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58 尋問

 今回の一件で、運転手を含む五名が拘束された。

 尋問の指揮を執るのは、楓、佐藤守、そして稲村哲夫。実行にあたるのは"影"の面々だ。

 この稲村哲夫は――かつて黒楓会が千葉から他の三大勢力を排除した際、真っ先に恭順の意を示した房総の一派・稲村組の組長である。

 三十代半ば、短髪に痩身、細い目をしたずる賢そうな男。

 上には媚び、下には強く出る。どこにでもいる、典型的なヤクザ界の俗物だ。

 性格はどうあれ、実力そのものは確かだった。

 武力においては、鬼塚や龍崎には一歩劣るが、圧倒的な差があるわけでもない。

 指揮力や判断力も佐竹には及ばないが、それでも長年、組長として現場をまとめてきた。

 要するに――何でも一通りはこなせるが、何かに特化した秀才ではない。

 だが、こういう器用貧乏が、組織にとっては意外と使いやすい。

 そして何より、時流を読む勘だけは、鈍くなかった。


 千葉近郊にある一棟の古びた倉庫。

 椅子に縛り付けられた五人の男たちが沈黙していた。

 周囲には、仮面と防弾ベストを身に着けた"影"の隊員たちが十二名、無言で控えている。

 五人は、自分たちの運命を察しているのか、誰一人として口を開かない。

 楓は、彼らの前をゆっくりと歩きながら、薄く笑みを浮かべていた。

 何かを思案しているようで、しかしその眼差しは、どこか楽しんでいるようにも見える。

 やがて足を止め、静かに口を開いた。

 「あんたらを生かすこともできる。

 その代わり、桐原一家について知っていることを、すべて吐いてもらおうか」

 その言葉に、縛られた一人が唾を吐き捨てるように言い放つ。

 「チッ……そんな腰抜けみてぇな真似をするヤツが、ここにいると思うかよ。

 殺せ、クソが」

 その言葉を聞いた楓は、まるでその反応を待っていたかのように、口元をつり上げた。

 次の瞬間――

 稲村哲夫が一歩前に出て、声を荒げた男の頬を思い切り平手打ちした。

 バチンッ――乾いた音が響き、男は椅子ごと横倒しに崩れた。

 「てめぇ……誰に向かって口を利いてやがる!」

 吐き捨てるように言い放つと、倒れた男の腹を、容赦なく蹴りつける。

 鈍い衝撃音とともに、男がうめき声を上げた。

 楓はそれを止めることなく、黙って稲村の様子を見つめていた。

 その表情に感情はない。ただ静かに、観察するような眼差し。

 稲村は腰に差した拳銃を無言で引き抜き――

 倒れた男のこめかみに、ためらいなく突きつけた。

 そのまま、ちらりと後ろを振り返り、楓の反応を伺う。

 楓は、わずかに顎を引いて、ゆっくりと頷いた。

 ――パァーンッ!

 一発の銃声が、無機質な倉庫の中に鋭く響き渡る。

 床に飛び散る血と脳漿が、白いコンクリートを赤黒く染め上げた。

 男の身体は軽くひねり、やがて完全に沈黙した。

 楓はゆっくりと視線を移し、残る四人を見やった。

 四人の顔には、それぞれ異なる感情が浮かんでいた。

 驚愕、恐怖、そして茫然――

 誰もが、たった今まで隣にいた男が何の躊躇もなく殺された事実を、うまく受け止めきれずにいる。

 これは、見せしめだ。

 ただ、それだけのこと。

 一人を殺せば、残る四人には嫌でも伝わる。

 言葉なんかより、よほど手っ取り早くて確実だ。

 あの男は、運が悪かった。

 いや――残された四人に比べれば、むしろ"幸運"だったかもしれない。

 「――分けて吐かせろ。誰かの証言が他と食い違ったら……分かるな?」

 楓がそう言い終えた瞬間、残る四人の顔色が一斉に青ざめた。

 佐藤は手短に応じ、影の隊員たちに指示を下した。


 痛ましい叫び声が、倉庫の奥から漏れ聞こえてくる。

 その外――

 稲村はタバコをくゆらせていた。

 楓は吸わないが、煙の匂いを嫌うほどでもない。むしろ、鼻にかかるその重たい匂いが、状況に妙な現実味を与えていた。

 稲村は煙を吐きながら、楓の顔色を窺い、へらりと笑った。

 「いやぁ……玄野さんは本当におそろしいお方で。まさか、あの桐原一家をここまで追い込むとは……頭が下がりますよ。あっしも、せいぜい足引っ張らないように動かせてもらいますんで……」

