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7 動向

 「悪かったな、手間をかけさせた。」

 佐竹がママに向かって声をかける。

 「そ、そんな……」

 ママは慌てて頭を振るが、まだ動揺が抜けきらず、視線はカウンターに広がる酒と血の混じった液体へと向けられていた。

 「弁償については、専門の者を向かわせる。それで納得してもらおう。」

 ママの表情が強張る。

 損失自体は大したことではない、だが、先ほどの出来事が脳裏をよぎる。

 もし、さっきの人たちが報復に来たら——そう考えた瞬間、ママの喉が音を立てた。

 その変化を察した楓は、カウンターの上のグラスを指でなぞりながら、落ち着いた口調で言う。

 「心配するな。連中は来ない。」

 それは、確信に満ちた断言だった。

 ママは思わず楓を見た。

 なぜ、そんなことが言い切れるのか。

 佐竹が苦笑しながら、ぽつりと漏らす。

 「楓さんの読みは、いつも外しやせんからね。」

 ママは半信半疑のまま、目の前の少年を見つめた。

 この年齢の子が、こんな世界に関わっていること自体、信じがたい。

 だが、長年スナックを経営してきた、人を見る目には自信がある。

 少なくとも、この少年は、嘘をついているようにはまったく見えなかった。


 約二時間前——

 ここへ向かう車の中。

 「今夜、大森一家の拠点を襲撃する。鬼塚たちにも連絡を入れろ。」

 運転席の矢崎はルームミラー越しに楓を見やり、助手席の佐竹が軽く眉を寄せた。

 「しかし、まだ連中の拠点がどこにあるかは……」

 「奴らに直接案内してもらう。」

 「案内……ですか?」

 楓は計画を述べ、佐竹と矢崎は黙って聞き、車内にはしばし沈黙が落ちた。

 しばらく考え込んだ後、佐竹は低く呟いた。

 「……痛めつけて、奴らの拠点まで尾行するってわけですか。しかし、もし奴らの主力が報復に来たら、危険では……」

 「こないよ。」

 「どうしてそれを?」

 「単純な話だ。奴らのボスがよほどのバカじゃなければ、"黒楓会"の挑発に乗るはずがない。」

 「なるほどな……」佐竹が頷いた。

 だが、矢崎はまだ完全に理解しきれていない様子で、バックミラー越しに楓と佐竹を見る。

 佐竹が続けた。

 「悪覇連棒の時とは違って、俺たちっ、いいえ、古川組は相手を舐めていた。だから挑発にすぐに乗った。だが大森一家は、一度古川組に負けたことがある。黒楓会は、その古川組を潰した。そんな黒楓会の挑発に、迂闊に乗るほど愚かじゃねぇ。」

