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6 夢人

 夜の事務所

 デスクには資料が並び、蛍光灯の冷たい光が書類に反射していた。

 佐竹が報告を始めた。

 「2丁目の収入、127万。栄町、210万。南通りは……28万。」

 「28万?」

 佐竹は視線を逸らした。

 「……ああ。」

 「先月は100万あったはずだが?」

 昔の楓なら、127万も210万も、全てが想像もつかない大金だった。

 だが今は——毎月流れ込む収益の一部にすぎない。

 「何があった?」

 楓の問いに、佐竹は言葉を詰まらせた。

 「……それが、大森一家が動き出した。」

 楓は目を細めた。

 「大森一家?」

 「元々、古川組と縄張り争いをしてた連中だ。古川が潰れた隙に、南通りへ入り込んできやした。」

 楓は机を軽く叩く。

 大森一家——

 かつて古川組と対立していた組。

 しかし、古川組が優勢となり、最終的に縄張りを押さえられ、市原へと追いやられた。 それ以来、市原を拠点に活動しながら、反撃の機会を狙い続けていた。

 佐竹は説明を続けた。

 「店に圧力をかけ始めてる。『古川組は終わった、これからは大森一家の世話になれ』とか、『契約を見直せ』とか言いだして、払わねぇ店には半グレを送り込んで、嫌がらせしてやがる。」

 楓は考えた後、ふっと笑い——

 「佐竹、一杯飲みに行こう。」

 「……は?」

 佐竹は怪訝な顔をした。こんな状況で、飲みに行く?