 楓はまっすぐに稲村の目を見据えた。

 何も言わず、ただ、口元にかすかな笑みを浮かべたまま――静かに、じっと見つめる。

 その無言の圧に、稲村はわずかに肩をすくめ、気まずそうに視線を逸らした。

 「玄野さんは……タバコ、お嫌いですか?」

 稲村が恐る恐る様子をうかがうように尋ねた。

 楓は少しだけ目を細めて、答える。

 「いや。別に、嫌いじゃないよ」

 その返しが冗談なのか、本音なのか――稲村は読み取れなかった。

 稲村は気まずそうに笑い、吸いかけのタバコをアスファルトに押し付けた。

 「……そろそろ、やめなきゃなって思ってるんですよ。体にも毒だし、何より……煙、嫌がられることもありますんで」

 笑みを浮かべながらも、その目はどこか泳いでいた。

 なぜなのか、自分でもうまく説明できない。

 だが――稲村は、この十六歳の少年の目を「恐ろしい」と感じていた。

 そこには怒りも笑みもない。ただ真っ暗な闇のような瞳が、じっとこちらを見つめている。

 何を考えているのか、一切わからない。

 それなのに、すべてを見透かされているようだった。

 そう、まるで裸であの人の前に立っているかのように。

 何も隠せない。

 そんな気まずい空気を破ったのは、佐藤守だった。

 「――お待たせしました。全員、白状しました」

 ほぉ……随分と早いな

 佐藤の尋問が手際よかったのか、それとも、先ほどの見せしめが、よほど効いたのか。

 どちらにせよ、必要な情報が早期に揃うのは歓迎すべきことだ。

 佐藤の報告によれば、桐原一家が製造した麻薬は、かつて東京で最も純度が高いと評されていた。

 当然、価格も群を抜いて高く、地方の組織や富裕層を中心に、高級品として流通していた。

 喉から手が出るほど欲しがられる逸品――それが、彼らの誇りであり、収入源だった。

 しかし、年始から状況が一変した。

 突如として現れた新型覚醒剤"アイス"。

 その純度は、桐原一家の製品を上回りながらも、価格はごく一般的な相場。

 しかも、その強烈な依存性と即効性から、瞬く間に市場を席巻していった。

 その結果、かつて東京圏で一攫千金を生み出していた桐原一家の麻薬は、いまでは"アイスの下位代替品"と見なされ、市場での地位を完全に奪われている。

 この状況に、桐原公の怒りは頂点に達していた。黒楓会という言葉を耳にしただけで、激昂するというのだから。

 さらに、懇親会で楓の周囲に人が群がる様子を目にした際には、その怒りが殺意へと変わるのを抑えきれなかったらしい。

 「いやぁ……それ、ただの八つ当たりですよ。玄野さんは何もしてねぇのに、自分らの品が勝てねぇからって……」

 楓は閉じていた目を、ゆっくりと開いた。

まるですべてを見通していたかのような眼差しで、低く問いかける。

 「……で、肝心の桐原一家の情報は、聞き出せたのか?」

 「はっ。桐原一家の本拠地は、西池袋にございます。

 拠点は十数ヶ所に分散しており、全容を把握するには、少々時間を要します。

 組員はおよそ百人前後。ただし、実際の警備には正興会の兵隊を用いていることが多く、表向きの人数だけでは判断がつきません。」

 「……LTとの繋がりは?」

 楓の静かな問いに、空気が一瞬張り詰めた。

 佐藤守はわずかに目を伏せ、低く答える。

 「……それは……申し訳ございません。まだ、調査が追いついておりません」

 その返答に、楓はすぐさま反応を返さなかった。

 桐原一家が、麻薬の売買においてLTと無関係であるはずがない。

 ――もし、万が一、桐原一家と黒楓会が全面戦争に突入したとすれば。

