47 誤算
黒楓会残党への総攻撃が始まった。
湘北連合からは隊長一人と、隊員約二十名。
極刀会からは会長・白川優樹が自ら出陣し、顧問の九条、若衆三十名が左右から黒楓会本部を包囲していた。
乱戦の中、白川は一本の刀を手に、鬼塚と対峙していた。
とはいえ、鬼塚は本気を出していない。
鋭い斬撃を、金属バットで軽々と弾き返す。
攻防の合間――
白川は低く、誰にも聞こえない声で尋ねた。
「……玄野がやられたっていうの、本当か?」
わずかな焦りがにじんでいる。
鬼塚はバットを振り上げ、刀の軌道を弾き返しながら、声を荒げる。
「んなわけあるかってんだ!」
再び距離を詰めながら、低く続いた。
「全部撒き餌だよ。――安心しな。あの人が、そんな浅ぇ罠に引っかかるわけねぇだろうが」
白川はわずかに息を吐いた。
「……やはり、か」
「信じてたんじゃねぇのかよ」
白川は鬼塚の攻撃を受け流しながら、静かに言葉を返す。
「信じてない。ただ確認するだけ。俺はまだ、玄野ほど何でも読めるわけじゃないからな」
「へっ……面倒くせぇ性格してんな」
鬼塚が再びバットを振るい、白川が紙一重でいなす。
「いいか。――玄野に伝えろ。今回の主謀者は、犬飼武文だ、彼は今……」
白川は状況を軽く説明した。
「誰だそいつぁ?」
「三河会"四柱"のひとり。今回の作戦、あいつが主謀者だ」
鬼塚の動きが一瞬だけ鈍る。
「……へぇ。四柱ねぇ。そりゃまた……」
バットで斬撃を押し返しながら、鬼塚は笑った。
「面白ぇーな!」
その身体から爆発するような闘気が放たれた。
白川の体が宙を舞い、数メートル先へと吹き飛ぶ。
「会長ッ!」
極刀会の若衆が叫び、我先にと鬼塚へ斬りかかる。
「テメェェッ! ぶっ殺すッ!!」
数人が一斉に殺到する――だが、鬼塚は構わず背を向けた。
「……もう興が冷めた。つまんねぇ」
斬りかかる刃を意にも介さず、その場を離れようとする鬼塚。
代わりに、背後から現れた黒楓会の若衆たちが立ち塞がる。
「うちの兄貴に手ぇ出してんじゃねぇぞ、コラァ!」
「かかってこい、極刀会の雑魚ども!」
激突する両陣営。鬼塚は振り返らなかった。
戦場から離れた車内。戦場は見えないが、窓の外を眺めながら、犬飼は苛立ちを隠さず舌打ちした。
「……まだ落としてねぇのかよ」
助手席にいた男が、慌てて報告する。
「……はっ、申し訳ございません。ただいま制圧に向かっております!」
「中の連中は何してやがる……ったく、どいつもこいつも使えねぇな」
犬飼の見込みでは、今ごろ――
黒楓会の本部事務所から伏兵が動き出し、外からの攻撃に怯んだ残党どもを、見事に挟み撃ちにしているはずだった。
だが。
報告によると、敵陣からは、何の動揺も伝わってこない。
むしろ、押されているのは自分たちの側――
正面からの猛攻すら、鬼塚と龍崎という二枚看板によって食い止められたまま、前線は崩れずに維持されている。
「……おかしい」
犬飼は苛立ちを隠せず小さく唸り、携帯を再び手に取った。
事務所内にいるはずの部下にもう一度連絡を取ろうとした。
――しかし、こちらがかけるより早く、向こうから着信が入った。
「……どういう状況だ、なぜ動かねぇんだ!?」
焦り交じりに怒鳴るが、携帯の向こうは無言だった。
「……なんか言えよ。おい、まさか――」
そのとき
『あんたが三河会"四柱"の一人、犬飼武文か。』
――若い、だがどこか冷ややかで落ち着いた男の声が返ってきた。
「……てめぇは、誰だ? なぜこの携帯を……まさか……」
犬飼の声がわずかに震えた。背筋に冷たいものが走る。
『――そのまさかだ』
電話越しに響いたその声に、犬飼の顔が一瞬で険しくなる。
「……っく、玄野楓か」
『ああ。俺だ。』
「……なぜてめぇがまだ――」
『まだ生きてるか? いや、見事な計画だったよ』
