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92 反転

 店の外から甲高い急ブレーキ音が響き渡った。

 黒塗りの車が店前に滑り込み、白煙を上げて止まった。

 ドアが一斉に開き、警備服姿の男たちが飛び出した。

 彼らの手には、黒光りする機関銃。

 制服との不釣り合いが、異様な殺気をさらに際立たせていた。

 男たちは無言のまま店内へ駆け込み、ドアの鈴をかき消す勢いで足音を響かせる。

 客たちのざわめきが一気に広がり、店内の空気が張り詰めた。

 「全員、動くな!」

 怒声とともに、警備服の男が機関銃を構えた。

 店内の空気が一瞬で凍りつく。

 「お、お金なら……差し上げますから……!」

 カウンターの店員が声を震わせる。

 「黙れ!」

 銃口が突きつけられ、店員の言葉は喉に貼りついた。

 「ひ、ひぃいいいい……!」

 情けない悲鳴が漏れ、膝ががくりと折れた。

 男の口元が歪む。

 「てめぇらに用はねぇ。……大人しくしてろ」

 警備服の男たちの列から、一人の三十代の男が歩み出た。

 口元にタバコをくわえ、不敵に笑みを浮かべている。

 片手で機関銃を天井へ突き上げ――

 ダダダダダッ!

 硝煙と共に木片が降り、店内は一瞬にして阿鼻叫喚に包まれる。

 女性の悲鳴、椅子の倒れる音、誰かが皿を落とす甲高い音が重なった。

 男は灰を床に落としながら、ゆっくりと楓と夏実のテーブルへ近づいてくる。

 二人を見下ろし、口元を歪めて言った。

 「……いい雰囲気だな、お二人さんよ」

 夏実が身を動かそうとした瞬間、楓が目だけで制した。

 そしてゆっくりと口を開く。

 「あんたは……確か、正興会の若頭、伊沢誠二だったな」

 伊沢は口角を吊り上げ、薄く笑った。

 「ほぉ〜、黒楓会の会長さんに知ってもらえるとは光栄だな」

 「で、俺に用はなんだ?」

 伊沢の笑い声が、場内の緊張をさらに引き立てる。

 「クックック……こんな状況で偉そうにしてやがるな。大した度胸だ。頼みがあるんだが、てめぇ、死んでくれねぇか?」

 その言葉が空気に落ちた瞬間、警備服の男たちが一斉に楓に銃口を向けた。

 銃身が光を拾い、テーブル越しの距離に冷たい金属の匂いが漂う。

 カランッ――トレイが床に落ち、皿が砕け散った。

 「ひっ……す、すみません!」

 店員はすぐにしゃがみ込み、震える手で破片を拾おうとする。

 警備服の男たちは一瞥しただけで、再び楓に向け直した。

 「……遺言はあるか?」

 伊沢の挑発に、楓は肩をすくめ、吐き捨てるように答えた。

 「いや、必要ない。――勝つのは俺だからな」

 その言葉を合図に――

 パァンッ!

 乾いた銃声が店内を震わせた。驚愕の視線が一斉に走る。床に崩れ落ちたのは、警備服の男のひとり。

 「て、てめぇ……!」

 伊沢が怒声を張り上げる。

 引き金を引いたのは、なんと皿の破片を拾い集めていた店員だった。

 店員はゆっくりと立ち上がり、白い帽子を取る。露わになった茶髪が照明に映え、不敵な笑みが浮かんだ。

 「どうだ、この俺様の演技――なかなかのもんだろ?」

 一瞬固まった伊沢がすぐ状況を理解し、即座に銃を楓に向ける。

 しかし、楓の傷が完全に癒えておらず、回避のような大きな動きはできない。

 その時――。

 ギィィンッ!

