブツブツと唱えながら複雑な文字を書いていく。最後に五芒星を描いた後に、簡易的な結界だ、と一言。
ぼくは其の様子に、結界? と訊ねる。
彼は淡々と説明する。
効果はあるが、時間は短い。連中は免疫を付けて此の数年で編み出した術式は意味が無くなる。手短に答えねばな。と、いつもの語調とは違った雰囲気で次々説明していく。
曰く、彼が言うには彼女は行方不明だという。
其の説明をする時の彼は非常に焦燥的で暴力的であった。
一粒の汗がぼくの頬を伝う。
あの洞窟で見た白骨死体が彼女だとしたら。否、あの背丈は成人男性の物だ、だとしたら……。
何処にいるのかも分から無い今、ぼくは希望的観測で頭を埋めていく。
実質的に永訣したとは、ぼくが認めたくなかったのだろう。
今では懸想に駆られていた物が崩れ、暗澹とした感情に脳が支配されていく。




