51 粛清
楓たちが本部に戻ってきた頃には、すでに戦闘は終わっていた。
黒楓会はなんとか三河会を退けたものの、十数人が重傷。敵を追い払ったとはいえ、勝利とは到底言えない。
沈黙の中、佐竹が眉をしかめて口を開いた。
「しかし最近はキツいですね……連日の衝突で、若ぇ連中の身体はまだしも、心が持たねぇんでさ」
鬼塚も、鼻を鳴らした。
「チッ、舐めた真似を……」
楓は黙ったまま、深く考え込んでいた。
――確かに、佐竹の言うとおりだ。
連日の戦闘で、黒楓会は確実に消耗している。
立ち上げて間もないこの組織は、まだ土台すら固まりきっていない。そんな状態で、三大勢力の圧力に晒されれば、苦戦するのも当然だ。
このまま防戦一方では、じり貧だ。借りは、返さなければならない。
そう考えている時、佐藤、龍崎、そして影小隊の隊員たちと共に戻ってきた矢崎が楓の前で一礼する。
「お疲れ様です、会長」
「ご苦労」
楓はそう一言だけ呟き、負傷者たちと、混乱の余韻が残る事務所前の街を静かに見つめた。
沈黙が深く、重く落ちる。
そのとき――
遠くから、ウーウーというサイレンが響いてきた。
赤と青の光が、闇の中を貫くようにこちらへ近づいてくる。
「サツめ……今さら何の用で?」 佐竹が眉をひそめ、険しい顔で呟いた。
二台のパトカーが、楓たちの前でブレーキ音を残して停まった。
ドアが開く。
そして――先頭から降りてきたのは、他でもない松本警部だった。
松本はタバコを深く吸い込み、白い煙をゆっくりと吐き出した。その背後には、数名の警察官が整列していた。中には、女性警官の上野、そして以前も顔を見せた若い男性警官の姿もある。
一方、黒楓会側は楓を先頭に、幹部たちが左右に並び、無言のまま警察と対峙していた。
重い沈黙の中、最初に口を開いたのは、中央に立つ中年の警察官――松本警部だった。
「またお会いしましたね、玄野楓会長」
「これはこれは……松本警部ではないか。この時間に、何かご用でも?」
「……通報がありましてね。この辺りで、激しい乱闘があったと。近頃、物騒な話が多いもので」
その口調は皮肉とも、ただの世間話とも取れる曖昧さを帯びていた。
楓はその言葉に、呆れたように目を細めた。
通報があったなら、なぜもっと早く来なかった?……戦闘が終わってから顔を出すなんて、都合がいいにもほどがある。
「何もなかったと思うが?」
「ほぉ〜」
松本警部は楓の背後にいる、傷を負った黒楓会の若衆たちを一瞥し、口元をわずかに歪めた。
――よくもまあ、平然とそんなことが言えるものだ。
そんな楓のやり取りを聞いていた上野警察官が、たまらず一歩前に出た。
「とぼけないでください。そこの負傷者たちは、一体何だったんですか?」
楓はちらりと倒れ込む若衆たちを見やったあと、平然と肩をすくめて言った。
「そうだな……うちの連中が、この辺で転がって怪我したからさ」
「なら、なぜあなたたち幹部まで、そろいもそろってここに集まっているんですか?」
上野が食い下がるように問い詰める。
「そりゃそうだろ。大事な仲間が怪我したんだ。迎えに来るのが、当然じゃないか、なあ?」
楓はわざとらしく隣の佐竹に問いかけた。
「へぇ、おっしゃるとおりです」
言い終えると、楓は余裕を見せながら、上野を真っすぐに睨み返した。
まるで、「こっちに何か落ち度でも?」とでも言いたげな、挑発的な笑みを浮かべて――。
上野がまだ何か言いかけたそのとき――
松本警部はタバコの煙をくゆらせながら、静かに口を開いた。
「上野、もういい。」
その一言で、上野はわずかに唇を噛み、黙り込んだ。
楓もそれ以上、挑発することはなかった。ここで手打ちにするのが賢明だと判断していた。
なぜなら、後方に停められたワンボックスカーには、つい先ほどLTとの取引で手に入れた武器が大量に積まれている。
