嶮岨
延々と続く広葉樹の山林と川沿いの道。
奥へ進めば進むほど舗装がなされず罅割れた土瀝青や、熊出没注意と云った看板が風情を出す。
青々と其の生命を自己主張する大層な木々。其れ等は秋には色とりどりな個性を放ち、いずれ枯れゆく。
そんな気持ちにぼくは浸りながら、川辺へと目を向ける。
あっけらかんと照りつける太陽の光を反射し、思わず手で覆った。
静かに揺れる波が断続的に視覚を刺激する。
鴨が魚をぱくりと頬張る。
自然の営みはドアガラス越しに繰り広げられ、舗装路も途絶え、砂利道を進む中では、対極的な自然と人工物の境界線は車の輪郭となっている。
岨道では、流石のぼくも酔いに敗ける。車が通る事を考慮していないと言わんばかりの未舗装路は乗員全てを苦しめていた。
運転手であるオヤジも例外では無い。少しでも油断すると車体の制御を失い木々の聳える中に時速六十粁で追突。中古車とは言え其処までのアンティークでもない、信頼と安全の日本車でもある事から、大事には至らないものの、正面は恐らく木綿豆腐のようにペシャンコに潰れるだろう。
其の様な緊張感の中、奥へ奥へと進んでいく。
夏を象徴する入道雲が山際の奥に描写され、さながら大きな絵に閉じ込められているようだった。
風が木々を薙ぐ。
自然は人間を囲み怒りを露わにし、砂利道の凹凸、水面の反射が運転を妨げる。
然し、ぼくの父はそのようなことでは意志が揺らがなかった。
其れは転勤という人の営みから生じるものによる意志の強さ。
人と云う生き物は自然を支配し拓いてきた。
其の長い人類の歴史で培われた魂の強さが運転に乗せられる。
然し、進めども進めども先の見えない川は、正に自然の生み出した藝術であった。
幼い頃は至極普通に其のような場所で遊んでいたが、此の年齢になってこうした風景を見ると違った趣を感じる。
車が影に入り込むと、木々と空とがハイコントラストを生み出す。宛ら、西洋美術の様相だ。特有の光線表現と色の調和、そして、空と云うキャンバスには飛行機雲として筆を走らせていた。
ふと、屹然とした山と、蒼穹の境界に鈍色の不純物が顔を覗かせた。
昔、ダム開発を巡っていざこざがあったと云うのだが、今尚も名残が懸案事項として村を蝕んでいる。
解体するには資金が必要で、財政難である今の状況では放置を採っているが、何時か崩壊する時限爆弾と成ってしまった。何れにせよ、稟議を図る必要があるのだが、日和見主義的で閉鎖的で優柔不断的判断が決断を鈍らせているのだろう。
此の場において余所者(厳密にはそうでは無いが)を受け入れると云うのは刷新する流れがあるのだろう。
目に映る自然でさえも刻々と変化していく物だ。徒然とした生を迎えることほど暗愚な事は無い。
自然の摂理として適者生存と云う物がある。其の時代、其の環境下に於いて適応できた者のみが未来を紡ぐ事を許されるシンプルな物だ。現実はもっと複雑ではあるが今はそれで考えていれば良い。その強弱や正邪などは比較すると大して重要な事では無いのだ。
そんな柄にも無い衒学的な思考を巡らせていると目的地に着いたようだ。
長くもあり短くもあった道程。目の前には木造の古風な一軒家が聳える。
表札は其の建造物の風化具合等と掛け離れたピカピカな光沢を放っており、其処にはぼく達の姓が刻まれていた。
先に着いていた引っ越し業者によって、段ボールは凡そ家の中に運び込まれており、荷解きを終えると、オヤジは早速CADを立ち上げて仕事に取り掛かっていた。家には珍しい人影もあった。友人以外で家に誰かが居るという状況はあまり馴染みが無い。痩躯に古ぼけた和装に身を包む老人は此の村の村長だ。
オヤジは新庁舎を設計を依頼されたそうだ。オヤジは村長と楽しそうに談笑しながらパソコンの操作を続けていた。
なんでも、最近の建築士はオンラインでもやっていけているものの、現場を見ながらノートパソコン片手に作業するのも悪くないのだとか。然し、こうして引っ越して現場の雰囲気と共に仕事するというのが今のオヤジには大事らしい。オヤジから少し聞いた話だが、その昔、手書きで図面を引いていた頃はいろいろと大変だったそうな。建築設計から施工管理までパソコン一つで全てが完結してしまうのは現代文明の勝利と言えるだろう。
それに、最近の3Dレンダリング技術とは素晴らしい物だ。竣工を経ずとも、モデルハウスを築かずとも、視覚的で体感的で空間的な確認が可能なのだ。
時折、母親が二人の御茶を持って来たり、助言をしている様子をぼくはじっくりと眺めていた。尚、母親がオヤジに助言するのは珍しくはない。彼女は空間アーティストが本業であり、理論、理屈で設計を行うオヤジに対し、感性や美的センスで補佐すると機能性と美的観点に優れた仕上がりになるというのだ。
だが、そんな様子も一時間と見ていると流石に飽きてくるので、ぼくは母親に夕刻までに帰宅する事を約束して外へと飛び出した。
車がぽつぽつと走っており、車道と歩道の違いも無い畦道。
目の前には水田が山の連なりを映し出す。