 鋭い金属音が店内を裂き、伊沢の手の銃はナイフ一本で弾き飛ばされた。

 「なにっ?!」

 次の瞬間、人影が凄まじい速度で飛び込んで来た。

 伊沢も只者ではない。瞬時に後ろへ跳び、辛うじてかわす。しかし蹴り払いが一閃し、手にしていた銃が宙を舞った。

 「ちっ……!」

 伊沢は即座に割り切り、銃を捨てる。そのまま片手で夏実の腕を乱暴に引き寄せ、もう一方の手で懐からナイフを抜き、首元に突きつけた。

 人影は楓の前に立ちふさがる。目立たぬようオールバックにしたが、そのアイパー頭を見れば正体は明らかだった。

 さらに――座っていた"客"たちが立ち上がり、一斉に銃を構える。標的は伊沢と警備服の一団だ。

 「動くなッ! この女がどうなるか、わかってんだろうな!」

 伊沢は夏実を盾に叫んだ。

 「おい清水! 初任務やらかしてんじゃねぇよ!」

 茶髪の店員がトレイを放り捨て、銃を構えながら叫んだ。

 「悪い、弘大さん……こいつ、想像以上に手強ぇッス!」

 楓の前に立ちはだかった男が息を整えながら言った。

 この二人はまさに鴨川衆――柏弘大と清水聡だった。

 伊沢に首を締め上げられ、夏実は息を絞り出すように叫んだ。

 「ゲホッ……私のことは構わないで……玄野楓、あいつらを捕まえて……ッ!」

 「おっと、余計な口を利くな、女」

 伊沢は腕にさらに力を込め、夏実の喉を強く締め上げた。

 「まさか事前に仕込みを用意していやがるとはな……さすがは黒楓会の玄野楓。狡猾の代名詞ってわけだ」

 警備服のひとりがそっと近寄り、小声で問いかける。

 「……伊沢さん、どうします?」

 「焦るな。すぐに外の連中が突入してくる。その時に全部まとめて――」

 言葉の途中で、外から銃声が響き渡った。

 パァン! パパパッ!

