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53 宣言

 斎藤浩一は、自信に満ちた笑みを浮かべながら、ゆっくりと会場内を見渡した。

 その眼差しは一つひとつの円卓を確かめるように巡り、やがて――楓たちのテーブルで止まった。

 斎藤は一切迷いなく、すぐ歩き出した。

 その後ろには、もう一人の青年と若い女性が静かに続いていた。

 青年は、斎藤会の二番目・藤原克也。寡黙な雰囲気と鋭い目つきが印象的で、その存在だけで、ただの随伴者ではないことが分かる。

 そして、彼の隣を歩く若い女性――

 しなやかな肢体に、波打つロングの茶髪。控えめながら洗練されたメイクが、整った顔立ちを一層引き立てていた。

 艶やかな微笑みを浮かべたその姿に、会場内の男たちが無意識のうちに目を奪われる。

 艶やかで、どこか近寄りがたい――そんな"美"が、静かに歩を進めていた。

 「斎藤のところの小僧か」

 「……大した気合だな」

 「ククッ、べっぴんじゃのう……」

 ざわめく声のなか、斎藤浩一は笑みを浮かべながら堂々と歩を進めた。

 藤原克也と、波巻きロングの美女――目を惹くその二人を従えたまま、楓たちのテーブルの前で静かに立ち止まる。

 女性の美貌に、ちらちらと視線を投げる者もいたが、斎藤の気配に触れた途端、どこか緊張感が走った。

 斎藤は、獅子倉、三河、楓と順に視線を交わしながら、目の前の空席――楓の向かい側に設けられた一席に腰を下ろす。

 その背後に控えていた藤原と女性は、斎藤が着席したのを見届けると、一歩下がって静かに控えに回った。

 斎藤は、穏やかな声で挨拶を口にした。

 「久しぶりだな、ようやく全員、顔を揃えたようだな」

 若さを感じさせる声には、不思議と重みがある。年齢に見合わぬ落ち着きと威圧が、言葉の端々に滲んでいた。

 「全員、ね」

 獅子倉英司が口元を歪める。

 「ま、たしかに。だが、顔ぶれはすっかり変わっちまったな。二年前の"この席"に、お前らみたいな若造が並ぶとは、誰も想像してなかったぜ」

 斎藤浩一が斎藤会をまとめ上げたのは、今から三年前。

 それまで群雄割拠だった斎藤会内部を一つに束ね、ようやく勢力としての体裁を整えた。

 二年前の懇親会には、まだ出席するには時期尚早と判断し、姿を見せていなかった。そして今回――楓と同じく、これが初の出席だった。

 「変わるのは、時代の摂理ですよ。そして、その変化を制す者こそが、本当の支配者になる。私は、そう考えています」

 三河雅が柔らかく笑う。その微笑みは温かいが、どこか氷のように冷たい。

 「変わるのは結構だが――変えられた側が黙ってるとは限らねぇだろ

 その"支配者"とやらが誰になるのか、ここからが見ものだ」

 獅子倉の笑みが鋭さを帯びる。

 「なるほど。なら、俺は"お膳立て"は不要って主義だ。欲しいものは、全部自分で掴み取る。お前らも、そうだったろ?」

 斎藤が目を細めた。

 三河はそのまま微笑みを崩さずに

 「私は平和主義者でね、しかし、掴んだものは、誰にも譲るつもりはありませんがね」

 「ちっ……言うじゃねぇか、雅」

 獅子倉は舌を打った。

 三者の議論が熱を帯びる中、誰にも気づかれぬように、テーブルの一角――楓は、それまで黙っていた。

 やがて、呆れたかのように、ゆっくりと口を開く。

 「……古いな」

 ぽつりと漏らされたその一言に、三人の視線が同時に楓へと向けられた。

 楓は、どこまでも平然とした顔で続ける。

 「古くて、狭いんだ。支配だの、変化に抗うだの……そんな言葉をいくら並べても、本質は変わらない。結局、あんたらは"いま"しか見えていない。」

 その言葉に、三人は一瞬、言葉を失った。

 楓は続いた。

 「……バブルと同じだ。

 古い価値観にすがってるやつらは、これから沈んでいく。

 極道の世界も、変えなきゃいけない。

 俺は、古い秩序を壊す。

 そして――新しい秩序を作ってやる。」


 沈黙が、テーブルの上に重く落ちる。

 周囲の幹部たちも、驚いたように楓を見つめていた。

 犬飼は心中で舌打ちする。

 ……こいつ、何を抜かしてやがる……寝言は寝て言えってんだ、クソガキが。

 藤原克也はニヤリと笑った。

 ……言うやないか、ボン

 佐竹も、思わず息を呑んでいた。

 ……なんで、あの三人を前に、平然と……

 その一言が、ただの挑発で終わらないことを、誰よりも佐竹自身が理解していた。

 支配を語る三河、牙をむく獅子倉、鋭く読み取る斎藤。

 どれも並の極道なら一言ですら口を挟めない相手だ。

 鬼塚も、言葉を失っていた。

 その中、ただひとり――猿飛隼人だけは、何かに気づいたように目を見開き、楓を凝視していた。

 猿飛隼人は、長らく胸の奥に、言葉にできない疑念を抱えていた。

 ――果たして、自分たちは何のために、命を懸けているのか。

 縄張りを奪い合い、利権を貪り、裏切りと報復を繰り返す。

 その果てに残るのは、空虚な勝利と、冷たい死体だけ。

 多くの仲間が、敵が、そして時に無関係の人間までもが消えていった。

 そんな日々の中で、希望と呼べる存在が二つあった。