声の調子は淡々としていた。
『警察を動かして俺を釣り出し、その隙に各地の拠点を叩く。本部の防衛が手薄になったところで占拠。
そして、戻ってきた俺を待ち伏せて暗殺――混乱した黒楓会を、挟み撃ちで潰す。
……完璧だった。あと少し、惜しかったよ』
「……っ」
犬飼の手が、携帯を握る指ごと震える。
――まさか、本当にすべて読まれていた。
玄野楓――噂以上に、手強い。
「そこまで知ってたってことは、てめぇがやられたって情報も、俺に仕掛けるための罠ってわけか。――大したもんだぜ」
『クク……話が通じる相手ってのは、本当に楽でいい』
「だが、わからねぇな。てめぇ、いつどうやって気づいた?」
『俺が警察署を早めに出た時点で、妙にしつこく引き留めてきた弁護士がいた。名前は――たしか、村上とか言ったか?あれで確信したよ。惜しかったな、計画は見事だったが……部下が無能じゃ、すべてが台無しだ』
「は? 弁護士? なんの話だ、それ……俺はそんな部下、使ってねぇぞ?」
『……!?』
予想外の返答。
今度、驚いたのは――楓の方だった。
まさか――あの村上と名乗った男が、犬飼の差し金ではなかった?
楓の思考は一瞬止まった。
一体どういうことだ。もし、犬飼の言葉が真実だとすれば――これまで自分が見てきた構図が、根底から覆る。
「……おい、どういうことだ?」
犬飼が低く唸るように問いかけたが、楓は本来準備していた言葉をすべて飲み込む。
『……知りたければ、ここを抜けてからだな』
――プツッ。
通話は、一方的に切られた。
その直後、前席の若衆が慌ただしく声を上げる。
「犬飼さん、大変です! 後ろから黒楓会の連中が現れました! かなりの人数です!」
「チッ……やはり、その手できやがったか」
犬飼は奥歯を噛みしめ、思わず拳を握りしめた。
一方、楓は切れたばかりの携帯を凝視し、沈黙の中で頭を高速で回転させていた。
――犬飼の反応は、演技じゃなかった。
そう直感した。
となれば、問題はあの"村上"と名乗った男だ。
なぜ、あんな行動を取った?
ただの新入り弁護士が、たまたま仕事熱心で、たまたま夜中に接見に現れ、その口実で自分を引き留める。
その結果、自分は罠に気づいた。
そんな偶然あるか?
――違う。あれは偶然なんかじゃない。
つまり、犬飼と自分の対決の中に、"第三の勢力"が最初から介入していた。
「会長、どうなさいましたか?」
楓の険しい表情と、じっと携帯を睨み続ける様子に気づき、佐藤守が低い声で問いかけた。
楓は短く息を吐き、顔を上げる。
「佐藤――調べてほしいことがある。最優先で動いてくれ」
戦場の前線――
龍崎が木刀を手に、圧倒的な速さと力で敵を薙ぎ倒していく。
その背後には、平山と十数名の若衆たちが続いていた。
「クソッ、なんなんだこいつ……話が違うぞ!」
湘北連合の隊員たちが、次々と地に倒れ、あるいは吹き飛ばされていく。
「もうこれ以上持たねぇ!」
「チクショウ……やっぱり三河会は信用できねぇ。何が挟み撃ちだ、俺たちを捨て駒にしやがって……!」
血まみれの小隊長らしき男が、歯噛みしながら叫ぶ。
「隊長、後ろから敵が!」
突然の叫び声に、小隊長が振り返る。
「……何だって!?」
振り向いた視線の先には、姿を現す黒い影――
黒楓会の増援だった。
「馬鹿な、こんな数……どこから湧いてきやがった……!」
混乱と動揺が湘北連合の部隊を包み込み、隊列は瞬く間に崩れ始める。
その中で、龍崎の木刀が再び閃いた――。
遠くのとあるホテル――
長谷川翔が窓際に立ち、街を見下ろしながら携帯を耳に当てていた。
湘北連合の顧問の息子として育った彼が、自ら戦場に足を踏み入れることは決してない。
室内には、スーツ姿のガードマンが二人、少し距離を置いて控えている。
