表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/56

46 偽報

 事務所に戻ると、迎えたのは影小隊隊長の佐藤守と、背後に控える隊員五名だった。

 室内には、まだわずかに薬品のような匂いが残っている。空気の大部分はすでに入れ替えられていた。

 部屋の隅には、敵の死体が十体――乱雑に積み重ねられていた。しかしそこに視線を向ける者は誰一人いない、まるで、何もなかったかのように。

 「お疲れ様です、会長」

 佐藤守が姿勢を正し、静かに頭を下げる。

 「状況は?」

 楓が足を止めずに問いかける。

 「は。おっしゃる通り、敵襲がありました。すでに――片付けてあります」

 「被害は?」

 「ありません。こちら側に負傷者なし。敵は全滅しています」

 楓は称賛の目で佐藤守を見やる。

 影小隊の隊員はどれもが黒楓会の精鋭で、一人でも欠けさせたくない。

 「これからは反撃だ。」

 全員の視線が、自然と楓へと集まった。

 楓はゆっくりと口元を歪め、短く命じる。

 「――黒楓会会長が死んだって情報を流せ」

 佐藤守が一瞬だけ目を見開き、そして感服したように笑った。

 「了解しました」

 どんな絶境でもひっくり返せる。敵の策の裏をかく――これこそが、自分が命を預けた会長だ。


 ――船橋戦場

 「なんだこいつ、強すぎるぞ!」

 「いっきにかかれ!」

 怒号と共に、スーツ姿の男たちが次々と襲いかかる。

 その中心に立っていたのは――ただ一人の少年。

 サイドを刈り上げたツーブロックに、きっちり撫でつけたオールバック。

 いつもは無関心に見える目が、今はどこか落ち着いていた。

 その手には、一本の木刀。

 振るうたびに男たちの身体が宙を舞い、地面へ叩きつけられる。

 「えぃ、怯むな! こっちは三十人いるんだぞ!」

 そう叫んだ男が、先頭に立って刀を振り上げた。

 少年に斬りかかる。

 「龍崎さん! あぶねぇっ!」

 木刀が少年の額に迫る。あと一センチ――。

 ふっと、少年の姿がかき消えた。

 次の瞬間、斬りかかってきた男の身体が、3メートルも上空に跳ね上がる。

 その真下。

 少年は低く身を沈め、木刀の切っ先だけを天へ向けていた。

 「……天道理心流 壱の太刀――霞」

 少年、龍崎は、九条憲孝から天道理心流を学んでいる。 ただし、それは単に技を受け継ぐことではない。

 天道理心流は、技術よりも"心"を修めることを重んじる流派。龍崎は、九条の型をなぞるのではなく、基礎から己を見つめ直し、自分自身に最も適した動きを磨き上げてきた。

 「さすが龍崎さん……動き、全然見えなかったっす」

 若中・平山が、目を丸くして呟く。

 龍崎が来るまでは、船橋拠点の面々は必死に持ちこたえるのが精一杯だった。だが――

 たった一人の加勢で、戦局は一気に逆転した。

 スーツの男たちは、龍崎が木刀一本で自分たちを薙ぎ倒す姿を目の当たりにし、さっきまでの勢いを完全に失っていた。

 「……こいつ……人間かよ……」

 誰からともなく、そんな声が漏れる。

 全員が動けず、互いに視線を交わし合うだけだった。誰一人として、もう一歩も前に出る勇気はなかった。

 そのとき――

 平山のポケットから着信音が鳴り響く。

 「はい、平山です! 佐竹の兄貴、こっちは……はい……えっ!?」

 突然、平山の表情が凍りついた。

 目を見開き、口を半開きにしたまま、声を失っている。

 「……うそ……だよな、会長が……」

 「……!!」

 その言葉に、背中を向けていた龍崎がふっと振り返った。

 普段は無表情の彼の目に、動揺が走る――隠しきれないほどに。

 スーツの男たちも、そのやり取りを耳にしていた。

 「ククッ……どうやら作戦、成功したようだな」

 「ここまでだな、黒楓会さんよ」

 薄ら笑いを浮かべながら近づこうとしたその瞬間、龍崎の目が鋭く光る。

 殺気を孕んだその睨みに、男たちは反射的に一歩後ずさった。

 「は、はいっ……わ、分かりました!」

 電話を切った平山が、青ざめた顔で龍崎に向き直る。

 「龍崎さん……本部が襲われました。会長が……撃たれたそうです!」

 龍崎の眉がわずかに動く。動揺を押し殺すように、唇がわずかに引き結ばれる。

 「佐竹の兄貴が撤退を指示しました。龍崎さんには、退路の援護を最優先で頼んでくれと……仲間の無事を最優先に、って……」

 しばしの沈黙。

 龍崎は大きく息を吐き、感情を無理やり押し殺して答えた。

 「……分かった。全員、撤収するぞ」

 「逃げると思うなよ、あぁッ!?」

 先ほどの醜態を忘れたかのように、スーツの男の一人が怒鳴り声を上げる。

 隣にいた男が舌打ちした。

 「今は行かせとけ。……目的を忘れたか、このボケ」

 「っち、分かってるよ……。黒楓会の犬っころどもめ、ただで済むと思うなよ……クックック」

 

