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49 連鎖

 楓にとって、政府内に自らの"駒"を置くことで、あらゆる面で動きやすくなる。

 一方、小野にとっても、血筋も地盤もない自分に強力な後ろ盾ができれば、政治の道はまだ先へと伸びていく。

 互いにとって、悪い話ではない。

 そしてこの取引は、黒楓会の勢力拡大にも――確かな追い風となった。

 小野の動きは予想以上に早かった。

 翌日、松本警部は真っ黒な顔で、黒楓会の者を釈放した。

 「……ちっ。まさか、議員から直に圧力をかけてくるとはな。上も腐っちまってる」

 松本警部には決定権がなかった。

 どれだけ不満があろうと、上からの命令には逆らえない。結局は、言われた通りに従うしかなかった。

 どれだけ不満があろうと、上からの命令には逆らえない。結局は、言われた通りに従うしかなかった。

 もちろん、良いことばかりではない。ひとつ、気がかりな報せも届いていた。

 矢崎たちが犬飼を始末したはずの、あの工場跡地で――

 確かに二人の男性の遺体は見つかったが、その中、犬飼武文の死体が、どれでもなかった。

 その報告を受けた矢崎が、最も驚いていた。

 間違いなく、あのとき部下に「犬飼さん」と呼ばれた男を自分の手で撃ち殺した。そう確信していたのに、死体が消えていた。

 楓は、その報せを聞いても取り乱すことはなく、ある可能性を思案していた。

 しかし、確証も証拠もなく、誰かにも話していなかった。


 