この場で警察を刺激し、検査などと言い出されたら――さすがに言い逃れは難しい。
松本警部は少し間を置き、言葉を続けた。
「……そうですか。今回はそういうことにしておきましょう。
しかし――玄野楓会長、夜は危ないですからね。
今回は下の者が"転がった"ようですが、次はあなたかもしれません。
くれぐれも、お気をつけて。」
松本警部は静かにそう言うと、車に戻りかける。
パトカーに乗り込み、窓を少しだけ開けて、ちらりと楓を見た。
「それにしても、最近よくお見かけしますね、玄野楓会長。
……高木は風に折られる、なんて言葉もありますからね」
去っていくパトカーの赤色灯が遠ざかるのを、楓は無言で見送っていた。
一見、表情は落ち着いている。だが、握りしめた拳はわずかに震え、爪が肉に食い込むほどの力がこもっている。
その背中から滲む怒気を感じ取り、佐竹たちは息すら呑み、沈黙のまま立ち尽くしていた。
このタイミングで警察が動いた――それはつまり、黒楓会の動向が常にどこかで監視され、必要とあらば現行犯での逮捕も辞さない、というメッセージにほかならなかった。
次から次へと、どいつもこいつも……まるで黒楓会を雑草か何かとでも思っていやがるのか。
さすがの楓も、内に抱えていた怒りを押しとどめきれなくなっていた。
楓は一歩前に出て、全員を見渡しながら静かに告げた。
「もういい加減、舐められすぎた……これからは、反撃だ。」
その言葉に、佐藤、佐竹、鬼塚、龍崎、矢崎、そして影小隊の面々が、声を揃えて応じた。
「「「はっ!」」」
翌日、影小隊は全員出動し、山本の部下――四十人の所在を調査に向かった。
敵はまとまってどこかのホテルに宿泊するのではなく、二、三人ずつの小規模チームに分かれて各地に分散していた。
しかし――
佐藤の指揮のもと、影小隊はその全員の居場所を割り出すことに成功した。
張り込み、通話の盗聴、監視カメラの解析、地元での聞き込み、そしてわずかな行動パターンの癖――
あらゆる手段を駆使し、情報をわずか半日で収束させた。
その結果、四十人の滞在先と行動範囲は、正確無比に地図上へと浮かび上がった。
夜を待たずして、玄野楓の命令により、粛清が始まった。
最初の標的は三人組。銭湯でサウナに入っていたところを、龍崎が単身で潜入。偶然にも、一般客はすでにいなかった。
蒸気に満ちた密室。丸腰で無防備な三人を処理するのに、龍崎にとって、わずか十秒で終わった。
他にも、コンビニの前で立っていたところを車両で轢き殺された者。
また、滞在中の旅館で、部屋に踏み込んできた影小隊の隊員に銃で撃たれた者もいた。
そして――最も鮮烈だったのは、四柱・山本源。
旅館の窓際で、携帯を片手に通話していたその瞬間、
約五百メートル離れた高台から、元CIA情報員・佐藤守による狙撃が放たれた。
音すら聞こえぬ一発の銃声が、頭蓋を貫き、命を断ち切った。
この一件はすぐに三河会――いや、関東一円の極道社会へと伝わった。
黒楓会の名とともに、暗殺集団――「影」の存在も、静かに、しかし確実に広まっていった。
松本警部を筆頭に、警察も動きを見せたが――小野議員の圧力により、捜査の手は思うように伸びなかった。
その後、激怒した三河会は当然のように報復に乗り出した。
しかし、影小隊の圧倒的な情報力と暗殺能力を前に、戦闘の前に主力を潰され、勝負にすらならなかった。
やがて三河会、そして湘北連合も気づかされる。――千葉で黒楓会に抗うことは、もはや不可能なのだと。
そして今、黒楓会は三河会、湘北連合という外敵を千葉の地から撃退し、ついに正式に「四大勢力」の一角として名を連ねるに至った。
三河会側にも、一つ大きな変化が生じていた。
四柱の一角・山本源が失われたことで、新たな四柱として任命されたのは、なんと――極刀会会長・白川優樹。
