令息の取り巻きがマトモだったら
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学園のサロンの一角。
侯爵令息マーキスは、腕に絡ませた男爵令嬢エミリアの肩をこれ見よがしに抱き寄せた。
視線の先には彼の婚約者である伯爵令嬢シーラが、俯いたまま静かに立っている。
「シーラ、君があまりにも私をないがしろにするから、こうして他の女性に慰めを求めるしかないのだ」
言い訳にもならないようなことを言うマーキス。
「私がエミリアに優しくするのは、君が私を真に愛していない証拠なのだよ」
マーキスはそう言って、被害者面して眉をよせた。
エミリアはマーキスの言葉にうっとりとした表情で寄り添い、勝ち誇ったような視線をシーラへと投げかける。
侮辱に侮辱を重ねられたシーラは──ただ唇をきつく結ぶだけだ。
その周囲にはいつものようにマーキスの取り巻きである伯爵令息アランと、同じく伯爵令息ヘンリーが控えていた。
彼らは主人の言葉を肯定するかのように、面白半分といった表情でシーラを見つめている。
マーキスは得意満面な表情で、アランにちらりと視線を送った。
「アラン、君からも何か言ってやったらどうだ」
促されたアランは待ってましたとばかりにコホンと一つ咳払いをする。
「シーラ様、そのような無様な様ではマーキス様の婚約者として失格と言わざるを得ませんな」
アランは芝居がかった口調で、糾弾の口火を切った。
「そもそもオブシダン伯爵家といえば、我が国において『断罪と暗殺』の家として、その影働きで王家を支えてきたお家柄ではありませんか」
その言葉にマーキスは「まあ、そうだな」と軽く頷く。
「王家の影として法で裁けぬ悪を断罪し、数多の政敵を闇に葬ってきた──“謀略”で鳴るギャロン伯爵家と並ぶ、それはそれは恐るべき一族のはず」
アランはやれやれといった風に首を振る。
眼鏡男子であるアランがそれをやると、とにかく憎らしげに見える。
「そのオブシダン伯爵家の長女たるあなたが、こともあろうにエイデン男爵家の令嬢一人に婚約者の心を奪われ、あげく何も言い返せないとは! 情けないにもほどがあります」
アランの口調はますます熱を帯びていく。
「これは、あまりにも無能と言わざるを得ないのではありますまいか。貴族として、という意味です。本来であればシーラ様の一声で、エイデン男爵家ごときどうとでもできるはずでございましょう」
アランはまるで名案を思いついたとでもいうように、目を輝かせた。
「たとえばですな、原因不明の奇病がエイデン男爵領で突如として流行し、不幸にも一家全員が息を引き取る──などという筋書きはいかがですかな」
その突拍子もない提案にマーキスの顔からすっと血の気が引いていくのがわかった。
「あるいは、お抱えの腕利きの者たちに命じてエミリア嬢を夜陰に紛れてそっとお連れし、二度と社交界には顔を出せぬような忘れられない“思い出”をこしらえて差し上げるのも、オブシダン伯爵家の力をもってすれば赤子の手をひねるようなものでは?」
アランがうっとりとした表情で語るその物騒な内容に、エミリアはわなわなと唇を震わせる。
「それだけの力をお持ちでありながら、みすみす格下の相手にこうも好き勝手させている時点で、伯爵家の者としての自覚がシーラ様には決定的に欠落していると断じざるを得ませんな!」
アランはそう言ってまるで大仕事を終えたかのように、ふう、と満足げな息を吐いたのだった。
しかしそこでアランはハッと何かに気づいたように目を見開き、シーラをじっと見つめる。
「いや、まてよ……あるいは、シーラ様はあえて、あえて受け身でいらっしゃるという可能性も……?」
アランは急に声のトーンを落とし、警戒心を滲ませた目でシーラを観察し始めた。