 楓は気にせず続けた。

 「矢崎、車を頼む。」

 矢崎は短く返事をし、すぐに車を用意しにいった。

 矢崎俊介——

 元々、悪覇連棒の中でも運転技術が最も優れている若者。

 対古川組作戦のときも、巧みなハンドルさばきで見事に囮役を果たした。

 今は楓の専属運転手を務めている。

 「どこに行くんですか?」

 「決まってる、南通りだ。」

 「南通り……?」

 佐竹はさらに怪訝な表情を浮かべた。

 南通りには、まだ黒楓会に金を払っている店がある。楓は、大森一家が必ず現れると読んでいる。

 「……しかし、楓さんが行く必要はねぇんです。」

 わざわざ敵対組織が潜む場所へ直に足を運ぶなど、危険すぎる。もし何かあったら——

 だが、楓は気にも留めず、答えた。

 「行こう。」

 軽くそう言うと、事務所を出た。

 佐竹は一瞬、ため息をついた後、楓の後を追った。


 車で約20分ほど走り、目的地に到着した。

 「楓さん、佐竹さん、着きました。」

 「ご苦労。」

 楓と佐竹は車を降りた

 「"後"は頼んだ」

 「了解っ、楓さんたちもお気を付けてください」

 矢崎はそう言い残し、車を少し離れた場所へ移動させた。

 南通り——

 スナックや飲食店が立ち並ぶこのエリアは、夜になるとネオンが灯り、酔客たちで賑わう。

 店先には派手な看板が並び、どこからかカラオケの音が漏れていた。

 佐竹が一軒のスナックの前で足を止める。

 「ここです。」

 楓は視線を上げ、店の看板を見た。

 「夢人……いい名前だな。」

 看板の字体には時代を感じさせるものがあり、場末特有の空気が漂っている。

 入り口には、薄暗い電飾とシンプルな装飾。

 扉を開けると、スナック独特の甘い酒の匂いが漂った。

 カウンター越しにママらしき女性が客と談笑している。

 店内には小さなボックス席がいくつか並び、薄明かりが落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

 楓にとって、スナックは初めてだった。 少しだけ緊張を覚えたが、それを微塵も表に出さず、佐竹とともに奥の席へ向かった。 

 「ハイボールを」

 「オレンジジュースをください」

 「はいよ、お待ちどうさま」

 ママが手際よくグラスを準備し、楓たちの前に飲み物を置いた。

 氷が溶ける音が微かに響く。

 楓はグラスを口に運び、甘さと冷たさが喉を潤し、心地よい感覚が広がる。

 もともと酒を飲むつもりはなかった。どちらかといえば糖分は脳のエネルギー源、よく頭を使う楓には、ジュースのほうが似合ってる。

 「しかし、うまくいくんですかね」

 「心配性だな佐竹は、それより鬼塚のほうは順調か?」

 楓はグラスを置き、佐竹に尋ねた。

 流れているBGMは程よい音量で、大声を出さなければ第三者に聞かれることはない。

 「ええ、チンピラごどきが、鬼塚の相手になりやせん」

 栄町でチンピラの騒ぎがあったので、鬼塚が向かった。 用心棒代を取ってる以上、何かあれば対応しないと誰も金を払わなくなる。

 楓はジュースのグラスを指で軽くなぞりながら

 「……にしても最近、騒がしいな」と呟いた。

 古川組がいた頃は、それなりに秩序が保たれていた。 だが、古川組が崩れたことで、元々くすぶっていた連中が一気に動き出している。

 縄張りを狙う者、力を誇示しようとする者、かつて押さえつけられていた者たち——

 見せしめが必要だ。

 ただの小物では意味がない。市原の裏社会を仕切る大森一家なら、見せしめとしては十分だ。

 それに、黒楓会の名を知らしめるには、これ以上の機会はない。

 佐竹と他愛のない会話を交わしながら、二時間ほど待った。

 だが、一向に姿を現さない。

 まさか、誤算だったか——そう考え始めたその時、店の扉が開いた。

 入ってきたのは、明らかにただの客とは違う二人組。

 動きには粗野な荒っぽさが滲み、周囲を品定めするような視線を投げかけている。

 (——来たな)

 ママは、入ってきた二人に気づき、一瞬、表情をこわばらせたが、すぐに作り笑いを見せた。

 「いらっしゃいませ……」

 男の一人がカウンター席に腰を下ろし、ママに向かってぞんざいに話しかけた。

 「へへ、客入りは上々じゃねぇか。——で? 契約の件、考えは変わったか?」

 もう一人は隣に立ち、腕を組んだまま店内を睨みつける。

 肩を揺らしながら、ゆっくりと視線を巡らせるその様は、明らかに周囲への威圧だった。

 近くの客たちは視線を逸らし、誰も関わろうとはしない。

 ママは困ったように眉を寄せ、申し訳なさそうに口を開いた。

 「すみません……でも、その、倍はちょっと……」

 声はか細く、明らかに怯えが混じっている。

 ——なるほど。

 どうやら、黒楓会の用心棒代の倍をふっかけられたらしい。

 「おいおい、"ちょっと" じゃねぇよ。こっちは これが普通 なんだよ。」

 ママは慌てて飲み物を差し出した

 カウンターに座る男が低く笑い、グラスを指でトントンと叩いた。

 「ウチはな、ただの用心棒じゃねぇ。トラブルが起きる前に片付けてやるし、何かあれば即対応する。前の連中みたいに、のんびり構えてるわけじゃねぇんだよ。」

 ママは困ったように目を伏せ、引きつった笑みを浮かべる。

 「払えねぇってんなら、仕方ねぇよなぁ……」

 男は隣の仲間に視線で合図を送る。

 もう一人の男がニヤリと笑い、ふっと後ろのボックス席の机を蹴り飛ばした。

 ——ガンッ!!

 突然の衝撃に、グラスが倒れ、酒がテーブルに広がる。

 客の一人が驚いて身を引いた。

 「おっと、悪ぃなぁ」

 だが、謝罪の意など欠片も感じられない。

 カウンター席の男はニヤつきながら、ママの怯えた表情を楽しむように眺めていた。

 ママはどうにか笑みを作ろうとするが、頬が引きつっている。

 「……あの、申し訳ありませんが、お客様のご迷惑になりますので……」

 店内は重い沈黙に包まれる。

 そんな中——

 「……あの、ちょっと用事があるんで、今日はこれで……」

 サラリーマン風の中年男が、怯えたような声で言いながら席を立ち、足早に出口へ向かい、店を出ると同時に小さく息を吐いた。

 「俺も」「そろそろ帰るか」——

 それに続くように、他の客たちも次々と席を立ち始めた。

 楓も立ち上がった。

 こっそりとガラスの灰皿を手に取り、周囲の客と同じように、何事もないかのように出口へ向かう。

 ……ん?