 昼休みの教室。

 楓にとって、学校はむしろ休める場所になっている。

 授業中にこっそり仮眠を取れるし、誰にも邪魔されずに座っていられる。

 夜は毎日のように緊張が続き、昼間も動かねばならないことが山ほどある。

 そんな中で、教室の雑談はほんのひとときの静けさだった。

 「でさ、俺は警察になりたいんだ」

 山田が元気よく言った。

 「警察?」

 楓が目を細めると、山田は嬉しそうにうなずいた。

 「そそ。悪いやつを全部ブタ箱にぶち込んで、立派な警察になるって決めたんだ」

 「へえ……偉いね」

 楓は微笑んだ。

 「ヤンキーはカッコいいけどさ、でもいつかは卒業しなきゃな? そんで、警察になるのが定番じゃねぇ?」

 「どこが定番だよ」

 楓が思わずツッコミを入れる。

 ――でも、警察か。

 山田らしい選択肢だ。正義感が強くて、曲がったことが嫌いなあいつには、確かに似合っている。

 「で、玄野はどうすんだよ? 将来」

 山田の問いに、楓は少しだけ考え込んだ。

 「俺は……そうだな。やりたいことがあって、それが全部終わったら……隠居でもしようかと思ってる」

 「お前の頭脳、警察向きだと思うけどな」

 山田は冗談めかして笑う。

 楓は笑い返しながら、心の奥でその言葉をどこか遠く感じていた。

 そうだな。

 もし――極道なんて選んでいなかったら、楓のような優等生なら、きっと警察になるのも悪くない道だろう。

 しかし、もう元には戻れない。過ぎた分岐は、二度と交わることはない。

 楓は苦笑した。

 「あんたの夢、応援するよ」

 初めてできた友達。楓は心から、山田の夢を応援したいと思っていた。

 その思いと同時に、現実もまた突きつけられる。いつかきっと、道は分かれ、もう交わることはない。二人はそれぞれ、違う未来へと歩んでいく。

 ――その先に何が待っているのか。

 楓には分かっていた。しかし、それを口にすることはなかった。



 湘北連合と三河会による密謀は、失敗の結末を迎えた。

 結果、三十人もの構成員が戦闘不能となり、小隊長も黒楓会に拘束されるという最悪の事態に発展。

 これにより、顧問・長谷川宗一郎の威信は著しく低下し、黒楓会、さらには三河会に対しても強い怒りを抱いていた。

 湘北連合の内部にも、静かに異変が広がっていた。

 円香はこれまでに何度も、兄・英司に進言していた。

 しかし英司は、まるで耳を貸さぬかのように、何の反応も示さなかった。

 長谷川の行動を、黙って見過ごし続けていた。

 そのせいか――円香は、どこか楓に対して申し訳ない気持ちを抱いていた。

 発端も、おそらく自分にあった。

 長谷川翔の嫉妬に火をつけたのは、他ならぬ自分だったのかもしれない。

 本来なら、もっと早く止められたはずだった。

 兄が動いていれば、ここまでの事態にはならなかったかもしれない。

 いや、それ以前に――自分がもう少し冷静に立ち回っていれば。

 そう思えば思うほど、胸の奥が締めつけられるように痛んだ。

 一方、三河会側の損害は比較的軽微だった。

 作戦そのものは湘北連合および極刀会の人員と資源を中心に構成されていたため、三河会の被害は犬飼の部下二名の戦死にとどまっていた。

 だが、作戦の規模と投入した準備に対して、あまりにも無惨な失敗だったことは否定できない。

 これほどの完全敗北は、犬飼武文にとって――デビュー以来、初めての経験だった。

 恥をかかされた犬飼が、このまま大人しくしているわけがない。

 すでに彼は、次の一手を練っていた。

 ――だが、犬飼が動き出す前に、もう一人の男が千葉へと姿を現した。

 場所は成田市内の、とある高級ホテルの一室。

 「なぜ貴様が、ここにいる?」

 犬飼の目は、目の前の男に対する嫌悪と警戒に満ちている。

 「……あれだけ大口を叩いておいて、結局このザマか。雅様は、ひどく失望なさっているぞ」

 挑発するように言ったのは、もう一人の男。

 身長はおよそ一八〇センチ、がっしりとした体格に、センター分けのロングヘア。

 サングラス越しでも、その不敵な笑みは明らかだった。

 犬飼は表情を崩さぬまま、挑発に応じることなく冷ややかに返した。

 「……すでに次の一手は考えてある。今度こそ」

 「ほぉ? どんな一手だ?」

 山本がニヤリと口元を歪める。

 「貴様に報告する義理はない。……それとも、今は監視役にでも任じられたのか?」

 「フッ。俺が来た理由は一つ。――黒楓会を叩き潰すためだ」

 男はサングラスを押し上げ、不敵な笑みを浮かべた。

 「犬飼武文。三河会・四柱の一人が、たかが学生に出し抜かれるとはな。……俺たち四柱の名に泥を塗った自覚はあるか?」

 大柄の男、山本源、同じく三河会四柱の一人だった。

 策略を誇る犬飼とは異なり、山本は正真正銘の武闘派だった。

 しかも、彼の率いる部隊は個の力だけではなく、集団戦にも特化し、練り上げられている。山本は成田に乗り込む際に、その部隊の四十人を率いてきている。

 犬飼は無言のまま、わずかに目を細めた。

 「……雅会長の指示か」

 「ああ」

 山本は即答する。

 「俺を……始末しに来たのか」

 「そうだ――」

 一拍の間を置き

 「……そう言いたいところだが、雅様は寛大でな。今回は、お前の責任は問わないそうだ」

 犬飼の目が鋭くなる。口を閉ざしたまま、息を潜めるように山本を睨みつけた。

 同じ"四柱"とはいえ、犬飼武文はその中で最も新参だった。

 腕と頭脳を武器に急速にのし上がったが、地盤や実績では他の三人に及ばず、立場としては最も弱いと見なされている。

 ――だが、犬飼自身はそうは思っていなかった。

