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44 異変

 「今回、黒楓会関係で逮捕された被疑者十六名のうち、数名の弁護人を受任しております」

 一見、冴えない中年だったが、立ち居振る舞いには無駄がなかった。

 村上は名刺入れを取り出し、松本へ差し出す。礼を欠かさず、楓たちにも順に名刺を渡していく。

 その名刺には――HF法律事務所 村上泰之の文字が印刷されていた。

 ――ん? 新人か……?

 佐竹は名刺を受け取りながら、わずかに眉をひそめた。

 いつもならHF法律事務所から来るのは、二ノ宮弁護士という年輩の人物。

 ヤクザ専門とも言われるベテランで、裏社会でも知らぬ者はいない。

 名刺交換を終えると、村上はバインダーを胸元に抱えたまま、落ち着いた声で口を開いた。

 「本日は接見のために伺いました。刑事訴訟法第三十九条に基づき、速やかに面会の手配をお願いしたく思います」

 見た目によらず、どうやら慣れている人間らしい――佐竹はそう感じた。

 松本は無言のまま、表情一つ動かさずに村上を見つめている。

 その反応のなさを受けて、村上は淡々と続けた。

 「えー、万が一、制限または拒否の事情がある場合は、その法的根拠と理由について、書面での開示を求めます。

 また、拘束中の被疑者に対する供述調書の取得状況および留置環境についても、後日正式に確認請求を行う予定です」

 松本警部は名刺を見たまま、口元に皮肉な笑みを浮かべる。

 「なるほど……節操のない銭ゲバか」

 こういう金のためにヤクザの弁護を引き受ける連中を、ヤクザそのもの以上に嫌っていた。

 一瞬だけ村上を見たあと、視線はすぐ楓へと戻る。

 だが、言葉を向けたのは――隣に立つ、若い女性警官だった。

 「上野、案内を」

 女性警官――上野は無言で一礼し、すぐに部屋を出ていった。

 署内の廊下を抜け、面会室の前に差しかかったところで、上野が立ち止まり、楓たちを振り返った。

 「面会時間は原則二十分以内。録音・録画は禁止。物品の受け渡しもできません」

 そして扉の前で、やや語気を強めながら続けた。

 「発言内容は、必要に応じて記録・報告されます。こちらの判断で即時中止する場合もあります。

 それから、面会できるのは一度に一人だけ。交代する際は、あらためて申し出てください」

 「俺が入る。ここで待ってくれ」

 楓がそう言い残し、佐竹と矢崎を廊下に残したまま、面会室へと足を踏み入れた。

 上野も一歩踏み出しかけたが、ふと立ち止まり、佐竹と矢崎に向かって、やや低い声で言い放った。

 「……くれぐれも、おかしな真似はなさらないように。ここは、あなた方の"シマ"じゃありませんので」

 上野の後ろに、村上も一歩続こうとした。

 その瞬間、上野が振り返り、ぴたりと手をかざして制止する。

 「申し訳ありませんが、弁護人の接見ではありませんので、同席はご遠慮いただきます」

 語調は丁寧だったが、その目には明確な拒絶の色があった。

 村上は一瞬だけ上野を見つめたが、すぐに小さく頷き、足を止める。

 「承知しました。私はここで待機します。念のため、面会後に状況を伺います」

 