 佐竹は楓の動きを見て、疑問を抱いたが、何も言わず、後を追うように席を立った。

 カウンター席の男は、客人たちを阻止するでもなく、むしろ楽しげに笑う。

 「ほら、気をつかわねぇと、客がいなくなっちまうぞ?」

 ママの顔がさらに青ざめる。

 その瞬間——


 ガツンッ!!!


 楓がカウンター席の男の背後を通り過ぎると同時に、手にしていたガラスの灰皿を振りかぶる。

 鈍い衝撃音が店内に響き渡った。

 男の頭がカウンターに叩きつけられ、前のめりに崩れ落ちた。

 グラスが弾かれ、酒がテーブルに飛び散った。

 「っ……!?」

 隣にいた男が驚き、目の前の出来事を理解できずに硬直した。

 ママが息を呑み、店内の客たちは完全に凍りついた。


 ガツンッ! ガツンッ!


 楓はさらに二度、灰皿を振り下ろす。

 男の頭が揺れ、カウンターには酒と血の混じった赤黒い液体が広がる。

 周囲の驚きの視線を浴びながらも、楓はごく自然に灰皿をカウンターに置いた。

 誰一人、声を発する者はいなかった——。

 「……っ、てめぇ……!」

 ようやく現状を理解した隣の男が、椅子を蹴り飛ばしながら楓に掴みかかろうとする。

 だが——

 ガシッ!!

 佐竹の手が男の肩を押さえつけた。

 「やめときな」

 男が反射的に振り返ると、そこには冷静そのものの佐竹の顔。

 「いきなり何しやがる……!」

 ドゴッ!!

 佐竹の膝蹴りが、男の腹に深くめり込む。

 男は苦悶の表情を浮かべながら膝を床についた。

 息を整え、憎々しげに楓たちを睨みつける。

 「……テメェら一体何者だ、こんなことして、タダで済むと思うなよ……!」

 楓は何の反応も示さず、ただポケットから二本の指でゆっくりと一枚のカードを取り出し、男に向かって軽く指で弾いた。

 カードが空中を舞い、男の胸元へ飛ぶ。

 男は反射的に掴み取った。

 黒い金属製のカード。

 そこには、金色の文字がくっきりと刻まれ、背面には金色の楓の葉の模様が浮かび上がっている。

 男は、刻まれた文字を確認し、動揺を漏らした。

 「……黒楓会……!?テメェら……黒楓会か!?」

 楓は男を見下ろしながら

 「——あんたらのボスに伝えとけ。この街が欲しけりゃ、自分で来い。」

 男は睨み返すが、目の前の少年の黒い瞳に、得体の知れない圧を感じた。

 見られるだけで、狙われた獲物のような寒気が背筋を走る。

 隣に立つ佐竹も、ただのチンピラとは訳が違い、場数を踏んできた男の風格がある。

 男は無理やり虚勢を張り——

 「お、覚えてろよ……必ず後悔させてやる……!」

 そう言いながら、慎重に後ずさり、店を出ようとした。

 だが——

 「おい」

 背後から楓の声。

 男の肩がピクリと震え、足が止まった。

 ——やはり、そう簡単には返してもらえないか。

 「……なんだよ……」

 振り返ると、楓はカウンターにぐったりと倒れ込んだ男を、冷たく一瞥した。

 「これ、邪魔だ。」

 男は渋々近づき、仲間の腕を掴んで無理やり引き起こす。

 憎々しげに楓を睨みつけるが——

 だが、楓はそれを気にすることもなく、再びカウンターに肘をついた。

 佐竹がゆっくりと煙草に火をつけながら

 「さっさと消えろ。」と言い放った。

 男は何も言い返せずに仲間を引きずり、店を出た。

 ママは安堵のため息をつき、震える手でカウンターの上のグラスを片付け始めた。

 周囲の客たちも、張り詰めた空気がようやく解けたのを感じたのか、小声で囁き合いながら店を出ていった。

 楓はカウンターに置かれたジュースのグラスを手に取り、一口飲んだ。

 佐竹は苦笑しながら、隣の席に腰を下ろした。

 「派手にやりやしたねぇ……」

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