 「ああ、なるほど……さすがっすね!」

 矢崎が納得したように笑った。

 楓は満足げに微笑む。やはり佐竹は優秀だ。わずかな言葉で、すぐに全体を理解する。

 「そこでだ、矢崎。あんたに一つ任務を与える。いいか、絶対に気づかれるな。」

 矢崎は余裕の表情で、親指を立てた。

 「任せてください!」


 大森一家の男は、仲間の腕を肩に回しながら携帯を取り出し、誰かと話し始めた。

 矢崎は距離を取りすぎず、かといって怪しまれないよう、車の中から慎重に様子をうかがう。

 男は意識を失った仲間を道路脇に停まっていたタクシーに押し込むと、自分も続いて乗り込んだ。まもなく、タクシーは発進し、市原方面へと向かった。

 矢崎はエンジンをかけ、タクシーを見失わないよう適度な距離を保ちながら、慎重に尾行を開始した。

 約三十分後——

 市街地を抜け、道は次第に暗くなっていく。

 住宅の数は徐々に減り、人影もまばらになり、街灯が点々と光を落とすのみ。

 タクシーは市原博物館の近くで速度を落とし、一軒の建物の前で停車した。

 矢崎は遠くから様子を観察する。

 そこは、一戸建てにしては妙に敷地が広く、駐車場には数台分のスペースが確保されている。

 周囲には他に目立った建物はなく、明らかに普通の民家とは異なる雰囲気を醸し出していた。

 タクシーから降りた男は、意識を失った仲間を再び引きずりながら建物の前へ向かう。

 すると、扉が開き、中から二、三人の男たちが現れた。

 彼らは周囲を警戒しながら、仲間の体を支え、建物の中へと消えていく。

 どうやら、ここが奴らの拠点らしい。

 さすが楓さん、大森一家が本当に案内してくれた。

 矢崎は感服しつつ、携帯を取り出し、楓に連絡を入れた。


 「よくやった。そのまま見張り続けろ。何か動きがあったら、すぐ報告を。」

 楓は手短に指示を出し、携帯を閉じた。

 しかし、病院に行ってからではなく、直接拠点に戻る、か。

 楓の読みがどれほど鋭かろうと、神ではない。多少の誤差が生じるのも無理はなかった。

 90年代、携帯電話は決して珍しいものではなかったが、料金が高く、主にビジネスマンや裕福な大人が持つものであり、一学生が持つのは異例だった。

 しかし、組織のトップである以上、楓には常に指示を出す役割がある。そのため、佐竹が手配し、楓の手元に携帯を用意した。

 楓が通話を終えたのを見て、佐竹はニヤリと笑う。

 「また長い夜になりそうですね。」


 大森一家の拠点内、煙草の煙が充満する薄暗い部屋。

 中央には、大森一家二代目組長——島野敏行が静かに座っていた。

 その周囲には、幹部たちが詰めかけ、険しい表情を浮かべている。

 「ふざけやがって!! このまま黙ってるわけにはいかねぇ!!」

 怒声が響く。

 一人の幹部が拳をテーブルに叩きつけ、血走った目で仲間たちを睨みつけた。

 「南通りは元々ウチが仕切ってた場所だ。ようやく取り戻せると思ったら、今度はガキどもに舐められるってのか!?」

 黒楓会の構成員には若者が多い。それは秘密ではなかった。 暴走族を吸収し、さらに一部の古川組の残党を取り込んでいる。

 だからこそ、ただの"チンピラの集まり"と侮られ、黒楓会のシマに他の勢力がチラつき始めている。

 「アイツらは古川組を潰した連中だ。迂闊に手を出せば、こっちが潰されるぞ。」

 別の幹部が冷静に反論する。

 「じゃあ黙って南通りを譲ろってか!?」

 「今は引けって言ってんだよ!」

 「得もクソもあるか!! ここで引いたら、今後のシノギに響くんだぞ!!」

 幹部たちは二派に分かれ、激しく言い争う。

 その様子を、島野は黙って眺めていた。

 ——先代の組長を暗殺し、組織を乗っ取った男。

 冷静かつ狡猾で、疑い深い性格を持つ。

 いずれ「大森一家」の名を捨て、「島野一家」や「島野組」に変えるつもりらしい。

 やがて、島野は煙草をゆっくりと灰皿に押しつけ、低く言った。

 「……やめろ。」

 静かな一言。

 それだけで場が一瞬で凍りつく。

 幹部たちは言い争いを止め、緊張した面持ちで島野の言葉を待った。

 「罠だ、それは。」

 島野の目が細められる。

 「黒楓会……こざかしい真似をするじゃねぇか。」

 「しかし、お頭……!」

 幹部の一人が食い下がるが、島野は鋭く睨みつけた。

 「もういい。向こうは俺らの拠点を知らねぇんだ。わざと喧嘩を売って、こっちを南通りに引きずり出そうとしてる。今動いたら、まんまと罠にハマるだけだ。」

 誰も口を開かない。

 「それよりも、まずは"情報"を集めろ。」

 島野の目が不気味に光る。

 「南通りに人回しゃ、他のシマが手薄になるはずだ。そこを狙え。やられた分は、きっちり回収させてもらう」

 ——大森一家の主力はすぐには動かなかった。  


 事務所に戻ると、すでに鬼塚が待っていた。

 「会長、南通りに行ったって聞いたぜ。相変わらず無茶すんな。」

 黒楓会に入った後、鬼塚はアイパーも襟足も剃り、すっきりした短髪に変えた。

 身長は180センチを超え、粗く着こなした黒いスーツ姿は、ますます極道然としている。

 ソファに座りながら、鬼塚は煙草を咥え、面白そうに楓を見た。

 「で? 今度は何を企んでんだ?」

 楓は机の後ろの椅子に腰を下ろす。

 「大森一家の拠点を割り出した。」

 「……大森一家? 1年前に古川組と揉めてた連中か。……何があった?」

 佐竹が簡単に状況を説明する。

 鬼塚は目を細め、数秒の沈黙の後、喉を鳴らして笑った。

 「相変わらず、エグいことしやがる。」

 佐竹がため息しながら

 「まったくだ。」っと、煙を吐き出した。

 「で、どうする?まさか今夜行くってわけじゃねぇよな。」

 楓は笑みを浮かべる。

 「ああ、今夜だ。」

 鬼塚は不敵に笑った。

 「……いいぜ。せいぜい楽しませてもらおう。」


 1991年、ソ連の崩壊に伴い、ロシアは経済的・社会的な混乱に陥った。

 軍や警察の管理が行き届かなくなり、大量の武器が闇市場へ流出。

 ロシアは国際的な武器密輸の主要な供給源となり、その一部が日本にも流入した。

 事務所の奥部屋——

 佐竹が持ち出した木箱には、黒い鉄の塊が三つ収められていた。

 7.62×25mm弾を使用し、高い貫通力を誇るロシア産拳銃。

 通称 「トカレフ」

 楓が以前使ったのは、これだった。

 ヤクザの抗争では、本来、刀や棍棒が主流とされる。

 銃を使えば、社会的な注目を集め、警察の徹底的な取り締まりを招くリスクがある。

 しかし——

 暗殺や命が脅かされる場面では、密かに使用されることもあった。

 まさに今の状況だ。

 佐竹は三丁のうち二丁を取り、一丁は自分の懐に収め、もう一丁を鬼塚に手渡した。

 「持ってろ。今夜は、正真正銘、組と組の戦争だ。何かあったら楓さんを頼む。」

 鬼塚はじっくりと銃を見つめる。

 本来の流儀では、銃に頼るつもりはなかった。

 だが、楓のそばにいる限り、考えを変える必要がある。


 深夜5時。世界は、静寂に包まれる。

 冬のこの時間帯は、夜と朝の切り替わる直前。

 出勤する者と、夜の街から退勤する者が入り混じる。

 夜の世界に生きる者たちにとって、最も警戒心が薄れる時間帯でもある。

 「今夜は栄町あたりを探りますんで、先にお疲れ様でした。」

 大森一家の拠点前、スーツ姿の男が軽く会釈しながら、建物の外へ出た。

 後ろ手にドアを閉めると、タバコを取り出し、面倒くさそうに呟いた。

 「やれやれ……お頭も慎重すぎだ。あんなガキども、さっさと潰しゃ済む話じゃねぇか。」

 「まぁそう言うな。聞かれたらまずいだろ。」

 隣の男が肩をすくめながら、懐からライターを取り出した。

 小さな炎が瞬く。

 「にしてもよ……黒楓会ってのは、本当にそんなヤバい連中なのか?」

 「……さぁな。だが、古川組を潰したのは事実だ。」

 紫煙を吐きながら「何にせよ、昨夜の代償は払ってもらうぜ。」

 その時——





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