 面会室は狭く、ステンレス製のテーブルと椅子が二脚、壁の隅には小型の監視カメラが取り付けられている。

 天井の蛍光灯が白く光を落とし、音もなく空間を照らしていた。

 正面の椅子には、黒楓会の若中――佐藤慎吾が座っていた。

 20代後半、元暴走族。鬼塚の子分として古くから付き従ってきた男だ。

 その顔には疲労が滲み、だが目だけは静かに楓を見据えていた。

 楓は無言で椅子に腰を下ろし、組んだ指をゆっくりとテーブルに置いた。

 背後で扉が閉まり、わずかな重みと共に音が消える。

 空気が張りつめる中、佐藤慎吾が先に小さく頭を下げた。

 「……会長」

 「慎吾、ご苦労だった」

 楓が静かにそう声をかけると、佐藤はすぐに頭を下げた。

 「……面目ないです」

 「あんたの責任じゃない。謝るべきなのは、こっちの方だ」

 「いえ……そんな……会長に謝られるような立場じゃ……」

 佐藤慎吾は困惑したように首を振り、言葉を濁す。

 その仕草には、緊張と恐縮が入り混じっていた。

 楓は軽く一つ頷くと、声のトーンをわずかに変える。

 「で、どういう状況だったか。まず、教えてもらおう」

 楓の問いに、佐藤慎吾は立ち会いの上野をちらと一瞥し、軽く息を吐いてから声を低くした。

 「……夜の十時前でした。俺は下の連中と一緒に、いつも通り拠点で雑談してて。テレビつけて、何人かは飯を食ってました。

 何の前触れもなく、いきなりでした。玄関の方でドアが開く音がして、誰か帰ってきたのかと思ったら――次の瞬間、警察が雪崩れ込んできたんです」

 楓は表情を変えず、微動だにせず佐藤慎吾の話に耳を傾けていた。

 「私服と制服が混ざってて、五、六人じゃきかない数でした。全員に床に伏せろって怒鳴られて、無理やり手錠かけられて……裏口の方にもいたみたいで、完全に囲まれてました」

 語るうちに、佐藤慎吾の拳がわずかに震える。

 そして一拍の間のあと、低く続けた。

 「“ブツがあった”って声が聞こえたのは、そのあとです……」

 そのとき、佐藤慎吾はもう一度、上野を鋭く睨みつけた。その目には明らかな警戒と苛立ちがにじんでいた。

 「慎吾、ブツってなんだ」

 楓の問いかけに、佐藤は一瞬きょとんとした顔を見せた。

 黒楓会のビジネスの核心に関わる品――その存在を、会長である楓が知らないはずがない。

 なぜ今、警官の前でこんなことを訊くのか。

 だが、楓の目と、わずかに口元を浮かべた微笑みを見た瞬間、佐藤は即座にその意図を悟った。

 すぐに首を横に振る。

 「……あっ、いや。自分は何のことか分かりませんでした。現場で"見つけた"って誰かが言ってたってだけで……何を見つけたのか、自分は確認してません」

 人材が次々と輩出される黒楓会において、若中にまで昇る者は基本、只者ではない。

 佐藤慎吾もその一人だった。楓の真意を即座に読み取り、言葉の意図に合わせた受け答えができる。

 その様子に、楓はわずかに目を細め、満足げに笑った。

 「やれやれ、善良な市民を夜中に引きずり出すなんて……本当に、正義の味方は忙しいね」

 その言葉を聞いた上野の肩がぴくりと震えた。もともと大きな目をさらに見開き、楓の背中を鋭く睨みつける。

 「あんたは何も知らないし、していない。……だから安心しろ。必ず、無罪が証明される」

 「はい。ありがとうございます!」

 「……コホン。面会の時間は終了です」

 背後から咳払いが響いた、声の主は、立ち会っていた上野だった。

 楓は静かに立ち上がり、扉へ向かって歩きながら、振り返らずに言った。

 「ここん数日を休暇と思って、少し休んでくれ」

 佐藤慎吾は迷わず立ち上がり、背筋を伸ばして深々と一礼した。


 楓一行は車へ戻り、楓は後部座席に腰を下ろした。

 窓が半分だけ開いており、村上弁護士が外から身をかがめるように立っている。

 「玄野会長、失礼します。……結論から申し上げて、今回の件は、少々厳しいですね」

 言い終えた村上は、ちらりと楓の表情を伺った。

 「……続けろ」

 「えー、現場の状況と、押収物の構成から見て薬物と現金、それに複数の関係者が同時に現場に居たという事実。

 持ち主が特定できなくとも、共同で保管していたと見なすには、十分可能です。

 ……率直に申し上げて、かなりの確率で起訴されると思われます」

 警察は、狙って動いた。ならば、もう普通の手段じゃ通じない。

 楓は短く告げた。

 「分かった。ご苦労だった」

 窓が静かに上がりはじめた、そのとき――

 「玄野会長、もしよろしければ……場所を変えて、詳細をお伝えできればと思いますが」

 村上が一歩身をかがめ、低姿勢で声をかけた。

 楓の指が、窓のボタンを押して動きを止める。

 しばし無言のまま、村上の目をまっすぐに見つめた。

 やがて、楓は静かに口を開く。

 「結構だ。必要があれば、また連絡する」

 それだけを告げて、再び窓を閉じる。

 車を見送った村上は、ひとつため息を吐き、静かにその場を離れた。

 