「そもそもオブシダン伯爵家とジュネオラ侯爵家──この両家の婚姻が決まった背景には、王家に連なる血筋をお持ちのジュネオラ侯爵家と縁を結ぶことで、オブシダン伯爵家に万が一にも二心が芽生えぬよう、これを封じるという意味合いがあったはず」
アランの言葉にマーキスは「そ、そうだったか……?」と自信なさげに呟き、エミリアは不安そうにマーキスの顔を見上げる。
「つまりこれは、懐刀たるオブシダン伯爵家がゆめゆめ王国に牙を剥くことのないようにと仕組まれた──いわば国家規模の政略結婚!」
アランは一人で納得したようにうんうんと頷く。
「絶対に、絶対に破綻させてはならないはずのこの重要な政略結婚において、マーキス様のこの度の浮気に対し、シーラ様が何一つおっしゃらないというのは……」
彼はそこで一度言葉を切り、まるで世紀の大発見でもしたかのように声を潜めた。
「……これはもしや、オブシダン伯爵家による総意。つまり、オブシダン伯爵家はすでに他国からの調略を受けているのではありますまいか」
マーキスは「ちょ、調略だと!?」と素っ頓狂な声を上げ、エミリアは息を呑んだ。
「おそらくは昨今、我がウェイン王国との関係が急激に悪化している、あのサザーランド帝国あたりから……」
アランの目はあらぬ方向を見据えて輝いている。
「しかしいかにオブシダン伯爵家といえども、ただ王国を離反するとなれば大義名分が必要となります」
彼は推理小説の探偵のように、指を一本立てた。
「だから、あえて何も言い返そうとしない……? マーキス様と、そしてこのエミリア嬢に徹底的に面子を台無しにされ、その屈辱を晴らすという報復を口実として、王国を離反する……そうすれば、なるほど、話は分かりますぞ!」
アランの突拍子もない推理に今度はシーラの方がサッと顔色を青くした。
「まさか……!?」
とんでもないところからぶっ飛んできた濡れ衣に、シーラの心臓が警鐘のようにドクドクと鳴り始める。
「そ、そのようなことは断じてありませんわ!」
シーラは思わず声を張り上げ、身の潔白を必死に訴えた。
しかしアランは疑念に満ちた目でシーラを睨めつけるだけで、全く信用しようとする気配がない。
そればかりかアランは今度はマーキスの方へとおそるおそる視線を移し、次の瞬間──顔面を蒼白にさせた。
「ま、待てよ……ま、まさか……! マ、マーキス様……あ、あなたは……まさか……埋伏の毒……ッ!」
アランはわなわなと震えだし、指先でマーキスを指差した。
「サザーランド帝国には、『千年計画』という気が遠くなるほど大規模かつ長期的な計画が存在すると聞き及んでおります!」
彼の声は恐怖と興奮で裏返っている。
「そ、それは、あらゆる国家に息のかかった手札を潜ませておき、しかるべき時が来たならば、一斉に蜂起させ、内部から崩壊させるという、恐るべき計画!」
マーキスは何が何だかわからないという表情で、ただ目を白黒させている。
「とある小国においては、すでに王位についている札もあるとか……」
アランはゴクリと唾を飲み込んだ。
「これまでジュネオラ侯爵家が、なぜマーキス様のような軽々に事を起こされるお方を、よりにもよってオブシダン伯爵家の令嬢と婚姻させようとなさったのか……それがずっと疑問でしたが。なるほど、なるほど、そういうことでありましたか!」
アランの中で全てのピースが繋がったようだ。
目は爛々と輝き、その勢いに押されて皆何も言えない。
「そもそもジュネオラ侯爵家もまた、サザーランド帝国の息のかかった一族……!!」
「な、何を馬鹿なことを言っているんだ、アラン! 私はそんなものとは何の関係もないぞ!」
マーキスはアランのあまりの妄言に、ようやく我に返って抗弁した。