 ――八街拠点

 鬼塚が拳を振り抜き、近藤を数メートル吹き飛ばした。

 「テメェじゃ歯が立たん。出直してこい」

 同じく力任せの荒い戦闘スタイルだが、近藤と鬼塚とでは、そもそもの地力が違いすぎた。

 「いいぞ鬼塚の兄貴!」

 「見たか極刀会! これが俺らのエースの実力だ!」

 鬼塚が挑発するように、戦場を一望して吠えた。

 「これで終わりってか? もっとマシな奴、いねぇのかよ!」

 その叫びが響くなか、少し離れた場所で三人の姿が戦況を見下ろしていた。

 「あれが黒楓会の鬼塚か。力はあるが、頭のほうは大したことなさそうだな」

 白いスーツにポニーテールの男が、軽蔑を込めて笑う。

 隣には、芸能人のような整った顔立ちの少年と、落ち着き払った中年男が立っていた。

 少年――極刀会会長、白川優樹が冷たく口を開いた。

 「ええ。あんなガキ大将風情に、三河会の"四柱"たる犬飼殿を煩わせる必要などありませんよ、九条先生」

 「行って参る」

 九条が手短にそう告げ、ゆっくりと歩き出した。

 三河会"四柱"のひとり、犬飼武文。その名の通り、文武両道の逸材にして、今回の黒楓会壊滅作戦の主導者でもある。四柱の中でも異彩を放つ存在であり、頭脳と実行力を兼ね備えた男である。

