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60 贈物

 楓の背後には、黒楓会の最強と名高い二人――鬼塚と龍崎が控えていた。

 三人を見た桐原公は、わざとらしく口元を緩める。

 「おやおや、黒楓会の会長どのが、直々にお越しとはな……これはまた、えらいご丁寧なこって」

 楓は口元に薄い笑みを浮かべ、静かに応じた。

 「桐原一家の当主、桐原公の誕生日に顔を出さないなんて失礼だろ? ――鬼塚、あれを」

 鬼塚は無言でうなずくと、手提げ袋に包まれたプレゼント箱を桐原公の前へ差し出した。

 すかさず、桐原の背後に控えていた男が一歩前に出て、それを受け取る。

 「ハハハ、こんな気遣いまでしてくれるとは。……さあ、どうぞお掛けなされ」

 愚か者よ……ここへ足を踏み入れた時点で、もはや袋のネズミ。逃げられはせん……クククッ。

 これほど上機嫌な日は、何年ぶりだろうか。

 桐原公は手を広げ、楓に着席を促した。

 桐原公の腹の内など、楓の目を逃れるはずがなかった。

 それは当然だ。もし桐原公が黒楓会のシマに現れたのなら――自分だって、生かして返す気にはならない。

 しかし、敵陣にこうしてわざわざ姿を見せたというのは、楓なら、きっと罠を疑う。

 だが、桐原公の場合は違った。

 ――あれは、慢心だ。いや、もはや自負と呼んでもいい域に達している。

 やはり格が違う。

 もし、今回の主催が三河雅――いや、百歩譲って四柱の犬飼だったとしても、たとえ万全の準備を整えていても、姿を見せるのは極めて危険だ。

 「玄野会長、こちらへ」

 案内役の男が腰を低くしながら、前列の席へと楓を導いた。

 その動きに反応するように、数人の視線がほぼ同時に楓へと向けられる。

 鯨井は柔らかく微笑み、軽く頷いて応じた。

 白川は何も言わず、ただ真っ直ぐに視線を送る。

 そして――長谷川。

 睨みつけるような目を向け、「ふん」とあからさまな音を立てる。敵意は、むしろ見せつけるためのものだった。

 それでも楓は、まるで周囲の視線など一切感じていないかのように、所作に無駄はなく、極めて自然だった。

 楓が席に腰を下ろしたのを確認すると、桐原公は再び会場全体に向けて声を張った。

 「さて――最後の客人も揃った。これで、真に"最高"の宴が始まるというものじゃ。……諸君、今宵の集いに、盛大な祝杯を!」

 「「「乾杯ーー!!」」」

 盃が次々と掲げられ、場の空気は一気に華やぎを帯びる――

 祝いの酒がそれぞれの思惑とともに揺れ始めた。

 誰もが盃を傾ける中――

 楓は、盃を持ち上げた。ただ、唇には触れさせなかった。

 その仕草を目にした瞬間、盃を口に運びかけていた白川は、その場でふと動きを止め、わずかに目を見開いた。背筋を、冷たい悪寒が駆け抜ける。

 脳裏に蘇るのは、かつて若林高校で起きた"あの出来事"。

 生徒会の面々が、楓にやられて、あの忘れがたい記憶だ。

 隣でその異変に気づいた鯨井も、すぐさま察した。

 優雅に扇子を口元に添えると、誰にも気づかれぬよう、盃の酒をそっと床に流した。

 盃を一気に飲み干した桐原公は、指先で転がすように弄びながら、面白げにその中を覗き込んでいた楓の様子に気づくと、口元を歪めた。

 ほう……これはこれは。

 桐原公にとっては、願ってもない展開だった。

 どうやって全員の前で楓に喧嘩をふっかけるか――その口実を探していた矢先、なんと相手のほうから口実を自ら差し出してきた。

 「どうした、玄野会長よ? ワシの酒はお気に召さぬか。……それとも、ワシと盃を交わすのが、それほどご不満かの?」

 そう言い放った桐原公の笑顔が、すっと消える。