「犬飼さん、一体どういう状況だ? 挟み撃ちどころか、こっちは後ろから攻撃を受けてるんだが」
電話越しに返ってきたのは、苛立ち混じりの声だった。
『……そっちが情報を漏らしたんだろ? なぜ黒楓会が計画を知っている?』
犬飼武文が楓との通話を終えた直後、真っ先に思いついたのは――湘北連合が情報を流したのではないかという疑念だった。
「は? 冗談じゃない。こっちが裏切ったなんて根拠、どこにあるんだよ。……そっちこそ、俺たちを捨て駒にしたんだな?」
犬飼は舌打ち交じりに応じる。
『チッ……今はそんな話をしてる場合じゃねぇ。こっちも攻撃を受けてる。今は逃げ切るのが先だ。後でじっくり話を聞かせてもらうぜ』
「フン……そっちこそ、ちゃんと説明がなけりゃ、こっちにも考えがあるからな」
『……好きにしろ』
長谷川は奥歯を強く噛みしめていた。
黒楓会は、拠点外の総戦力を投入し、事前に密かに包囲網を構築していた。
そして戦闘が白熱の様相を呈したその瞬間――外周から一斉に攻勢を仕掛けた。
まさに、犬飼の策を逆手に取った反撃だった。
何の備えもなかった湘北連合は、完全に後手を踏まされた。
小隊長は重傷を負って意識を失い、黒楓会によって拘束。
残る隊員たちも、全員が戦闘不能に陥った。
もう一方、極刀会と黒楓会の間でも激しい応酬が続いていた。
両陣営ともに多数の負傷者を出したが、幸いにも重傷者はいない。鬼塚と白川の巧妙な布陣と的確な指示によって、正面からの激突は回避されていた。
しかし、戦場の本命は別の場所にあった。
白川から得た極秘情報をもとに、矢崎が影小隊を率いて密かに動いていた。狙いはただ一人、犬飼武文。
その姿を捉えたのは、市街地から外れた工業区。かつて古川組が族狩りを行っていた因縁の地だ。
バァン、バァンッ。
銃声が、深夜の工場に響き渡った。
「おのれ黒楓会め……よくも、こんな真似を」
部下の一人が悔しげに歯を食いしばり、拳を握りしめた。
その陰に、犬飼ともう一人の部下が身を潜めている。
「犬飼さん……本部に連絡しますか?」
小声で尋ねたその瞬間、犬飼の目が鋭く光った。
「そんなことしたら、俺の面目丸潰れだ」
ピシャリと切り捨てられ、部下は息を呑んで頭を下げた。
「し、失礼しました……」
しかし、このままではまずい。
黒楓会の連中はすでに工場周辺を包囲している。見つかるのも時間の問題だ。
かと言って、今さら救援を呼んでも間に合わない。
――完全に、袋のネズミ。
その時――バァンッ!
銃声が響き、直後に部下の一人の頭部が炸裂した。肉片が壁に飛び散り、男の体は崩れるように倒れ込む。
影小隊――ただの若衆ではない。
彼らの射撃は、暗闇すら関係なかった。
「……ッチ!」
犬飼は即座に身を翻し、別の遮蔽物へ移動した。
続けざまに、銃声が数発。
「ま、待って! 見捨てないでください!」
生き残った部下が青ざめた顔で犬飼にすがりつこうとする。
工場の内部に滑り込むと、稼働していない機械が並んでいた。完全に沈黙しているわけではなく、パネルの一部には通電ランプが灯り、いくつかのボタンが微かに光を放っている。
犬飼は壁際の一角に目を留め、口元が、わずかに吊り上がった。
「……おい、俺にいい考えがある」
低く抑えた声。
「なんですか?」
部下が顔を近づけると、犬飼は指さした。
「これを見ろ」
「な、なるほど……! さすが犬飼さん!」
「これを押したら、二手に分かれる。俺が中で奴らの注意を引く。その間にお前が逃げろ」
「で、でも犬飼さんは……?」
「心配すんな。部下を守るのも上の務めだ」
「そんな……!」
「いいから――行くぞ」
犬飼は迷う素振りすら見せず、火災非常ボタンを叩いた。
直後、機械がけたたましい警告音を鳴らし始め、赤い警告ランプが工場内を照らす――