 闇の中で銃口の閃光が次々と瞬き、反響する轟音が店内にまで伝わってくる。

 伊沢は薄く笑い、さらに声を張った。

 「クックック……大人しく降参した方が身のためだぜ、玄野会長よ――」

 「もう誰も来ねぇよ」

 ドアから、大柄な男がどっしりと入ってきた。首を振るような仕草に、周囲の空気がピリリと引き締まる。

 「て、てめぇは……鬼塚大地か!」

 その男、鬼塚大地は黒楓会随一の武闘派として名の知れた存在だ。

 鬼塚は一歩踏み出すと、低い声で言った。

 「外の連中はすべて片付けた。その女を離せ、さもなくば――」

 拳を鳴らした。

 彼のがっしりした体躯と、見る者の戦意を削ぐような風格は、それだけで場を支配する。

 伊沢は視線を巡らせた。

 いつの間にか外で続いていた銃声は止み、重い静寂が戻っている。

 裏と外――二重の包囲に閉ざされ、逃げ道はもはやどこにもない。

 部下たちの瞳には、すでに戦意を失っている。

 短くため息を吐き、口の端に自嘲めいた笑みを刻む。

 ――どうやら、ここまでか。

 鋭い視線で玄野を射抜き、低く言い放つ。

 「玄野会長……てめぇの勝ちだ。

 この女を解放してやる。だが条件がある――俺の部下を活かしてくれ。そのかわりに、この俺の命は好きにしろ」

 背後からは誰かの叫びが上がる。

 「伊沢さん!!」

 「兄貴!」

 「てめぇらは黙れ!」

 伊沢が怒鳴り、場を支配した。

 鬼塚はわずかに口角を上げ、男気を認めるような視線を投げる。

 楓は考え込む素振りも見せず、静かに口を開いた。

 「いいだろ」

 手の合図で、柏と清水は素早く動き、警備服の男たちから武器を取り上げた。

 「伊沢さん……」

 「いいから、さっさと消えろ」

 部下たちは深く頭を下げる。

 「伊沢さん……待っていてください!必ず仲間を集めて、伊沢さんを取り返しに来ます!」

 短い言葉を残し、彼らは足早に退いた。

 約束どおり、伊沢は夏実を解放する。

 「ゲホッ、ゲホッ……な、何を考えているんですか?! 犯人を逃したんじゃないですか!」

 「それより、大丈夫か?」

 「は、はい……大丈夫……です」

 夏実がかすれた声で答えると、楓の一言に不思議なほど胸の重みが抜け落ちた。

 伊沢はその場の床に腰を落とし、楓らを見ようともしないまま、ただ目を閉じた。

 鬼塚が低く問う。

 「会長、こいつは……」

 楓は静かに告げる。

 「安心しろ。殺しはしない」

 伊沢は何も返さず、まるで聞こえていないかのように沈黙を貫く。

 その横顔を一瞥した楓は、夏実へと視線を向けた。

 「……こいつは、あんたら警察に任せた。いいな」

 夏実はしっかりと頷き、毅然とした声で応じる。

 「もちろん。銃刀法違反および殺人未遂の容疑で逮捕します」

 「これで一件は片付いた。……あとは頼んだ」

 楓が短く言い残す。

 「……はい」

 夏実は頷きながらも、胸の奥にかすかな切なさを覚えていた。

 楓と鬼塚、そして柏や清水の姿は静かにその場を離れていた。

 警察のサイレンが近づいてくる前に、彼らは影のように消えていった。

 その背中を――夏実はただ、黙って見送っていた。

 

 一方その頃、レストランから数キロ離れた路肩に、一台の車が停まっていた。

 車内の空気はすでに煙で濁り、灰皿には吸い殻が山のように積み重なっている。

 ハンドルを握る男は、汗ばんだ掌で携帯を強く握り込み、何度も画面を確認しては舌打ちをした。

 ――まだかよ……今度もしくじったら承知しねぇぞ。

 焦りを押し殺すように深く吸い込み、フィルターが焦げる寸前までタバコを吸い尽くす。

 その時――

 不意に、無機質な着信音が車内に鳴り響いた。

 「やったか?」

 受話器の向こうから低い声が静かに返ってきた。

 『うちの若衆からの報告だ。若頭の伊沢誠二が玄野楓に捕らえられ、そのまま警察に突き出された。貴様、俺たちを嵌めやがったな。』

 「なに……?」

 玄野楓に捕まっただと? しかも警察に渡されたのか——男の顔色が瞬時に変わった。

 「何があったんだ? なぜ失敗した?」

 『それはこっちのセリフだ。よく考えりゃ――貴様のせいで、俺たちは東京を捨てて茨城のど田舎へ潜る羽目になったんだ、そう思わねぇか、なあ、石川警察官?』

 「ふざけるな!俺がそんなことをするはずがねぇ、罠だ、これは全部玄野楓の罠に違いねぇ!」

 だが相手は鼻で笑い、言い放す。

 『フン、まだとぼけるのか。ま、いいさ。警察を信用した俺の方が間抜けだったことだ。覚えておけ、この借りは必ず倍にして返してやる。』

 そこで通話は一方的に切れ、石川は荒い息を吐いて灰皿を乱暴に叩いた。

 「クソッ! 一体どういうことだ……!」

 警察も動かせない、ヤクザを味方に付ける術も尽きた——そうなれば、玄野楓に対抗する手段はほとんど残っていない。煮えくり返る苛立ちと焦燥だけが、薄暗い車内に渦巻いた。

 石川は舌打ちしながら車のエンジンをかけ、夜の道路へと滑り出した。

 信号が変わるたびにアクセルを乱暴に踏み込む。

 その時、ダッシュボードの上で携帯が震えた。

 「今度は何だ……」

 『……俺だ』

 乱暴に通話ボタンを押すと、聞き慣れた声が返ってきた。

 「ま、松本警部?! す、すみません、さっき知らない番号から連絡が来てて……」

 『石川、お前……停職処分だ』

 「な、なぜですか?! 一体何が――」

 『県議から通報があった。お前がヤクザと通じて、千葉市内の爆破事件に関与している疑いがある。加えて、証拠として録音テープまで送られてきた』

 「なっ……!?」

 『上は激怒だ。とりあえず、潔白が証明されるまで、お前は停職だ。以上』

 「……分かりました、ありがとうございます」

 通話が切れる。

 車内に沈黙が落ちた。

 石川は携帯を見つめたまま、唇を噛み、拳を震わせる。

 ――玄野楓ッ!!

 すべて……貴様の仕組んだことかッ!?


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