 すれ違いざま、犬飼は九条の背を見送りながら、わずかに目を細める。

 才覚を誇る犬飼は、常に他人を見下ろしてきた。大抵の人間は、自分の足元にも及ばないとすら思っている。

 今回に限っては、少しだけ――気にしている人物が二人いた。

 一人は、黒楓会会長・玄野楓――狡猾かつ冷徹な策士。

 そしてもう一人は、剣術の技量がすでに人外の域に達している男、九条憲孝である。

 その時、一人の若衆が小走りで駆け寄り、一礼した。

 「お疲れ様です、白川さん、犬飼さん。……たった今入った情報です。黒楓会の会長、玄野楓が本部事務所で撃たれたとのことです」

 「……!!」

 いつもは冷静な白川の顔に、明らかな驚きが走る。

 「フッ。玄野楓も、所詮その程度か。がっかりだぜ」

 犬飼が勝ち誇ったように鼻で笑った。

 白川は瞬時に頭を回転させる。

 ……ありえない。あの玄野が、こんな浅い罠に気づかないはずがない。

 昼間、突然現れた犬飼が「黒楓会を潰す」と言い放ち、八街への襲撃を命じた。

 白川は楓に連絡を取ろうとしたが、犬飼はその隙すら与えなかった。

 作戦の詳細も一切知らされず、夜には八街拠点への攻撃が始まり、同時に黒楓会の他の拠点も襲われたという情報が入った。

 黒楓会の戦力を分散させた上で、本部を叩く――おそらく、それが狙いだ。

 しかし、そんな露骨な仕掛けに、玄野が気づかないわけがない。

 かつて敵として対峙したからこそ分かる――あの男の洞察力は、自分など遥かに凌駕している。

 白川は胸に渦巻く疑念を押し殺しながら、静かに犬飼の横顔を見据えた。

 まるで白川の疑念を見透かしたかのように、犬飼が薄く笑った。

 「おやおや。――"どうして玄野楓が、こんな単純な策に引っかかったのか"……顔に書いてあるぞ、白川会長」

 「……私も、何度も玄野とやり合ってきましたが……一体、どんな手を?」

 「ククッ……所詮、凡人か」

 犬飼は鼻で笑い、視線を戦場の鬼塚と九条の激戦へと移した。

 「簡単な話だ。最初に"誘き出した"のは、玄野楓本人だ」

 「……っ!?」

 「政治関係に手を回して、市原の拠点にガサを入れさせた。奴が動かないはずがないだろう?」

 「……なるほど」

 道理で――警察が動いた以上、会長の玄野が出てこざるを得ない。 その隙に主力を炙り出し、最後に戻ってくる楓を始末する。

 わずか数時間の電撃作戦。玄野に思考の余裕すら与えず、一気に黒楓会を潰す計画――恐ろしい男だ。

 白川もまた智将であるがゆえに、すべてを語られずとも、少ない情報から全貌を読み取っていた。

 戦場の向こう側に、黒楓会ざわつきはじめていた。

 どうやらその情報が、現場にも伝わったらしい。

 やがて、その騒ぎは動きに変わる。黒楓会は、明らかに撤退を開始していた。

 白川は無言で、何かを思案していた。

 一度は敵だった自分のために、果たせずにいた復讐すら肩代わりしてくれた――その恩に、まだ応えていない。

 しかし、やはりおかしい。この手は確かに巧妙だが、玄野なら必ず気づくはずだ。

 いや、そう信じたい。

 だからここで取るべき行動は、玄野が犬飼の策を見破り、その裏をかく前提で動くことだ。

 「犬飼さん、もし自分の読みが正しければ――この後は奴らを追撃し、本部に仕掛けた伏兵と挟み撃ちにして、黒楓会を殲滅する……という流れで、よろしいでしょうか?」

 「ほぉ?分かってるじゃねぇか。」

 犬飼は横目で白川を一瞥した。凡人にしては、まだ使える方だ。

 白川の眼鏡が街灯の光を反射し、その目元を隠す。だが口元だけが、わずかに歪んでいた。

 「――というわけで、車を」

 「はいっ!」

 若衆が一礼し、駆け出していった。

 「行きましょう、犬飼さん」


 二人は同じ車に乗り込み、黒楓会の車列を遠巻きに追っていた。

 犬飼は窓越しに街を眺め、満足げに鼻を鳴らす。自ら描いた計画に、一片の疑念も抱いていない。

 だが隣の白川は、どこか陰を帯びた表情で、静かに口を開いた。

 「……恐れながら、犬飼さんのご計画に異を唱えるつもりはございません。ただ――あの玄野がいなくとも、黒楓会が無策で潰されるとは思えません。万が一に備え、私は前線に出ます。全体の指揮は、犬飼さんにお任せいたします」

 犬飼は鼻で笑った。

 「ふん、好きにしろ」

 ――玄野楓が倒れた今、犬飼にとって極刀会の価値はすでに薄れていた。白川を傍に置く意味も、もはやない。

 むしろ、前線に出したほうが都合がいい。乱戦の最中――何が起きても、不思議ではないのだから。

 犬飼と白川は、それぞれ思惑を胸に抱きながら、車を黒楓会本部事務所の約二キロ手前に停めていた。

 助手席の犬飼が携帯を取り出し、落ち着いた口調で連絡を取る。

 「……長谷川さん、そっちはどうだった?」

 携帯越しに、ねっとりとした笑みを含んだ声が返る。

 『クク……玄野は死んだらしい。作戦は成功したな。こっちは黒楓会本部のすぐ近くだ』

 「こっちも同じだ。では、最終確認を取ったら、また連絡する。その時は……」

 『黒楓会の滅びの時だ。ククク……』

 通話が切れる。


 静かな闇に包まれた、とある場所。

 ふっと、携帯が震え、短く鳴った。

 佐藤守は隣に立つ楓と目を見合わせ、すぐに応答ボタンを押す。

 『今どうなってる。なぜ報告がない?』

 通信越しの声は冷たく、苛立ちを滲ませていた。

 足元には数台の携帯電話が並んでいる。それはすべて、黒楓会事務所を襲撃し、今は屍となった男たちの所持品だった。

 佐藤は口元に手を当て、まるで覆面越しに話すかのように、意図的に声を濁した。

 「……も、申し訳ありません……」

 音声には微かな雑音が混じっていた。

 『……まあいい。黒楓会の本部はどうなっている?』

 「……すでに、占拠しました」

 わざとらしく抑えた調子で答える。

 『フン……分かった。そこを死守しろ。誰一人、中には入れるな』

 「……はい」

 短く返答し、通話は途切れた。

 再び、静寂。

 ――全く疑われていない。

 犬飼は、最初からこの者たちの声すら覚えていない。

 彼にとっては、使い捨ての駒にすぎなかった。

 

 一方――

 犬飼は窓の外を眺めながら、勝利を確信したように口元を歪めた。

 「全員……総攻撃だ」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