しかし一度疑心暗鬼の渦に呑み込まれたアランは、もはや主人の言葉すら信じようとはしなかった。
「お二人はそうやって否定なさいますが、しかし現にこうして、決して破綻してはならないはずの政略結婚をまさに破綻させようとしているではありませんか! 逆賊め!」
アランは確信に満ちた声で断じた。
するとシーラとマーキスは思わずといった風に視線を交わし、マーキスがおずおずとシーラの手を取った。
「そ、そんなことはないぞ! な、なあシーラ!」
「え、ええ、そうですわ! 私たちは……その……」
シーラもマーキスの手をぎこちなく握り返し、必死に親密さをアピールしようとする。
だがアランは胡乱げな目で二人を一瞥し、ふんと鼻を鳴らした。
「手を繋ぐだけではねぇ……何の証明にもなりますまい」
その言葉にマーキスはカッとなったように声を上げた。
「そ、そもそも私は、シーラのことが別に嫌いというわけではないのだ! だが、私が何を言っても、その、シーラは全く……その、心を開いてくれようとはしないから……!」
マーキスの切羽詰まったような声にシーラもはっとした表情で彼を見つめ、意を決したように口を開いた。
「わたくしも……マーキス様に対して、淑女としていかに接するべきか、その……己の心を安易に明かすことは、はしたないのではないかと、そのように考えておりましたものですから……」
本音ともつかぬ言葉がシーラの口からこぼれ落ちる。
それを聞いたアランは今度はエミリアの方へとゆっくりと顔を向けた。
「エミリア嬢、あなたはどう思われますかな? このお二人、やはりサザーランド帝国の、かの『千年計画』の……あ、いや、確か『百年計画』……あれ? どちらでしたかな、エミリア嬢?」
アランは小首を傾げ、わざとらしく問いかける。
エミリアは突然話を振られ、狼狽えたように目を泳がせた。
「え……あの……確か……ひゃ、百年……では……」
そして、しまったというようにハッと口を押さえた。
それをみたアラン・ヴィラ・ギャロンは、エミリアににっこりと微笑んで言った。
「そうそう、『百年計画』でございましたな」
◆
あの日を境に、エイデン男爵令嬢エミリアの姿は学園から忽然と消えた。
当初は彼女について話す者もいたが、数日たつ間にそんな声もすっかり消える。
学園には穏やかな日々が流れていた。
そんなとある日の放課後、人気のない中庭のベンチでアランとヘンリーは並んで腰掛けていた。
この日、マーキスはシーラを邸宅に招いて夕食を取る事になっている。
ちなみにアランだが、あの騒動の後はマーキスの傍を離れ、今は一人で過ごす時間が増えていた。
アランはどこか遠くを見つめるような目で、静かにヘンリーに問いかけた。
「これでよろしかったでしょうか。ヘンリー殿」
芝居がかった様子もなにもない、平坦な声だ。
ヘンリーはゆっくりとアランの方へ顔を向ける。
「はい。王家の“目”としても、今回の始末で特に問題はないと判断します」
ヘンリーは続ける。
「マーキス様とシーラ嬢もあれ以来、どこかぎこちない雰囲気は残るものの──以前よりは互いに歩み寄ろうとしているように見受けられます」
アランは小さく頷いた。
「少しはあの馬鹿げた茶番も役に立ったのかもしれませんね」
「ええ。オブシダン伯爵家とジュネオラ侯爵家の縁談は、王国にとっても重要ですから。些細なことで破綻されては困ります。シーラ様はともかく、オブシダン伯爵はまだまだ現役ですからね。マーキス様は阿呆ですが、素直な部分もあります。その辺の小賢しい知恵をまわしてくる高位貴族令息などよりはよほど扱いやすい」
ヘンリーはそう言って、ふっと息をついた。
「私は引き続きマーキス様の傍におります。アラン殿は?」
「まあこれまでとかわりません。虫の駆除ですよ」
(了)