 むしろ他の三人を見下していた。

 山本源もその一人。確かに体格も威圧感もあるが、所詮は力任せの筋肉バカ。

 策も打たずに正面からぶつかることしか知らぬ連中が、上に立っている現状こそが、三河会の限界だとすら思っていた。

 「とにかく、次の作戦は俺の指示に従ってもらうぞ」

 山本が命じるように言い放つ。

 「黒楓会は前の一撃でガタついてる。今はそっちの立て直しに精一杯ってとこだ。しかも目は湘北連合と極刀会に向いてる……叩き込むなら、今しかねぇだろ」

 犬飼は心の中で嗤った。

 ――確かに、山本の分析は的を射ている。犬飼自身も、今が好機であることは理解していた。

 だが――あの玄野楓が、その程度の動きを読んでいないはずがない。そんな単純な相手ではないことは、犬飼自身が一番よく知っている。

 ――いや、待て。

 これはむしろ、好機かもしれない。

 もしこの無謀な四十人がまとめて潰され、山本が始末されでもすれば、自分にとっては何よりの好材料だ。

 四柱の一角が勝手に潰れたとなれば、自分の立場も相対的に強くなる。

 犬飼はふっと口元を歪め、無関心を装って言い放つ。

 「フン……言っとくがな。今回の作戦――成功しようが失敗しようが、俺には関係ねぇ」

 「好きにしろ」

 山本は窓の外に目を向けた。

 外では、航空機のエンジン音が低く唸っていた。

 曇り空の下、成田の街は、じわじわと――きな臭さを増していく。



 ほぼ同じ時間、楓の携帯が震えた。

 『ハロー、ミスター玄野。しばらくだな』

 軽快な口調で流れる英語。

 声の主は、世界最大級の麻薬組織――ロス・ティエンブロス(通称LT)の日本責任者、デイビッドだった。

 前回、LTの拠点は三代目斎藤会に漏れており、帰路についた楓たちは奇襲を受けていた。

 「ミスター・デイビッド。元気そうで何よりだ……で、そっちは無事だったか?」

 『いやぁ、前回は本当に悪かった。あれは完全にこっちのミスだ

 せめてもの誠意ってことで、今回はかなりの得物を用意させてもらった』

 「それは楽しみだな。……早速だが、今夜中に受け取れるか? こちらも状況が少し変わってきていてね」

 『そのための連絡だ。予定通り、Sルートで行こう』

 Sルート――それは"SEA"、すなわち海路を意味する暗号だった。

 武器密輸の手段として、海路は最も一般的だ。

 大量輸送が可能で、監視も陸や空ほど厳しくはない。

 加えて、港湾は出入りする貨物の数が膨大なため、多少の細工では見抜かれにくい。

 そうした盲点を突くのが、国際組織の常套手段だった。


 玄野楓、佐竹重義、鬼塚大地の三人に、信頼のおける若衆数人を加えた小規模な一行は、千葉県南房総へと向かっていた。

 目指すのは、山ひとつ越えた先にある、人目につかない小さな入り江――

 そこは、かつて密輸や密漁に使われていたとも言われる場所で、いまや地図にもほとんど記されていない。

 山道を抜けた裏手の海岸に、LTの一団はすでに到着していた。

 海路で運ばれた荷は、漁船に偽装した小型ボートに積まれ、慎重に砂浜へと運び出されている。

 今回、現れたのはデイビッドではなかった。

 代わって取引を仕切っていたのは、いつも彼の隣に控えていたアジア系の男――リーと呼ばれる人物だった。目立たぬ黒い服装に、感情を見せない表情。

 当時、ノートパソコンはまだ一般的ではなく、現場での処理はすべて簡素な手段に頼るしかなかった。

 リーは携帯電話を取り出すと、パソコンの前にいる仲間に連絡を入れる。

 通話の向こうで、送金データの確認を行う間、彼はただ静かにその場に佇んでいた。

 数十秒後、仲間の確認が済むと、リーはわずかに頷いた。

 その合図ひとつで、LTの構成員たちは無言のまま木箱を砂浜へと運び下ろした。

 取引完了の言葉もなければ、握手すらなく、リーは淡々とボートへと乗り込み、波間を揺らすようにして海の彼方へと姿を消していった。

 取引は非常にスムーズだった。

 武器を受け取った黒楓会は、その戦闘力をさらに飛躍的に高めた。

 木箱の中には、影小隊隊員全員分のドラグノフSVD狙撃銃が入っており、加えて消音器付きの拳銃や、アサルトライフル系の自動小銃が大量に揃っている。

 そして、デイビッドの言っていた「得物」――

 それを開封した瞬間、楓を含めた幹部全員が言葉を失った。

 中には、RPG-7携行ロケットランチャーとロケット弾3本が含まれていたのだ。

 通常の密輸では到底あり得ない"重火器"。

 「……まさか、RPGまで渡してくるとはな」

 佐竹が目を見開いたまま、低く呟いた。

 隣にいた鬼塚も、眉をひそめて言う。

 「こんなもん、日本でぶっ放したら、ただじゃ済まねぇぞ」

 楓はしばらく無言で木箱の中を見つめていたが、やがて静かに口を開いた。

 「……LT、いや――デイビッドは、俺たちを引き込もうとしてるな」

 ロス・ティエンブロスは黒楓会を、単なる顧客ではなく、戦力として巻き込むつもりなのだ。

 鬼塚が鼻で笑う。

 「どこの国のマフィアも、手を組むってのは利用するって意味だからな」

 「こっちが手札を握ってるうちはいいですが……足元、見られたら終わりでさ」

 佐竹がちらりと楓を伺う。

 「構わないさ。――今は、使えるものを使うだけだ」

 その時、楓の携帯が震えた。

 「佐藤か。どうした?」

 『お疲れ様です、会長。――正体不明の車列が、本部方面に接近中です。恐らく……』

 やはり、このタイミングで仕掛けてくるか。

 「予定通り、叩きのめしてやれ」

 『了解しました』


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