 わざとらしく声を張り上げたその響きが、会場の空気を静かに凍らせていった。

 その言葉に、数人が盃を手にしたまま動きを止める。

 再び全員の視線が楓に集まった。

 楓は、誰の目も見ようとせず、ただ盃を手の中でくるくると回し、そして、ぽつりと漏らすように呟いた。

 「酒は、本当にいいものだ。

 心の底に沈んだものを、そっと霞ませてくれる。

 癒えぬ傷も、届かぬ願いも、ひとときだけ忘れさせてくれる。」

 言い終えると、楓はどこか呆れたように小さく頭を振った。

 桐原公をはじめ、周囲の者たちは、楓の意味深な言葉に一様に眉をひそめる。

 何を言いたかったのか。酒の話か、それとも――

 誰もが解釈を探りかけたそのとき、不意に、外周に控えている若衆が声を上げた。

 「こっ……これはッ!」

 「……何じゃ?」

 一瞬で視線が集まる。

 その若衆の腕には、鬼塚から手渡された例のプレゼント袋が抱えられていた。

 よく見たら、そこには、染みのように広がる濃い赤。袋の角からは、ゆっくりと粘度のある液体が垂れ落ちていた。

 「――ッ!!」

 場にいたほぼ全員の表情が、険しさを帯びる。

 「……開けろ」

 桐原公が、歯を食いしばるようにして低く命じた。

 命じられた若衆は動揺を隠せぬまま、慌てて袋の中から木箱を取り出す。

 およそ二十センチ四方の正方形の箱。

表面には丁寧にラッピングが施されていたが、その下からは、粘り気のある赤黒い液体がじわじわと染み出していた。

 若衆は震える手でラッピングを引き裂くと、箱の蓋に手をかける。

 そして――

 「ッオオオーーッ!!」

 心の準備はあるとはいえ、中身を目にした瞬間、若衆は叫びとともに、箱を取り落とした。

 そのまま後ずさり、床に尻もちをついたかと思うと、次の瞬間、こらえきれずに胃の中のものを吐き出す。

 床に転がった木箱の蓋が外れ、中身が無防備にさらけ出された。

 瞬間、会場内の空気が変わる。

 次第に、全員の顔に"恐怖"の色が染み渡っていった。

 「……ほえっ……」

 場の片隅から、嗚咽のような声が漏れる。

 続いて別の場所でも、

 「うっ……うえ……ほ、ほえぇ……」

 吐瀉音が連鎖する。

 堪えきれず口を押さえる者、目を覆う者、青ざめて膝を折る者――

 さっきまでの華やかな宴の面影は、どこにもなかった。

 祝宴を包んでいた芳醇な酒の香りは、今や吐瀉と血の匂いに侵食され、空気そのものが濁っていた。

 「……これは……やり過ぎた」

 頑なで意地の強い長谷川でさえ青ざめて、思わずそう漏らした。

 「坊や……」

 鯨井はそっと扇子で口元を隠しながら、わずかに目を細め、いつもの余裕ある笑みは影をひそめた

 「……」

 白川は何も言わず、静かに目を閉じる。

 「これは……」

 鈴木は無表情のまま、楓をじっと見据えていた。

 会場の真ん中に立つ桐原公は、足元からわずかに震えていた。

 重ねた年の威厳が崩れかけ、額には冷や汗が滲んでいる。

 恐怖、不安、そして怒り――

 そのすべてが入り混じった声で、桐原公は箱を震える指で差しながら、楓に問いかけた。

 「……これは……一体、何じゃ……?」

 箱の中には――

 血に濡れ、無残に削ぎ落とされた人間の耳が、幾つも幾つも、無造作に詰め込まれていた。

 皮膚の断面は赤黒く変色し、乾ききらぬ血が底に溜まり、ねっとりとした臭気が立ち上る。

 形も大きさも異なるそれらは、明らかに一人や二人のものではなかった。

 誰のものなのか。何人分なのか。

 桐原公は考えたくない――

 楓は、桐原公の怒気などまるで意に介さぬ様子で、静かに言葉を投げた。

 「十八個あるはずだ。……意味、分かる?」

 十八個――十八……?