 LTはどちらの側につくのか。それとも、傍観を装って漁夫の利を狙うのか。

 あるいは、まったく別の動きを見せるのか――。

 その動向は、今後の戦略において極めて重要だ。

 その線を、早急に洗う必要がある

 残る四人から引き出せた情報は、ここまでだった。

 所詮はただの実行部隊。上層の動きまでは把握していない。

 楓は振り返ることなく、静かに言い放った。

 「――全員、処分しろ」


 黒楓会会長が懇親会の直後に襲撃され、幹部二名が負傷した――。

 この情報は、わずか数時間で裏社会全体に知れ渡った。

 詳細は定かではないが、黒楓会を快く思わない勢力は多い。

 かつての三大勢力をはじめ、東京の諸派閥も含め、噂は瞬く間に広がっていった。

 一部では、「呼び出しの後に木下龍によって粛清されたのではないか」との憶測すら囁かれていた。

 いずれにせよ、黒楓会という新興勢力、そして、その頂点に立つ若き会長玄野楓という存在に対して、不満や反発を抱く者は少なくない。

 同じく若き会長を掲げる三代目斎藤会に対して、こうした不満が比較的少ないのは、斎藤会が長い歴史を持つ伝統ある組だからに他ならない。

 たとえ失敗に終わったとはいえ、黒楓会が誰かに襲撃されたという事実――

 それを高みの見物とばかりに眺める者は多かった。

 噂を鵜呑みにし、黒楓会に近づこうとしていた者たちの中にも、木下龍の機嫌を損ねるのを恐れて距離を取る者が現れ始めている。

 ――それこそが、桐原公が望んだ光景だった。

 そして、自らの生誕の宴を前に、各勢力に祝いの招待を送った。

 もっとも、桐原公とて木下龍ほどの影響力を持つわけではない。

 四大勢力クラスの会長たちは、基本的に本人は姿を見せず、代わりに若頭や、名の通った幹部クラスを寄越すのが通例だ。

 一方で、中小規模の勢力となれば話は別。

 桐原公の機嫌を取ろうと、多くの勢力首脳は自らが出向き、祝辞を述べに来るという。

 黒楓会のもとにも、当然のように招待状は届けられた。

 しかし、参加すれば、命までは奪われずとも、何らかの形で恥をかかされる――それが「鴻門の宴」であることは誰もが分かっている。

 「……あの野郎、舐めやがって。会長、このままじゃ気が済みませんぜ」

 鬼塚が悔しげに唇を噛み、声を荒げた。

 「そうだ、俺たちを何だと思ってやがる!」

 矢崎も怒りを滲ませながら声を荒げた。

 「……落ち着け、お前ら。これはきっと罠だ。ここは、冷静に判断すべきでさぁ」

 佐竹が低く抑えた声で釘を刺す。相変わらずの慎重派だ。

 そこへ、稲村も口を挟んだ。

 「あっしらはともかく――玄野さんの面子が潰されるのが、どうにも気にくわねぇんですよ。

 玄野さん、あっしを行かせてください。黒楓会の名に泥を塗るような真似は、決してしませんで」

 感情が入り乱れ、事務所が喧騒に包まれる中――

 その空気を断ち切るように、楓の低い声が響いた。

 「……情報は、まだか?」

 瞬間、場が凍りついたように静まり返り、自然と視線が楓へと集まっていった。

 「は、拠点の位置はほぼ全て洗い出しました。ただ、詳細な人員配置や武装状況については、現在"影"が調査中です」

 佐藤の報告を受けながら、楓は手元の招待状に目を落とした。

 ――9月17日。奇しくも、円香のライブと同じ日だった。

 しばし無言のまま、楓は招待状を指先でなぞるように見つめる。

 そして、静かに口を開いた。

 「三日以内に、すべて洗い出せ。一週間後……桐原公に、"素敵な誕生日プレゼント"をしてやる」

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