これを機に、極刀会は三河会傘下として正式に組織統合され、その本拠も千葉から茨城へと移された。
そして、犬飼がまだ生きているという情報も、黒楓会の耳に届いた。
黒楓会の者たちは、またしても会長の勘の鋭さに驚かされることとなった。
小競り合いが続く中、三ヶ月が過ぎた。
黒楓会の"異名"に惹かれ、千葉地元の勢力が徐々に吸収・併合されていく。その中でも特に大きな動きとなったのが、房総地方最大の組織・稲村組が自ら黒楓会の傘下入りを申し出たことだった。
これにより、黒楓会は安定的な人員補充に成功し、構成員はついに二百人を超える大所帯へと成長する。
影小隊も再編され、新たに十一名が加わったことで、正式な情報・暗殺部隊「影」としての体制が整う。佐藤の指導は的確かつ厳格で、その訓練効果は絶大だった。隊員たちはあらゆる武器を使いこなし、潜入・諜報・破壊の任務にも高い精度で対応できる部隊へと仕上がっていた。
また、若中・若衆の射撃訓練や体術も、鬼塚と佐竹の手によって着実に向上していた。日々の鍛錬が、そのまま組織全体の底力を押し上げている。
龍崎はまだ、何かの手段で九条と繋がっていて、修行は途切れていない。
LTとの取引も順調に継続しており、物資と技術の供給体制は万全。
ただ一つ、思うように進まなかったのは――前田拓也だった。
新型覚醒剤"アイス"の創造者にして、黒楓会の中でも限られた幹部のみがその存在を知る。
彼は現在、高純度ヘロインを原料とし、さらなる進化型の開発に取り組んでいたが、どうしても突破口が見つからなかった。
しかし、楓は彼の失敗に怒りを見せることはなかった。むしろ静かに、少しの休暇を与えた。
前田は今、病み上がりの娘とともに、誰にも邪魔されない穏やかな時間を過ごしている――そのひとときだけは、親子の小さな幸福だった。
時は八月下旬――
一通のカードが、静かに黒楓会会長・玄野楓のもとへ届けられた。
――関東極道懇親会 招待状
その文面を目にし、楓は眉をひそめながら小さく呟く。
「……なんだこれ。誰かのイタズラか?」
すぐ隣でそのカードを覗き込んだ佐竹が、目を見開いたまま声を漏らした。
「こ、これは……!」
楓が横目で見やる。
「知ってるのか?」
「はっ。まさか、うちにもこれが届くとは……黒楓会も、ようやく認められたということですね」
佐竹は、どこか誇らしげにそう言った。
楓は興味深げにカードを見つめていた。
隣に立つ佐竹が、静かに口を開く。
「関東極道懇親会……これは、二年に一度、決まって九月に開かれやす。
呼ばれるのは、地域で一目置かれる規模の組織ばかりで――古川組の頃は、一度も声がかかったことはなかったんです」
「なるほど。だったら三河会、湘北連合、それに三代目斎藤会も招待されてるってことか」
佐竹はうなずきながら、落ち着いた口調で答えた。
「へぇ、過去の三大勢力なら、まず間違いなく呼ばれていやす。
それだけじゃありやせん。今で言う四大勢力は、基本東京近辺を地盤にしてる連中でさ。東京都内の組も、この懇親会には毎回、顔を出してきやす」
佐竹の説明を聞きながら、楓は無言で思考に沈んでいた。
三河会、湘北連合、三代目斎藤会――あの連中が一堂に会して、仲良く懇親会などという場に収まるとは、とても思えない。
気づけば、佐竹をじっと見つめている。
すると佐竹が、まるで楓の疑問を感じ取ったかのように、言葉を継いだ。
「……これだけの面子が大人しくなるには、やはり、主催が相当な大物ってことなんでさ」
言い終える前にひと呼吸、佐竹はつばを飲み込み、声を落とした。
「――日本極道の泰斗、木下龍。今じゃ表には出やせんが、昭和の初期から東京最大の勢力を率いた方で。元総理大臣の実の兄弟って話もありやしてね。政界にも、裏の世界にも……顔が利く、本物の"重石"ってわけでさ」
招待状を前に、楓は口元を歪めた。