 桐原公の表情に、疑念が浮かぶ。

 次の瞬間、何かが頭の中で繋がったのか、はっと目を見開いた。

 「……っ!」

 全身から冷や汗が噴き出す。

 震える手で懐から携帯電話を取り出すと、慌てて番号を押し、ある拠点の責任者に連絡を入れた。

 数秒の呼び出し音ののち、冷たいアナウンスが流れる。

 『おかけになった電話をお呼びしましたが、お出になりません』

 「……ッ!」

 桐原公はすぐさま次の番号を押す。

 だが、返ってきたのは同じ無機質なアナウンス。

 三件目。四件目。

 次々と呼び出すも、応答はなく――

 やがて桐原公は、氷水をかぶったような顔で、ゆっくりと顔を上げた。

 その視線の先には、盃を前にしたまま微笑を浮かべる楓がいる。

 「……貴様――ッ!!」

 怒号が響いた。

 そのとき――

 桐原一家と昵懇の関係にある正興会の若頭・伊沢誠二が、まるで何かに撃たれたように顔を上げた。

 目を見開き、震える視線を楓に向ける。

 「……十八……! まさか……桐原一家の関東拠点が、すべて……!?」

 その声に、周囲がざわめいた。

 ――言うまでもなく、桐原一家が誇る十八の関東拠点は、すべて黒楓会の手によって制圧されていた。

 数時間前――

 奇襲の任を自ら志願した稲村は、手際よく、容赦なく動いた。

 各拠点の責任者を襲撃し、その耳を削ぎ落として持ち帰った。

 あまりに非道な手口に、黒楓会内部からも小さくない反発の声が上がった。

 しかし、稲村組を吸収した直後――この結果が意味するものを考えれば、今は何も言うべきではない。


 宴会場。

 「殺せ――ッ!! あいつを殺しやがれェ!!」

 桐原公の怒号を合図に、周囲に控えていた若衆たちが一斉に刀を抜き、楓めがけて斬りかかってくる。

 斬撃が振り下ろされるその瞬間――

 龍崎が音もなく一歩、前へと踏み出す。

 迫りくる一閃を、寸分の狂いもなく両の掌で挟み込む。白刃取り。

 刃の勢いを受け流すと、龍崎はそのまま刀身を横にずらし、手首の返しで相手の手元を捻じ切り、奪い取った刀を逆手に構えていた。

 その瞬間、別の若衆三人が、ほぼ同時に斬撃を浴びせかけてくる。

 龍崎は奪った刀を滑らせるように構え、三方向からの斬り込みを寸前で弾いた。

 鋭く、静かに、だが確実にすべてを受け止める――まるで舞のような動きだった。

 隣では、鬼塚が無造作に刀を一本引ったくるように奪うと、金属バットのように構える。

 ぶんッ、と風を裂く音と共に、鬼塚が豪快に刀を振り抜いた。

 接触した敵の刃が、まるで紙細工のように弾き飛ばされ、若衆たちはまとめて吹き飛んだ。

 「うおっ!?」

 「ぐはっ……!」

 床に転がる音と悲鳴が重なり、会場は一気に修羅場と化す。

 「あれが……黒楓会の鬼塚か。噂以上に強ぇな」

 「剣士の方も尋常じゃねぇ……あんな奴、黒楓会にいたか?」

 「だが、いくら何でも……あの二人だけじゃ、押し切れんだろ」

 周囲の客人たちは、次々と息を呑み、声を上げながらも、誰一人、席を立とうとはしなかった。

 桐原一家と強い結びつきを持つ正興会の若頭・伊沢誠二でさえ、あの箱の中身を目にした以上、もはや軽々しく動こうとはしなかった。

 そんな空気の中で、ただ一人、怒気と焦燥に呑まれたまま、桐原公が叫ぶ。

 「ええい、役立たずどもが……銃を持てッ! 撃てぇ!!」

 都内だろうと何だろうと、もはや関係ない。

 どう見ても、敵陣のど真ん中――

 たった三人でこの場に乗り込んできた楓たちは、まさに袋のネズミにしか見えなかった。

 しかし、その中心にいる楓は、なおも微笑を浮かべ、余裕すら漂わせている。

 その姿を静かに見つめながら、鈴木三四郎は低く呟いた。

 「……やはり、旦那の言う通りか。さて――ここからどう括り抜くか、見届けさせてもらおう」

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