 ヤクザは所詮、表舞台には出られない存在――

 そう痛感せざるを得なかった。警察の一手に、ここまで受け身に回るとは。

 何が"四大勢力"だ。三河会、湘北連合、斎藤会……正真正銘の三大勢力と比べれば、黒楓会はまだ若すぎる。

 楓は車内の沈黙の中で、そんなことを考えていた。

 ――そのとき、携帯が鳴る。

 「……俺だ」

 通話口の向こうから、切羽詰まった声が飛び込んできた。

 「会、会長! 大変です! 船場拠点の若中、平山です! 船場拠点が襲撃されました!」

 ……!!こんな時に?まさに、弱り目に祟り目

 「敵は何者だ?」

 「それが、まだ……はっきりとは。ただ、かなりの人数で、しかも練度も高い!このままじゃ……!」

 「分かった。すぐに龍崎を向かわせる。それまで持ちこたえろ」

 「了解です! ――野郎ども、龍崎さんが来るぞ! もう少し根性見せやがれ!」

 携帯の向こうから、「おうっ!」という一斉の怒号が響き渡った。

 通話を切り、楓が龍崎に連絡を入れようとしたその時――携帯が再び鳴った。

 「……佐藤か。どうした」

 「会長、たった今情報が入りました。湘北連合が動きました。恐らく――」

 「ちょうど報告を受けたところだ。船場拠点が襲われた」

 「……なるほど。一歩手遅れましたか。申し訳ありません」

 「いい。それより今はどこにいる」

 「現在、本部事務所におります」

 「龍崎、いるか?」

 「は、います」

 「変われ」

 通話の向こうで、ごく短いやり取りが交わされ、すぐに別の声が入った。

 「……俺だ」

 楓は簡潔に状況を伝え、的確に指示を出す。

 「……行ってくる」

 そう一言だけ返すと、龍崎は携帯を佐藤に戻した。

 「恐れ入ります、会長。もう一件――鬼塚さんが八街で交戦中です。敵は極刀会、それに三河会と思われる者も混じっている模様です」

 楓は目を細め、低く返す。

 「……分かった。引き続き戦況を――」

 そこで楓は、ふいに言葉を止めた。

 ……いや、待て。

 何かが引っかかる。

 「会長……?」

 通話の向こうで、佐藤の声が慎重に問いかける。

 黒楓会の主要拠点は三つ。

 西の船場拠点は今、襲撃を受けている。

 南の市原拠点は、さきほど一斉摘発で壊滅状態。

 そして北――四街道から八街に移した新拠点では、鬼塚が極刀会と交戦中。

 ……タイミングが良すぎる。

 楓の脳裏に、一つの可能性がよぎった。

 一息をつき、楓は声の調子を落として言った。

 「佐藤。これからの話はよく聞け。そして――その通りに動け」

 楓の言葉を聞いた佐藤は、しばし沈黙に落ちた。やがて、低く一言だけ返す。

 「……かしこまりました」

 通話が切れる。

 その内容を聞いていた矢崎と佐竹もまた、驚きに言葉を失っていた。

 「というわけで、ここから先は極めて危険だ。今、降りたければ止めはしない」

 楓は珍しく、真剣な口調で言った。

 前の席の佐竹は、なぜか少し誇らしげに笑った。

 「俺ぁ、あのときに一度死んでいやした。……あんたが拾ってくれなきゃ、今ここにはいねぇ。

 命なんざ、とっくに預けてまさぁ。最初っから、あんたのもんでさ」

 「自分もっす。族を卒業して、せっかく楽しくなってきましたし、ここで降りたら絶対後悔しますよ」

 矢崎もまた、決意を固めたような声だった。

 前の席に座る二人からは、楓の表情は見えなが、そのとき――楓は、ほんのわずかに微笑んだ。

 それは、これまでのどんな笑みとも違い、どこか、嬉しそうな表情だった。

 「……ありがとう。それじゃ、派手にやるとしようか」

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