 ひとつは、湘北連合の総番長・獅子倉英司。

 もうひとつは、三代目斎藤会の若き会長・斎藤浩一。

 どちらも、自分の組織を変えようとしていた。

 ……だが、どちらも結局は、「目の前の誰か」を守ることで手一杯だった。

 それ以上の何かを変えるには、あまりにも世界は大きすぎた。

 猿飛は、そんな二人の努力を否定するつもりはなかった。

 むしろ正しいと思っていた。

 それでも、心のどこかで――自分は何かを見失っているのではないか、そんな深い懐疑が、日々彼を蝕んでいた。

 ……そして今、その想いに楓の言葉が突き刺さった。

 「古い秩序を壊す。そして――新しい秩序を作ってやる」

 その一言が、深く深く、猿飛の心の奥に沈んでいった。


 沈黙の中、最初に口を開いたのは、三河雅だった。

 「……玄野会長が、理想主義者とは思いませんでしたよ」

 口調は柔らかいが、確かな違和感と困惑感を含んでいた。

 ――同じ闇を瞳に宿しながら、なぜ、ここまで違う。

 ――見えているはずだ。世界がどう構成され、どう回っているか。

 ――知っているはずだ。どれだけの犠牲と嘘で秩序が成り立っているか。

 政治家と極道者の二重身分を持つ三河は思う。

 理想とは、下にいる者たちに与える"幻想"にすぎない。

 上に立つ者は、そんな幻を信じることは許されない。

 そう信じていた。三河にとってそれは、矛盾であり、異質であり――

 おそらく、最大の脅威だった。

 場にいた全員が、楓の言葉に対して何らかの感情を抱いた。

 否定する者、認めたくない者、非難する者、驚く者、理解できない者、そして……従おうとする者。

 だが、誰も口にはしなかった。

 そんな緊張に包まれた空気を破るように、後方から響いたのは、低く、しかし朗々とした笑い声だった。

 「ハッハッハ……見事じゃ」

 老人の声。

 その響きに、場の空気が一変する。

 全員の視線が一斉に声の主へと向かう。

 次の瞬間、数名が思わず席を浮かせた。

 「こ、これは……」

 別のテーブルから漏れた驚愕の声が、静まり返った会場にやけに大きく響いた。

 楓は目を細め、歩み寄ってくるその老人を静かに見つめた。

 八十路を越えているとは思えぬほど、背筋は真っすぐに伸びている。

 皺深い顔には、年輪が刻まれているはずなのに、そこには不思議なほどの威厳と柔和が同居していた。

 撫でつけられた白髪に、身体にぴたりと馴染んだ上質な濃紺の和装。

 胸元からわずかに覗くのは、細身で鋭利な金の懐中時計。その一本一本の線すら、抜かりない品格を纏っている。

 細められた眼差しは、まるで笑っているようでいて――油断すれば、その奥に隠された刃が閃きそうな鋭さを秘めている。

 誰の目にも触れぬ場所で、人の心を見透かしているような――そんな深さがあった。

 ただそこに立っているだけで、空気が変わる。

 重圧でも威圧でもなく、"格"というものが、周囲の空気を飲み込んでいく。

 その姿に、年長の幹部たちは思い出さずにはいられなかった。

 かつて関東の裏社会を震え上がらせた、生ける伝説の名を――

 この男こそが、懇親会の主催者にして、木下商会の頂点に君臨する関東極道最古参の男。

 木下龍である。

 場の空気が張り詰める中、木下龍はゆっくりと歩を進め、楓の真正面に立った。

 「――よう言ったな、若造」

 その声音は、枯れていながらもよく通る。まるで、幾多の修羅場を経てなお澱みを残さぬ、磨き抜かれた刀のような響きがあった。

 「古きを壊し、新しきを作る、か……数十年前にも、そっくり同じことを言った男がおってな。もっとも、そいつは途中で"壊される側"になったわぃ。」

 そう言って、木下は楽しげに笑った。

 楓は黙って木下を見つめた。言葉ではなく、その言葉の"意味"を噛みしめるように。

 木下龍はそんな楓を見て、ゆるやかに笑んだ。

 そして会場中央へと進み出ると、自然に、全ての視線がその背に吸い寄せられた。

 皺深い顔に、柔らかながら凛とした笑みを湛えたまま、ゆっくりと前を見据える。

 「――ワシの顔を知らんものもおるじゃろう。改めて、名乗らせてもらう」

 その場に居合わせた誰もが、思わず姿勢を正した。

 「木下商会の……木下龍じゃ。この懇親会も、これで十一回目になる。

 いくさではなく、ことわりと杯で結ぶ場として、続けてきたつもりじゃ。

 そして今夜、この場に集った顔ぶれ……まことに、感慨深いものがある」

 彼はゆっくりと、会場全体を見渡した。

 「……さて。話は尽きぬじゃろうが、そろそろかのぅ

 ――諸君。本日は、遠路はるばるよう来てくれた。

 第十一回・関東極道懇親会、今より始めさせてもらう」

 その姿には、老いてなお揺るがぬ背骨があった。

 去りゆく時代の矜持が、静かに、だが確かに宿っていた。

 「今宵は、利害も立場も脇に置き、盃を交わし、言葉を交わしてほしい。

 たとえ思想が違えども、同じ時代を生きる者として――」

 間を置いて、声の調子をわずかに上げる。

 「乾杯――」

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